第12話 ”ストリート・セラー”

文字数 6,427文字

 micotoたちがリミックスを加えたおれのデモ音源、『韻フィット』の興業成績として250円の商利益を持ち帰ったおれは、さっそくナックルによるボーカル・パートのレクチャーを受ける。

 あの炎上アカウントの女子が、チェインスネアと交流のあるファンだってこともナックルは承知しているし、この前はレイブンの事務所にエクスポータルがチェインスネアを連れ立った形で現れていたことも、後から知らされ、ナックルは会いそびれていた訳だ。

 チェインを大いなる目標と位置づけているナックルにからしてみれば、『韻フィット』のデキの話なんかよりも、「何でアキアスばっか、そんなにコネクション出来まくってるんだよ」ということの方が、話の重点になって然りだった。

 だが事のいきさつってのは大体いつも偶然でしかなかったし、おれも意図してコントロールは出来てはいないので、「ナックルもそんなおれとコネクションがあるんだから、チェインと繋がってんじゃねえの?」と返答しておいた。

 レイブン・レコーズとは未だ仮契約の身ではあるのだが、気がつけば業界屈指のくせ者、”砂依田ケイシー”とも絡む事態になっちまっている訳で、今更何が起きても不思議ではないぐらいなもんだった。

 それに余計な事に気を取られないよう、自分に集中しなければならない時期でもある。まあ常にそういう時期の連続ではあったのだが。


 ナックルが上げてきたボーカルに関するアドバイスの要点をまとめると、次のようになった。

「アキアスは普段の話し言葉の回し方に、オリジナリティが色濃く出ているタイプだ。お前が普段よくする話し言葉でリリックを組み立て、そいつを吐き出したほうがいい。新たに取って付けたようなフローを模索するよりも、慣れちまってる発話出力を使い回すやり方を追求する。それでも十分独自性が見込めるし、お前にとってもやりやすいだろう」

「自分が一番吐き出しやすい形式のセンテンスを、そのまま声に乗せていく。本人にとって都合がいいやり方ってのが、要するにそいつにとって威力のあるマイクになってくるから」

 確かにこの話は理に適っていると思う。

 一人称視点の描写が上手い作家が、わざわざ取って付けたような三人称を書いてみても結果そうでもない、みたいなことになっちまうのと似ている。
 というわけで、自分の話し言葉に寄せていくリリックの文体に調整しつつ、ブースの外でOFFマイクなボーカルテストを地道にやり始めることになった。

 そんなサイクルが続いていたある日、スタジオ内で唐突に起こった出来事がある。

 砂依田はそこに居合わせていたおれの目の前で、ナックルを解雇する、と言い放った。ナックルはその件でのみ、この日は呼び出されていたらしく、来て早々いきなり何事ですか、と当然の反応を示した。おれもライムする手を止めてそっちに気を取られる。

「居咲、お前の知り合いに違法薬物の売人がいるよな。正直に話せ」

 ナックルは眉間にしわを寄せる。
「誰のことっすか?」

「お前の”幼なじみ”みたいなやつのことだ」

 ナックルはうつむいて少し黙った。
「___そういう事はもうやめていたはずだ」

 砂依田は淡々と言う、
「大企業なんかでは割とある話だが、採用者の身辺に問題がないかどうかってのを、調査会社を通じて調べておくことがある。このレーベルもそれをやるって方針を採っているようだ、俺が来る前からな。スカウトが本人に直に接触する初期段階の下調べもまた、その一環だろう。つまりこれから売り出していくアセットから後々問題が出て来るとなると、それはレーベルそのものにもダメージが及んでくるという意味において、本人だけの問題と捉えられていない。____それでだ、居咲。お前はその”友達”との繋がりがある以上、来季からの契約は更新できないって話になっている」

