第11話 キズモノとワレモノ

文字数 6,754文字

 初作のデモ音源であった『韻フィット』は、ネット界隈にいるフリーのアマチュア・トラックメイカー数名の手によってビートを加えられてミックスされると、それなりの楽曲として成り立つことになった。

 最終的には無名かつ新進気鋭と目されている誰かの手によって、数回のアレンジを施され無事に成形すると、MP3規格の音声ファイルとして出力され、そのままデジタルコンテンツの装いでソーシャルメディアを介するマーケットに売り物となって表沙汰となる。

 設定価格は250円。

 これはmicotoの機転をおれが承諾した販売企画であって、砂依田や仮契約しているレコードレーベルとは関係のない別件。
 製作者本人としては、彼女にすでにくれてやってた試作品でしかなかった訳なので、この話を提案された際にも、「好きにしていい」と即答して、昨日まですっかり忘れていた案件だった。

 レイブン・レコーズではまだ収録段階にすら進んでいないのに、思わぬところで自作の一発目の製品が出来上がってしまった、というオカシな話。
 水面下で進行していたその企画の”商業成績”について、micotoから電話が入ってきた。

「それで?」
「収益をアキアスに還元したいの。取りに来れそう?」

 おれはこれに関しては、バックしてきた利益は別に必要ないからと説明して、週末休みの遠出は断ろうとしていた。だが彼女の返しってのが、

「リスナーの感想も一緒にこっちにきているから、アキアスが曲制作を仕事にするつもりなら、目を通さないと良くないんじゃない?」

 みたいな正の論で飛んできてしまったため、結局日曜にはエナジードリンク片手に小樽まで車を転がすことになった。


「リリックは良いって皆言ってる。でもボーカルがダメだってことも皆が言ってる___かな」

 micotoが親と暮らている自宅に上がり込んだ。

「その点は、おれも自分で気づいてる。難儀があるとすれば、これが最重要課題。帰ったらナックルにこのバージョンを聴かせて、しっかりダメ出しされておくから。奴はアンダーグラウンドで有数のラッパー」

 そしてmicotoは、おれの手のひらに硬貨を3枚を乗せてきた。それは250円で、いったい何のお小遣いかと一瞬わからなかったのだが、「売れていったのは一曲分だけだったの。ネットでのダウンロード」と付け加えられて、自分でも笑ってしまった。

「これって関わった連中にはどうするよ。リミックス代、払える?」

「ネットのアマチュア・クリエーター勢って、ある意味その辺の相互ルールは皆知ってるんだよ。原曲を聴いて、練習台としてミックスしたいから向こうもやってるのね。だからそれは大丈夫。当たらなければ何も戻ってこないことは最初から知ってて参加してる人たち。クレジットに自分のアーティスト名を刻んで、自分のアカウントのリンクを貼ったりはするけどね。制作機会も報酬のうちみたいな感じ。アキアス、売れなかったとしてもそれは経験___」

 この家の飼い猫、ゴロニャーが用もなくおれの前を横切った。わがロシアンブルーな格調をしかと示しつつ。

「おれの初発の『韻フィット』は、やっぱコケる内容だったか」

「トラックは全部通しで聴ける試聴フリーだったから、最後まで聴いていった人たちは多かったんだよ? でも買う人はいなかったっていう。___ちなみにアクセス数を知りたい? 結構すごくて」

 おれはそれを断って、彼女が回収した『韻フィット』のフィードバックを読んでいく。
 それらの感想を要約すると、中身はアマチュア・トラックメイカーたちに与えられた芸術点と、ライムリリックに関する物珍しさ。

 大まかに二分すると、それらが書かれていた。

 また、『ライムに関しては驚くべき内容』という評価も見つかるものの、ボーカル・パートを良いと書いた感想はまるで出ては来ず、むしろダメだったという雰囲気が大半を占めているのだと察した。

 このままでは片輪の付いていない乗り物みたいな状態であり、紙上詩人でやっていくならいざ知らず、あくまでマイクでラップを吐き出すつもりであるのなら、”現状まったく走ってはいけない奴”ってのが、おれの現在の立ち位置なのだと理解するまでもなくハッキリと示された形だ。

