第9話 殺戮の森

文字数 6,923文字

 遠い日の記憶___。

『また乱暴なニンゲンの子供が来た』

 草木はざわめいていた。草花の聴こえない悲鳴で背の高い木々の枝が揺れたように感じる。

 皆が寝静まった夜更けに児童施設を無断で抜け出して、静寂の住宅地を一人で歩き、外飼いの繋がれた犬にも気付かれずに通り抜けると、その先にはおれの殺戮の舞台である小さな森がある。

 森はそれほどだだっ広くはなく、むしろ狭く小さいがために繰り返される殺傷の跡は生々しく、暴力の修繕が間に合わずに前日の惨状が暗がりの中でも確認できた。

 おれはいつも使っている棒切れを拾い上げると、手当たり次第に草花や木々を心ゆくまでブチのめし始める。

 力いっぱいに振り下ろされる棒切れの衝撃と重量によって、凛としたしなやかな草花は跡形もなく潰され、散り散りになり、残るのはただ数日後に枯れていくだけの根を持った下部と、ちぎれて濡れた胴体、
 ___花びら、種子と、その未来。

 責任持って数えることもできないほど沢山のそういったものを、壊したのだと思う。


『こんな目に遭うために、生まれてきたわけじゃない』という声。

『こんな事にされるために、今まで生きてきたの?』という気持ち。


 こんなおれがそう遠くない日に、『自分は何のために生まれてきたのか?』などと考え始めるんだから、本当にぶざけた話だったろう。
 彼らのあの、ただ殺されることを身動きも出来ず、じっと順が回ってくるのを待つしかなかった恐怖と聴こえない悲鳴。

 それらを忘れないでいたいと思う。

 このような奴の身勝手な反省の気持ちほど何も生み出さない馬鹿なものはない。そこから何かの芽が出ることもない。ただの腐った汚染土壌でしかない。それも理解している。


 おれはひどくうなされて寝汗をかいていることに気付いていたが、起きることはできずに再び眠りの中に引きずり込まれる。

 ___今度は別の夢に。

「なあ、あいつの名前なんだっけ?」2ndは言った。
「顔は覚えてるんだが名前が全然出てこねえ。あのアマ、いつか殺そうと思ってんだけど」

 ボクも覚えていないと答える。そして決まって次に思い起こすのが、大好きだった”ナミキせんせい”のことだ。

 ボクたちは保育園でふたりの先生と出会った。
 二人は両極端にちがうタイプの人。

 一人は大好きな”ナミキせんせい”。名前しか覚えていない。その顔をボクたちは思い出すことが出来ない。
 もう一人はボクを虐めて楽しんでいた、顔をよく覚えている先生なんだけど、名前のほうは思い出すことが出来ない。


「それよりここから出してくれよ。ドアを開けて」

 ボクは2ndにこの小部屋に閉じ込められている。ずっと前から。ドアの向こう側で2ndが高らかに笑った。

「このドアの秘密を__」クックッという声がする、「おまえが答えられたら開けてやる。それがルールだと何度言わすんだよ、Boy?」

 ドアノブはひねっても押しても引いてもビクともしない。いつもそうだった。ボクが諦めかけている時には必ず2ndはドアを少しだけ開け、その隙間から「おい、来いよ! 来いよ!」とボクを誘い、ボクがドアに駆け寄るとまた閉めてしまう。そういうことが幾度も繰り返された。

「おれたちが大好きだったナミキ先生は、今どうしてるのかな」
 2ndはドアの向こうで呟いた。
 ボクもナミキ先生を思い出す、ひどく内気なボクに優しくしてくれた、大好きな先生___。

 すると2ndは、いつものようにドアの向こう側から語り出した。

「おまえでは外の世界に対処できない」
 2ndはぶっきらぼうに言い放つ、
「ドアの外は怖いところだぜ。教わったような生き方では潰されんのがオチ。それを身を以て早い時期から思い知らされてきただろ。この世界は優しくは出来てはいなかった。おまえはここで大人しくしてろよ、Boy」

 暴力は必要なんだぜ、と2ndは続ける。

「良い悪いはこの際問題とはならない。ぶん殴るべきはぶん殴らなければならない、言葉でも物理的な力でもだ。___奴らは反省しねえし、やられた側は心を病んでも、奴らは健康状態がむしろ良いみてえな経過を辿っていくのが常だ。処理できねえ負の感情を他人に押しつけちまうんだから当然だな。統計でも実際にそう出ている」

