第25話 義理兄弟
文字数 5,569文字
これまで決して開けることの出来なかったドアだ。
「じゃあ答えを言ってみろ。Boy」2ndが声を荒げた。
___これが本当の、本当の、最後だ。ボクは知恵を振り絞っていう。
「このドアに本当は鍵なんか付いていないんだろう? キミがずっとドアを抑え付けていた。だからキミはこのドアから離れられないでいたんだ。そうだろ、話しかけるとキミはいつもそこに居たよ!」
ドアの向こうで2ndが沈黙している。ボクは更に言う。
「ねえ、もしそうなら__」
最後のチャンスだ。
「閉じ込められているボクと、ドアを離れられないキミ。ドアのこっち側とそっち側。ちがいはあるのかな。同じだよね。キミも囚われている! ボクとキミは同じ、___まったく同じ人間なんだ!」
すると、ボクの視界が一変した。辺りに光が射し込む。目が眩むような光___。目を開くと、そこには2ndの姿はない。
『囚人番号0344を釈放する。ゲートを解錠せよ』
天井から声が響き渡った。ゲートが開くと階段があり、ボクは恐る恐るそれを上っていった。___誰かがいる。
『おまえは釈放になる。出てゆけ』
『ここは激情に駆られた者を収監するマインド・パレス。おまえ達にとっては、ただのブラックサイト』
ボクは辺りを見回す、「2ndはどこ?」
その誰かがボクに鏡を向ける、ボクは自分の顔を見た。
「これはボクの姿じゃない」
『そうであり、そうでもない。収容26年4ヶ月の期間に、おまえは収監当時の姿とは、別のものに成り変わっているに過ぎない』
近くの房の内側からドアを蹴る音が何度も響いた。
『___大人しくするんだ。お前はまだリリースするわけにはいかない。そこにいろ、ジェイス』
その誰かがボクに向き直る、
『おまえの持ち物をこちらは預かっていない。強いて言うなれば、収監26年4ヶ月分の房内の記録テープがある。持ち帰るが良い』
テープの山が現れた。
とてつもなく膨大な数量の録音テープ___。
それらには”囚人0344 房内 独り言”、と記され、日付らしきものがラベリングされている。
『お前にとって、言葉のセルフ・ラーニングのコレクションだったのだろう?』
少し笑ってかぶりを振って応えておく、
「いや、要らないかな。さっさとここから出ていくからよ」
機内の音がかすかにする・・。
終わったな。___長かった本当に。だが終わった。
機は着陸態勢に入りアナウンスが聴こえてきて、おれは目を覚ました。
外は夜の羽田空港。機内から窓に映る自分の顔を見た。アキアス___、いつものおれが映し出されているのだけれど、おれは少しばかり笑みをたたえていた。
静かな笑み。
誰もこのことは知らない。この先も知ることはない。おれだってよく理解はしていないだろう。だが確かなこと、それは『たった今、終えた』ということ。
通路を歩いて港内に入り、ゲートを通過した。そして空港の外で待っていたリムジンに乗り込んだ。
これはおれが遊び半分で注文してみたやつだ。
* * *
「先に飯を食ってしまおう。酒はその後がいい。我々は全員弱いはずだからな」
「”我々”ってなんだ?」
おれが待ち合わせ場所に到着すると、そこで待っていたCEOが陽気に言った。
ここは創作懐石料理屋の”柊 -HIIRAGI-”という店で、おれはリムジンに乗っかって来ただけなので、正確に都内の何区なのかも分からない。
入り口から日本庭園を進み、料亭内に入ると個室に案内された。引き戸を開けてもらい、中入った。
個室内には二人の若い男が隣り合って座っている。おれはCEOの隣りに着席し、彼らと向かい合う形となった。
彼らは義理兄弟だった。つまりCEOのふたり息子で、おれにとっては腹違いの兄弟。
CEOは紹介する、