 ロシアンブルーなやつが、おれの側に来て膝をパンチングしている。

 おれはゴロニャーを見つめ、ボーカルの課題について考える。それと同時に、”こいつがロシア産の猫ならば、道内の寒気は大したことないんだろうか?”、などという雑感も若干混じりつつ、考えを巡らす。

「一見、シャンとしているように見えるでしょ。でもこの子、もう老猫なんだよ」

 micotoが猫を撫でる。

「今はもう随分おとなしくなっちゃったし、高いところにも上らなくなったもんね」


* * *


 用事が済むと、午後からmicotoのリハビリセンターに付きそうことになった。

 彼女のお母さんが、「ちょっと私買い物に出たいのよ、アキアス君」と言い、おれも「急いで帰らなくちゃいけない理由も、特に無いと言えば無いけども___」という事になり、多少は折り畳めるらしい車椅子をスカイラインの後ろに、隣にmicoto本体を乗っけてリハビリ施設に到着した。

 センター内には身体に機能不全が生じた人々が何人かいた。

 おれ個人はこの手の施設に出入りしたことはこれまで一度もなく、その様子はジムのような筋力トレーニングに特化したスペースというよりも、病院と地続きにある医療界の裏庭にしか見えない。
 実際にそうであり、行っている事はジムのワークアウトと同じく、こちら側もハードな内容になっているのも見て取れた。

 おれも好んでトレーニングをするタイプの人間だが、それは常に事がプラスに作用する前提で行っているものだ。
 けれどmicotoたちの場合は、失った身体機能を取り戻そうとする努力であり、マイナスからゼロ地点にまで引き上げることが最上であって、それを目指している。

 さらにその努力がどのような経過を辿るかなんてのは、保証もされていない。その上で身体的負荷を伴うトレーニングを続けていくということ。

 micotoに関して言えば、脊髄損傷の下半身麻痺が主な後遺症なので、回復は奇跡に近い確率になる。

 動かない半身を伴って、日々生活するために必要になってくる腕力や体幹の力を獲得することが、要はトレーニングであって、”リハビリ”と呼ばれるもの。

 それは”リカヴァリー”なんて言葉を当てはめてしまうと、守れない確約と過剰な希望とが、本質を覆い隠すようにコーティングされてしまう。少なくとも身体的な完全再生は、現状ほとんど望めないものだと言ってしまわなければならない。そういう施設だった。

 だからこそ彼らの多くは、その代行作用として、”身体の内側”でリカヴァリーを果たしていくのかもしれない。おれは彼らのしていることをそう解釈して見ていた。


「これ、見た目よりずっとキツイんだよ」

 micotoは歯を食いしばって、上半身を起こそうとしている。腕の力だけで身体を持ち上げるのは、端から見ている人間が想像する以上に力を要するわけで、動かない半身からの補助する力みは一切期待できない。

 彼女は自分の半身と同じ重量のダンベルか、もしくは砂袋なんかを一緒に腕で持ち上げることと同じことをやっている。

 周りが一時的に助けてくれようとも、周りがいない時には自分を頼るしかないという現実が押し寄せてくる。
 他人と自分とを明確に分離するラインが意識され、負であろうが利であろうが、分離されることのない自分という確かなコネクトもまた、意識される。
 彼らは”自分で動き出す”ことを選択し始め、周りは彼らに手を貸す範囲を自粛し始める。

 あらゆる個人的な闘争に乗り出すことになった一部の人々は皆、例外なく、ここを通過して行くことになる。


 目の前が暗闇でしかなく、まったく見通しが利かない時、人は挫かれる。
 ”おれたち”は本当に、もうどうにもならないのだろうか。
「そうだ」と言う人もいる。
 だがそれは本当に、本当にそうなのか?


