第5話 実生活者

文字数 6,537文字

 帯広に戻ると、レイブン・レコーズの意向にしたがい曲を書き始めた。
 札幌でのラッパーたちとの思いがけない出会い。

 そして奴。砂依田 圭史___。
 あれを納得させるリリックを書かなければならないと誓った。

 おれは、もっと上手くなれるはず。

 自分の街で、いつもの忙しい土方作業員の日常生活を再び回し始める。ライムのライティングでは、これまでとは違って音楽のための用途に寄せるように意識した言葉の編成で書くことを始めた。


 * * *

 より優れたものを、選りすぐれ
 と謳われる世界で、有りっ丈で在りたいだけで
 この胸で高鳴るbeatsだけ、想いの丈を言い伝え
 上がる水かさ 広げる雨傘
 己を知ろうとする素人
 玄人は分け隔てる、白と黒と___

 * * *


 昼間は建設会社で重機オペレーターとしてバックホーに操り、18時頃に仕事が上がると、今度はペンを操ってライミングに興じる。

 おれは隙あらば常に書く気があったため、日中の現場でも目立たないところで手袋をはめた手でライムを殴り書きしていった。拾ったダンボール紙に書いた時は、そいつを持って帰ったりもした。
 土方とレーベルによる二重の雇用状態だったのだが、レイブン・レコーズのほうでは正規の書類に判を押した訳ではない。


 朝、いつものように午前5時を迎える。起床時間。
 集中的な創作期間に突入していると、おれはますますショートスリープの体質に拍車がかかり、目が醒めるとすぐに起き上がって動きたくなった。
 布団でぬくぬくするよりも駆り立てられる気持ちが強く、自分の人生が今日も続いていることが素直に嬉しかった。

 自分が駒であるこのゲームにコンテニューしたような、そういった感慨の朝の目覚め。

 個人史では10代の頃が特に苦難の時代だったのだが、そこを抜け出す術も方法も見出せないままに、眠りの世界に逃げ込む日々。

 あの頃の気持ちを時折思い出す。

 惨めで打ちのめされていたのだが、出なければならない外の社会に出れば、更に追い打ちをかけられ叩きのめされた。

『雑草も踏まれ続ければ、もう立ち上がれなくなる』、当時そう吐き出していたのを覚えている。___喉元過ぎても消える事はない。

 アトリエに移ったばかりだった当時。少二郎が数日間の遠出から帰ってくると、おれは部屋をろくに掃除もせず、使った皿を一枚も洗わずに、ソファの上で寝そべり、考え事に憂いれていた。
 ネガティブなものに足を取られているわけだ。
 初期の頃はそういった状態から、いつまでも抜け出せずにいた。
 
 そのくせ口だけは達者だった。

 少二郎は言った。
「おまえは自分自身が未熟だと知っている。だが根本的に変わろうとしない。その土台を壊さずに、”オプション”で飾り付けて誤魔化している。代わりに”アクション”は長らく休止状態。アイドリングばかりの頭の体操、いつまでもダラダラと続く抽象的な思考のループに陥り、真っ黒になったそのオイルでもってして、尚もまだ吹かし続けようとしている。___全くフレッシュではないよな。実践を伴わん理屈のみを肥大化させて、包装しちまってるのさ。そのギフトはパンパンだが誰も喜ばん代物だ。開ければただのガッカリ箱だな。この実生活でのおまえのザマは何だ? 全然ダメじゃないか。自分を変える気がねえってことだ。そんなんじゃ何にもならねえだろう」


 おれはベッドから出ると部屋のカーテンを開けた。
 洗面台に向かい、自分を見る。

 そこには、かつてない程の強靭なおれが立っていて、おれはおれを一瞥すると、蛇口から冷水をすくった。

 ___両手にその冷たさが、伝わってくる。


「人は変われる。本当に欲した時に。図ったようなタイミングで変わってしまえるものなんだ。ミカンの話は覚えてるだろう? 考えていてもあまり意味はない。自分を一ミリでも動かしてみろ。変化にはアクションが付き物だ。アクションなき変化なんざ、ないと言っていい。おまえは散々苦しんだろうが? その苦しみをこのまま続けていくぐらい、ならいっそ奮い立って動いちまったほうが全然楽だろ。そしてそこには、おまえが怖がるような障壁は何もない。あるのは自分の中に張られた、怠惰の腐れ根っこだけだ」