 おれはナックルを見た。

 ナックルはその幼なじみが、以前そういった事をしていたのは知っているが、今どうなっていたかは知らなかったと話した。「俺がやめさせない」とも言った。

 だが、砂依田は言う。

「それはどうでもいい。だが確実に縁は切って来い。しかもこの男はただの売人ですらないようだ」

 砂依田が数枚の写真をテーブルの上にぶちまけた。

「調査会社によると、こいつ本人も中毒者だって調べが出てきてるらしい。要するにこの男は”売人をやめることはできない”ってことだ。わかるよな? だから関係の一切合切を解消して来い。でなければお前にアーティスト活動を続けさせることはできない。少なくともここではな」

 ナックルは静かに頷いた。

 砂依田は、”友達との関係性”については多くを尋ねなかった。ナックルのアーティスト生命に関する部分のみに突っ込んでいるに過ぎない。おれは外野なので黙っていた。

 ナックルは、「わかりました、今日すぐにでもそうするんで」と言った。

 砂依田は、おれも側に呼んで話し始める。

「___いいかお前ら。創作界隈にはクリエイティビティの言い訳みてえな格好で、私生活を乱している人間も多くいるだろう。だが俺はそういった姿勢を許す立場は取っていない。このフィールドで闘いたいならば、私生活は規則正しく、クリーンにしておけ。そうすることで、創作の世界で自身の持つ野生だの何だのを暴れさすことができるようになる。だよな?」

 砂依田はおれを見た。おれも頷く。奴は続ける、

「俺たちは『ストーリー・テラー』になることはあっても、『ストリート・セラー』になってはならない。どっかの路地で物を売るようなことはあってはならない。自分らの持ち得るチカラと感性を、必ず製品の形に仕立てなければならねえ。そうでない場合があってもいいだろう、だがその場合は、ここから出て行ってもらう」


* * *


 ナックルの幼なじみで、現在ヤクの売人になっているその男を探しに出てみると、日の暮れる頃に、ある路肩で見つけることができた。
 この手の違法薬物の取引がある場所というのが、札幌のどの区域なのかは触れないでおくが、多くの人にとっては馴染みのないような一角だった。

 ナックルはおれに「待っていてくれ」と言い、久々に会う幼なじみと立ち話をした。しばらくするとおれの方へと戻ってきて、どういう事なのか話してくれた。すっかり落ち込んでいてナックルも憔悴してすらいる。

「___簡単に言うとアキアス、あいつは犯罪者の仲間とつるんで売人にまで堕ちてしまった訳なんだが、そいつらに中毒者にもされちまったらしい。酒に覚醒剤を混ぜられて飲んじまったってことなんだ。中毒になったからには、クスリを買う金がいつも必要になる。だから売人を辞めることはできねえ。っていう、”子飼い”にされちまった状態」

「決断しないといけない、ナックル」

 おれは遠巻きに、売人である彼の顔色や顔つきを見ていた、
「放っておけば、彼は早々に死ぬことになる。毒抜きしねえと」

「だな。___けど逮捕されてあの中毒状態から断薬するんなら、むしろ死んじまったほうが楽だと思う」

 ナックルは彼の方を再度見やって話す、

「あいつって、両親がいなかったから可哀想な奴だったんだよ。愛情に飢えてたっていうか、誰からも相手にされねえし、優しくもされねえみたいな。元が恵まれてなければ、周りに馴染んでいく出だしの時点でもつまずいちまう。上手くいかず、そのまま疎外された状態でここまで来たみたいな感じ。___だからそういう反社の仲間であったとしても、自分を受け入れてくれる人間の方へ行ってしまうんだよな。みんな頭では分かってんだよ、そんなもんが仲間でも本当の友達でも何でもねえって。分かっててもそっちに引きずり込まれちまう。俺は親がいたからさ、あいつの全部は分かってやれないけど」