「アキアスもその辺で運動してなよ」
 micotoは笑う。濡れてきらきらした前髪が額にくっ付いていた。

 彼女は障害をもった後、比較的早期に自身を立て直していたと、彼女の母親から前に聞いたことがある。今では至ってポジティブな状態にあると。

 ___そのことを考える。

 この傾向はつまり、突然気持ちが落ちる際には、一気にガタンと落ちることを意味していた。
 そんな時、周りにいる人間は彼女を一番カヴァーしなければならない瞬間となる。こういったケースは他所でも多くあるに決まっているが、そのことに気付いている支援者らが、当事者たちの周りにどのくらいいるのか。それは知りようのないこと。


 いつものリハビリのメニューを終えたらしく、トレーナーの元から戻ってきたmicotoを近くの自販機まで後ろから押していった。
 彼女は硬貨を入れて一番下の段のボタンを押した。そして上半身を屈ませてペットボトルを取っている。

「やっぱりな」
 おれは言った。声に出して言った。micotoは振り向く、

「上の段に何が売っているか、見てすらいなかったよな。一応これで3回目になる」
 おれは彼女の真正面に立った。
「その姿を見てきた印象なんだが、もし”手の届く範囲のものしか掴もうとしない”んであれば、おれは少々その件について余計なことを言いたくなってくる」

「これが欲しかっただけ」

 micotoが目を逸らす早さも判断材料として加算しつつ、おれは好きに喋り始めることにした。

「上の段にジャニーズが売ってて、下段にヒモ勢力が陳列してたとしても、マジでそういう押し方になんのかよ?___ちなみに中段はジャニーズ系のヒモかもしれないが」

 micotoは煩わしそうな顔をして、ギャルっぽく年相応なナマイキさを初めて見せた。キャップを捻って口につける。

「じゃあ、アキアスに頼めばよかったってこと?」

 おれが思うに『何かをすっ飛ばしている人たち』というのは、その他のシーンにおいても、割と多くに省略傾向をみせることが多かった。

 だから言いたくなった。

「ちゃんと見てない習慣ってのが、自分の願望その他についても繋がっていくよな」

 いま含ませた言の端に、micotoは眉をひそめる。彼女のあの母さんと交えて、三人で話をした時に出てきた話題を持ち出すことにした。

「前にこんなことを言ってよな、”別に結婚したり子どもを産んだりすることだけが生き方の全てじゃない”。”わたしは違う目的で生きている女だから”とか言って、妙に清々しくしていた。おれはあれをよく覚えている」

 その時のmicotoの言葉使いにも、その語調にも耳を傾けていた。だから良く思い出すことができる。

「それが何」

「ダメじゃねえか、それ」

 おれは頭を振る、
「絶対良くない傾向なんだよ。おれ自身は自分の内なる声には容赦なく耳を傾けるタチだから、他人のそういう誤魔化している様子にも気づいちまうし、見てて収まりつかない感じになってくる」

 micotoは急にパーソナルな領域に踏み込まれて、驚いた顔になった。

「そうやって無理に突き放してるってことは、それらに対して強く意識している表れなんだよ。何でわざわざ、そいつを言いたがったのかって部分に真意がよく隠れているし、8割ぐらいはそこから答えが引っこ抜けるものなんだ。どうせいつかその意地っ張りに寄り返しが来るんなら、今から、”わたしは結婚も出産もできないかもしれないけど、本当はしたいんだ”って言わないとダメじゃねえのか」

「そんなふうに思ってないもん」

 micotoは反射的に応えた。語気は強くて声は上ずった。

 おれは車椅子の後ろに周り込み、彼女の視界から外れる。背面から見る彼女の様子は、たった今おれに指摘されたことに対する感情的な揺らぎのせいで、熱を発しているようだ。

「目を瞑って今からおれが言うことを聞いてみてほしい。___一回だけ目を瞑ってみてくんない?」

 おれが頼むと、micotoは少し抵抗した後で、言う通りに目を閉じた。

「例えばこういうシーンを想像してみてほしい。micotoのことを好きだという男が現れたとする。その男のことは、micoto自身も結構好きだったとする」

 彼女は不意に少し笑みをこぼしてしまう。

「だけどその男は、一人で逞しく生きているmicotoを応援しているんだろうか。それとも自分と一緒に生きてほしいと、micotoに言い寄ってきているのか。___どっちだったら嬉しいよ?」


