第10話 クッキー缶

文字数 6,213文字

「Boy、何を隠し持っている? 白状しろよ」

「キミが無くした大切なものだよ。あの頃の感覚。それに記憶のひとカケラ。”彼女”との約束も___」

 ボクだって、2ndが”外の世界”でやってきたことを知らない。でも2ndは、”ドアの外は怖いところだ”、としか教えてくれない。

「オカシイな」2ndは言う、「ドアのそっち側に”忘れ物”をするなんざ、ヘマをしでかしていたとは」

 ”彼女”って誰だ。”約束”って___?

 ピピピピピ・・!

 アラームが鳴る。

 おれは体調が悪く、合間の時間に横になっていた。
「同窓会ってやらに、間に合わなくなるな」よろめいたものの、一応立ち上がった。身支度をする。

 昨夜、同窓会の予習を兼ねて保育園時代の卒業アルバムを探した。それは大きなクッキーの空き缶の中から発見される。

 当時、児童養護施設の人間が、おれの出発の際にまとめてパッキングした古い荷物の中に紛れ込んでいるのだから、目に触れることもなかった。部屋の押し入れにぶち込んだまま未開封だったわけだ。

 これから会うことになる遠い日の知り合い。同窓生の”シオリ”についてある程度は思い出しておきたかった。同窓会の電話をもらった時から、向こうはおれのことをよく覚えていると言うし、会うのを楽しみにしているのに、おれの方は覚えていない。

 けれど名前の響き、音の上では”シオリ”に覚えがある。そして少し心が落ち着かなく動き、何かしらの情感を覚えていた。

 そしてこの卒業アルバム。当時の保育士たちのお手製で作られたものだった。ひどく目の粗いモノクロ印刷だ。用紙を重ね、二つ折りにしてホチキスを噛ませた単純な中綴じになっている。手に取ってめくってみると、当時のおれの姿が見つかった。

 明らかに内気な男の子に見える。

 ___幼くて弱い。そのことの体現そのものといった具合。すでに打ちのめされた気配が感じられた。この世界でどうすればいいのか分からないように、身をすくめている。それは罠にかかった小動物を連想させた。

 この子を救う必要を感じるのだが、どうすることもできない。

 ページをめくっていくと”シオリ”も見つかった。当時のモノクロ印刷は解像度もあってないようなもので、かろうじて”シオリ”の顔を識別しても、特に思い出す事もない。カラーの集合写真が残っていたとしても、おそらくダメだったろう。

 予習は失敗に終わった。記憶に残っていない事は正直に謝るしかない。するとふいにクッキー缶の底のほうから、金と銀の折り紙のヒコーキが出てきた。

 金のほうには『詞折』
 銀のほうには『あきあす』

 と、子どもの字でサインしてある。
「ああ、もしかして」おれは声に出してしまった。

 ”シオリ”ってのは、中学で一緒だった”詞折”のことか。だが、中学で特別親しくしていたわけではないはずだ。___保育園、一緒だったのか?

 それにしても、保育園児の頃から自分の名前を漢字で書いているとは。紙ヒコーキに書かれたサインをしばらく眺めていた。


* * *


 先日の寝苦しかった夜の大量の寝汗とその後の夜風のせいで、妙な悪寒が出てきてしまったが、同窓会には出向いた。着いた頃には頭痛も出始めてきた。

 同窓会の席につく。この室温の中にあって、おれは全くそぐわない厚手の上着にくるまっていた。集まりは昼食時に催されていて、場所は広くて明るいレストラン。普段自分が来ないようなタイプの店だ。

 天気が良く、店内は天窓から採光も降り注いでいる。皆で囲んでいるのは大きな木目調のテーブル、___よく見ると複合板ではなく一枚もの。壁は漆喰の白で、柱は藍色で統一されている。
 頭上の横架材にはシーリングファンが静かに回り、『青年の木』と呼ばれるユッカの大きな鉢植えが効果的に配置され、店内を飾っていた。

