第8話 全国大会の優勝者
文字数 4,521文字
それに、実のところ、本心では陽子もすぐに彼に会いたかったのである。今や自分でも心配になるくらいにアマテラスカードに夢中になっていて、そのため爽平に訊ねたいことがたくさんあったのだった。
手紙を返すと、すぐに爽平はやってきた。陽子がいた玉藻前の屋敷まで、返信して十秒ほどでの到着だった。
「ごめん、遅くなった」と爽平は息を弾ませながら言った。
「待っていないわよ」と本当に待っていなかった陽子は笑った。「さて、爽平君に私から報告があります」
陽子は自分の新しいデッキを爽平に見せた。
狐火には五属性と呼ばれるカードがある。木の狐火、火の狐火、土の狐火、金の狐火、水の狐火の五種類で、この五枚にはそれぞれの雄と雌があった。この十種類こそが狐火の中核を担う重要なカードであり、この十種類のカードを組みあわせて多様な上級妖怪を召喚するのが狐火五属性構築である。
しかし、陽子のデッキは狐火の姫を切り札にするための工夫がなされていた。
狐火の姫の召喚条件は、炎の狐火♂と炎の狐火♀に「狐火」カード一枚の合計三枚を墓地に送ることだった。炎の狐火は狐火の姫の召喚にしか使えないので、普通は一枚ずつ入れるだけで狐火の姫は強襲用だと割り切るのが普通である。しかし、陽子は事故を恐れずに二種類を制限限界の四枚ずつデッキに入れたのだった。
それにだけではなく、炎の狐火たちを呼ぶカードと、狐火の姫のサポートカードもできるだけ入れてある。狐火としては安定性に欠けた構築になってしまったが、陽子は狐火の姫をお気に入りとして愛でたいのだった。
「悪くないね。意外と回りそうだなあ」
しかし、意外にも爽平は感心していた。ツララから散々冷たい言葉を浴びせられたばかりだったので陽子は嬉しくなった。
「そうよ、意外と回るのよ」と陽子は楽しげに言った。「確かに炎の狐火の片方だけが三枚も手札に来るときもあるけど、それほど頻繁に起きるわけではないわ。それよりも上級妖怪の選択に苦労しているの。十枚しか選べないから慎重に選ばないと」
「『着せ替え狐火』が四枚も入っているけど」と爽平は苦笑いを浮かべた。
「当然でしょう」と陽子は笑った。「相手を狸にして蒸し焼きにするのよ。正直、これは本当に事故に繋がるけど」
着せ替え狐火は攻撃力四五の下級妖怪である。一ターンに一度だけ、手札を一枚捨てることで相手妖怪すべてを「狸」カードにする効果があった。この効果で相手を狸にすることで、狐火の姫は自身の効果で攻撃力を戦闘中に一五五まで上げることができる。これは八岐大蛇ですら破壊できる攻撃力である。
さっそく、二人は小さな四つ足テーブルを囲んでゲームをはじめた。爽平に動きを読まれないように頻繁に上級デッキの中身を入れ換えて、ときには「大蛇」カードを加えることで陽子は不意打ちを企てた。
爽平は昨日と同じデッキ構築だった。神通力の天狗は強力だったが、効果破壊への対策をしていたので昨日ほど簡単に負けたりはしなかった。しかし、それでも爽平は強くて陽子はなかなか勝てなかった。
陽子がデッキを開いて、次に使うカードを選んでいたときだった。高校生の一団がざわざわと部屋に入ってきた。
彼らを見て、爽平は顔色を変えた。彼は素早く顔を伏せたが、しかし一団のなかの一人が爽平の存在に気がついたようだった。二人に気がついた女子高校生は爽平を見て、それから彼の前に座っている陽子を見た。そして、にやりと意地悪い笑みを浮かべた。彼女は二人に近づいてくると爽平に話しかけた。
「あらあら、伊藤爽平君。こんなところで何をしているの?」
「君には関係ないだろう」と爽平はぶっきらぼうに答えた。
「つれないなあ」とその女子高校生は困った顔をした。「でも、伊藤君に女の子の友だちがいただなんて驚きね」
一団の中心人物と思われる男子高校生が入ってきた。
彼は背の高い美少年で、運動選手のような均衡の取れた身体をしていた。眉毛がすっきりとした清廉な顔立ちだった。百合の花が描かれた青い着物を着こなしており、他の高校生たちが大衆向けの理髪店で散髪をしているなかで、彼だけは一流の美容院で容姿を整えてもらっているのは確実だった。穏やかな笑みやしぐさなどから、他者から注目されることに慣れている者に特有の余裕が感じられた。
爽平をからかっていた女子高校生が彼に声をかけた。声は甘えるようで、隠しようのない好意が感じられた。
「大鳥勇也君、伊藤爽平君がいるよ。しかも女の子といっしょに」
美少年は立ち止まって陽子たち二人を見た。爽平の姿を確認して、それから陽子の顔を見て目を細めた。
「友だち?」と陽子は小声で爽平に訊ねた。
「今のクラスメイト」と爽平は彼らさえいなければ幸福なのにという気持ちを隠すことなく不機嫌な声で答えた。「ただのクラスメイトだよ」
男子や女子に囲まれて、勇也が近づいて来た。先ほど爽平をからかっていた女子高校生が再びからかいだした。
「伊藤爽平君、そのかわいらしいお友だちを私たちに紹介してくれないかしら」
とても嫌そうに爽平は陽子を紹介した。
「彼女は二条陽子さんだよ。去年まで学習院にいたけど、知らないの? たまたま昨日再会してここで遊んでいるのだけど」
