第3話 砂依田

文字数 6,513文字

 札幌行きの電車の中で小学一年生の女の子から果汁グミを貰った。

「何味だと思う?」グミの色は薄緑だった。
「マスカットでないか」

 おれがそう答えると正解だった。グミのパッケージは、己がマスカットそのものであるかのように振る舞う果汁100%表記。

 先週、地元のカフェでレコード会社のスカウトと約束していた札幌行きの日の朝だった。

 秋晴れの乾いた空気の中を、快調に飛ばす『スーパーおおぞら2号』に乗車して、小学一年生の女の子の遊び相手になっていた。

 おれは電車の往復券を買って、車での長距離移動を無意識に避けていた。少二郎の死を知った、この前の峠越えの夜を思い出すからなのかもしれない___。

 この子は斜め向かいのシートに母親と一緒に座っていたのだが、おれが回文をメモパッドに書いて時間を潰していると、”何をしているのか”と、チラチラ視線を投げかけてられていた。
 そしておれが頭の欠けたアンパンマンの顔を描いて見せたことによって、「わたしも描けるよ」となってしまった。

 おれは子供からなぜか良く好かれることがある。だが、しょうもない仕上がりの年上からは嫌われるのが常だ。

「マスカットってブドウなの?」と質問が飛んできたので、大人のおれは対処する。

「ひとくちに”ブドウ”といっても、マスカットとかグレープとか名乗る奴がいるんだよ。ちなみにグレープフルーツは、でかい黄色いミカンのことだったりする。そして酸っぱくて攻撃的。なんせ無為に人々の乳首を立たせてくるからな。おれと同じで柑橘系のようだ」

 女の子が頷く。

「さらに、グレープとグレープフルーツは同じグループじゃないが、同じフルーツ仲間ではある。元を辿れば同じルーツなのだろう。世の中には色んなやつがいる。ルールはあってないようなこの世界では___」

「え、じゃあお兄ちゃんもフルーツ?」
「以前はフルーティー男爵として暗躍していたが、今は平和に暮らしている」

 おれのいい加減な話を聞き流して、女の子はメモパッドを覗き込んでくる。

「他に何を書いていたの?」
「これは、___なんて言うか、回文といって後ろから読んでも同じように読める文章だよ。平仮名に直したらよく分かる」


 * * *


『留守? 嘘! くたびれてもテレビ宅送する』
 るすうそくたびれてもてれびたくそうする←


『嘘くさいな、地震な。避難指示ない。錯綜』
 うそくさいなじしんなひなんしじないさくそう←


『朝? 私まだ寝るよ。 きつそうだ。 嘘つき、夜ね、騙したわ! さあ?』
 あさわたしまだねるよきつそうだうそつきよるねだましたわさあ←


『大胆な揮毫文字、あれはレア。字も動き、軟体だ』
 だいたんなきごうもじあれはれあじもうごきなんたいだ←


『野心家ヘコむ羽目よ。このまま財は要らね・・狙いはいざママの子! 嫁は婿へ感謝』
 やしんかへこむはめよこのままざいはいらねねらいはいざままのこよめはむこへかんしや←


『なー、ミカドの門番か。のどぐろ造りばかり食いてえか? 私物店なとこのオーナーはクビがない。”長引くは尚のこと”、なんて潰し変えていくリカバリー。寛ぐどの看板も、のどか。皆』
 なみかどのもんばんかのどぐろつくりばかりくいてえかしぶつてんなとこのおなはくびがないながびくはなおのことなんてつぶしかえていくりかばりくつろぐどのかんばんものどかみな←


『わや眠いよ、照れずにきびしい今夜。やん、恋し! ビキニずれて、良い胸やわ』
 わやねむいよてれずにきびしいこんややんこいしびきにずれてよいむねやわ←


 * * *


「えー。こんなの、どうやったらできるの?」
「軽く酔っ払ってると、割かし早く書けたりもする」

 そうこうしながら電車は走行し、車内アナウンスが入る。
 ”次の札幌にはあと10分で到着します__”

 乗車していた人々が、もぞもぞと動き出す。おれもシートを出て、女の子とその母親と別れた。ふいに「バイバイ、ラスカル」と、その子からのディスがきたんで、「じゃあな、ピグレット」と、お返ししておいた。


