第7話 労働階級

文字数 7,744文字

『日々起きる諸問題を解決していく』というのが、おれ達の階級ではインテリジェンスとされていた。

 毎日起きる何かしらの諸問題をやっつけていくという日常、それこそが仕事の根幹。

 基本的に何事もなくスムーズに運んだ日ってのは、思い返してもあまり多くはない。それらを___文句を言いながらでいい、着実に一つずつ片付けていく。

 次の日も、次の日も、その繰り返し。

 そして常にそういう状態に身を置き続けていると、次第に文句を喚くことも少なくなり、「またかよ」ぐらいに留めて静かにやっつけていけるようになり始める。

 おれの尊敬する対象には僅かだか、そういった人々がいた。

 彼らは必ず自分で動くタイプであったし、あまり正面切ってその手の話題を口にもしないんだが、おれは彼らのそういった姿勢から感じ取るものが一番多くある。

 下手な説教まがいなものを聞かされるよりも、自分の中へと『学ぶべきもの』として浸透していくのをよく感じていた。

 また彼らのことは好きでもあった。


 今日の現場は、大きな主要道に面した中通りだった。そこは車両が侵入すれば片側交互通行にするしかない狭い路地で、面する主要道が大きいために、交通量が多くなるところだ。

 まず片側を通行止にして作業したのち、次は反対の片側を塞いで作業、先に終えた真新しい舗装道を車両の抜け道に切り替えていく。”片行”を伴う現場。

 だが、二名の警備員が道に迷ったらしく、時間内に到着しない。
 矢印板のないまま、おれ達がその間、手振りで交通整備をやりながら他の仲間が三角コーンとポールで段取ったりした。

 更に、うちらはうちらで舗装時に使う振動プレートを一台積み忘れてきたこともその頃になって発覚して、現場監督のタシって人の機嫌の悪さが出来上がると、おれたちは終始、せっつかれる状態が続く一日になることが、午前の早い時間帯ですでに確定した。そんな日だ。

 おれはバックホーのオペレーターの経験が長いわけではないので、「お前は遅いから他と変われ」と言われて早々に重機から降ろされ、降りた先では、スコップを使い始めたばかりの”レイジー”のいるグループに混ざった。

 ”レイジー”というのは、学年がおれと同じタメの奴で、この会社の役員クラスの人間らしいのだが、そのポジションに収まる前に、”現場経験を全くしていないと都合が悪い”、という上層の判断があったらしく、最近こうやって作業員に混ざって顔を出すようになっていた。

 タシさんはおれのバックホーの操作が、遅え遅え、と気が済むまでイチャモンをした。

 おれはおれで、まだ差ほど慣れてもいないせいで、急かされると鏡越しに後ろ手で散髪してるみたいに、バックホーの動きがチグハグになった。

 ___こういう時、髪のセルフカットでは、鏡を見ないで手の位置感覚でのみハサミを使うってのが正解になるが、バックホーもメーカーによっては縦横の駆動が左右のギアで反対仕様になっていたりもするため、おれはたまにギアを目視したりもしつつ、上手いこといっていなかったわけだ。

 おれが降りた後もナンチャラ繰り返し文句を言われてもいたのだが、おれは”話の余計な部分”は華麗に聞き流しつつ、要点と意向のみを受け取ると、スコップを操るほうへと意識を切り替える。

 そしてさっきのレイジーだが、これも結構な言われ方をされていた。

 タシさんが繰り出す無駄に多い手数を要約すると、「遊びで来てんなら帰れ。面倒見れねえから」ぐらいの文字数で収まるのだが、まあやったことない仕事をすると最初は誰しも必ずそうなるし、まだ何も知らない奴も苦労はするが、使ってる側もいちいち手取り足取り教えてられねえだろ、という状態になってくるのは、どこの職種でも言えることではある。

 互いにそういう噛み合わない時期が、初期は必ず出てきて当たり前だ。

 この部分に関して言えば、『教わる側の人間』がある程度の理不尽さを耐えて突破していかないことには、その先の関係性は出来上がって来ない。

 だからレイジーは我慢して頭をフル回転させつつ、順応していくしかない。場合によっては奴らの行動を先読みして動くぐらいの感じでないと、間に合って来ないだろう。

 レイジーはタシさんに言われた指摘の他に、余計に含まれたイチャモンの類いまでをも、いちいち真に受けている様子が容易に見て取れた。

 この現場監督はおれやレイジーのことを別段知ってすらいないので、昨日地面から生えてきたキノコとおれらとの間に、大した違いはない。


「若い奴らの頭の悪いあの音楽をやってるのか」

「デザイナーしてたお坊ちゃんがナンチャラ」


 だのといった内容は、発せられたエラーみたいなものだ。
 エラーを真面目に解析したところで、出てくるのはエラーでしかない。

『気にする必要がない』とか『聞く必要がない』と言われる物事は、こうして確かに社会に出るとたくさん待ち構えている。

 おれ達がそれらに翻弄される意味も理由も特にないわけだ。

 10時の小休止になり、各自それぞれが何かしらの缶を飲んでみたり、煙を吐くなり、仲間とくっちゃべったりをし始める。

 そして気づくと、現場の隅っこの縁石の上で、妙にしんみりとしたレイジーがひとりでポツンと座っていた。
 奴はおれと同じくタバコはしない。ついでに何か買って飲む気分にもなれないような感じでただ座っていた。