「そんな話、ボクにはわからないよ」

「いいか。やられた人間は弱者として認知されることはあっても、その原因となるものを周囲に知られることもねえ。単に『弱者』にされちまうだけ。我慢や忍耐に、崇高さも美徳も道徳的正しさも有りはしねえんだよ。そしていずれは、跳ね返す気概すら自分から失われていく。すっかり甘んじて弱っちまってよ。___自分に危害を加えて平然としている連中、それには暴力による対処が必要になる。社会動物である以前に自分が個体であることを思い出さねえと駄目だ。”社会”ってのは集団を統制するために向きがある主旨で組まれた制度でしかない。個に対して必ずしも優しいものではない。個は場合によっては集団の犠牲になるだろうが、その反対はねえだろ。個としての自身が脅かされる際には社会性はシャットアウトしてしまっていい。きちんと暴力で対処して自分を守らねえとな。___これはとても大切なことだ」

 少し間が空く。2ndはため息まじりに言った。

「これからの時代の子どもたちには知ってもらいたいよな。自分の身を守るために、きちんと暴力を振るわないとならないのがこの世界だと。違うつもりで飛び出していって傷つくのは彼らだ。こういう場所ならば仕方ねえのさ、それ相応の気構えで対処をしていかねえとよ」

 2ndは長々と話し続ける。その話をキミはよくするね、とボクは言った。ボクがそう言うのも決まっていつもの事なんだけど。
 ___でもどうして。

「あの三日間を生き延びる必要があったからな」
 2ndが言い放つ、
「あの時からBoy、お前は役不足でおれが代わりに必要になった。___園児行方不明事件の記録はおそらくどこにも残ってはいないだろうが、あれが始まりだ。記事があったら読んでみたいよな。そうだろ?」


 ____園児行方不明事件?


 棒切れを手に、森の中へと入っていった。
 すると森がざわめくように揺れる。

 草花の聞こえない悲鳴。恐怖の声。

 おれは夢を見ている自覚が出てきて、ひどい寝汗をどうにかしたい。
 辺りは再び、あの殺戮の森の景色に変わった。

 気がつくと、おれは両足とも膝の高さまで土の中に埋もれている。おれが立っているのは植木鉢(ポッドプラント)だった。
 ___よく見てみると『皇帝の木』というプレートが付いているのが分かる。足元の土を手で掻いて押し退けていくと露わになるのは、両足首についた足枷と、そこから四方へと繋がっている数本の鎖だ。

 これは『植物根』のように地中へと伸びていっている。

 おれが16歳の頃、読んでいた物語。『島流しになった皇帝、チャーリー・スティール』。
 島から生還すると、悪しきナイトになり変わり、自国の民を次々と殺害していく、あの『皇帝』を意味していることは分かっていた。

 * * *

 我のこの漆黒の甲冑は、まさに夜の闇をそのまま身に纏った装いである。頭のてっぺんから爪先まで。我に白きところなど見当たらず。
 剣の握り手を握りて、進める歩は足取り軽やか。
 夜も更けた。我は舞台役者、浮かぶ月だけが観客である。
 島に漂着した頃から観客。我は配役の騎士となり____ 

 * * *

 ”殺戮の森”は月明かりに照らし出された。
 おれの鉢植え(ポッドプラント)の側には夜露で輝く花々、そして風でそよぐ草木によって周囲は取り囲まれていた。

 おれがこれまで殺してきた観客たちだ。

 足首の枷を外したい___。そうすれば鉢から抜けられるだろうと考えている。
 それと同時にこれは夢であり、曲作りのディープな制作期間が近頃始まった事もあって、単に頭が熱せられてるだけなのだとも思ってはいた。


 こんなことしてられない。チェインスネアとの”試合”があるのに。
 さっさとここから抜け出さねえと___。
 
 そうやって大いにもがき続ける。
 森の中にあるおれのポッドプラント、自然界にある場違いなこの鉢植えのすぐ隣りに見たことのない野草がある事に嫌でも気付き始める。

 それは大輪の花を身にまとった巨大な野草だった。


 「これがチェインスネア___?」



 暗がりで目を覚まして天井を見つめた。
「すげえ、うなされたな・・」

 起き上がると台所まで行って蛇口を開け放ち、勢いよくグラスに水を受ける。ずいぶんと寝汗をかいているが、ついさっきまで夢の中で鉢植え(ポッドプラント)から抜け出そうともがいていたのだから、当然とも思えてきた。
 冷水の溢れるグラスを飲み干して部屋の外のベランダへと抜け出ると、デジタル時計の赤い点灯は午前3時を表示していた。