 少二郎の言葉は極めて強力だ。

「___日が暮れちまって、”今日も一日おれは何だったんだろう”、ってな苦痛の日々をひたすら繰り返すおまえは、まるで逃れることを諦めちまったゲージの中の狩猟犬のようだ。飛び跳ねてみろ、アキアス。そのゲージをぶち破ってそこから出てこい。俺はそれが見たいんだ____」


 * * *

【ハウンド】 作詞:アキアス

Pet Land 逃げ出し 飛び込むDog Run.
障壁飛び越え 駆け抜けるRace Ground.
誰かの呼ぶ声 気のせい? What you say?
飛び込み参加のなんちゅうテイでも喜ぶ奴らが観衆で
期待通りの範疇に まことしやかにサンキュー

乗り込んだステージで上がるボルテージ
自分のBack ground ざっくばらん、にぶちまけ
ゲージぶち開けようとするホステージ
奴はブラックサイトの牢で明日をにらみ
闘争のための逃走をたくらむ
その際必要な才と勇姿を有してんだろ

有刺鉄線だろうと塔のサイトスコープだろうと
巧みに躱してエスケープするX GAME.
抜けられないDart Roadはねえだろうと
世界に送るCall sign.
自らをパッケージしたメッセージ

破られたサイドフェンスに唖然とするフェイス
まともにチェイスするチャンス
すらままならないまま 畔へと伸びていく
吹っ飛んだスプリンターのFood printだ
サーチライトで暴かれた正体から始まるこのShow time.
スポットライトに居座り 偽りなき態度が胎動する

暗闇に張り巡らされたバリケードと
その向こう側にあるゲート
歩けど歩けどアーケードみたいなGAMEもあるけれど
野ざらしに乗り出したら嵐 なんざ結構ザラだし
失態と表裏一体のその勝利は
ウォーリアにとっては取っ手の付いたルームドア
自動では開かない
だから器量でまかない Move more.

過去を振り返るようにサイドミラーを再度見る
懐かしさに前のめる
そして先を照らし出したライト見ると
戻る道は無いと知る
きっとこのNight Roadに
引き返す術はないだろうと 


 * * *


 あの日、風の吹き荒れる夜の峠を越えておれは帰った。レンタルコンテナの中の遺品から持ち出したボイスレコーダー、あれは使っていないシュガーボックスの中に入れて冷蔵庫の奥にしまってある。目に触れないように。

 顔を洗い、歯を磨いた。着ていたものを脱いで乾いた新しいものに着替える。
 おれは身の回りの事をすべて自分で出来る人間になっていた。朝飯を作り、当たり前のようにシンクの中のものを洗い、ツナギを着込んで仕事に出る。
 帰ったら洗濯をして飯を調理する。考えた栄養配分のものをきっちり摂取し、部屋は定期的に掃除する。暇があれば毎日やりたいぐらいだ。
 そして残りから捻出した時間は創作に回した。

 ライミングは、おれの心を解き放ってくれる。

 目に見えぬ実態なき想いや真実、それを掴み取っては表現に適した形に精製する。非日常的な、魔術的な業を可能にしてくれた。
 時間感覚は消え失せ、自分自身が露骨に紙上に表出する。

 おれは自分のことが言いたい。それも言いたくて仕方がないぐらい言いたいんだなと気づく。

 それがおれの創作。おれのライムで、___つまりは自己表現。

 フルタイムの仕事を終えて一人の部屋に戻ると、仕事着を洗濯機に入れて回した。明日も着るから脱水は二回してしまう。基本的に仕事着はどのシーズンにおいても一着しか持たず、その都度洗って毎日着るようにした。複数枚ある必要もなく、傷めば買い換える。

 洗濯機が回っている間に風呂に入り、あがると保湿液で顔の乾燥を防ぐ程度のことはした。デバイスと連動する体重計で体重もろともインナー数値も計測しつつ、2〜3日の周期でウエイトトレーニングを40分程した。

