第35話 大黒天の日本神話
文字数 3,421文字
毎年、四月には春の狐祭りが行われている。小学生を対象とした行事で、そこにはトーナメントの優勝者と準優勝者も参加して、まだアマテラスカードをはじめたばかりの子どもたちの相手をするのだった。
小さな子どもたちの相手は名家出身の陽子には馴染みのことだったが、それは二条家の娘としてであり、今回のように選手として行事の主催者に協力するのははじめてだった。場所は平安時代の玉藻前が所有する鴨川でだった。
前日、大黒天と毘沙門天、そして玉藻前を交えて簡単な打ち合わせをした。もちろん準優勝者の爽平も参加していた。
決勝戦が終わり、さっそく陽子は爽平に手紙を送ったが返事がなかった。しかし、次の日になると元気を取り戻したらしく、また仲間に入れて欲しいと手紙が来た。江戸時代の屋敷にも顔を出すようになり、関係は元通りになった。
この狐祭りには毎年優勝者と準優勝者だけではなくて、Y・Fも参加する。そして、今年は陽子の案内役をしていたツララも参加することになった。他にも、陽子の知っている人工知能が多く催しに参加していた。
「当日は対戦も予定していますから、デッキを準備しておいてください」と玉藻前は陽子と爽平に言った。「もちろん、平安時代の制限内で」
陽子は平安時代で使うことのできるカードの一覧を思い浮かべた。いくつか、おもしろい構築が思い浮かんだ。
「陽子さん、きちんと手加減してくださいね」とY・Fが釘を刺した。
「心配しなくて大丈夫よ」と陽子は自信ありげに微笑んだ。
「心配になってきました」とツララが言った。
Y・Fは天照大神を使い、陽子のほうは狐火を使うことを伝えると、爽平は多様性を確保するために河童を使うと言いだした。爽平はランク戦では必ず玉藻前を使うが、それ以外では狐火すら使おうとはしなかった。本人が言うには、毎日狐ばかり見ていると重い神経症に冒されそうなのだという。
陽子は久しぶりに箱から狐火の姫を取り出した。二年前を思い出しながら、悪戯用を含めて合計六つのデッキを準備した。
狐祭りは、あっというまに終わった。
ツララとY・Fの悪い予感は的中した。陽子は本気を出して小学生たちを六ターン以内でライフカード全損に追いこんでいた。七人も泣かせてしまい、ツララは憤慨である。大黒天と毘沙門天はおもしろがって笑っていたが、それでツララはますます腹を立てた。ときどき私情に流されてしまうものの、ツララは真面目な案内役なのだ。
「おもしろかったわ」と陽子は満足げに言った。
「陽子さんは楽しんでいましたね」とツララは冷たく言った。「子どもたちは、たくさん泣いていましたけど。どちらが子どもなのか分かりません」
小学生たちが帰宅して、玉藻前の家来たちが片付けをはじめた。陽子や爽平も狐火たちの片付けを手伝った。机や椅子をウインドウ・パネルにある倉庫に仕舞い、子どもたちの忘れ物がないか川辺を歩き回った。
そして、休憩をしているときだった。陽子は大黒天が本を読んでいるのを見つけた。
「大黒天さん」と陽子は控えめな声で話しかけた。「もしよろしければ、私と対戦してくださいませんか?」
大黒天と毘沙門天、共に行動することが多い二人だが性格も仮想世界での役割もずいぶんと異なっていた。
毘沙門天は自由な人工知能だった。七福神は最高管理者としての役割を果たすために玉藻前やぬらりひょんのような特別な役割を与えられてはいない。しかし、それなりに役割分担が存在していて、大黒天は平安時代、弁財天が室町時代、恵比寿や寿老人、福禄寿が江戸時代と大正時代を担当していた。
弁財天は定期的に行事を開催することが多く、寿老人と福禄寿は秋から冬にかけて小学生たちを相手にすることが多かった。最高指導者である布袋尊ですら、大会の優勝者と対戦するという役目があった。しかし、毘沙門天は本当に自由な人工知能で、神出鬼没で告知なしに催しを開催したりする。
ただ、自由な分だけ対戦する機会が多いのも毘沙門天だった。
