第8話 大手商業レーベル

文字数 6,871文字

 おれは仮契約以来、初めてレイブン・レコーズに呼ばれて事務所に来ている。

「リリックはもちろん書いてると思うが、進捗状況はどうなんだ?」
 砂依田が開口一番にそう聞いてくる。

「今、4曲目を書いてる。すでに使えるものが2つ、調整中も2つだ」
 随分とまあ、ほったらかしにしやがったくせに。

 札幌に移り住んでから、約2ヶ月が経過していた。

 建設会社での仕事では、二回目の給与を支給され、おかげで市街中心部も十分と散策し終える余裕があった。
 日常生活においては、帯広にいた頃と同じく、秩序と規則性が再構築されていた。

 ライミングをする手も加速している最中___。

 ___そして例の、デモテープ『韻フィット』が流出した件を話題に持ち出した。

「おれのデモテープはスタジオのデータベース上に取り込まれていたのか? スタジオにあるどれかのハードドライブの中に入っただろ」

「それだ、それに入ってる」

 砂依田はデスクトップを指差した。

 おれはデモテープが2つしか存在しないことを話す。一つはおれがアナログ媒体で所持していただけ。もう一つはスカウトに郵送してレイブン・レコーズに届いたものだけだ、と。

 つまり、レイブンのデータベース上からしかハッキングで流出の可能性がなかったわけだ。
 砂依田は、トラックの流出は業界ではよくあることだが、ここがインディーズ・レーベルならば、その可能性は全然低くなるはずだ、と言った。

「通常、”アマチュア”の音源はハックされないもんだ。おそらく俺に対する嫌がらせがあったようだ」

「今日呼び出したワケは何だよ? まだブースで録る気はないんだろ」

「渡すもんがある」

 砂依田はUSBフラッシュメモリを投げて寄こしてきた。

「3つのビートが入っている。それで試してみろ。最終的にはライムとの整合性を取りつつ、何度も調整されることになるビートだ。足したり引いたり、数学される。今はざっくりしたもんだ」