 このダンベル遊びは片手で12.5キロのものをよく使っている。5キロプレートが2枚と真ん中の金属棒が2.5キロだから、計算するとおそらくそうなる。
 部屋着の好みはスポーツウェアのセットアップ。

 粉末買いしたスポーツ飲料を飲む習慣がある。脳のコンディションの重要な要素として水分補給があるからだ。乾いていると脳は萎縮するため、水分補給は栄養摂取と肩を並べるぐらい、効果と即効性がある。

 創作を終えるまで夕飯を摂らないおれは、様々な種類の飲料系を日常的に用いていた。スポーツドリンクをはじめ、蜂蜜とレモン果汁、少量のプロテイン粉末、レモネード等のビタミン系、ミロあるいはココア。固形物では何かしらのアイスバー(アイスは栄養価の高い完全保存食だったりする)。ナッツ系でキングに君臨するクルミも常に備蓄している。

 飲料は食事での摂取に偏りや問題があると感じて不足分を補いたい際に、極めて使い勝手がいい。そしてライティング作業の際には、アルギニンや高カフェインを含むエナジードリンクを使う事もある。一日中、外で動き回っていると、眠気にやられてしまう日も時折出てくるからだった。

 日々の肉体労働で消費カロリーの”貯金”がある分、食べ物は高カロリーなものを考えもなしに摂ってしまっても問題がなかった。多く摂ったところですぐに身体からハケていった。

 週末の休みには、風呂場と洗面台とトイレなどの水周りを含む、部屋の全体掃除を一気にしてしまう。買い出しは週一のまとめ買いを卒業して、2〜3日おきに少量ずつ、こまめに買うようになった。
 そうすることで冷凍保存からの解凍作業の手間が無くなり、生鮮品の傷みに神経を使わないで済む短いサイクルとなる。細かい買い出しなら15分で店からも出て来れるだろう。

 シンクの洗い物はゴム手を使用する。元は素手だったのだが、ゴム手を使わない理由も特になかったので、脱着のしやすい良品を一組買ってみた。
 すると明らかに余計なストレスがなくなり、尚かつ早く済ませられるようになった。素手で蛇口の流水や洗剤に触れる事は、意外とストレスになるようだ。

 水切りカゴはやや大きめのステンレスカゴを買い、ドンドンぶち込んでいく。ニトリ製品。洗い物は頻度の高い雑務だから快適に毎日やれるよう、環境整備してしまったほうがいい。利用頻度が高く、意味のある買い物には金を惜しみなく投入していった。

 以前は家事のような日常の雑務が億劫だった頃もあった。けれど今は面倒さを感じない体質になることができたようだ。
 同じサイクルを繰り返すことでストレス耐性が出来上がり、事が省エネで行える。この手の家事のアクションに対する敷居は、ほぼ真っ平らなバリアフリー状態になり、考え事をしながら気晴らしがてらするようなものになっていった。

 そうなると楽しい気持ちさえ芽生え、アイディアを着想するタイミングにもなり得る。

 おれは食器を洗う際、透明なグラスを二つほど最初に洗ってしまうのが好きだ。キレイになったコップが水滴をまとって輝いているのを見ると、他のものも一気に洗ってしまおうという流れに自然となる。

 夕飯の調理に取り掛かる。

 冷蔵庫から今日使う食材を取り出しつつ、調理手順や栄養学的バランスをぼんやり考える。平日外の仕事に出ていると、朝と昼は簡単なもので済ませがちなので、夜は『洗い物・調理・食べる』の3つの工程に1時間はしっかり使う事にした。
 睡眠時間が仮に6時間であるならば、この毎晩の”ディナータイム”の1時間が勿体無いという忙しなさはかなりオカシイはずだ。

 摂食障害を越えた頃から、おれは食べ物に興味を持つようになった。
 世界には様々な食べもので溢れかえっている、と。

 けれど、外食をよくする人たちのようなグルメ気質ではなく、もし知らない食材がそこにあるなら、シェフに上手に調理してもらうよりは、そのまんまの姿で貰って我流で調理してみたい、というような興味の持ち方。

