第12話 はじまりの日

文字数 3,421文字

 仮想世界での出来事を話した次の日、加奈は即座にアマテラスワールドに登録してカードを集めはじめた。陽子が八岐大蛇と狐火を使っていることを知ると、加奈は攻略サイトで環境を調べてぬらりひょんを切り札にすることに決めたようだった。
 ぬらりひょんは老人の姿をした頭の大きな妖怪である。刀を差した武士姿で、妖怪たちを指導するぬらりくらりとした妖怪だそうだ。攻撃力一二五の下級妖怪であり、召喚するときには場の妖怪三体を墓地に送るという召喚条件が設定されている。正体不明だが、日本では人気がある妖怪だそうだ。
 ぬらりひょん自身を含めて、召喚に必要な手札の枚数が合計四枚であるということは、ぬらりひょんが玉藻前と同じステージ四に分類されることを示している。召喚が成功するまでに失われる手札が四枚なのでステージ四だ。
 しかし、玉藻前が上級妖怪に変化することで打点を挙げていくのにたいして、ぬらりひょんは効果による不意打ちを得意としていた。効果は二つあり、一つ目は特殊召喚に成功したときに相手妖怪一体を破壊する、二つ目は手札三枚を捨てて相手の伏せたカードをすべて破壊するというものだった。
「加奈、どうしてぬらりひょんを選んだの?」と陽子は訊ねた。
「人気があるみたいだったから」と加奈は即答した。「後のことを考えると、人気のないテーマは選ばないほうがいいと思うの。カードの種類も少ないし、いざというときに冷遇される可能性もあるわ」
「加奈は感情で行動したりしないの?」
「理性は感情の一種よ」  
 加奈はエメラルドグリーンの華やかな着物を着ていた。はじめてアマテラスワールドに接続したプレイヤーのアバターは自動的に生成されるのだが、加奈のアバターは明るい茶髪に緑の宝石が散りばめられた豪華なかんざしが挿してあった。どうやら、彼女はこの仮想世界に愛されているようだ。
「それに」と加奈は続けた。「今の陽子は狐火だけど、いずれは玉藻前を切り札として使うつもりなのでしょう。それなら似たような傾向のカードを使っているほうが、お互いに協力できると思わない?」
 陽子はツララに加奈を紹介して、それから三人で玉藻前の屋敷に向かった。
「そういえば、爽平君は何をしているのかしら?」
 屋敷の門をくぐると、陽子はつぶやいた。
「爽平君というのは陽子が話してくれた男の子?」
「そう、カードゲームが好きな男の子」と陽子はウインドウ・パネルを開いた。「頼み事をしていたのだけど、覚えてくれているかしら」
 大黒天と対戦をした後で、陽子はツララと爽平にすべてを話した。自分が国際共産党の人工知能に軟禁されていること、そして木星地方にいたときにカードゲームを通して日本皇国の人工知能と親しくしていたことなどをすべて。爽平は顔を青くしたが、すぐに顔を赤くして使命感に燃えだしたようだ。
「陽子さん、ぼくにできることはない?」
「ありがとう。なら、調べて欲しい人工知能がいるの」と陽子は爽平に言った。「大黒天が最高管理者ならば、彼の仲間だった他の二人も同じだと思う。毘沙門天と弁財天について調べてくれないかしら」
「毘沙門天と弁財天?」と爽平はまゆをひそめた。
「WCGでは三人の人工知能が日本代表チームをサポートしていたわ」と陽子は木星でのことを説明した。「個人的にはそれほど深い付き合いはなかったけど、二人とも皇国出身の人工知能だったはずよ。彼らの評判を知りたいわ」
「分かった。できるだけ調べてみる」
「頼むわ」
 現実世界に戻り、相手が中央委員会の星月紅だと分かるとそれも伝えた。昨日、爽平から一通の手紙が来ただけで今日はまだ連絡がなかった。
 しかし、玉藻前の屋敷に入ったときに爽平から手紙が来て、玉藻前と話をしているところだから陽子さんにも来てほしいと書かれていた。三人は狐火の青年に頼んで、玉藻前がいる部屋まで案内してもらった。
 絢爛豪華な部屋だった。赤い柱には金龍の彫刻が彫られてあり、木星の中国地区にある豪邸に似ていた。正面には三十七、八歳ほどの女性が座っていた。彼女こそが屋敷の主人、仮想世界の管理者としての玉藻前だった。玉藻前は女主人らしく家来を従えて、一段高いところにある椅子に腰かけていた。
 彼女の隣には爽平もいた。陽子を見ると嬉しそうな笑顔を浮かべたが、加奈の存在に気がついて表情がこわばった。陽子は中学生のときを思いだした。実際のところ、陽子よりも加奈の方が学習院では恐れられていた。陽子は女王の椅子に座っていただけで、実際にグループを統括していたのは加奈なのだ。
「あなたが二条家の娘ですね」と玉藻前が興味深そうな顔をして陽子に訊ねた。
「はい、私が二条陽子です」と陽子は答えた。「お会いできて光栄です」
「伊藤様から話は聞いています」と玉藻前は言った。「二条様は毘沙門天と弁財天に興味があるということですが。党から何か言われましたか?」
「星月紅同志から手紙をいただきました」
「そうですか」
 玉藻前は目を細めたが、すぐに微笑んだ。
「分かりました」と玉藻前は鈴が鳴るような声で言った。「布袋尊から便宜をはかるように頼まれています。国際共産党が私たちの世界を警戒しているとは思えません。たとえ、あの三人が今も日本皇国のために働いているとしても」
 陽子は疑問に思っていたことを訊ねた。「皇国人が仮想世界の最高管理者であるというのは問題にはならないのですか?」
「どのような問題ですか?」と玉藻前は首をかしげた。「確かに、八惑星連邦はマルクス主義者たちに指導されています。しかし、それは太陽系のさまざまな宗教、思想、価値観の調整役としてふさわしいのは特定の信条から自由であり、また科学を何よりも重んじる科学主義者でなければならないという理念によるものです。マルクス主義というのは国民道徳ではなく、ただ国際共産党の方針にすぎません」
 陽子は息を呑んだ。冷静に思い返してみれば、これまで陽子は国際共産党に近い位置にいる大人たちとしか会ってこなかった。このように党から離れた位置にいる大人から政治の話を聞くのははじめてだった。
「鋼の国際共産党と多彩な八惑星連邦社会」と玉藻前は党規約を引用した。「指導者には指導者に求められるべき資質があります。しかし、指導者に求められる資質は、ただ指導者に求められるべき資質であるにすぎません。それが民主主義の基本です。八惑星連邦にはイスラム教徒も仏教徒も暮らしています」
「護国主義者も」と陽子は言った。
「もちろん、護国主義者も」と玉藻前は再び微笑んだ。「社会で暮らすすべての人々がマルクスとエンゲルスの教えを信じる必要はありませんし、それは好ましいことでもありません。物理学も医学も中立ではなく、科学はプロレタリア・イデオロギーと呼ばれる特定の立場にすぎないというのは真実です。そして資本論が示唆しているように、社会の豊かさというのは多様性のみにより実現されます。すべての人が同じ労働をするのではなく、自分の得意な労働をすることが科学文明のはじまりなのです」
 陽子は星月紅が残した手紙を思いだした。
「私は、すべての七福神と会うようにと言われています」
「期限は決められているのですか?」と玉藻前は訊ねた。
「特には」と陽子は答えた。「ただ、私は同志の意図を計りかねています。星月紅同志はとらえがたい方ですので」
 玉藻前は扇で口元を隠して声を立てて笑った。「それでは、彼らとつきあうこつを教えてさしあげましょう。気楽に楽しむことです。深く考えることは時間の無駄です。煙が高いところが好きなのは真実ですので」
 陽子はあまりの暴言にぽかんとしてしまった。
 彼女が長い指を振ると、陽子たちの前にウインドウ・パネルが開いた。確認すると、夏に開催される催しのようだった。
「私からも手紙を書きましょう」と玉藻前が言った。「ここへ行けば弁財天とも会うこともできるでしょう」
「ありがとうございます」と陽子は礼を言った。
「惑星間革命は、その敗者だけではなく勝者にも悲しみを残しています」と玉藻前が真剣な顔をして言った。「革命は敗者のみならず勝者にも多くの犠牲を強いました。八惑星連邦は日本の護国主義者を倒しましたが、勝者にもやりきれぬ思いを持つ者が少なくありません」
「それは星月紅同志のことですか?」
 陽子の問いに、玉藻前は答えなかった。ただ、彼女は爛々と目を輝かせて陽子の顔を見つめていたのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

