第6話 最初のファン

文字数 6,681文字

『レイブン・レコーズ』の事務所を訪れてから数ヶ月後。

 おれは彼らに呼ばれて、札幌に移り住むことになる。
 すっかり忘れられているのでは、と心配になっていた頃だった。

 砂依田に言われた通りに貯めておいた金は、『引越し資金』として必要になるものだったようだ。おれは同じ建設会社の札幌営業所に、同じく重機オペレーターとして登録された。
 だが、社員ではなく季節雇用の作業員としての異動となった。


 その後、こっちに来たはいいが、スタジオでセッションする様子もなく、しばらくは「曲を書いてろ」みたいな具合で、相変わらず突き放されたままだ。

 おれはおれで、新しい環境での生活に規則的なリズムを構築できるまでは、創作を棚上げしておけて、都合が良かったのも事実。

 好ましい体勢ができたことで、首尾よくスタートが切れる。

 新転地における、『仕事・生活・創作』の3つのギアがスムーズに噛み合って回り始めた頃、おれは自分の周辺が別の海流による干渉を受けていることに気づき出す。無名の人間にとって、最初の波はそれなりにインパクトを伴った。

『韻フィット』、というのが、帯広で作ったおれのデモテープの題名だった。


「アキアス、君の『韻フィット』が他人のSNSアカウント上にアップされている」
 レイブン・レコーズの例のスカウトが、電話で知らせてきた。
「”micoto”って名前、聞いたことない? あの人気爆発中のラッパー、”チェインスネア”のファンの子で、よく炎上しているアカウントなんだよ」

「チェインスネアのファン?」

「そう。彼女はチェインのライブ会場で起きた事故が原因で、車椅子生活になっている。確かまだ20代だったかな。___脊髄を損傷して後遺症が残ったらしい。当時は彼女に対して同情の声も多く上がったが、その後のチェインと親しい交流関係ができてしまったせいで、結構叩かれるようになった。”障害を利用してアーティストに付きまとっている”、だの何だの言われたりしてね。まあただの嫉妬だろうけど。で、そのmicotoのSNSの音声コンテンツのひとつとして、君のラップ音源が上がってしまっているわけだ。噂によるとアクセス数がすごいらしい、___知りたい?」

「おれは何もしていない」

「まあそうだろうと思った。それでウチらも対処したいんだけど、君は仮契約の身である訳だし、ケイシーのアセットとして正式には登録されていない。なんとか自分で彼女と交渉して対処するしかないんだ。場所は幸い道内で、小樽だ。余裕で日帰りもできる距離だと思うけど、行ってきてくれないか」


 そのSNSにアクセスすると、確かに自分のデモ音源が上がってしまっているのを見つけた。曲は途中でブツ切りにされた形でアップされている。
 それはまるで、切れない刃物で無理やり切断されたような、歪な断面を連想させた。
 明日も朝7時には現場が動き出す。手早く対処をしてしなわなければならない。

 適当にそのSNSのアカウント登録を済まし、問題の人物にダイレクトメールを送った。おれが買い物を終えて帰宅すると、相手から返信が戻っていた。___素早いラリーだった。

 * * *

発信者 akiasu
 音源を制作した本人だが、許可していないものが勝手にアップされているのを人から知らされた。コンテンツを削除した上で内情も知りたい。曲の続きは、

雨が降るから
空にかかる虹はフルカラー

というライムが続く。おれが書いた。


発信者 micoto
すいませんでした。削除します。
チェインのためにあなたの曲をアップしていました。

 * * *

 その後、micotoのアカウントから『韻フィット』は消えた。
 チェインスネアは、以前ナックルもそのカリスマ性に言及していた現行のラップシーンにおける第一人者と目されている人物。