「その錠剤でいいから分けてほしい」
 おれは同窓生のひとりから生理痛薬のピュアケアSを貰った。鎮痛薬として。

「それ、男子が飲んでも大丈夫なの?」

「主成分は一般的な鎮痛薬にもあるアセトアミノフェン製剤だし、こういったもんは単に女子向けにシャレオツな装いでパッケージされているに過ぎないから」

 そう応えて、グラスの水で2錠飲み込んだ。背もたれに沈む。”こんな体調で何しに来た?”、といった感じの自分。

「妙に詳しいね」

「たまに行くドラッグストアの店員と話す機会があるだけだよ。大衆落ちした製品が出れば教えてくれたり、その手の話をすることがある。どこの製薬が何の特許を持ってるとか、その類いの話も。___この人は元は調剤の仕事をしてたけど、引退してドラッグストアの店員をしている人だから、普通のストア店員よりも色々と知っている」

「なんかそれって詞折みたいだね」と同窓の一人が言う、「詞折も前職は心療内科医だもんね。今は保育士で」

 詞折は向かい斜めの席で先ほどからずっとおれを見ていた。
 最初はにこやかにしていたのだが、着席後しばらくすると、そのスマイリングは完全に消え失せた。

 今では、ただ無表情に見つめてくる。

 ほとんど射抜かれちまった格好のカモみたいなおれは、そんな詞折の経歴を聞かされても、視線を向けずに目を逸らし続けていた。

「どうしてそういう転職を?」という彼らの当然の質問に対して、詞折は言う。”元々は自分自身の過敏症を勉強する過程で、心療内科に進んだのだけれど、病んでいる人たちを日常的に見るのに疲れてしまって、子どもをみるほうへ行ったんだよ”、と。

 ”そのほうがずっといいから”、 と応えていた。

 そして母方の祖母が英国人であるため、詞折はクォーターだという話も出てきたし、またそっちの方面の親戚が大陸で経営している輸入関連企業があり、自分もいずれ合流することになるから、今は何をやっていても良い状態にある。だから給与面よりも興味の向く仕事をしたいだけ、とも話している。

「そう、”病んでいる人”を見るのはもう嫌なの」

 詞折はおれを再び見つめた。おれは身震いしながら上着に包まりつつ、慎ましくピュアケアSの鎮痛作用を待っていた。なるべくやり合わずに済むようにして。

 ___だが結局、矢は飛んでくる。

「なんか、アキアスとは思えない」詞折は言ってきた、
「中学で一緒だったし、高一の時には学祭で一度見かけて、その時は嬉しかったけど、今は全然違う人に見えるね」

「一応本人で間違いないはずだけど、どのへんが違うというニュアンス?」おれは聞く、「紙ヒコーキを折っていないから?」

 詞折は少し黙った。

「覚えているの? あの折り紙」

「現物が残ってる。昨日の晩たまたま見つけた。名前が書いてあったな、二人の」おれは震える。寒い___。

「そう。こっちにも同じものがあるよ。あれを折った時のこと覚えてる?」

 おれは響かないように痛い頭を静かに振った。
 すると詞折の目が少し哀しそうに潤んだ気がしたが、すぐさまその表情が消える。見間違いかと思えるぐらいの早さで。

「自分はなにかを忘れているとは思わない?」
「おれ? 思わないかな」
「私もそれと同じものを持っているのは、どうしてだろうね」
「そっちは知らない。おれは断捨離が苦手なだけ」

 同窓たちは、このやり取りに笑い声をあげた。コントみたいだ。だが詞折は構わずにそのまま、おれを見つめている。

 おれは体調のコンディションの悪さの中にあっても、事の主題を探りたがる頭の性癖は通常どおり稼働していたため、別の話を振って考慮時間を伸ばそうと反射的に舵を切った。
 たとえ次に他の会話を展開しても、彼女の中で紙ヒコーキの話題は支配的な様子だと目測が立った。
 つまり別件の会話を展開しながらも、彼女の発する言葉や言い回しを聞く事で、”謎の主題”の違う面取りを行いつつ、輪郭を浮き彫りにしてやろうという腹づもりだった。