 おれにも親はいなかった。

 そう思うと不意に、少二郎のアトリエで描いた男女の顔の木炭画がフラッシュバックしてきた。

 ___クソ! おれは頭を振った。

「あれだな」おれは言う、「___神経が行き届いていないんだ」

 ナックルは何の話だ、という顔をした。

「悪い、表現の仕方が適切じゃなかった。要するにこういうことが言いたいんだ。つまり___」

 おれは少しだけ間をあけて、考えを整理してから話し出した。

「そんな事情であっても、彼はその手の犯罪者の近くで無防備に酔ってはいけなかったんだ。___変な話、マンションの手すりが腐ってて幼児が落下してしまったら、”管理会社が悪い”って皆なるだろうし、実際その通りなんだけど、『子供が落ちてしまったら駄目』なんだと思う。夜の街を歩いていて暗がりで誰かに刺されちまう、”刺した奴が悪い”に決まってる、間違いなくその通りなんだが、『刺されちまったら終わり』なんだよな。横断中の青信号で車が突っ込んでくるのを、ほとんどの人は回避できねえし、それは本当にどうにもならねえタイプの災難なんだろうが、彼の場合は割りかし油断しちまってた部分が多くを占めている例だ。それは自ら回避すべきだった災難のほうに分類できるんじゃないのか。___誰かに対してでも自分自身に対してでも同じだろうけど、何かを『守る』ってのは、ある程度危険を先回りする姿勢がないと。結局はそれが身を守るってことなんだからさ」

 ナックルは決め兼ねていた。おれは言う。

「死なせてやるにしてもすぐには死なない。その間に彼は売人であり続けるってことは、他の中毒者が増えてもいく事でもある。決断しねえと」

「だよな___」

 あるいはいつの日か、禁断症状が緩和することがあったなら、幼なじみの彼と一緒に、どこかで飯を食うこともできるかもしれないよな、とおれは言ってみたけれど、ナックルは何も言わなかった。

 おれたちはもう、分かっていた。

 ナックルは通報した。友人が違法薬物の所持をしていて、本人も中毒症状がある、連行してほしい、という旨を淡々と話していた。


 今度はおれも一緒に幼なじみの売人に近づいて接触し、取り引きの話を持ちかけた。安全な場所に移るという口実で、テナント募集中のカラの建物に入り、二階の何もないフロアへと上がり込んだ。どこかの会社事務所だったような場所だ。警察にはこの場所を指定しておいてある。

 そしておれが、”ナックルから紹介された購入者”ということで、彼と話し合い、値段についての交渉だの、今後の受け渡し方だのについて、デタラメに何度も繰り返し話した。

 だが次第に彼は、無駄に引き伸ばされる話に不信感を見せ始めた。

「何でこんな場所に呼び出して、話してんだ」
 とナックルに詰め寄り出した。さっきの路地でも済む話だからだ。

「オカシイと思ったんだ、どういうことか話してもらわねえと、ナックル!」

 売人は喚く。
「通報しやがったんじゃねえのか? そうなんだろ!」

 おれは手にしていたヤクの入ったパケを素早く破くと、中身を床に撒き散らした。彼は俊敏な犬のような動きで床に這いつくばり、両手でその白い粉の粒を一心不乱にかき集める。

 ナックルは”友達”の腕を引っ張って立たせようとし、おれは階段に通じる出入り口の前に移動してそこを塞いだ。落とされた薬物を諦めることにして逃げようとする彼を、ナックルは押さえつけようと躍起になり、その友人はもはや、人ではない状態で怒り狂った。

「本当のダチだってずっと思ってたのによ! 幼なじみだろうが、ナックル! 裏切りやがったな! みんなそうだ、俺を裏切んだよ! ぜってえ最後は裏切る!___ぶっ殺してやるからな! ぜってえ、ぶっ殺してやる!」

 ナックルは彼の腕をがっちり掴み、最後の説得のようなものを試みた。
 だがその声は、もう届かない状態にある。

「お前、こういう事はもうしないと言ってただろ! ”他にやりたいこともあるんだ”とか何とか、言ってたくせによ!」

 床に転がっている彼の持ち物のショルダーバッグから、一冊の本がはみ出しているのをおれは見た。その本のタイトルまでは分からなかったが、それを見ておれは胸が痛くなるのを感じた。

 ___そしてあの日の少二郎の声が聞こえてきそうになる。


『哲学書ばかりを読み漁っていたようだな___』

『努力の跡は評価する。だがそれでは解決しないぞ、アキアス』


 ナックルと”以前の友達”が揉み合っている側で、おれもうなだれるような感じになった。

 もしこちらに差し伸ばされた手が無かったら、
 ・・おれはどうなってた?