 おれはコーヒーのロング缶を二本買って、レイジーの隣りに腰掛けて足を投げ出した。缶は速やかに手渡す。

「気にするな。タシさんはホルモンバランスが乱れてるだけだ。おそらく最近閉経した」

 レイジーは吹き出した。

「前は仕事、何してた?」

 作業員として交じる少し前に現場写真を撮る際、レイジーが一眼レフのカメラを使っていたと、皆が目撃していたらしい。普通は使わない。
 おれが聞いてみると、レイジーは専門学校でグラフィックをやっていたと話した。

 例のごとく専門学校のそれが、良い企業の就職につながるわけでもなかった、という定番のくだりに差し掛かった時、おれは他の質問する。

「この建設会社の親類かなんかなんだってな? いずれは株を持って経営陣に加わるとかって聞いた。この件に関して皆が口々に気の利いたコメントを展開してるんだが」

「やっぱりか__」
 レイジーは肩を落とす。おれは持ち上げてやる。

「グラフィック方面は考え直したってことなのか?」

 苦笑いしつつ、手袋をこねくり回すレイジー。
「以前の俺ってなんかこういう、___労働みたいな仕事を小馬鹿にしてるところがあって、芸術家気取りの立ち位置だったんだけど、結局は俺も実家の人間と同じで”こっち側”だったよ。___しかも”使えねえ奴”って感じで?」

 頭を振っていた。
「恥ずかしさ半端ねえ感じ」

「グラフィーのほうは?」おれが聞く。

「俺以外の奴がやったほうがいいと思い始めたから、もうそっちには行かないかな。そういうもんはもともと好きだったけど、俺は”ユーザーとして好き”だっただけっぽい。”クリエイターとしてじゃない”って未だに気づけないほど、バカでもないし。そこ履き違えちゃってる人って専門校にもよく出没してんだよね、俺みたいなの。マジで創る奴って、『さあ学校で習おう』とかじゃないし。すでにやってるっしょ。あいつら」

『学校』も『習う』ってのも好きでないおれは同意しておいた。

 そして二人で作業に戻っていく。

 ひっくり返した古いアスファルトを、バックホーが4tダンプに乗っけていく。ダメになっている縁石は新たなものとすげ替え、砕石と砂、乳剤を散布し、合剤を積んできたダンプが、ケツから適量ずつを下ろしては前進し、その後からおれたちが均す。タイヤローラーで整地し、隅っこの細部は振動プレートで仕上げていく。冷めたアスファルトの合剤は、ガスバーナーで再度熱する。

 交通量の多い主要道なら夜間に通行止めをしてやったりもするのだが、今回は日中なので、さっさと済まさないとならない。

 一緒にスコップを操っていたレイジーが思い出したように、内地のどこかの都市で出現した大きな穴の話を始めた。

「あの地盤沈下で出来たでっかい穴を、現地の業者はものの数日でオーバーレイして通行を再開させたっていうニュース、前にあったよな。あれだって、”日本には安い金で真面目に働くバカがいるから”、とか国内では言ってる奴がいたよ。海外は日本のインフラ復旧の早さに驚いていたけどさ。こうして実際に俺も同じ事やってみると凄えんだなって気づくけど、やる前の”グラフィー気取りな俺”だった頃なら、全然わかんねえから同じようなことをSNSかなんかで書き込んで、悦ってたと思うわ」

「マジか。___じゃあおれも”バカ”の一人だな」

 とおれは言い、
「だが、そいつらの語る論調の上を物事が走ることは多分ないな。”実際的”じゃねえから」

 などとボンヤリと吐きつつ、この上を車両が走る事を前提として、みんなと舗装を続けた。

 昼から13時までの間、おれとレイジーは一緒に飯を食いつつ話の続きをくっちゃべった。
 おれだって第一志望ってのは叶わなかった奴なんだけどな、と話した。

 今やってる”ラップになる予定のもの”、それだって本来おれが持っていた希望じゃないのは確かだし、後々方向転換をかましたジョブチェンジでしかない。それが巡り合わせたかのように、おれと世界をコネクトさせる格好に、運良くなりつつあるに過ぎない。

