第21話 ダークコーナーの刺客

文字数 4,620文字

 『島流しに遭った皇帝チャーリー・スティール』の物語。

 それは16歳の頃に愛読していた唯一のストーリー性を帯びた本だった。この他に読んでいたとすれば哲学書ばかり。読書歴はひどく偏っている。

 皇帝には盲目であったという内容と、もうひとつ暗がりの中で超人的な視覚を有していたという内容の、二通りの物語がある。

 この古典童話の書き手によって創出されたバリエーションの違いだ。

 自分が10代の頃に施設で読んだほうは、要するに”イケナイほう”とされるチャーリー・スティールの物語だった。

 皇帝の眼は白目であり(失明もしくは進行した白内障)、それを身内の皇族らに気味悪がれていた。皇族からの命を受けた民衆の手によって島流にされてしまう。だが、彼はその無人島から生還を果たした。

 皇帝は悪しきナイトに変貌を遂げ、民衆を次々と殺戮していく。

 虐殺は夜間に行われ、悪しきナイトは夜行性の活動を示した。またどちらのパターンの物語であっても、彼は夜の闇に紛れて人を殺めているのが共通していて興味深い。

『良く見えていて暗闇に乗じた殺戮の皇帝』と
『全盲であり、昼も夜も特に違いがなかった殺戮の皇帝』。

 そのどちらの場合であっても、チャーリー皇帝による一人称で物語られているから、判別はできないのかもしれない。一人称の男が『闇の中にて行った』と述べているに過ぎないからだ。

 自分以外は誰もいない無人の島。夜になると、せいぜい遠くにあるペンライトひとつくらいの月明かりしかない闇の島だ。

 そこから生還した皇帝は言ってしまえば、”良く見える”ようになってしまったのか。あるいは、島から生還したのだから理由はどうであれ、”見える見えない以前の人物”だったのか。

 それで結局どっちなんだ、という論争がチャーリー・スティールの物語には付いてまわっている。

 ただ言えることは、この悪しきナイトとなった皇帝が民衆をとても手際よく殺戮していったという、その”結果”だけは揺るぎなく共通項として語られているわけで、それを解釈する”途中の部分”がとてもはっきりしない、という状態らしい。


 * * *


※『島流しの皇帝チャーリー・スティール』より抜粋

我は今、ブラックアウトの中にいる。
そこには何も見当たらない世界。
閉じた眼が映し出したブラックアウトな世界と、
開いた眼が映し出したブラックアウトな世界。

どちらが本当の状況か知りたいとして、僅かな光源が必要だった。
洞窟の外壁を照らし出す松明のようなものが___。

状況がわからなければ動くことはできないからと光源を待つ者。光源の在り処を探らなければ状況がわからないからと動く者。

そして光源が無いのなら無いとする者___。


 * * *


 人は視覚野がこの世界を認識するほとんどの手がかりとされている。もし視界の効かない真っ暗闇で誰かに抱きつかれた時、それが誰なのか知ることが出来るだろうか。

 結局おれが気付いた点は、後ろから抱きついてきたのが、背丈と肉感から思うに女であったことと、爽やかなオーデコロンの香りが微かにしたということだけだった。

 チャーリー・スティールは要するにいずれの場合にせよ、『無いものは無いとするナイト』であったために、悠々自適にしていた。

 おれが当時、この物語に惹かれた部分はそれだろう。

 自分に降りかかった状況、環境___。
 何かに縛られ、裁かれ、シバかれた日々の物事に、おれは完全にものが見えなくなっていた。状況なんかよくは分かっていなかっただろう。
 分かっていたとすれば、こうして実際にそこにある”ブラックアウト”、それだけだった。

 それらに対処する。___いやもっと攻めるなら順応という形でもいい。おれは自分の境遇をもろともせずに悠々自適にしていたかった。だからあの物語に惹かれた。

 降って湧いたような負荷を沸点として自分を成形していく。
『潰されるような出来事』そのものを工程とした、あの皇帝のように。

 ひどくぶちのめされ、その工程を踏んでいなければ成形されることのないものへと姿を変える。アルファベットで言うところの『MASH UP』というやつ。当時の自分も下味の付いていないマッシュされただけの素材でしかなかった。

「このチョイスは何だろうな」、と少二郎も当時言っていた。
 哲学書の山の中に、ストーリーをまとった『チャーリー・スティール』だけが混ざっていたからだ。

 おれは一般的な人たちよりも読書量は全然少ない難読症(ディスレクシア)傾向であるけれど、この物語は当時よく読んでいた。

 悪しきナイトは、島流しに追いやった身内の皇族らよりも、それを黙認するにとどまった自国の民衆を標的とした。
 散々繰り広げられた殺戮の果てに、物語の最後には島流しに遭ったその島に、チャーリー自らが舞い戻っていく。
 その結末に多くの読者は救いようのない衝撃を受けることになる。


 MCバトルを終えて数日後、おれの住むマンションに送られてきた封書があった。中を開けると、いわゆる『星の砂』と呼ばれている星型の小さな殻が詰まった小瓶が出てくる。

 これは一見するとファンによる贈り物だと思われたけれど、同封されたメッセージカードによると、そうではないらしいなと静かに察した。


『漂着した島には、こういったものがあるのでしょうか?
 貴方をご招待します。それをお持ちになってください。』


 書かれたメッセージの文言から、”自分を知る誰か”によるものであるらしいことが明白だった。

 カードの裏には札幌市内の住所が記されていて、その場所を調べてみると、そこは酒と音楽があるタイプの深夜営業をしているナイトクラブ。
 この店のサイトを検索すると、現在は何だかよく分からないイベントが催されている期間らしいことはわかってきた。イベントの日付は今日が最終日になっている。