襲撃を受けたあの日から、毘沙門天は頻繁に陽子たちの屋敷に訪ねてきた。加奈や舞子の相手をしてくれることもあり、もちろん陽子も彼と対戦させてもらった。前回の対戦では毘沙門天の負担条件が重すぎたので、勝ったものの陽子は満足していなかった。そのため、ぜひ毘沙門天とは再戦してみたかったのだ。
しかし、大黒天との対戦はあの鉄鼠に負けたときの一戦だけだった。
大黒天は日頃から予定が詰まり忙しいのに加えて、いまだに逃げ続けているあの襲撃犯を布袋尊と共に追いかけているらしかった。そのため、陽子としては大黒天と対戦できる機会を逃したくなかったのだ。
「私、大黒天さんに零勝一敗なのです」と陽子は微笑んだ。「負けたままだと悔しいので再戦を希望します」
大黒天は目を丸くして、笑った。「いいだろう」
ツララが慌ててやってきた。しかし、事情を知ると悪戯な笑みを浮かべて審判を引き受けると言いだしたのだ。
「せっかくですから、制限なしで対戦しましょう」とツララは言った。「陽子さんと大黒天の本気の対戦ですね」
「制限なしというのは大正時代ということ?」と陽子は首をかしげた。
「いえ、江戸時代制限です。ランク戦では規制されているカードも使いましょう」とツララは笑顔で言った。「私の記憶によると、大黒天さんの本当の切り札も大正時代制限だと規制されてしまっているので」
大黒天にぼこぼこにされてしまえ、とツララが小さな声でつぶやいていた。爽平やY・Fだけではなく、玉藻前や狐火たちまで集まってきた。この場の全員が陽子と大黒天の対戦に興味津々のようだった。
「それでは三勝勝ち抜きで対戦をはじめます」とツララは言った。「なお、無制限なのでこの対戦はランク戦としては認められません」
コイントスが行われて、大黒天が先攻になった。
前回、陽子が対戦したときに大黒天は鉄鼠を使用した。しかし、彼が得意としているテーマは本来はY・Fと同じ日本神話だった。しかも、天照大神のような天つ神ではなく主に出雲系の神々を召喚して、強力な効果で攻めてくることが多い。
彼の切り札は大国主の名で有名な大己(おおなむ)貴(ちの)神(かみ)である。
先攻一ターン目、大黒天はカードを回しはじめた。奇妙な回し方だった。陽子は危険を感じて手札の林檎の雪娘で動きを止めようとした。しかし、かわされた。カードは回り続けるに従い効果で大己貴神の攻撃力が上がり続けている。
手札誘発の二枚目でも止められず、大己貴神の攻撃力が六〇〇にまで上昇した。先攻には戦闘フェイズはない。しかも、この攻撃力の上昇分はターンが終了すると元に戻る。
やはり狙いがあった。大黒天は軻遇突智命(かぐつちのみこと)を召喚すると、効果を発動して大己貴神を破壊して墓地に送った。効果は破壊して墓地に送った妖怪の攻撃力一〇〇につき、相手ライフカードを一枚破壊する。
大己貴神の攻撃力は六〇〇まで上がっていたので、ちょうど六枚が破壊されて陽子のライフカードは全損した。
「先攻一ターンキル、最低だ」と爽平がつぶやいた。
「思いあがった陽子さんには、ちょうどいい薬です」とツララが澄まし顔で言った。
二戦目がはじまった。陽子が先攻になり、大黒天の陣営を突破して勝利した。大黒天のデッキは効果ダメージに特化していると思ったが、そうでもなかった。殴り合いでも十分に強く、容易には突破できなかった。
三戦目は一戦目と同じように先攻一ターンキルで陽子は何もできないまま負けた。四戦目は陽子の勝ち、そして勝敗を決する五戦目がやってきた。
大黒天が舌打ちした。どうやら、手札が揃わなかったようだ。
結果、三勝二敗で陽子の勝ちだった。陽子はぐったりと疲れてしまった。相手がカードに触れる前に勝負を決めるなど、大黒天という男は陽子など足下にも及ばないほど極悪非道なカードプレイヤーだった。
「勉強させていただきました」と陽子は礼を言った。
「こちらこそ、楽しかった」と大黒天は笑った。「相手に手札誘発があっても、およそ四〇パーセントの確率で成功するのだが」
陽子はツララを睨んだが、ツララは楽しげに口笛を吹いていた。