 おれはそのUSBメモリスティックを眺める。するとスカウトが砂依田の”司令室”に入ってきた。

「アキアス、こっちに越して来てだいぶ経つよな。もう落ち着いただろ?」

 それからスカウトは困った顔をして砂依田のほうに向く、
「エクスポータルの連中が来てますよ、ケイシー。今しがた、ロビーに着いたばかりで」

 砂依田は面倒臭そうにスマートフォンを見やった。

「知ってる。チェインスネアからメールが着ていた。奴もあいつらに同伴して、こっちに来ているらしい」

 おれはこの日、チェインスネアと対面することになる。

『エクスポータル・レコーズ』というのは、砂依田が以前いた大手のメジャー・レーベルのこと。
 砂依田を引き戻そうと再契約金交渉をいくらか提示してきている。

『エクスポータル』は多くの優秀なアーティストを抱え込んでおり、ラップの代表的なアセットとしては、チェインスネアがいる。


 しばらくすると、インディーズ・レーベル、『レイブン』のこじんまりとした事務所は、音楽業界の重鎮で埋め尽くされた。

 チェインスネアだけは、まだ二階に上がって来ていない。

 おれはエクスポータルの連中と適当に挨拶を交わしつつ、様子を窺った。シルキーなスーツや、艶やかジャケットを着込んだビジネスマンだ。

 片や、おれはスポーツウェアのスウェットのセットアップを着ているし、砂依田はいつものように下はスラックス、上は柄物のシャツ姿で腕をたくし上げて楽に着ていた。


「ケイシー、彼は新人か?」

 エクスポータルの一人が、おれのことを言った。
 砂依田は、「一応うちのアセットだな」と応える。

 両者は張り詰めた感じではないが、互いにものの考え方が違う者同士であるため、きっかけがあれば早々に険悪になれる状態に見えた。

「こいつのデモは知ってるだろ? ここのデータベースから、お前らが盗っていっただろうからな」

「じゃあ彼がアキアスか。有望なのか?」

「やっぱそうらしいな。どうしてまだ表に出してねえコイツを知っている? インディーズの音源を流出させるってのは、どういう試みなんだ?」

 立証できない物事は、すなわち”無い”と言い切れる連中か___。

 エクスポータルたちが笑う、
「まあまあ。それより本当にこっちに戻るつもりはないのか、ケイシー」

 奴らはプロデューサーとして再契約すれば、2000万円の上乗せ出来るを提示している。

「要らねえわ」
「では、2500万でどうだ?」

「てめえらは__」

 砂依田が軽蔑する。
「汚ない手を使おうが、マジな奴の創意を挫くことはできねえよ」

 ”ケイシー”の肩から、湯気が立ち上る。

「客は見分けんだ。魂の創作と二次ライクな張りぼてのシットの違いをな」

「お前らがどんな外ヅラしようが、大衆にイメージ戦略かまそうが、愛されようが支持されようが、俺のトラックには影響しねえよ。素人にはバレないだろうが、本物にはエセな奴が丸見え。エセはてめえ自身がエセだってのを心の隅では気づいてるわけだ。その時点で正常な感覚ならアウトになるはずなんだが__」

 砂依田は嘆かわしく頭を振る、

「それで自分自身に収まりがつくってんだから、驚かされるよな」


 エクスポータルはにこやかに話を聞いている。言われたことの意味が特に引っ掛かることもなく、体の向こう側へとすり抜けていったようだ。

 ___これは別に大人な対応ではない。単にその部分の感覚が欠落していることを意味していると感じた。

 つまりこの連中には、砂依田の指摘する良識は『無い』ということだ。

「よし、では3000万だ。どうだ決断しやすいだろう、ケイシー?」
「どんなワンコ蕎麦だよテメエ」

 砂依田は歯切れよく言い放つ、
「俺の原動力は、理想の音源。それだけだ。お前らの相乗りなんざ許されると思うな、カスども」

 エクスポータルらが顔を見合わせる。

「しかし、いつまで経ってもその”理想の音源”というものを具現化できない君は、おそらく真剣ではないだろうな」

 エクスポータルのひとりが嘲るようにそう言い、デバイスに自主レーベルの作品のジャケット一覧を表示させて見せびらかしてくる。

「我々はこれだけ実際に『夢』を作り上げたのさ。思い起こせば、私も”理想”を追い求めたもので、当初はギターを弾き始めた。あらゆる”可能性”に想いを馳せたものだったな。___そして、ギターと言えばこの人、という友人と『夢』を実現させた。それがキャリアの最初だ。私は『夢』を着実に、『形』にしていく」

「それ、お前はギターを弾いてないだろうが」
 砂依田はあざける、
「根本的にオカシイよな。だからお前は駄目なんだよ」

「では『夢』のままで、いいのかね?」

「理想をまだ実現できてねえって奴、それ以前に『自分の手』を使わなくなったお前のほうが、よっぽど不真面目だと思うんだがな。他人の鳴らしたギターで掴んだ『夢』に、達成も実感もねえだろ」

 砂依田がそう言い放った時、事務所の二階に上がってくる足音が響く。


 おれの受けた印象なのだが、チェインスネアは一見すると修行僧を思わせる物静かな男だった。

 目的意識を明確に持っていることにより、無駄な動きをしない様子がその身のこなし方の端々から感じられる。おそらくそれは、身体と対に連動して内面もそうなっている気配がある。

 ___常にストイックに自身を追い込んで創作してきた人物。

 多作の人間が大体そうであるように、多くを語らず、己の発言というものは、必ず作品の形に昇華させて打ち出していく。
 パッケージすることへの重要性、効果___。

 あるいは、『そうでなければ物語る必要はない』という正しさを持ったアーティスト。

 そういった類型であるがために、”無駄なお喋り”なんかよりも、よほど彼は雄弁である状態を、自ら作り出してきた。

 世間は彼をいわゆる”カリスマ性のある者”として受け入る結果になっている。そして、他の追随を許さないほど中身の良いパッケージを世に繰り出し続けて、今に至ったわけだ。

 彼の言葉は人々に浸透していく。
 ___確かにそうだろうな。


「韻フィットの作者は?」

 チェインスネアがそう言うと、皆がおれを見た。彼はおれに近づいてくる。手を差し伸べてきたので、おれは握手をした。

「いま制作中だったら悪い、邪魔になっていないか?」

 10分前からすでに他の邪魔が入っていたから大丈夫だ、と気の利いたことを口走りそうになったのだが、艶々のビジネススーツが目の隅に入ったので止めておいた。そもそもまだブースにすら入って録っていないと、おれは応える。