 レイジーは意外に思ったようだ。
 じゃあ、アキアスの第一志望ってのは何だったよ、とかつてのグラフィック志望者は知りたがった。

「あくまで自分は詩人としてやっていこうと思っていた。韻文を組み立てるとか、そういった言葉を操ることがしたいだけだったな。”得意で出来る事”がそのまんま世間で受け入れられ、仕事になるんならマジで誰も苦労しねえって訳だよ」

 現代のキラキラした色彩のアニメーションや楽曲を想う。

「最近では昔みたいに編成され組まれた言葉を、”詩です。読んでください”、と印刷して、”ああいいですね”、ってことには、あんまならない時代になっている。他所を見渡してもそうだろ。元は紙上の物語もデジタルされるための原作扱い。楽曲や声もぶち込まれた映像作品に成り代わってくる、そういう時勢。その中で人が紡ぎ出すリリックもまた、”書き殴って完了”、という状態では終わらせてもらえなくなっている」

 おれは笑う、

「でもまあ___、正直こんな現代の有様ってのは面白いと感じたな。ああそうかって、素直に理解した節がある。___ってのは、”書いた張本人、おまえがその口できちんと抑揚つけて表現してくれれば、皆はもっと耳を貸すんじゃねえの?”、と今の世界ではなってきている。それは大いに受けて立つ気持ちになるよな。おれはこれまでただのライムの使い手だったんだが、そこにマイクだのビートだの、”ケイシー”だのといった不機嫌要素も若干含まれつつ、加味されていく。どうやら予定とは全然違うことになってきたけど、地続きであり進化したファーマットであるなら、こちらの予定も変更して対応するのもいいよなと思った。___まあ、一応まだ方向性を探ってる状態ではあるんだけど。レーベルと仮契約の身だし」

 挫折という捉え方はおそらく”それを辞める”時に生じるはず。

 もし一見、全く別のことをするようになったとしても、そいつが根底では地続きの、あるいはある意味”進化した形状のもの”であるならば、そっちにシフトしてしまえば、挫折感を覚えることはない気がする。

 やってきた事が、水の泡だと感じてしまうこともない。

「レイジーはグラフィックといっても、液晶タブレットとかカメラから身を引いたんだろうけど、それもまたグラフィックの一形態か断片のひとつに過ぎなくねえか? この先、グラフィックと地続きである”何かしら”をするチャンスもあるだろ。そいつは多分、建設の仕事とは無関係だろうけどな。___けど、マジですげえ場合は、今シフトした建設と一度距離を置いたグラフィック、そいつを何かしらの形で結びつけた新しいフォーマットで、お前が再開するってパターン」

 いったん見事に『ぶっ潰された種類の人間』がリカバリーを果たす。
 おれの惹かれるのは、そういった人々の姿かもしれなかった。

 先日知り合った車椅子女子のmicotoもそうだが、彼らはいい具合に一度”、地の底に落ちた状態”になった。
 こういう言い方をするのは悪いんだろうけど、彼らを見ている外野の観客らが内心求めているのは、

 ”それでその後はどうなる?”

 という先の展開___。


「いつか」のために生きているはずが、
 自分の映画の本編が、実は「今」だったと知るときが来て、
 まさに、この瞬間を観客が見ていると気づいた日。

 人生の尺は短い。
 短いが故に、とっくに本編は回っている。

 その時、自身の振る舞い方を意識せざるを得なくなる。
 それがMC___。


「この階級の人らってさ、どう折り合いつけてるんだろうな。安い金で、___惨めなんだろうか?」

 レイジーが、そう漏らす。

「それは、人それぞれなんじゃね? 嫌々仕事やってる人も多くいれば、これを自身の生業と思っている人も、また多くいる。おれもそうだわ。創作業にシフトしたって、本質的におれは労働階級の人間だよ。他所の連中がどう見ようが、あるいは舐め切ってくれたとしても、おれらのやっていることってのは、その”実際性”と”インテリジェンス”においても、極めてマジだからな」

「おれに関して言えば、その他に日々必要な分量の”負荷”を得るためにやってる面もある。___エネルギーをしっかりと消費したいんだ。賃金を効率的に取りにいくなら、他に楽で待遇のいいところもいくらでもある。探すのが面倒だけど、探せばある事はあるよな。おれが土方仕事をしている理由は、労働者として結構”暴れられる”からだよ」

 肉体労働は好きだ。

「___だから忙しいほうがいい。これは間違いない。ついでに身体だけでなく頭も使えると更にいい。だいたい二日に一回は何かしら”余計なこと”が起き、それをやっつける機会が巡ってくる。そういったものは最初はウンザリするだけなんだけど、回数重ねてくると過去の類似点からか経験則からかで対処の仕方が明らかに上手くなってくるよ」