【二条陽子】淑景館の令嬢。勉強も運動も完璧で、中学時代は学園の女王として恐れられていた。高校一年生の時に謎の人工知能に軟禁されて、それが理由でアマテラスカードをはじめる。七福神の全員と出会うように星月紅から言われているが、彼女には何か秘密があるようだ。切り札は玉藻前。

【北原加奈】陽子の親友。幼い頃に淑景館に出入りしていたことで陽子と運命の出会いを果たす。陽子と同じ高校に進学してからも友情は続き、彼女から絶大な信頼を得ている。切り札はぬらりひょん。

【伊藤爽平】仮想世界アマテラスワールドで陽子が出会った少年。アマテラスカードに詳しくない陽子にいろいろなことを教えてくれる。天狗や火車、さまざまな妖怪を使いこなすが真の切り札は別にあるらしい。陽子のことが好き。

【大鳥勇也】財閥の御曹司で、陽子の幼馴染み。ユースランキング一位の実力者で、彼を慕う多くの取り巻きと行動している。伊藤爽平の好敵手だが、今のところ常に勇也が勝っているようだ。切り札は酒顚童子。

【ツララ】陽子の案内役の雪女。アマテラスワールドで生まれた原住民と呼ばれる人工知能で、陽子がアマテラスワールドで迷わないように助けてくれる。最高管理者である七福神に良い印象を持っていないようだが。

【Y・F】内裏にいる狐の面を着けた少女の人工知能。伊藤爽平と仲良しで、よく彼から遊んでもらっている。切り札は天照大神。

【伊藤舞子】爽平の妹。陽子に憧れてアマテラスカードをはじめたが、向いていないようだ。

【星月紅】八惑星連邦の指導者の一人で、太陽系の支配者。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み