 リハビリセンターの廊下の一角は静寂した。

 わずかに開けられた窓から、小さいが確かな風が吹き抜ける。白いレースのカーテンがふわりと膨らみ、ゆっくりと引いていく___。

 micotoはそっと目を開けてしまっていた。おそらく意識せずに。

「いま何がよぎったのかは別に聞かないんだけど、でもそれが自分の本当の気持ちだよ。___とかって、おれは余計なことを言いたいかな」


 おれたちがどのような作りになっているか、
 どのような意図で生きればいいか。
 それは心に目を向けるよりも、
 身体やその姿形を見たほうがよく分かったりする。

 この身体の構造。
 個体でありながら子を残すように設計されている。
 その容れ物のなかで、心や思考がどのように暴れようが、
 このフォーマットから抜け出すことはないと感じる。

 ___そしてその時、micotoは自分の姿が欠損してしまったことをもっと直視するだろうか。だが少なくとも誤魔化しでないだけいい。
 最初の基礎となる土台が誤魔化しである場合、その上に積み上げていったものは必ず崩れてしまうからだ。


 束の間の静寂の後、micotoは感情的に脈打ち始めた。

「半身の動かない女と誰も恋愛も結婚もしたがらない」
「その通りだよな。多くの男はそう思ってる」
 彼女はキッと睨みつける、
「ほらね、わたしは”キズモノ”なんでしょ」
「そうだと、おれは思う」

 micotoはケモノみたく毛が逆立ったように見えた。

「ひどい! よくそういうこと言えるよね! やっぱりアキアスはチェインみたいに優しくない。ほんとサイテー。人として何かが『壊れてる』んじゃない、それ?」

「そう、おれはチェインスネアではないんだな。そしてmicotoは『多くの相手から対象として外された状態になった女』であるし、『恋愛も結婚もしたい女』なんだと、おれは思って見ているけど」

「ここから出て行って! わたしの前から消えてくれない?」

「でも君は車椅子だし、おれを追い払うことはできないから、しばらくここで話の続きをするかな」

 micotoは押さえつけられて身動きが取れないみたいに怒りと絶望が顔に滲んだ。
「ちょっと、あなた何なの!」

 おれは頷く。
「話を戻すんだが、『できないことをできないと認めてしまう』と、『できるようになろう』と、人は動き始めることができたりしねえか?___多くの人が意地を張ったり自分を誤解釈したりして、数年近く平気でムダに浪費するんだよ。そういうのをあちこちで見かける。けど、micotoは今日この場でそいつを断ち切って、『それでも誰かと一緒に生きるほうへ向かおう』とする姿勢に舵を切るといい。そいつを見届けてから、今日おれは帰りたい」

 おれは自分でくっちゃべっておきながら、その内容を自分で笑う。
 ___何様なんだかな。

「おれもライムは書けるのにマイクを前にすると、全く威力の出ないオカシな野郎であることを認めてしまう。まあ、”お菓子の街”から来たからな。だけどmicotoは、おれにとって最初のファンだからガッカリさせないとも約束したい。自分の内に投げてあった『認めたくないもの』、それを素直に認めてしまう。その上でそいつを何とかしていく。___今日からボーカルの練習をしよう。だからmicotoもおれと一緒に、実際的な内省に参加するといい」

 micotoの口はあんぐりと開けてはいるものの、何と発するべきか分からないように、言葉は出てこなかった。
 その様子を見て、特にアングリーではないんだろうなと、おれは判断して一人で笑った。

「___で、言い忘れたが、これは強制参加型のイベントになっている。もしこの相乗りを断るんであれば、おれの車に君の”車”椅子を乗っけるみたいな不可思議な相乗りも行わず、速やかに自分の家に帰らせてもらうからに、宜しく」


 リハビリステーションの廊下の一角は、窓から差し込んでくる西日によって黄金色に照らし出されていた。

 おれが少二郎に付き添われて病院を抜け出した、あの時のように。
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