 札幌駅に入り、車両の自動ドアが開いて駅構内に排出されたおれは、特に寄り道もせず、まっすぐ南口から札幌市街に出た。タクシーを使わずに大通りを歩き、地下鉄の入り口を下りて、小綺麗な地下歩行空間を通り抜けていく。人通りが少なかったため自分の足音がクリアに響いた。

 南北線で豊平区まで行くと、再び地上へと駆け上がる。
 すると目の前にその雑居ビルはあった。『レイブン・レコーズ』はインディーズ・レーベルなので、ビルの2階のフロア一帯を間借りしている程度の構え。
 ロビーの自動ドアから2階に上がり、現れたオフィスの入り口でチャイムを鳴らす。来たな、入ってくれ、とあのスカウトが出迎えてくれた。先日はどうも、とおれも挨拶。

 事務所内部に足を踏み込むと、ドアがオートロックされた。スカウトに紹介を受けて、ここに勤務するスタッフとも挨拶を済ませ、フロアの奥へと進む。
 この先は、ブース仕様に内装された防音空間の簡易スタジオと繋がっているようだ。ここでも音は録れるんだよ、とスカウトが言った。

 奥の収録ブースの前で、長身の目立つ男がなにやら喚いていた。お取り込み中のようだ。40代半ば、銀の細いフレーム眼鏡をかけた無精髭の金髪男で、柄物のワイシャツ姿、腕まくりをして若い男に声を荒げている。

 若いほうは見るからにラップ・アーティスト。坊主頭に片耳ピアスをしたタンクトップ。チノパンにサンダル履き。歳は30代前半付近。

 キレて喚いているのが、砂依田 圭史。業界では、”ケイシー”と呼ばれている名のあるプロデューサー。そして若いほうが、札幌のラッパー、ナックル。
 おれはこの時、初めて二人と会った。

「何でそんなクソみてえなリリックを聴かせようと考えるんだか、理解できねえが___」砂依田は言う、

「せっかく聴こうって気を起こしたリスナーに、もっと敬意を払え。”俺たちはやれる、こんなもんじゃねえ、今に見ていろ”。___うるせえだけだ。そんな戯言聴かされても、”ああそうかよ”としか、言えねえじゃねえか」

 ナックルはプロデューサーを睨みつけてはいるが、黙って堪えていた。

「俺は基本ヒップホップは好きじゃねえが、もっと好きじゃねえのは、この種のものを平然と書いて出してくる奴だ。今俺がインディーズのサブ・クリエイトに甘んじてしまってる悲惨な現状に、追い討ちかますようなヘボいリリックを持って来てくれんな。分かったか、居咲」

「俺、”ナックル”名義で活動してるんで」
「分かった分かった。もっとマシなもの書いて戻ってこい、”居咲”」

 砂依田はおれをチラッと見て、再びナックルを見やる。

「この手の内容の書き手が多いカルチャーなのは知ってる。じゃあお前はチンパンジーの群れに、チンパンジーの着ぐるみで参戦するって事でいいんだな? よくよく考えてから創作に着手しろ」

「リリックはちゃんとライムしてるっすよ」

「韻を踏んでんのは最低限出来てて当たり前、って事でやっていこうな」と、砂依田は釘を刺して話し合いは収束した。

 ”会う人間すべてに、理解があるなんざ期待すんな”___ってことか。

 事がいったん収まると簡易スタジオのドアが開き、スタッフのひとりが入ってきた。

「ケイシー、ちょっといいです?」
「何だ」

 スタッフの手には受話器。砂依田はそれを見て何かを察知した。

「やれやれだな、またか」

 砂依田 圭史は電話越しにその場で話し始める。声で内輪話が筒抜けになっているが、特に問題はないみたいな振る舞い。

「俺はもう戻るつもりはねえよ。契約料を上乗せすれば話が通ると思ってんのか」

「金が目的でやってねえからだ。それを受け取って、てめえらの言うことナンチャラ聞きながら、程度の低い音楽作りたくねえから、こっちに来てんだよ。そういう塩加減だってのをそろそろ分かれ」