 チェインスネアは、例のmicotoに渡したデモのフル音源をSNSを介して聴いていたらしい。そして他にトラックがあるなら、聴いてみたいと言った。

 砂依田は、デモ以外に曲はまだ存在しないと説明し、
「ふざけた奴で少々面白いから様子を見ているところなんだ」
 と、おれをざっくりと紹介した。


 砂依田とチェインスネアには面識があることを思い出す。
 以前、チェインを担当していたこともある上に、彼をソングライターとして評価しているという話だった。

 彼は、「そうか、まだ録っていなのか」と砂依田に言い、おれに向き直る。

「最近はライムの書き手も多くなった。だが踏み慣れていない方へ進んでいくライマーは少ない。___君は書き始めてどのくらいなんだ」

「どのくらいかな、18の時に人からこういうものがあると教えてもらった。やってみたら当時からそれなりに書いた」


 おれの脳裏に、再び少二郎が浮かび上がってくる。
 あの男は、いつものようにニヤリとした顔をして現れてきた。


 チェインスネアは何も言わず、頷く。彼は静かに何度も頷いていた。

「いま君が感じている楽しさを、見失わないように上手く舵を取るといい。それはプロとなった後でも十分可能なことだ。それは資質の問題というよりも、君が”これ”に手を出した理由と、深く結びついている」

「___気恥ずかしい言葉で言い表すならば、『ピュア』であるかどうかということと関係がある。例えば、少年が小さな体でジャングルジムに登っていくことを、いつの日か、”困難”や”徒労”だと感じる時が来たならば、少年とジャングルジムは、すでに関連していないことを意味する」

 そう言い終えると、チェインスネアは階段を降りて事務所から出て行った。おれは彼の背後に、目には見えない言葉の渦がまとわりついているように感じられた。

 ”お前の言うの通りだな”、と言いたげな表情で、砂依田もチェインの話を聞いていたようだ。


 micotoの話によれば、チェインスネアは現在、自身の創作に何かしらの問題を抱えているということだった。
 それは塗りたくったキャンバスの余白を見つけることへの難しさ、キャリアが長くなると付きまとう、新たな課題なのだろう。

 基本的に彼は自身に定着した大衆イメージを大切にして、発展させるタイプのアーティストであるようだ。

 ファンが思い描く『チェインスネア』というアーティスト・イメージに応えるように振舞っている。
 そして、このエクスポータルの連中が求めてくる楽曲を現物のものに成形させていくことにも、苦心しているに違いない。

 それは彼が選んだ方向性。
『誰かに応えてこそ自身の価値が見出せる』という形。

 正解も不正解もない。本人の感じ方次第だ。
 実際様々な作り手がいるのがこの世界___。

 プロになり、壁に当たる人間。好きなことが仕事になり、好きではなくなるケースは多い。
 おれは自分がやりたくて楽しいことにも困難の波が押し寄せ、常に100%楽しい状態が続くわけではないことをよく知っている。