「ナックル、俺はお前みてえには出来ねえんだ、結局はな!」
 売人は喚き散らす、

「どうにもならねえ! 俺には無理なんだよおお!」

 ナックルの親友は大いに暴れて逃げようとした。
 おれは彼の痩せまくった身体の腹を思い切り殴りつけ、二度も拳をめり込ませた。彼は膝から崩れ落ちてむせび泣いていた。

「ちくしょう!___ちくしょう!」

 ナックルは馬乗りになって腕を押さえつける。顔には幼なじみに付けられた引っかき傷ができていて、そこから血が滲んでいた。

「すまねえ仕方ねえんだ、もうこうするしかねえ!」


 その数分後に到着した警察によって、違法薬物所持の現行犯として引っ張られていくまでの間、二人掛かりで力の限り押さえつけていた。

 この抵抗の暴れ具合いには、クスリを切らしたことによる禁断症状そのものも混在しているように見えた。クスリが切れると彼は、常にこういった状態になる。その惨状は彼が人生を終えるその日まで、延々と付きまとって彼を離してはくれない、ということを意味していた。


* * *


 郊外にある大型ショッピングモールの広い駐車場の柵の上に、おれたちは二人して乗っかって座っていた。

 ナックルもおれもかなり前からずっと押し黙ったまま、駐車場を出入りする車を、ただ眺めていた。

 ナックルは顔にできた引っかき傷に手で触れて、「悪かったなアキアス、助かった」と言い、おれは砂依田に事の成り行きを話しておいたほうがいいと言った。アーティスト生命は保たれるだろうからと。

 そして「おれも親無しだからな・・」と声に出てしまった。

 言うつもりはないことをおれは口走ってしまい、そのせいである程度、区切れることまで続きを話せねえと、___みたいになってしまった。

「危なかったのはおれも同じだった気がする。おれも色々とオカシな状態の時期があった。16歳とかその辺りの頃に。何でも覚えているわけじゃねえけど、夜に施設を習慣的に抜け出しては、そこらじゅうを飽きることもなく歩き続けたもんだったよ。現状を逃れたい一心なんだな。あれなんかもう徘徊なんてレベルでもねえな、”ナイト・ウォーカー”って職業か何かみてえな状態にあった」

 ___行く充てもなく。何かを探しているんでもない。歩いていれば『どこかへ向かう途中のような気がする』とでも思っていたのだろうか。

 少なくとも施設内では見つけることの出来ない何かを求めて?

 あそこはおれにとって、”自分の居場所ではない”、という感覚でしかなかった。ナックルの幼なじみは一時的ではあったにせよ、何かを見つけ出して、そこへ向かって行ったんだろう。

 心が誤って作り上げた『蜃気楼』だったと知った頃には、もう引き返せるだけの体力が残されていなかった、そんな気がした。


 花びらが散りじりになり茎はちぎれて吹き飛ぶ___。
 潰された草花の死体の惨状が見える。

 月明かりに照らし出される夜露の光と、死んだ命の、血液のような雫の輝き。上空で勢いよく流れる夜の雲が見え、吹き荒れる木々の葉が擦れ合う音がする。

 あの”殺戮の森”の夜が、鮮明に喚び起された。

 そうか。
 おれは思った。

 他者の命を殺めることで、憂さを晴らして、
 誤魔化していたのか___。


 ナックルとおれは、それぞれ自分んちに帰ることにした。部屋についたらさっさと寝ちまいたいよな、と別れ際に話して。

 おれたちは消耗していた。

 二人ともそんな感じだった。
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