「一計はアキアスの2つ上、昌三は3つ下になる。___お前たち、彼がアキアスだ。お前たちの真ん中の兄弟、母さんとは別の女性との間にできた子だ。___なにやら近いうちに彼はラップのミュージシャンとしてデビューすることになったらしい。今日はその祝いと、まあ顔合わせだ」
「約束通り、他の用事も忘れずに頼む」とおれは言う、
「そうだな」とCEO。
前回あのような別れ方をしたにも関わらず、再度CEOを訪ねた理由は、実の母のことを知るためだった。”まったく何も知らない”まま、これまで生きてきた。知ろうとしたことさえ、もしかするとなかったのかもしれない・・。
自分は言わば、不正しきな間柄の男女から生まれた子供だった。
だからここにいる彼ら、義理兄弟の家族間でおれの存在に関する件が、どのようなリアクションをもたらしたものか、おれに知る由はない。
だが彼らもすでにいい歳になった男たちであり、ティーンエイジャーのような起伏の激しい反応を示さなかったことは確かなようだ。
そして義理兄弟らはおれに対して好意的だった。会食の席に着いたばかりの時は、おれを見定めるかのように様子を伺っている節はあった。けれどそれも束の間に、自然と口数も多くなり打ち解けていった。
二人はエリートの青年達らしく、若いデスクワークによくいる細い体型をしている。着ているものも上品に見えた。___カジュアルというか、セーターやカーディガンを上着にして、デニムなどを合わせいる。
CEOは丸くなった身体にスーツを着用して畏っていた。彼はそういった席だと位置付けているようだ。
裕福層の外食会にストリート系のパーカー姿の労働者が、ひとり混じっているという具合のおれ。左手の小指には突き指のテーピングもしている。ちょい前に重機のバケットの交換の際、地味にぶつけてしまったやつだ。
「見違えたな、アキ」長男の一計が言った。
「もしかして、会ったことがあったか?」おれは尋ねる。
「遠巻きに見たことがある。アキが16の時に。親父と一緒にな」
一計はそう言って、ニヤリとした。
そうか、来ていたのか・・。施設の面会記録ノートにはCEOの名前しか記入されていなかったのだが。
「アキ、おまえはあの頃って不機嫌を燃料にして動いてるロボコップみたいだったから、”ニューロマンサー”とか渡さずに持って帰ってたな。いま思い出した」
昌三も言う、
「俺ってさ、次男のはずなのに何で名前に『三』がついてんのか、一切説明がなされないまま放置されてたんだよ? 少しは察してご覧よ!」
みんなが笑う。
「まあだから、アキアスの存在はむしろ歓迎だったよね。でないと俺が、世間から”数え間違えた男”みたいに見られんだからさ。この辺の話、あなた方にはどうせ分からないでしょうよ」
昌三は面白いことをよく喋った。
一番上の一計は、「親父はアキアスの数もちゃんと入れていたんだな」と妙にしんみりと呟く。
おれたちは夕食を共にし、それぞれが少し酔い始めると多くを話した。
彼らの家族の話を、特に学生時代の話も聞いたし、おれはおれで今やってる音楽の話をざっくり説明したりもした。
彼らは映画や小説の創作に精通している家柄で、音楽はUKロックをよく聴くようだ。
「おまえはヒップホップか」と一計は言う。
「俺は割かしラップも聴くほうじゃねえかなあ」と昌三。
おれは彼らにライム詩について説明をし、最近良くなってきたボーカル・パートのフロウを少し披露したりもした。
会食が終わると四人の男たちは、ほろ酔ったまま料亭を後にした。夜の繁華街の路地に出て風を受ける。
一計はソーシャル系のネット業者であり、その経営者だという。昌三はCEOの傍であの会社の重役に収まっている。そして近々結婚するようだ。
彼らはCEOによく似ていた。おれだけ少し雰囲気が違う。おれが母親似であることは、CEOによってすでに指摘されている。
一計はその淀みない早口で論理的な喋りを展開しつつ、女子の話もよくした。