 そしてそれをきちんと受け止めた上でやり続けている。

 いちいち、『自分にはこれが向いているのか? やりたいことは本当にこれなのか?』、などとフラフラしていては何も進まない。

 困難や迷いのトンネルをくぐり抜けた先にある、例の『ひらけた景色』に出会うこともないだろう。

 最初にじっくりと心の声に耳を傾け、熟考したならば、あとは打ち立てた杭のところまで進み切らなければならない。

 その道中、もちろん風に煽られるってだけの話だ。

 ”そんなことで辞めてはならない”。


 チェインスネアがフロアを出ていくと、エクスポータルの一人が近寄ってきて、おれを勧誘してきた。

「君もチェインたちと一緒にやらないか、仮契約なんだろう? ウチに来れば正式に契約してもいいんだぞ? あの男のように成りたくはないか」

 そのあからさまな発言に、横で聞いていた砂依田は吹き出した。

 おれは率直に断った。内地(本州)入りはマジで勘弁してほしい。そもそも、おれにとって音楽レーベルであれば、どこの事務所であっても意味は同じだった。

「一緒に組むのが誰であれ、おれにとっては同じ創作になる。自分の創意は結局おれの内側で生じ、おれの内側で完結するから。別にこのままで問題はない」

 砂依田は、「リスナーなんかよりも、こいつらに”ギフト”をくれてやってもいいんだぞ、お前の好きにしろ」みたいなことを口走る。

 乗り込んできたエクスポータルは、長々と居直ってくれていた。

「子供じみているな、ケイシー」エクスポータルが言う、
「人の幸せと商業実利は切り離せないものだよ。まるで自分たちが否定されているかのように感じる人々も出てくる。そういう振る舞い方は」

「だからってその相手にちょっかい出していいってことにはならねえという国際ルールに気づけねえのか、いい加減よ」

 訪問者たちは少し押し黙り、
「そうか。だがもし行き場所がなくなるようならウチに戻ってくるといい。では売り上げで勝負だな」

 そう言い残すと連中は、レイブンの事務所を後にして行った。

「上等だ」

 砂依田は煩わしそうにその後ろ姿を見届けると、ドアをぴしゃりとロックして、自分の編曲作業に戻っていく。

 3つのビートの入ったUSBメモリスティックをポケットに突っ込むと、要件がなくなったおれも、時間差で階下のロビーに降りて行った。

 エスクポータルの面々は正面玄関からタクシーにそれぞれ乗り込み、立ち去っていく。まだビルの入り口にいたチェインスネアは、おれに気がつくと話しかけてきた。

「君はケイシーと合うようだな」

 おれは肩をすくめて見せた。別にそういうわけではないからだ。

 チェインは言う、
「皆がケイシーと組めるわけではないんだ。彼は情熱的だが、周りの人たちをヒリヒリさせる。君はそれに耐性があるようだ」

「おれにそういった感受性がないだけかもしれない。まあ気にならないのは確かだよ」

 チェインは大手レコード・レーベルの重役らのタクシーが通りの向こうを折れていくのを見つめながら言う、

「君がエクスポータルをどう解釈したかは知らないが、彼らは他の人たちと夢を共有するタイプの人間なんだ。確かにそれだけではない、排他的で幼稚な側面もあるわけだが。だが事実として多くのアセットは、エクスポータルのほうと組みたがる」

「砂依田は家出少年なのか?」

 おれからの不意の質問に、チェインスネアは円滑に回答する。

「それは面白い例え方だと思うが、実際はもっと込み入ってると考えるべきだ。ケイシーは、ほぼ何かに取り憑かれているかのような形相を呈している。それは俺たちの知りようのない領域のこと、___つまり彼の極めてパーソナルな部分に密接した衝動によるものだ。それに突き動かされているように見える」

 おれは頷き、チェインは続ける、

「彼の両親は二人ともクラシック界の人間だった。何かその近辺に秘密がありそうだとは思う。だがその実際は知らない。___彼とこれから関わっていく過程で、君は何かを知ることになるかもしれない。その時、君は俺たちよりもケイシーを知ったということになる」

 チェインスネアは腕時計を見て、時間だから俺は行かないといけないと断って車道を横断し、彼特有の、無駄のない優雅な身のこなしで雑踏の中へと消えていった。

 彼が見えなくなると、おれも別方向へと向かって歩き出した。


 レーベル間の争いのベースとなっているものは、よくある話だが『人間の種類が違う』という、ただそれだけだと感じた。

 各自それぞれが違う方へ向かう。

 それ自体は本当にどうでもいいことだ。

 だが分からないのは、その種の連中の中には相手側の足を引っ張ろうとする者が必ずいるということだった。

 社会に出れば、多様な人間がいるのだと知ることになる。それでも、この辺はまだ理解できないままだ。

 ___そして常に思うのは、

 おれは誰かに調子を合わせる必要はないということ。
 自分の進むべき方へ歩み続けることの重要性だった。

 足を引っ張ろうとしてくる連中が一番恐れていること、それはおれたちに、『野次が届かず、聞く耳を持たず、信じる方へひたすら邁進していく』

 ___その姿。

 奴らはそれを一番嫌がっている。
 なら尚更このまま突き進みたくなる。

『間違いのない方向』だと、間接的に示されたようなものだからだ。
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