 外はまだ暗がり。ベランダに積んだ冬タイヤの上に座って、しばらくそのまま夜風を受けていた。

 急にこの手の夢を見てしまったきっかけは、おそらく昨日入った同級生からの電話に違いなかった。それは同窓会への誘いであり、電話の相手に保育園時代からの同窓だと言われてしまうと、古過ぎるぐらい遠い関係であるために、覚えているはずもない。

 だが電話の向こうはおれのことをしっかりと記憶しているらしく、懐かしんで会いたがっている様子だった。連絡してきた彼女は”シオリ”という名前で、その語感には若干の覚えがある。___けれど彼女本人に関する記憶を呼び起こすことは難しかった。

 そんな名前の子がいたかも、となんとなしに感じられるものの。

 ___『あの三日間を生き延びる必要があったからな』?

 そういえば確かに保育園の頃、どこかで迷子になったことがある、という話を聞かされたことがあった。そして実際そんなことがあった気も少しはするのだが、本当かどうかは正直良くは分からなかった。

 ”園児が三日間どこかで行方不明になっていた。”

 そんな事実が実際にあったなら、当時の地元新聞の紙面において記事扱いとなっていた可能性はあり得るよな。
 何か残っていないだろうか___?

 そこまで考えるとようやく我に返る。結構長い間ベランダで夜風に吹かれて大量にかいていた寝汗もとっくに乾き、むしろ寒い状態が続いていた。身震いをしながらベランダから退散することにした。

 事件の記事がどこかで見つからないものか、一回試してみよう。
 そう思い立つとネットを立ち上げ、地元有力紙のアーカイブをさかのぼって辿れるか試してみた。おれが園児の頃というのは20数年以上も前のことだから、すでに新聞社のサイト上のアーカイブの範囲からは外れてしまって辿れなかった。

 そこで『みかづき保育園』と『園児行方不明』をワードとして打ち込み、その検索結果をスクロールしてみた。意外なことに1件ヒットした。
 当時の新聞記事の概要を取り込んでいるもののようだった。このサイトは、犯罪被害者遺族の支援ネットワークの一部であるらしく、主にミッシング・チルドレンに関する広域な情報をアーカイブとして蓄積されているのだと謳っている。

 あの年にその地域で起きた児童の行方不明件数は1件、おれの保育園の名前で発生場所もその敷地内となっていた。実際に記事の中で自分の名前も確認できる。___実際に見つけてしまった。

「マジであんのかよ」

 明快(あきあす)君。年齢4才。となっている。

 * * *

【みかづき保育園の敷地内にて、午後2時頃に目撃されたのを最後に、行方が分からず。警察による捜索が行われている。徒歩で園内から一人で出た可能性を含め、捜索範囲は同保育園外より半径5キロ圏内を対象として展開されるが、未だ園児の発見には至っておらず。】

 * * *

 おれは全く初めて知ったような状態でこの記事を読んでいる。過去の出来事とはいえ、自分に関する事が新聞記事になっていた事実に落ち着かない気持ちになった。

 ___その三日後におれは無事発見されているはずだが、発見時の状況について書かれた記事はこのサイトにも残されてはいないようだ。

 ラップトップを閉じて無理くり記憶を呼び起こそうと躍起になった。
 だが、その出来事がどういった経緯で起こったものであるかなどを思い出すことは結局できず。ただ何となく”小さい頃に迷子になって大変だったんだよ”と誰かから聞かされた、その程度の感じでしかないわけだ。

 誰か知ってるんだろうか?