 ホームセンターの資材館で工具類を見て回るのが楽しいように、調理器具にも強い興味を感じるようになった。
 ひとつの調理方法が成功すると、他の調理の仕方へとリンクしていく。レパートリーが増え、バリエーションも出てくると、買い出しもそのものも楽しい。”今日は何食ってやろうか”、みたいな気にもなってくる。
 毎日それをやっても苦ではない。

 少しくつろいだ後は創作に入る。

 音楽を聴いたり、あるいは生活音だけの無音環境でやることもある。
 テレビが意味もなくついていることはもう完全になくなった。
 
 ___誰かの作品を鑑賞する際は、音楽なら音楽だけを聴き、読むなら読むだけ、観るなら観るだけをするようにもなった。
 それぞれの作品を勝手に混ぜてしまっては、作り手の意に反してしまうと、ある時気付いたからだ。
 誰かの音楽を聴きながら、誰かの物語を読まない、というような礼儀になる。

 ウエイトをやる。

 筋力がつくと基本、良い事しかない。仕事や日常的なあらゆる活動が疲れにくくなった。
 バランスの良い栄養摂取を日常的に繰り返していると、2ヶ月後には必ず身体の様子は一変する。身体的なパフォーマンスが本当に良くなり、『カラダが軽い』と形容される、あの状態がずっと続き始める。

 この快適さを知るともう戻ることはできない。
 身体のパフォーマンスってのは、脳機能も勿論のこと含まれるので、創作力が上がり、精神衛生の面でも良くなっていった。

 物事の感じ方が前向きになるのを感じた。
 ___逆に言えば後ろ向きな感じ方っていうのは、直面した物事そのものと同じぐらい、体調のコンディションの影響を受けている。
 身体に余力がなければ、必然的に心に余裕も生じることはない。極めて重要な視点だと思う。

 更に日常の雑務を自分でこなす人間はその習慣性によって、仕事上のあらゆる種の技能が、身体に定着しやすい体質になるオマケ付き。


 ___実践禅。

 少二郎と議論を交わしたあの日から、おれはこれを取り入れて自分のものにしていった。良いことづくめなので、辞められなくなってしまった。

 生活は面白い。
 全て自分でやれるようになると、前と後とでは人生が全く変わってくる。やる人間とやらない人間との差は、歴然として現れてくるだろう。


 変化の兆しは、いつだったろうか___?

 本気になったらおれは何でもやった。

 もうこの先は無いってぐらい苦しんだなら、あとは大暴れしてやる段になっていたようだ。
 当時のおれは世界を一個ぶっ壊すぐらいの気持ちに駆られていた。
 自分の中にダメなものがあるんなら、全部壊してぶん投げ、新しく自分本体を組み立ててやるってこと。

 面倒だの億劫だのといった感覚は不思議と沸いてこなかった。あるのは確かな前進の手応えだけだ。
 何もかも”自分に必要なこと”であった時、仕事に出ることも、家事をすることも、何でもかんでも全ての行為が、まるで自分をひとつずつ高めていく手段だと感じるようになった。

 一人暮らしの部屋なのに玄関に入ると、おれは自分の履き物を揃えて中に入っていることに気づいた。意味のある無しではなく、単に身に付き出した”規律性”が、こういった形で自然と顔を出したに過ぎないようだ。

 健康状態は、息の長い創作活動を目指すおれにとって、重要なファクターになった。
 栄養学を独自で学び、『脳も身体の器官であるから全ては関連している』、という予想に基づいて、自身のクリエイティビティのために、身体のコンディションを良くしていこうという意識も出来上がった。


 自分を良い状態にしておく。心身ともに。


 それはつまり、『おれは闘うつもりがある』という事を意味する。
 おれは自意識が肥大化していった。

 まるで自分がこの世界の主人公であるように感じるという感覚。この世界は自分に用意されたフィールドなんじゃないか、と錯覚するような大きな使命感、展望、___希望、

 ___楽しさ。

 生きる楽しさ。

 おれはおれとして生まれてきて良かったという、強い感覚。
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