「アキ、おまえモテるの?」
おれは頷く。
「おれの周りの女子ってのは、こっちでジェラシー、こっちでもジェラシーみてえな、ほとんどジェラシック・パーク。___ところでさっき、おれが16の時に何を渡そうとしてたって? ”ネクロマンサー”?」
「違う、”ニューロマンサー”。アキの言ってるそれ、PCエンジンだから」
PCエンジンというのは、札幌のハドソンが任天堂より少し遅れて販売した家庭用ゲーム機のこと。テレホンカードに厚みを持たせたようなカセットに基盤がついたものをソフトとしていた。おれは任天堂よりも、ハドソンで育った。
四人で絶え間なく話し続けて歩き、一軒のスナックの前に辿り着く。CEOは皆をここへ引っ張ってきた。中に入ろうと言い、ドアを抑えておれたちを順に入れた。
店内はレトロな装いだった。壁紙クロス、椅子やテーブルなどの調度品は昭和テイスト。建物自体も新しくはなかった。内装も別段触らずにそのままやってきたらしく、80年代の雰囲気がそのまま保存されて居残っている感じがした。___まるでその中を人々だけが出入りして立ち替わり、それぞれが時の彼方へ通り過ぎていったかのように。
割と広い店内を水商売に慣れきった女たちが、少人数体制でゆったりと飲みながら働いている所だった。
しばらくすると、CEOはここへ連れてきた理由を打ち明け始めた。
「約束だったからな」とおれに向かって言った、
「このスナックで俺とおまえの”母さん”は知り合ったんだ」
その頃、この店はもっと賑わっていた高級クラブだったようだ。そういえば”水商売をやっていた”と、少二郎からも聞かされていたな。
アルコールが進むとCEOの話は、母について具体的に及び始めた。
「俺は明るい社交的な人が好きだったんだが、彼女はまさに天賦の才と思うような面白い人だった。誰とでも気さくに楽しく喋る、接客仕事の枠を超えた、生来備わった性質のように見えた。ユーモアがあり、人を笑わせるのが上手い。___俺は彼女を口説いたもんだ。母さんには悪いことをしたと思うが、気づいたら夢中だったわけだ」
二人の義理兄弟らは嘆かわしそうにしながらも、仕方のない親父だといった感じで、面白がって聞き入った。
「生きているのか?」おれが尋ねた。
「結論から言うと、もう亡くなっている。早くにな」
「___自殺なんだな」
おれが児童施設に入ったのは生き別れたのか、それとも関係なく預けられていたのか。それによって印象は大きく変わってくる。
おれはそれを追求しなかった。
「あの社交的でユーモラスな一面は、コインの片面であることが次第に明らかになっていった」とCEOは言った。
頭の中でイメージが映し出される。___振り子が大きく振れる、そしてその反対側へと大きく振れていく・・。その様がクリアに。
おれは彼女を許すことにした。
「どの種の罹患?」
「重度の双極性障害だったと聞いている。夜は皆と飲みながら楽しく働いていたが、その他の時間には気分障害によくある虚無感に襲われて苦しんでいたのだろうと、今は思う。___思い起こせば、彼女と日中の明るい時間に会ったことは一度もなかった。水商売の女にたまに見かけるタイプだ。夜の街では一流の芸者としてそこにいるのだが、他の時間、他の場所では本当に存在しているのか分からない、といった女___」
四人の男たちはしばらく押し黙っていた。それぞれが何を思い巡らしているかのように。
分からないことはたくさんある。だが確かなこともある。
僅かな、カケラだが。
おれは彼女の、母のカケラをたぐり寄せ、集めようとする。
けれどそれは、もうほとんど残されていない。
ひとりの女性がいて、この世界を生きた。それはとても短い間だった。彼女はたくさんの人に好かれ、愛されていた。そして持ち合わせていた苦しみは隠されたまま、人目に触れることはなかった。