 その大衆評価は大方揺るぎないものとして定着している。
 
 ___『チェインのために』?

 micotoの返信に書かれている内容が、腑に落ちない違和感として残り続けたので、流出経緯の確認と合わせる格好で、直に会って話すのがいいと判断した。


 おれは彼女と接触した。
 micotoは栗色の髪をしていて、頭の右側だけを編み込んでいる。年齢は23歳。そして、車椅子を要する後遺症が実際にあるようだった。

 彼女は両親との実家住まい。兄弟もいるが、一緒には住んでいない。自室にはヒップホップのファンであることが明白なポスター、レコード、ファッショングッズなどで溢れかえっている。ミッフィとかケロッピーとか、シマジロウとかティガーといった、キャラクターは見られない。

 代わりにコレクトさているのは、ギャングスタの重厚なる面々と、少量の海外の女性アーティストぐらいなもの。ついでに年齢のせいか、未だに学生時代に使っていたらしきデスクとチェアが一組、部屋に置かれていた。

 おれは彼女と長らく話した。

 micotoは女性ラッパーに成りたかったのだが、ライムリリックを一曲も書き上げるには至らず、次第に他職に舵を切り始めたらしい。
 その矢先、チェインスネアのライブ会場で人の雪崩に遭って下敷きになる。脳に酸素が行き渡らず意識を失い、この時に脊髄も損傷して、目が覚めた時には、彼女の住む世界は一変していた、ということだった。

「このデモを聴いた時、わたし___」
「感想はいい、曲の流出経緯を聞いて帰らないとならない」

 micotoはうつむいた。そして沈黙する。

 ・・・_____。
 ____時間は流れ、5、6分はミュートされたままだった。

 隣の部屋からテレビの音がかすかに聴こえている。おれは沈黙恐怖症の連中とは違う体質なので、特に気まずさは感じない。けれど、赤の他人の家に上がり込んでいることは、居心地悪く感じていた。

 札幌にもさっさと戻らないといけない。
 明日の仕事に支障が出てくる。

「わたしのラップトップの中に、いつの間にか入っていたの。公開されたアマチュア音源はよく集めていたから、きっとどこかで拾ったんだろうと思っていて。___覚えはなかったけど、開けてみたら、このデモだった」

「1分22秒で君がカットした訳ではないんだな。もともと切れた状態だったか」

 micotoはそうだと頷いた。

 その時、彼女の母親が帰宅してきた。おれはmicotoとリビングにいたため、母親と鉢合わせになる。micotoがどう説明すべきか迷っている様子なので、おれは彼女の友達だと名乗っておいた。

「あら、彼以外にもお友達がいるのね」と娘に言う。

 ”彼”というのはチェインスネアのことだった。二人はアーティストとファンとして交流がある。
 micotoの母さんは喜んでいた。娘はライブ会場の事故で身体に後遺症が残ってしまい外出が困難。人付き合いもほとんどなくなってしまっている。それに10代の頃はもともと不登校の生徒だった、と。

 ___彼女の母さんともおれは話をしたんだが、娘に理解のあるタイプの親であるように感じた。

 『嫌なら学校には行かなくてもいい』としていたようだし、『人付き合いは必要な時に自然とできてくる』、『学校に意味が見出せないのに無理に通い詰める程のところでもない』、と許していたらしい。

「一度は音楽が好きになって、ライブによく行くようになって、活発だったんだけどね。事故に遭っちゃってからは、またずっと家にいるんだから」
「ネットでは今も活発だよ、あたしは」、micotoも母親が好きみたいだ。
「あらそうなの」

 おれはひとりでいる孤立した人間を振舞い方の一種と見なしていた。つまり、その種が好んで選ぶスタンスという意味で。おれも割とそうだからそのことを寛容に受け止めたい。

 多分この世界にいる人々は、社会動物であることは疑いのないことだ。だがそれ以前に、各自が一つの個体であるという認識が、近年では薄れている。
 単体としての大切なコアなる部分、生命や意思決定などを社会のなかに置いておくべきではない、と感じる。

 そうしてしまうと、集団意識の規律を守りながら、自分自身の命は投げてしまうような突飛な事態も起きてくる。

 学校は辞めないのに自分の命は絶ってしまったり。
 会社に所属したままで過労死してしまったり。

 そういった悲劇がなされてくる。

 社会性や集団意識は必要でもあるだろう。けれど、個体としての自身の生命が脅かされる際、こんなものはさっさと切り離してしまったほうがいい。

『みんなのルール』を守りながらコップの水を飲まずに干からびるか?
 それとも『みんなのルール』を破って水を摂って生き延びるべきか?