「ああそうだな。こっちでも全然良くはねえよ。しかし大手商業レーベルみてえな体裁のお前らのとこにも、面白みも自由もねえから戻る理由が見たらんって訳だ」

「___ふざけんな。もう騙されねえよ。俺は自分が『いい音源を作れる人間』だと証明するだけだ。他には何もねえ。それがハイ・プライオリティなんでな。その金で孫にスケベ椅子でも買ってやれ。じゃあな」

 砂依田は受話器をスタッフに投げて、おれに向き直った。

 おれの素性はスカウトによってあらかじめ伝わっているだろう、”事務所にやって来たラップ志望”みたいな触れ込みで。だからもうすでに、こいつは不機嫌になっている。

 奴の目がおれを一瞥した。

「なんだかな__」

 砂依田は眼鏡を外して目を瞑る。
「”ライムのイケてる詩人”、だと聞いている。ラップはできるのか?」

 スカウトは宅録したおれのデモテープを砂依田に手渡した。だが奴はそれを受け取るとそのまま横に置いた。おれのデモは右から左へと20センチ移動して終わった。

「お前は妙な感じがする。見ていてそう思う訳だが、自覚があんならその理由を手短に話せ。他のラップ志望の連中とは様子が違う。___俺の気のせいか?」

 おれは肩をすくめた。

「基本、おれはライムが好きなだけで音楽が特別好きな訳じゃない。それも関係しているかもしれない。ついでにヒップホップ・カルチャーに精通もしていないし、特に発言権も欲しくはない。言った通り、ライムが書ければそれだけでもいい奴」

「じゃあ何しに来た」
「呼ばれたからだ。それに__」

 おれは少二郎のボイスレコーダーを思い出す。

「ライムをリーディングしていた知り合いがいた。その影響もある。おれも方向性を探ってる最中」

「そうかよ」

 砂依田は収録ブースのドアを開けて中に入り、すぐに戻って来た。手にはマイク。それをおれの目の前のテーブルに、ゴトリと置いた。マイク電源はオンになっている。
 そして柄物のシャツの胸ポケットからペンを摘み上げると、それをオン・マイクの横に置いた。

「お前に何ができるか、見せてみろ」

 それから奴はこうも言った。

 ”売れてるものから学んでコツを掴むようなタイプの奴なら、用はない。こいつらはすぐに職業として成り立たせる、要領がいいだけのB級止まりがせいぜいだ。「見たことねえもんを出せ」と言ったら、必ず固まりやがる。”

 ”自分の理想地点に杭をぶっ刺し、ひたすらやり方をてめえ自身で見つけ出そうともがく部類の奴なら、成果が上がるまで例えトロかろうが、俺は組む。最終的に雲間を突き抜けてくるのは、この手の奴らだけだからだ。”


 ある程度のまとまったヴァースを書くために必要な所要時間はどのくらいだ、とおれは聞かれたので、一時間を目処に設定した。別に一曲書けって訳じゃない。要求されたのは、それなりのヴァースだった。

 この時間内での生産力を示す形になる。それ以上長引いても特に意味はないだろうと、砂依田も判断した。

 後から聞いた話によると、以前ここにやって来た志望者の中に、本人以外の第三者がリリックを書かいていると判明した奴がいたらしい。
 その時、砂依田はそいつを車のトランクにぶち込んで、豊平川まで投げに行ったとかいう話があるが、本当か嘘かはむしろ判りづらい感じだ。
 まあどっちでもいいんだが、そういう事もあって、おれはスタジオ内で実際にライムすることを求められている。

 スカウトはおれの側で何やらPCに入力する仕事をし、砂依田はその間、どこかへ消えた。おれはその辺に座って、渡された用紙に借りたペンでライミングしていく。


 一時間後、きっかりに砂依田は戻って来た。

 おれはマイクを拾い上げ、紙を眺めながらやり方が分からないままにライムを声にして吐き出した。



よく言われんのは___
クールジャパンと違って
日本語ライムは Not cool.
その意見、まるで放っとく
おれはホットなシットをただ唸っとく
すると奴らも結局テクに納得____

今から見せるのはそんなAcrobat.
癖になる、クリミナルな御言葉
それはマジでパニクるライムのパルクール

今まさにペンてるのペン取り
センチュリー 守り継いだハイセンス
線と点つなぐセンテンス

すべてはそこから生まれる every birth.
街はアスファルトをまとった safari park.