「それでさっき言ってた”自分自身の過敏症”ってのはどんなもん?」

 質問した。少々の間が空く。同窓たちも興味があるらしく、詞折を見た。彼女は仕方ない様子で個人的な話を皆の前で明かす。

「音の過敏性。大きな音___掃除機の騒音とかが怖くて脈拍が上がったり、口汚い言動とか発する人が近くにいると、神経が擦り切れちゃうっていう、そういうもの。まだ治ってもいない」

 おれは頷く。「それを克服するために自分で勉強までして、その専門職になるっていったら、相当だよな」

 そう言って周りに同意を求めるように見回す。彼らもそうだね、と大きく頷く。

「その後の転職先が保育園ということは、”過敏症の治癒に役立つ方向が、”そっち”だという自己診断があったってことなのか?」

 カウンセラーである彼女は黙っていた。おれは言う、
「子ども達が折り紙を折っている時、先生も一緒に折ったりしてるのかな」

 詞折はあからさまに不機嫌な様子を見せる。
「何様のつもり?」

 過敏症の話のなかに『折り紙』を差し挟んだことで、詞折の中で2つの主題は同化したと思った。おれは続ける、

「なんでそんなに怒ってるのか知らないけど、取りあえずおれに対して怒りやすい状態に、そもそも”あった”らしいことはよく分かったよ。まあ子ども達のほうへ向かって転職したのも分かりそうな気がするな。___『子ども』ってのは『元の姿』の象徴的な意味合いが強い。多くの人にとってそうだし、おれもそうだ。以前の自分を想う時、たとえば『病む前』を想起する際に、手っ取り早くイメージするのが『子どもの頃の自分』ってやつだ。皆そうだよ。ざっくりしてんだ。子どもってのは大体まだ『病んでいない時期』だから、まあそうなるよな」

 おれが一気にまくし立てると詞折は席を立つ。
「私が会いにきた人じゃないよね、やっぱり」

 彼女を見据えた。頭痛は少し治りつつあるが、寒気は残っている。
「おれは”薬”にはならないと思う。___おそらく子ども達も」

 詞折はデバイスを取り出し、ライトブラウンの手帳型のケースカバーのそれを操作した。その様子は文庫本を開いているように錯覚させる。

 おれは言う、
「そっちで登録を消去しても、こっち側の履歴に番号が残ったままになってる。後で消しておくよ」

 詞折は怒っていて、半目しか開いていない顔で、おれを見た。

「私は”知らない人の番号”を消そうとしてるだけ」

 先日、おれに連絡を入れてきた際に、こっちの番号を登録していたらしく、それを今消すのだろうと思う。彼女はそれを終えると、うつむき加減になった。

「悲しい___。どうしてこんなことになったんだろう」

 おれも詞折の番号履歴を消そうとしていたが、手を止めた。帰る間際にあった、その捨て台詞によって。

「あの頃の私はもうどこにも残っていないのか。___もういい、分かった。君のメンターによろしく。私は付き合い切れないから」

「メンター?」

 彼女が出て行く姿を見ながら、おれはそれがどういう意味なのかと考えを巡らせてしまった。



 詞折が早々と帰ってしまったので、彼らは残念そうな感じになってしまっていた。一応断りを入れる必要が生じたんで、おれは率直に言う。

「詞折があんなふうに医療者目線で人を見るから悪いんだよ。よりによっておれなんかをさ」

 こうならないようにこちらは努めてはいたのに。詞折が悪い。

 そして場の空気を変える流れが必要になったところで、今日ここに来た目的であるあの話題を持ち出すことにした。つまり当時の園児だったおれが三日間行方不明になっていたという、あの件について。