 ざっくりした例えなのだが、つまりはそういった『個の判断』が問われるシーンがあるわけだ。


 母親がいなくなると、micotoは笑って言った。
「友達ね、___わたし、友達はあまりいない」

 おれは彼女のラップトップにデモが紛れ込んだ経緯を考えながら喋る、

「友達がいなきゃならんという怖がりな強迫観念が、まことしやかに蔓延しているわけなんだが、実際はいなくても全然問題ないケースが多い。勿論いてもいいんだけど、『いなくても構わない』というスタンスで生きている人間の周囲に、友達が集まってきている場合は、良いエネルギー圏が形成されていることが多い。その中心に優れた個体が見つかる」

 ___おそらくPCはハックされたんだな。ってことは二台か?
 micotoのPCと、おそらくレイブン・レコーズのPC___。

 このmicotoって子はチェインスネアと繋がりがあるよな・・・、チェインスネアの所属するレーベル事務所を相手取り、彼女の父親はライブ会場の安全対策における不備について訴えを起こしている最中。しかし、スタジオのPCは、どうしてハックされたんだろうか?

 micotoは車椅子の上で自由の利かなくなった半身に毛布をかけた。栗色の髪の毛がそよぐ。

「さっきの話だけど」おれは質問する、
「彼の所属事務所側がどうであれ、チェインスネア本人は事故の件をどう思っているのか、知りたいんだけど」
 おれは分からなかったので、「彼が君のところに来るのは見舞いのためなのか、それとも賠償請求に関する話をしにきているのか?」、と聞いてみた。

 するとmicotoは頭を振る。

 チェインスネアは所属事務所の方針に一切関せずに、個人的に償おうとしている、と彼女は言った。事務所から隠れて必要な医療賠償とその他を、すでに彼女側に支払い済みであるようだ。
 だが、micotoの父親はレーベル側の隠蔽気質な対応に憤りを感じ、その結果、裁判にもつれ込む形になっているだけらしい。

「チェインと私たちの間に、わだかまりは何もないよ。事情を知らない人たちは色々と言うけどね」

 micotoはそう言ってうつむき、少し黙った。

「実は彼は、今のわたしと同い年だった妹を亡くしているの。だからこう、___わたしの事も気にかけてくれるみたい。数年前に亡くなったって。妹さんのことを彼はよく話してくれる」

「うつ状態がひどかったみたい。でも彼曰く、『薬漬けにされてしまったのは家族である俺の知識不足。医者や現行医療を疑いもせず、言われるがままに任せっきりにしてしまった結果、妹を死なせてしまった』って」


 おれはあの日、病室に現れた少二郎を思い出した。
「こいつを連れて帰る」____少二郎はそう言った。


 micotoは続ける、
「投薬の副作用を、更なる投薬によって誤魔化すように緩和させようとするやり方が、まかり通っている現場___。それを目の当たりにした彼は、妹さんを自宅に引き戻そうと思い立った矢先、彼女が投身自殺してしまったみたい」

 そしてmicotoは、おれのデモテープをSNSにアップした理由を明確に話し始めた。

「チェインは今、アーティストとしての岐路に立っているみたい。音楽を始めた初期の頃にあった楽しさは失われたって___。今も少しは残っているけど、身の内から響き出るような音楽は減少の一途。だから彼に、あなたのリリックを聴かせてみたいって思ったの。彼とはしばらく会えなかったから。勝手にアップしてしまって本当にごめんなさい。公開された音源じゃなかったのにね」

 おれの『韻フィット』にチェインスネアが反応すると、micotoは考えたらしい。実際はどうなんだか判断がつかないけれど、もしそうであれば、それは光栄なことなのかもしれない。