 そう思い当たると、昨日電話をしてきた保育園時代の同級生を考えざるを得なくなってくる。彼女や同窓生らの誘いを断るつもりでいたんだが、顔を出して見るべきかもしれない。___この件を知っているのであれば。



 朝5時を回る頃になると、少し車を走らせて24時間営業のレストランに来た。朝型人間らしき人々と、これから寝るであろう人たちが数人だけいる店内のカウンター席に座って、フレンチトーストを注文した。

 おれは待っている間、自分の過去にあったとされる行方不明事件のことや、語感だけは覚えている同じ保育園児だった”シオリ”について考えを巡らしていた。すると二つ隣の席にいたおじさんに話しかけられた。

 彼は年金と蓄えとで暮らしているような雰囲気の年配に見える。仕事は引退してるのだろうが、朝から背広をきちんと着てモーニングセットを一人で食べていた。
 腕にはスマートウォッチ。背広のポケットからアップル製の白いイヤホンコードが伸びている。落語か何か聴いていたのだろうか。
「何か深刻そうに考えていますね、あなた」と彼は言った。

「大体いつも何かしら考えている奴ではありますね」とおれは答える。
「今日は早起きが過ぎた朝で」

「Too much.ですな。私はいつもそう」

 おれも頷く。そのおじさんは物静かで物腰柔らかだった。おれは話しやすそうな人だと無意識に察し、大きく息を吐き、椅子の背もたれに寄りかかった。そして頭を振る、
「___これからもっと困難な場面が立て続けにやってくる気がする、この人生には」、と会ったばかりの人に漏らしていた。

「でも地続きではあるから、やれなくもない」

 おれは一人で頷く。寝苦しかった夜と早朝の静けさの中にあって、普段の時間帯とは少し違う心的なモードになっていた。

「それはあなたが求めている困難であるならば、良いことのはずですよ」
 彼は微笑みながら言う、
「朝早い時間に目を覚まして金魚にエサをやり、少し歩いて朝食を食べ、帰ったら犬と散歩に出るのが楽しみで。___ああ、それから猫もいますかな」

「たくさん飼ってますね。__Too much.だ」

「自分と他の面倒を見るのが、結局好きなんでしょうなあ」

 おれもニヤリとした。さっきまでカウンターテーブルの上に指を組んだ手を乗っけて深刻そうにしていたおれもまた、彼の人生のある一日にたまたま居合わせた朝の風景の一つなのだろう。彼の人生のほんの一時の配役として、ここで巡り会ったわけだ。

「おそらく何かプランがあるのでしょう、分かるよそれは。見ていてね」
 おじさんは笑う、「上手くいくといいですな」

 彼は自分の事を思い出すように視線を上に向けた。

「___9つ上の兄が満州から帰国した頃、ちょうど親父が倒れてしまうし、下にはまだ小さい兄弟が二人もいた___」
 彼はそう言って素早く今の言葉を振り払うような手振りをした、
「まあそれはいいのさ、私は自らの闘争を終えたものですからね。今はハッピーエンドの続きを生きている。あなたも__」

 そう言って微笑む。

「望むところへ辿り着けるといいですな」

 そしてもう一言何か言いかけたものの、結局それは濁すような感じになって、この人は帰ることになった。

 彼は立ち上がる際に木椅子を後ろ引いて、なかなかの大きな物音を立てていた。店内にいる他の客も振り向いてしまう有様。
 最近のデジタルデバイスを身につけたこの年配の人は手振りで、”おっと、失礼”といった動作をすると、会計を済ませて静かな早朝の空気の中へと姿を消していった。

 あらゆる人が、あらゆる物語とその文脈において朝を迎えている、今日もそんな一日の始まりなのだろうと思う。

 おれも自身が走らせているこのストーリーの中で自分らしく振る舞う必要があって、それは物珍しい状況であろうが無かろうが、不可解だろうが明白だろうが、文句を言う余地はないのかもしれない。

 課せられた境遇や状況、そいつと面と向かって真剣にやり合っていく意味において、誰のどのような人生であっても、皆同じに違いなかった。

”___これから困難な局面を迎える”、という今朝のこの予感もまた、おれの大切な人生で差し掛かった重要な文脈に他ならない。ならばそれに乗っかって行きたいと思う。出来るものなら華麗な捌き方で切り抜けたい。

 フレンチトーストとサラダをきれいに食べ、コーヒーもついでに飲んでしまうと、おれも部屋に戻ることにした。寝汗と夜風のせいで少し悪感がする。風邪予防として薬を飲んでおこう。

 そして、彼に指摘されたように、”おれにはプランがあるのだ”、という認識を新たにした。
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