「今日、お前に会えるのが楽しみだった。”また会いたい”と思ったからだ」
CEOは胸の内を吐露するように言った。
「よく似ているな。紛れもなく彼女がこの世界に、お前を遺していったんだ」
CEOと彼女は”正式な間柄”ではなかったため、親類に会うこともなかった。人づてに亡くなった経緯を噂で耳にしただけで終えることになった。
だからこれも、この世の哀しみの一つなのだろう。
プツリと交信の途絶えたスペースシャトルの様子を、地上の人間は知り得ない。交信が途絶えた後の相手側のことを考えに入れておくためには、彼らは不正規の間柄ではだめだったはずだ。
CEOとおれの母のフライトはそんな結末を迎えた。本気だったならば、正規の手続きや手順は踏んでおいた方がいいのだろう。世の中の制度には少なからず意味がある、ということなのかもしれない。
彼は打ち明ける、
「向こうの遺族がアキアスを児童養護施設に預けていることは、しばらく後になってから知った。___言い訳がましいと感じるかもしれないが、本当にそうだった」
彼はそもそも金持ちなので、子ひとり、養わせるぐらいの身の置き方ぐらいは出来た。だからしばらくは、本当におれの行方を知らなかったらしい。でもその後で見捨てたことも、また事実だったようだ。
「前にも言ったけど、その件を別段なんとも思ってはいない」
おれはCEOに一応言っておいた。
”無いものは、無いでいい”。___それは本心だった。
「人は一人でも複雑な生き物だ。数人絡めばなるようにしかならない」
* * *
酔いも覚めた頃、滞在しているホテルでCEOの言葉を思い起こして、寝転んでいた。
『彼女はまさに天賦の才と思うような面白い人だった。___ユーモアがあり、人を笑わせるのが上手い』
おれのオフザケのようなことを言いたがる性質は、ここから来ているのか・・。
”ファニー・ラップ”___。
そいつで勝負を仕掛けるしかない。
「じゃあ答えを言ってみろ。Boy」2ndが声を荒げた。
___これが本当の、本当の、最後だ。ボクは知恵を振り絞っていう。
「このドアに本当は鍵なんか付いていないんだろう? キミがずっとドアを抑え付けていた。だからキミはこのドアから離れられないでいたんだ。そうだろ、話しかけるとキミはいつもそこに居たよ!」
ドアの向こうで2ndが沈黙している。ボクは更に言う。
「ねえ、もしそうなら__」
最後のチャンスだ。
「閉じ込められているボクと、ドアを離れられないキミ。ドアのこっち側とそっち側。ちがいはあるのかな。同じだよね。キミも囚われている! ボクとキミは同じ、___まったく同じ人間なんだ!」
すると、ボクの視界が一変した。辺りに光が射し込む。目が眩むような光___。目を開くと、そこには2ndの姿はない。
『囚人番号0344を釈放する。ゲートを解錠せよ』
天井から声が響き渡った。ゲートが開くと階段があり、ボクは恐る恐るそれを上っていった。___誰かがいる。
『おまえは釈放になる。出てゆけ』
『ここは激情に駆られた者を収監するマインド・パレス。おまえ達にとっては、ただのブラックサイト』
ボクは辺りを見回す、「2ndはどこ?」
その誰かがボクに鏡を向ける、ボクは自分の顔を見た。
「これはボクの姿じゃない」
『そうであり、そうでもない。収容26年4ヶ月の期間に、おまえは収監当時の姿とは、別のものに成り変わっているに過ぎない』
近くの房の内側からドアを蹴る音が何度も響いた。
『___大人しくするんだ。お前はまだリリースするわけにはいかない。そこにいろ、ジェイス』
その誰かがボクに向き直る、
『おまえの持ち物をこちらは預かっていない。強いて言うなれば、収監26年4ヶ月分の房内の記録テープがある。持ち帰るが良い』
テープの山が現れた。