「そうか。話してくれて、ありがとう」

 おれは納得したので帰る事にする。
 その前に彼女のラップトップの中を見させてもらった。Macだったため、案の定セキュリティ対策はされていない。Macにウイルスはないという話は勿論事実ではないので、アクティブモニタを見る。
 そして目ぼしいフォルダの非表示を解除すると、『tapping door』というマルウェアが出てきたので削除した。そして空になったフォルダ名を『nothing more』と書き換えて閉じた。

 次に持参したイエローパッケージの有名なセキュリティソフト『エドワード』をインストールさせた。プロダクトキーも自前のものを使用。おれは2台分、すでに使っているので、彼女に余りの1台分をあげた。

 そしてUSBメモリを差し込み、音声ファイルをMacに転送する。

「これが韻フィットのフル音源なんだ。こっちをSNSにアップしたほうがいい。___スマホは持ってる?」

 おれはmicotoのスマホを手に取って、おれたち二人のセルフィを何ショットか撮影した。

「どうして__?」

「おれが君にデモ音源をあげたという証拠写真だ。もしも誰かからイチャモンがあった際、アップできる保険として、ここに残しておく。君がデモを盗ったかのように言われた場合のために。___カウンターを打つ必要があるだろ?」

 たびたび”炎上”するアカウントの主は、少し笑った。おれはUSBメモリを抜き取って言う。

「ついでに言うと、ライムを書いた本人としては、あんなふうにブッツリと切られた状態ってのは、あまり嬉しいもんではないんだ」

 おれはmicotoの家を出てスカイラインに乗り込み、札幌に戻ることにした。


* * *

【韻フィット】 作詞:アキアス

おれはアキアス 至ってシリアス
コルトパイソン級のmy song.
マイク・オンしたマイク・タイソン
自信がみなぎる 
そんぐらいのsong writin’

オラクルが謳うそのミラクル
巡るサイクル待つような風習
吹き飛ばすサイクロン
そしてすべて吸い上げる
like a Dayson.

占い師は何も売らないし 
素人は何でも知ろうとするよな

レベル比べる この世界
奴らがレッテル貼ってるのは知ってるが
おれはすべて剥がしたノーラベル
パスポート持たずにトラベル敢行
トランクは簡単に盗られる
だがトラックはたやすく録られない

言葉が手荷物 だから宝は手に持つ
運命に切り口つける小型な小刀 
そっと忍ばす
近所の小坊主からユニバースまで 
片っ端から転ばすこのヴァース

「破産したサタンを エンジェルが援助る」
みてえな感じで余裕で比喩ライム feel like ?
言葉の交わり 上手くてマジ悪りぃ
至高の思考回路 あまりにもアノマリー

この航海路に伴う濁流
おれはそこで暴れるスクリュー
空はどす暗え 波も荒れまくり
嵐の空 見上げ
神を脅すぐれえおれも腕まくり
沈みかけたノアの箱船
最後までおれを運ぶね

舵を手に取り 広げるテリトリー
それとリンクする
このストーリーテリング

難破船で突破せんとする頃この航路に
炸裂する雲間から差し込む light well.
夕暮れぐれえにほの暗えグレーな雲に
ダイナマイト植える

雨が降るから
空にかかる虹はフルカラー
荒ぶるから現るセルフ・カンブリア紀
そのシニカルな進化に
万物もオカンムリだ

ドシャ降りのなか
アンブレラ片手に案ずるな
ヘイトぶる奴らにとっても結局はバイブル

アキアス 全員ビビらすファビュラスMC
なんだかんだ乗り込んだアナコンダ

「マイナス」から擦った揉んだでアンビシャス
「プラス」からは嫉妬もんのダイヤモンド
磨いたもんだなアメージングなアメジスト
ダメージングカットして
グラインドかけたPRIDE.
研磨の過程で負けんなと 
素敵すぎるイル・スキルズ

紡いだテキスト 
最適なスタイルでテキスタイル
投下するのは出来次第 
できるのは仕事上がりの6時台
吟味された近未来 
そんな新時代なら信じたい

針持つ虫と春を待つ 
スズメバチのように進めばいい
さすればすり抜けスリット・フライ
突き刺すスキルでコンバット・ハイ
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