 ロクでもない目にも、これまでたくさん遭ってきた。

「上手くトラブルを解決できるようになると、自分に対する評価と見方も変わるし、余裕も出てくる。日々回っている社会の歯車に対して、自分が華麗な所業をかましたという自意識が、身の内に還元された気がする。これは自分を形成する素材として、非常に役立つ質のいいものになる。ヘンな訳分かんねえプライドみたいなフワフワしたものとは、明らかに違う素材だよ。____おれはそう感じている」

 ここまで正直にペラペラ喋ってしまってから、我に返った感じでおれは笑った。

「こんな突飛な向上心みたいなもんは、本来必要ないんだろうけど、おれはそれをワザとやってきたフシがある。それが楽しかったし、おれには必要なことだったから。___どんなにヘンな奴にでも、何かしら理由があってそれぞれ動いてるわけだよ。個体差がある以上、共有できない感覚も、当然もあるわな」

 そして今日の仕事が終わる。
 これからも続く一日のなかの一日。

 ただ、それだけの終わり。


「”アキアス”って、名前も中身もかなり変わってるよな。お前って見たことないような曲者だよ」

 その日の帰り際に、レイジーがふいにそのような事を言ってきた。

 『アキアス』という名前に関して言えば、確かに少し普通ではないエピソードがくっ付いているのも事実___。

 それを思い出した。

 おれを預かる事になった当時の児童養護施設の人間は、アキアスの名付け親というのが、肉親とは全く別の、赤の他人だったと聞かされていたらしい。
 代理の命名依頼を頼まれた何者かが、勝手に名前を提案し、それをそのまま採用したということだ。親に名付けられたわけでない、ということ。

 その命名をした人間ってのが、また曰く付きの、___言って見れば、ただの精神病罹患者だと今なら分かる。
 仏教にかまかけて、何やら怪しい個人経営をしていた”病者”。

 本人はそういうつもりじゃないだろうけど実際はそれで、その名付け親は、おれを『アキアス(明快)』とした上で、何やらしきりに言ったことがあったらしい。


 『この子はとんでもなく、大成を果たす人物になる』


 その予言めいた内容を、子供の頃それとなく聞かされたことがあった。

 名付け親である赤の他人を追求すれば、ただ単に”精神病者”という結果が出てくるだけだろうが、おれはその部分をあえてアヤフヤなままに、触らないでおいたフシがある。

 そうすることで、自身の中に取り込まれ、セットされたその言葉は、”予言”の形で残ることになるからだ。

 『この子は、大成を果たす』

 その”予言”は無意識に、自分の内部の深く柔らかい土壌に植え付けていたことは、ほぼ間違いがない。

 それがあったせいで、どんなにコテンパンにのめされていた時期であっても、全くどうにもならないバカな奴であった頃でさえも、いずれは違ったものに化ける前提で、自分を俯瞰しては一旦棚上げしておくような妙な余裕があった。

 側から見れば、「なんでだよ、おまえ?」って感じなのだろうけれど。


 レイジーは今言われているイチャモンを、”自分の評価”として、そのまんま受け止め、それが最終確定した不変のものであるかのようにしている様子がある。

 でもレイジー、考えてみろよ。とおれは話した。

「ある日、こういった評価が全てをひっくり返せると思っている奴は、”ああ今はそうかよ、クソどもめ”、ぐらいの受け止め方しかしないんだぜ? そんな素直に人に言われた事を聞くなよ。その必要が全くねえのにさ」

 おれは笑った。

「最終的に全部ちゃぶ台返しを行うことが確定している、その上で現時点でどっかのボケが何言ってくれようが、ただの余興みてえなもんだろ。なぜなら最後にはひっくり返るからだ」

「___そういった展望みたいなものってのは、気球でいうならバルーンの部分だよ。どんなに負荷がゴチャゴチャと身にまとわりついていようが、バルーンがデカけりゃ結局は飛んでいくことになっちまう。でかいバルーンなら、”まあ飛んで行って当たり前か”、と誰しも思うよな。重要な点は、そこに”浮力”だの”重力”だの”空気抵抗”だのといった計算式を持ち出す必要すらねえ、”だってデッカいバルーンだから”、なんだよ」

 この『でかいバルーン』みたいなざっくりとしたものが、自分を現時点まで引き上げてしまった感がある。

 ある日、”自分は結構なんでも可能なんだな”と気づく時が来る。
 それは、その人にとっての『2つ目のバースデイ』となる瞬間。

 その後のことは、凄まじい。
 可能になっていく物事が、急激に増え始めることになる。

 レイジーにも『2つ目のバースデイ』が訪れる日が来るといい___。
 そう思いつつ、おれは帰った。
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