とてつもなく膨大な数量の録音テープ___。
それらには”囚人0344 房内 独り言”、と記され、日付らしきものがラベリングされている。
『お前にとって、言葉のセルフ・ラーニングのコレクションだったのだろう?』
少し笑ってかぶりを振って応えておく、
「いや、要らないかな。さっさとここから出ていくからよ」
機内の音がかすかにする・・。
終わったな。___長かった本当に。だが終わった。
機は着陸態勢に入りアナウンスが聴こえてきて、おれは目を覚ました。
外は夜の羽田空港。機内から窓に映る自分の顔を見た。アキアス___、いつものおれが映し出されているのだけれど、おれは少しばかり笑みをたたえていた。
静かな笑み。
誰もこのことは知らない。この先も知ることはない。おれだってよく理解はしていないだろう。だが確かなこと、それは『たった今、終えた』ということ。
通路を歩いて港内に入り、ゲートを通過した。そして空港の外で待っていたリムジンに乗り込んだ。
これはおれが遊び半分で注文してみたやつだ。
* * *
「先に飯を食ってしまおう。酒はその後がいい。我々は全員弱いはずだからな」
「”我々”ってなんだ?」
おれが待ち合わせ場所に到着すると、そこで待っていたCEOが陽気に言った。
ここは創作懐石料理屋の”柊 -HIIRAGI-”という店で、おれはリムジンに乗っかって来ただけなので、正確に都内の何区なのかも分からない。
入り口から日本庭園を進み、料亭内に入ると個室に案内された。引き戸を開けてもらい、中入った。
個室内には二人の若い男が隣り合って座っている。おれはCEOの隣りに着席し、彼らと向かい合う形となった。
彼らは義理兄弟だった。つまりCEOのふたり息子で、おれにとっては腹違いの兄弟。
CEOは紹介する、
「一計はアキアスの2つ上、昌三は3つ下になる。___お前たち、彼がアキアスだ。お前たちの真ん中の兄弟、母さんとは別の女性との間にできた子だ。___なにやら近いうちに彼はラップのミュージシャンとしてデビューすることになったらしい。今日はその祝いと、まあ顔合わせだ」
「約束通り、他の用事も忘れずに頼む」とおれは言う、
「そうだな」とCEO。
前回あのような別れ方をしたにも関わらず、再度CEOを訪ねた理由は、実の母のことを知るためだった。”まったく何も知らない”まま、これまで生きてきた。知ろうとしたことさえ、もしかするとなかったのかもしれない・・。
自分は言わば、不正しきな間柄の男女から生まれた子供だった。
だからここにいる彼ら、義理兄弟の家族間でおれの存在に関する件が、どのようなリアクションをもたらしたものか、おれに知る由はない。
だが彼らもすでにいい歳になった男たちであり、ティーンエイジャーのような起伏の激しい反応を示さなかったことは確かなようだ。
そして義理兄弟らはおれに対して好意的だった。会食の席に着いたばかりの時は、おれを見定めるかのように様子を伺っている節はあった。けれどそれも束の間に、自然と口数も多くなり打ち解けていった。
二人はエリートの青年達らしく、若いデスクワークによくいる細い体型をしている。着ているものも上品に見えた。___カジュアルというか、セーターやカーディガンを上着にして、デニムなどを合わせいる。
CEOは丸くなった身体にスーツを着用して畏っていた。彼はそういった席だと位置付けているようだ。
裕福層の外食会にストリート系のパーカー姿の労働者が、ひとり混じっているという具合のおれ。左手の小指には突き指のテーピングもしている。ちょい前に重機のバケットの交換の際、地味にぶつけてしまったやつだ。
「見違えたな、アキ」長男の一計が言った。
「もしかして、会ったことがあったか?」おれは尋ねる。
「遠巻きに見たことがある。アキが16の時に。親父と一緒にな」
一計はそう言って、ニヤリとした。