「そうなの!」と女子高校生はわざとらしく手を叩き驚きの声を上げた。「私は外部生だから中等部には詳しくないのよねえ。でもでも、今は別の高校なのに今でも二人はずいぶんと仲が良さそうなのね。うらやましいわ。はじめまして、私は斉藤遙香です。伊藤君のクラスメイトで彼のお友だちよ」
「はじめまして、斉藤さん」と陽子は微笑んだ。「二条陽子です」
「二条さんね」と言うと、遙香は首をかしげた。「どこかで聞いたことがあるような気がするけど初対面よね」
「初対面ですね」と陽子は再び微笑んだ。
「遙香、あまり失礼なことは言わないほうがいいよ」
集団が割れて、美少年が近づいてきた。
彼は座っている二人のとなりにひざをつくと、陽子の顔を覗きこんだ。ここにいる女子高校生が本当に二条陽子であるか確認しているようだった。何をしているの、という猜疑心に満ちた顔で陽子を見ていた。
「陽子さんですよね」と勇也は訊ねた。
「はい、二条陽子です」と陽子は答えた。「大鳥重工創業家の大鳥勇也君ね。こうして会うのは久しぶりかしら」
「このようなところで何を?」と勇也はあきれた顔をして訊ねた。「昨日、陽子さんが拉致されたという噂を聞きましたけど」
陽子はさっと手を振った。
「私、今日はカードゲームを楽しんでいるの。秘密ね」
「なるほど」と勇也は状況を整理している顔をした。
陽子は勇也に微笑みながら言った。「せっかくですから、アマテラスカードのお相手をしていただいてもよろしいかしら?」
爽平が慌てて止めた。
「いや、陽子さんでは無理だから」
「どうして?」と陽子は首をかしげた。「大鳥勇也君は強いの?」
先ほどまで爽平の女友だちと侮られていた陽子だったが、勇也とのやりとりから普通の女子高校生ではなさそうだぞと彼の取り巻きたちから思われはじめていた。どうやら学習院出身であるだけではなく、名のある家の令嬢のようだ。
しかし、陽子の「大鳥勇也君は強いの?」という台詞が、勇也を崇拝する彼らの感情に火を点けてしまったようである。
「言っておきますけど」と遙香が言った。「勇也君は、去年のジュニアユースの日本全国大会の優勝者ですからね。ちなみに、爽平君は勇也君に負けているから」
「それだけではないわ」と別の女子高校生が続いた。「勇也君は木星の大会にも出ていた特別な高校生なのよ。どこにでもいるような高校生ではないの。はっきり言うと、あなたたちとは存在の次元が違うのよ」
なるほど、と陽子は手を打って爽平を見た。爽平は悔しそうにしていた。
「安心して、爽平君。私が仇を取ってあげるわ」
「陽子さんは弱いよね」と爽平はうらめしげに言った。「絶対に勝てないと思う」
男子たちは楽しそうに成り行きを見守っていた。陽子は勇也を手招きした。勇也はため息をついて陽子の前に座った。
「平安時代のカードを使ってくださいね」と陽子はにこりと笑った。
「それ以外は無理ですよ。機械処理なので」と勇也はデッキを取りだした。
「それと、お互いに楽にいきましょう」と陽子も自分のデッキを準備した。「今の私たちは普通の高校生で、ここは普通の高校生が楽しむところなのだから。社交界の目がないところで畏まっていてもしかたがないもの」
「分かりましたよ、陽子さん。それで約束してほしいけど、腹を立てないでくれないか。ここにいるのは本当に普通の高校生だから」
「見れば分かるわ」
コイントスを行った。勇也が硬貨を投げて、陽子が表を宣言した。勇也が手をあけて硬貨を見せると裏だった。勇也の先攻で対戦がはじまった。彼はカードを四枚墓地に送り『酒顚(しゆてん)童子(どうじ)』を召喚した。酒顚童子の攻撃力は一五〇だったが、着せ替え狐火と狐火の姫の効果を発動できれば突破できるはずだった。
しかし、陽子の攻撃は防がれた。五ターン目に、二枚目の酒顚童子が召喚されて攻撃力を二〇〇まで上げると、これで場は完全に制圧されてしまった。効果破壊が苦手な陽子の妖怪たちでは相手の布陣を突破できなかった。
結局、勇也のライフカードを一枚も破壊することができずに陽子は負けた。
「残念、負けてしまったわ」と陽子は肩をすくめた。
「まだ、はじめたばかりだね」と勇也はカードを仕舞った。「必要なカードが揃っていないから勝てなくてもあたりまえだな」
「慰めてくれて嬉しいわ」
陽子が笑顔で礼を言うと、勇也は立ちあがった。そして、爽平に向かってしっかりと陽子を護衛するようにと笑った。爽平は憎らしげに勇也を見た。勇也は彼の取り巻きたちと奥の部屋へと去っていった。
陽子たちも屋敷を出ることにした。外を歩きながら爽平は話しだした。
「勇也は木星地方でY・Fと戦ったことがあるんだ。人工知能のほうではなくて、彼女のオリジナルである人間のほうとね。それで、やつは自慢げなんだ。Y・Fが好きなぼくのことを本当は馬鹿にしているんだ」
陽子は爽平の卑屈さがおかしくなった。
「それで勇也君のことが嫌いなのね。嫉妬しているのね」
「いや、嫉妬しているわけではないけど」と爽平は口ごもった。
「分からないなら教えてあげるわ」と陽子は言った。「そういう感情のことを日本語で嫉妬と呼ぶのよ。嫉妬とは他人が持つ財産が自分にもあればいいと思うことだもの。本物のY・Fと会いたいのでしょう?」
爽平は赤くなった。陽子はやさしげな顔を爽平に向けた。
「さて、私はもっと遊びたいから相手をしてくれないかしら」