 この話を振った途端、同窓生たち皆が一斉に反応を示した。
 おれ自身は全然覚えていない本件について、皆は”あった事実”として認識しており、今も記憶の隅に残っているようだ。

 もはや詞折が怒って帰ってしまったことなんか頭からすっかり消えてしまっているぐらいの話題性があった。園児行方不明事件は確かにあったようだ。であるならば、おれとしては次に自分が発見された当時の状況が知りたい。

「どこか排水溝の中にでも落っこちていたのを捜索隊が見つけたとか?」

「見つけたのはナミキ先生だったと思う」同窓の一人が言った、
「場所ってどこだっけ?___見つかった場所」
 皆が顔を見合わせる、そして一人がついに思い出した。

「ボイラー室だよね?___そうだよ、ボイラー室」

 おれはかなり意外に思った。「マジで園内だったの?」

 皆は一斉に同意する。

「三日後だよ?」おれは更に言う、「有り得なくねえか、それ?」

 なぜ三日間もボイラー室にいて、その間おれは発見されなかったのか。それは誰も知らないと言った。これはかなりオカシイと思わざるを得ない。見つけてくれたのはナミキ先生。当時、おれが大好きだったあの人だ。

「もう帰っちゃったけど、それこそ詞折だったらもう少し覚えてるんじゃないかな? アキアスと仲良しだったから、うちらよりも良く覚えてると思うけど」

 詞折の電話番号をまだ消さなくて良かったと、内心ホッとした。

「それでさ___」一人の同窓生が言う、「俺の母さんから当時ちらっと聞かされた話では、アキアスってその件が理由で診療所だか精神科だかに通うようになったって言ってた気がする。アキアスは実際に通ってたのか?」

「おれ的には通ってたつもりはなくて、ひたすら連行されてた感じだったな。児童施設の連中に」

 余計な記憶が蘇ってきたために、かなり手応えのあるイラつきを覚えた。そしておれは言う、
「でも行方不明になったことが通院のきっかけって、そいつも相当おかしくね? どういうことなんだ・・」
 腕を組む。
 別の同窓生が思い出してくれる、
「___確か、”問題行動を起こした子供”みたいなことだったと思ったな。ボイラー室から発見されて、その後どういう経緯だったのかは分からないけど、そういうことにはなっていた」


 これは一体何なんだ?


「それって、保育園側が園児を見失った過失を隠蔽するための口実か何かじゃねえの?」おれは言う、

「言ってしまえば肉親みたいな正規の保護者はいなかった訳だから、どうにでも処理できたんじゃないのか。___要はうるさいことを言う奴がいないからさ。園児を見失った過失を世間体の上で処理するために、保育園の運営責任者側が細工してねえか、それって」

 同窓生たちは分からないけど、”全く無いとも言えないかも”、という反応をしていた。

 マジでそういうことだった場合、その保育園側の事後処理のせいで、当時のおれは心療内科に長いこと連れて行かれてたことになっていた訳だ。
 これはあの保育園をバックホーで跡形も無く解体してもいいぐらいの権利をおれは有してることを意味するが、果たして実際はどうなんだろうか?

 しばらく前のめりになって彼らとこの件を話していたけれど、再びおれは背もたれに深く沈み込んだ。新しい事実に考えを絡め取られて物思いに耽ってしまった。

 そして何とも言えない気持ちに襲われてくる___。

「おれを見つけてくれたのは嬉しいけど、最後まで守って欲しかったよな。どうしてだよ、詞折」

 今の言葉に同窓生たちは妙なリアクションをしていたため、自分でも気がついた。

「ちがう、ナミキ先生が」おれは頭を振る、
「言い間違えた。”詞折”じゃない」


 同窓会は無事にお開きになり、おれも腑に落ちない気持ちを抱えたまま退席することにした。この日も結局、事件のことは大して分からないままで終わることになった。
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