そうか、来ていたのか・・。施設の面会記録ノートにはCEOの名前しか記入されていなかったのだが。
「アキ、おまえはあの頃って不機嫌を燃料にして動いてるロボコップみたいだったから、”ニューロマンサー”とか渡さずに持って帰ってたな。いま思い出した」
昌三も言う、
「俺ってさ、次男のはずなのに何で名前に『三』がついてんのか、一切説明がなされないまま放置されてたんだよ? 少しは察してご覧よ!」
みんなが笑う。
「まあだから、アキアスの存在はむしろ歓迎だったよね。でないと俺が、世間から”数え間違えた男”みたいに見られんだからさ。この辺の話、あなた方にはどうせ分からないでしょうよ」
昌三は面白いことをよく喋った。
一番上の一計は、「親父はアキアスの数もちゃんと入れていたんだな」と妙にしんみりと呟く。
おれたちは夕食を共にし、それぞれが少し酔い始めると多くを話した。
彼らの家族の話を、特に学生時代の話も聞いたし、おれはおれで今やってる音楽の話をざっくり説明したりもした。
彼らは映画や小説の創作に精通している家柄で、音楽はUKロックをよく聴くようだ。
「おまえはヒップホップか」と一計は言う。
「俺は割かしラップも聴くほうじゃねえかなあ」と昌三。
おれは彼らにライム詩について説明をし、最近良くなってきたボーカル・パートのフロウを少し披露したりもした。
会食が終わると四人の男たちは、ほろ酔ったまま料亭を後にした。夜の繁華街の路地に出て風を受ける。
一計はソーシャル系のネット業者であり、その経営者だという。昌三はCEOの傍であの会社の重役に収まっている。そして近々結婚するようだ。
彼らはCEOによく似ていた。おれだけ少し雰囲気が違う。おれが母親似であることは、CEOによってすでに指摘されている。
一計はその淀みない早口で論理的な喋りを展開しつつ、女子の話もよくした。
「アキ、おまえモテるの?」
おれは頷く。
「おれの周りの女子ってのは、こっちでジェラシー、こっちでもジェラシーみてえな、ほとんどジェラシック・パーク。___ところでさっき、おれが16の時に何を渡そうとしてたって? ”ネクロマンサー”?」
「違う、”ニューロマンサー”。アキの言ってるそれ、PCエンジンだから」
PCエンジンというのは、札幌のハドソンが任天堂より少し遅れて販売した家庭用ゲーム機のこと。テレホンカードに厚みを持たせたようなカセットに基盤がついたものをソフトとしていた。おれは任天堂よりも、ハドソンで育った。
四人で絶え間なく話し続けて歩き、一軒のスナックの前に辿り着く。CEOは皆をここへ引っ張ってきた。中に入ろうと言い、ドアを抑えておれたちを順に入れた。
店内はレトロな装いだった。壁紙クロス、椅子やテーブルなどの調度品は昭和テイスト。建物自体も新しくはなかった。内装も別段触らずにそのままやってきたらしく、80年代の雰囲気がそのまま保存されて居残っている感じがした。___まるでその中を人々だけが出入りして立ち替わり、それぞれが時の彼方へ通り過ぎていったかのように。
割と広い店内を水商売に慣れきった女たちが、少人数体制でゆったりと飲みながら働いている所だった。
しばらくすると、CEOはここへ連れてきた理由を打ち明け始めた。
「約束だったからな」とおれに向かって言った、
「このスナックで俺とおまえの”母さん”は知り合ったんだ」
その頃、この店はもっと賑わっていた高級クラブだったようだ。そういえば”水商売をやっていた”と、少二郎からも聞かされていたな。
アルコールが進むとCEOの話は、母について具体的に及び始めた。
「俺は明るい社交的な人が好きだったんだが、彼女はまさに天賦の才と思うような面白い人だった。誰とでも気さくに楽しく喋る、接客仕事の枠を超えた、生来備わった性質のように見えた。ユーモアがあり、人を笑わせるのが上手い。___俺は彼女を口説いたもんだ。母さんには悪いことをしたと思うが、気づいたら夢中だったわけだ」