猛獣仕留めるこの猟銃 
まずはその手でライフル構え
そいつで命運のサイ振りたまえ

見上げる先にあれはレイブン 
大柄なオオガラス
そして空を埋め尽くすは
色とりどりの鳥

地上で巻き起こる優劣を
しれっと流し見る 空は風月

どのみち行っても道草と
想ってしまう未熟さと
相変わらずの低飛行
胸に残る非行とは手を引こう

セスナで飛び立つその刹那
切ない記憶と大切な
想いが交差する空の遊歩道
口で言うほど悪びれない

ひび割れた日々とその喜び
懐かしさに顔もほころび

確かな想い
それは空飛ぶまじない
そんなものはマジ無い
味ない大人と恥じない子供と
見えない明日と昨日の足跡____。



「どうします、ケイシー?」

 スカウトがやんわりと尋ねる。彼は奴の肩越しから見えないように、おれにニヤリとしてきた。

 砂依田はスタジオ機材のボリュームをコントロールして音を上げ、おれのラップを再生した。今のやつを録られていたようだ。

 砂依田はリピートを聴き終えると、おれを見た。

「お前、どこから来た」
「帯広」
「どういう経緯でうちのクルーに声をかけられたんだ?」

 スカウトが言おうとすると砂依田は手で制した、おれは自分で応える。

「そこにあるデモを郵送したら、彼からコンタクトがあった。デモをこのスタジオに送った理由は、地元に一番近いレーベルだからだ。他に理由はない」

 砂依田はスカウトを見る。「これがそん時のか?」デモテープを指差す。スカウトは、そうだと頷く。おれは肩をすくめる。

「正規のやり方を知らないから内容はひどいだろうが、リリックはいいものを採用した」と断っておいた。

 出来はイマイチ。それでもスカウトはおれに連絡をしてきた。正直意外だったのだが、何かの巡り合わせかもしれないと思い、今回札幌までノコノコとやって来た訳だった。

 おれは自分のライムをどのように世界にばら撒き、意味のある創作として成り立たせるべきか、手探り状態にある。おれは羽ばたくフォーマットを探している。

「ラップの仕方を知らねえってのは、むしろ都合がいい___」

 砂依田は静かに言った。つらつらと思いを巡らせているのが見て取れるのだが、何を考えているかは相手に任せるしかない。

「ライムの仕方が・・」スカウトが言うと、砂依田も頷く。

「変則的でオカシな踏み方をするってんだろ? 要はリズム感ゼロってことだが、こいつに合わせるビートってのも、どういうものになるんだかな___それがさっきから思いつかねえ」

 奴はキーボードを弾いていくつかの音を鳴らす。おれはもう一枚の用紙を砂依田のほうへ押しやった。

「これも書いた、オマケみたいなもんだけど」



わざわざ軽井沢まで来た訳は
たわけたざわめく胸の内
ぶつくさ道草 分入って
何だかんだと訳言って
酒でも飲んだ帰り際
際どい浴衣の女人見て
「見たかこれが青春」と
ばかりにバカ言い はばからず
追ってみたり 撒かれたり
終いにゃ迷子の芝居のよう
「何の用だ?」と自問して
疑問詞で片付く訳もなく
泣く泣く戻る 指定席
私的なことをしてきたが
素敵なことは何もない



「アホか」

 砂依田はドアに向かって歩き、「お前、他に3曲書いておけ。いずれ近いうちにこっちから連絡する。ついでに金も貯めておけば尚いい」と言った。

「こいつをキープして様子を見る」とスカウトに指示を出すと、事務所を後にしていった。

 スカウトはおれに笑いかけながら、「まあとりあえず良かった」と吐露した。

 今日のここでの用事が済んだので、おれも立ち上がる。三枚目の書きかけは自分のポケットに滑り込ませた。



突入するSWAT ダイナミック・エントリー
破られたエントランス
おれはツラっと 屋根裏でサントリー



 レイブン・レコーズの事務所を出ると、いつもの人々の喧騒。その中に紛れ込む。こういったものを書くことのない人々の中に、おれは紛れた。
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