『星の砂』の小瓶を手にとって眺めてみる。それは至って普通の売店のお土産みたいなものでしかない。

 ___そしてさっきから”皇帝の物語”を思い起こしているのも、このメッセージの文言のせいだった。

 誰がこんなものを贈ってくるのか? それ以前におれがチャーリー・スティールを読んでいたことを知っている人間なんていない。それこそ少二郎だけだろう。

 このままにはできない。___と心が結論すると、おれはそのナイトクラブに行くことにした。
 相手に逃げられてしまっては元も子もないため、メッセージどおりに『星の砂』は持参することにする。


 * * *

「場違いかもしれないけど、入ってみるか」

 おれは地下に通じる階段を降りて、店の扉を開く。
 そのナイトクラブのフロアで鳴っている曲調はトランス・ミュージックだった。時折、女性ボーカルの歌声が効果的に入る。おれはこのような曲が好きだ。

 今ここでやってるイベントというのが、『闇を楽しもう』と銘打ったもので、基本真っ暗闇の中で音楽が響いているような状態。
 バーカウンターとその背面にあるラックは、ライトアップされているため、そこで酒をやってる人たちはいるものの、その他は全然見えない暗がり。
 その中で人々は踊ったりして面白がっている。___要するにおれには”何だかわからないイベント”だった。

 ある一角に差し掛かってみると、デジタルの映写機のようなもので投影された魚が泳いでいる。光の水族館のように。

 しばらくその場所に突っ立っていた。けれど、このままずっと居るのも意味がない気もしてくる。そもそもフロアは見渡しても何も見えない。

 もしかしたら、封書の送り主が接触してくるのかもと思ってはいたのだが、特にそんな様子もないまま、次第にのこのこと呼ばれて足を運んでしまった自分が馬鹿らしくなってきた。

「帰ったほうが良さそうだな・・」

 おれはこの暗闇パーティーに馴染めずに、人のいない隅っこに移動した。光の魚たちが壁際にいるおれの上を泳いでいく___。

 その時、スマートフォンにショートメールが着信した。

『さあ小瓶を取り出そう』と書かれている。発信者は不明。

 なんだろうな、と思いながらポケットから”星の砂”を取り出す。
 すると、この一角の映写機の投影が急に落ちた。ダークコーナーに放り込まれたおれは、手にした星の砂が眩く赤い光を放っていることに気付いた。

「何だこれ」

 それを目の前の高さに持ってきて、まじまじと見てしまった。
 海洋生物の殻でしかない”星の砂”が光ることはないだろうから、おそらくその他に蛍光塗料の砂、ルミカサンドが小瓶に混ざっていたんだろうか、などと思い巡らす___。

 その時、誰かにぶつかったと思った。だが実際は、誰かが後ろから抱きついてきた。
 両腕が回されておれの腹の部分でギュッと締めつけられた状態になった。”なんか変な酔っ払った客に・・”と思ったものの、そういう感じではなく、ある程度の時間、抱きつかれたままになっている。

 その誰かは背中に顔をくっ付けて、きつく抱きしめてきた。

「ちょっと、何だよ?」

 腹のところに回された誰かの手を掴むが、振り解こうにも振り解けず、振り向こうにも振り向けない。
 仕方ないからそのままの相手を引きずるような形で、前に歩き出してみると、その誰かはパッと離れて居なくなり、それっきりになった。

 顔を確認するなんて、もちろん出来なかった。すっかり”闇に乗じて”行われてしまったようだ。

 その後は何もないままだ。
 おれは引き上げようと思い、暗闇のイベントから抜け出して路上に出てきた。このナイトクラブの前を通り掛かる数名の人が、何かこちらを見ている気配がある。
 すると、通行人の一人が近づいてきて、”大丈夫ですか?”と慌てふためいた様子で聞いてきた。

 よく見るとおれの白いパーカーが真っ赤になっている。まるで大量に出血しているように。

「なんだコレは」

 この赤いものを指で触ってみた。覚えのある感触と粘度___。確かめるため指を舐めてみた。

「ケチャップだな」

 その通行人も安心したらしく、笑って去っていく。
 おれは辺りを見渡し頭をふった。”刺客”の影はすでにない。

「これは完全に”殺られた”ってことだよな」

 笑ってしまった。わざわざこんな真似を一体誰がするのか___。

 そしてどこか不思議な感覚がしていた。おれは盲目の皇帝である『チャーリー・スティール』をロールモデルのように考え、親近感を覚えていたことがある。
 あのような過酷な状況下にあっても無人島を脱出し、復讐をやり遂げる。見えないはずの眼で不可能を可能にした、あの悪しきナイトが好きだった。

 けれどたった今、オーデコロンの香りを放った刺客がまるで悪しきナイトのように、おれを殺したのだ。どこか自分の内側に住んでいた『チャーリー・スティール』が成敗されたかのような気持ちになってくる。

 あれは誰だったのかを確信をもって言えないにしても、”おれのチャーリー・スティール”は、すでに不要の産物だと言われた気がした。

 ロールモデルを内に取り込むことで人は変わる。おれはあの童話によって変わり、ある程度ここまで引っ張られてきたのだとも言えるのだろうか?

 おれはあの背後からの刺客が詞折のような気がしていた。彼女の助言どおりに、あの保育園へはまだ行っていない。

 ___たまには人の言うことを聞くのもいいかもしれないな。

 仕方のない感じで歩いて帰ることにした。
 おれはケチャップまみれ。
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