二人の義理兄弟らは嘆かわしそうにしながらも、仕方のない親父だといった感じで、面白がって聞き入った。
「生きているのか?」おれが尋ねた。
「結論から言うと、もう亡くなっている。早くにな」
「___自殺なんだな」
おれが児童施設に入ったのは生き別れたのか、それとも関係なく預けられていたのか。それによって印象は大きく変わってくる。
おれはそれを追求しなかった。
「あの社交的でユーモラスな一面は、コインの片面であることが次第に明らかになっていった」とCEOは言った。
頭の中でイメージが映し出される。___振り子が大きく振れる、そしてその反対側へと大きく振れていく・・。その様がクリアに。
おれは彼女を許すことにした。
「どの種の罹患?」
「重度の双極性障害だったと聞いている。夜は皆と飲みながら楽しく働いていたが、その他の時間には気分障害によくある虚無感に襲われて苦しんでいたのだろうと、今は思う。___思い起こせば、彼女と日中の明るい時間に会ったことは一度もなかった。水商売の女にたまに見かけるタイプだ。夜の街では一流の芸者としてそこにいるのだが、他の時間、他の場所では本当に存在しているのか分からない、といった女___」
四人の男たちはしばらく押し黙っていた。それぞれが何を思い巡らしているかのように。
分からないことはたくさんある。だが確かなこともある。
僅かな、カケラだが。
おれは彼女の、母のカケラをたぐり寄せ、集めようとする。
けれどそれは、もうほとんど残されていない。
ひとりの女性がいて、この世界を生きた。それはとても短い間だった。彼女はたくさんの人に好かれ、愛されていた。そして持ち合わせていた苦しみは隠されたまま、人目に触れることはなかった。
「今日、お前に会えるのが楽しみだった。”また会いたい”と思ったからだ」
CEOは胸の内を吐露するように言った。
「よく似ているな。紛れもなく彼女がこの世界に、お前を遺していったんだ」
CEOと彼女は”正式な間柄”ではなかったため、親類に会うこともなかった。人づてに亡くなった経緯を噂で耳にしただけで終えることになった。
だからこれも、この世の哀しみの一つなのだろう。
プツリと交信の途絶えたスペースシャトルの様子を、地上の人間は知り得ない。交信が途絶えた後の相手側のことを考えに入れておくためには、彼らは不正規の間柄ではだめだったはずだ。
CEOとおれの母のフライトはそんな結末を迎えた。本気だったならば、正規の手続きや手順は踏んでおいた方がいいのだろう。世の中の制度には少なからず意味がある、ということなのかもしれない。
彼は打ち明ける、
「向こうの遺族がアキアスを児童養護施設に預けていることは、しばらく後になってから知った。___言い訳がましいと感じるかもしれないが、本当にそうだった」
彼はそもそも金持ちなので、子ひとり、養わせるぐらいの身の置き方ぐらいは出来た。だからしばらくは、本当におれの行方を知らなかったらしい。でもその後で見捨てたことも、また事実だったようだ。
「前にも言ったけど、その件を別段なんとも思ってはいない」
おれはCEOに一応言っておいた。
”無いものは、無いでいい”。___それは本心だった。
「人は一人でも複雑な生き物だ。数人絡めばなるようにしかならない」
* * *
酔いも覚めた頃、滞在しているホテルでCEOの言葉を思い起こして、寝転んでいた。
『彼女はまさに天賦の才と思うような面白い人だった。___ユーモアがあり、人を笑わせるのが上手い』
おれのオフザケのようなことを言いたがる性質は、ここから来ているのか・・。
”ファニー・ラップ”___。
そいつで勝負を仕掛けるしかない。