第21話 江戸時代
文字数 3,193文字
「陽子、もっと勉強しましょうね」と加奈は言った。
「十分でしょう」と陽子はすねた。「でも、加奈の意見は正しいわ。成績が落ちているのは間違いないしね」
陽子がY・Fのアバターを借りて対戦をしてから、もう四ヶ月が過ぎていた。あの日から陽子は変わったようだった。以前はまれに人前で乱暴になることもあったが、彼女が闘争心を仮想世界に閉じ込めてしまったためか、高校ではお淑やかなお嬢様を完璧に演じることができるようになっていた。
とはいえ、それだけアマテラスワールドでは凶暴性が増したのも確かであり、八月から陽子は多くのプレイヤーを倒し続けていたのだった。ランクを上げ続け、二日前にとうとう江戸時代に到着していた。
はじめて五ヶ月でほぼ最終地点の江戸時代。この陽子の熱中ぶりに加奈はすっかりとあきれていたのだった。
「陽子さんは素晴らしい友人をお持ちです。学問の軽視は人生の軽視に繋がる恐るべき悪徳だと私は思います」
そして、ツララも加奈と同じ意見なのだった。
日本マイケル・ファラデー工科附属高校は人生を学問に捧げて、永遠に独身を守ること確実な男女の集まりなのだから今の成績でも恥ずかしくなく、むしろ優秀すぎるくらいだと陽子は説得したが無駄だった。
とはいえ、ツララが陽子に冷たいのはただ高校の成績が問題なのではなくて、本当は別の理由があったのだった。Y・Fである。
豪華客船の催し以降、陽子はY・Fと親密になった。
それまではデッキを構築したり作戦を立てたりするときはツララに相談していた。ところが八月になるとY・Fに相談することが多くなり、それがツララはおもしろくないのだった。管理者であるY・Fへの妬みもあって、とうとうツララは感情を爆発させてしまい、陽子さんは私との友情を忘れてしまいました、陽子さんは浮気者です人工知能を地位で差別する差別主義者ですと泣いてしまった。
Y・Fへの反発も大きくなり、ツララは彼女を嫉妬に満ちた視線で見つめては乱暴な言葉を使いはじめた。とはいえ、陽子がツララと二人だけの時間を作り、Y・Fからの歩み寄りもあって今では二人は仲良しになった。
もっとも、このときの恨みをツララは忘れていなかった。それまでは陽子をすべてにおいて肯定していたが、最近はこうして逆らうようになったのだ。
さて、この日も陽子はツララと二人で江戸の有名な甘味処に来ていた。ツララは江戸時代出身の人工知能らしく、この世界で暮らす人工知能たちの生活に詳しかった。町外れにある甘味所に陽子を案内すると、ツララは妖精から陽子と同じ人間の大きさになり、大好きなみたらし団子を注文した。
「そういえば」と団子を口にしながら陽子は訊ねた。「ツララは、いつから私がY・Fであることを知っていたの?」
「はじめからですよ」とツララは湯飲み茶碗を両手で持ちながら答えた。何を当然のことをという感じだった。「布袋尊から村に手紙が来たのです。あのY・Fがアマテラスワールドに来るらしいから担当しないかと」
「そうなのね」と陽子はため息をついた。「弱すぎて驚いたでしょう」
「時間は技術を失わせます」とツララは言った。「しかし、技術を身につける技術は失われることはありません。すぐに強くなると思っていました」
「星月紅同志は私がY・Fだからこの世界に呼んだのかしら。てっきり、淑景館の令嬢だから呼ばれたと思ったけど」
「さあ、高貴な人の考えることは私には分かりませんので」
二人で談笑をしていると、Y・Fがやってきた。慌てて駆けてきて、陽子とツララの前でぺこりと頭を下げた。
「それでは全員が揃ったことなので、今後の方針を話し合いましょう」
陽子は恵比寿に会う予定であることを二人に告げた。
とはいえ、彼に会うまで時間がかかりそうだった。弁財天に手紙を書いてもらったが、特定の選手を特別扱いはできないと言われて、会いたければ正規の方法で江戸時代まで進み対戦しに来いと返事が返ってきたのだ。
星月紅の名前を出したものの、彼には星月紅と国際共産党の権威も、有名なY・Fの肩書きも関係ないようだった。
「とはいえ、恵比寿の考えは公平なものよ」と陽子は言った。「というわけで、私たちは北の国へ向かいます」
「なるほど、理解できました」とツララは目をそらした。
「そして、もうひとつ目的があるの」と陽子はツララの顔を見た。「私、ツララの故郷を訪ねてみたいの」
ツララは絶対に駄目だという顔をしていた。目を泳がせたり、うじうじしたりして陽子に自分が嫌がっていることを訴えた。
平安時代、室町時代とは異なり江戸時代は関東が中心である。現実世界においては、江戸時代は徳川家康が江戸幕府を樹立した十七世紀からはじまる。ヨーロッパの自由主義者が旧世界を見捨ててアメリカ大陸で新しい国を開いたように、とうとう将軍と武士たちは天皇を京都に残して東日本に脱出してしまったのだ。そして、それから二百年以上も続くことになる平和な時代が訪れたのである。
江戸時代はアマテラスワールドの中心だった。平安時代と室町時代、そして大正時代を合わせたよりも広く、その広さは地球に存在する日本列島とほぼ同じだった。江戸城には布袋尊が征夷大将軍に任命したぬらりひょんが住んでおり、他にも多くの管理者たちが城と屋敷を拠点にしてカードプレイヤーを待っていた。
恵比寿もその一人だった。彼は仙台城におり、挑戦するには東北地方にある村を回り九枚の挑戦許可書を手に入れる必要がある。
「陽子さん、東北には多くの村があります」とツララは回避しようとした。
「確かに憶えきれないほど村があるわね」と陽子は笑った。「でも、札を手に入れることができるのは三十三箇所でしょう」
「つまり、他に三十二箇所あるということです」
陽子は笑顔で言った。「ツララ、私は雪女の村に行きたいの」
ツララが嫌がっているのを見ても、陽子の決心は揺るがなかった。ツララの性格から何を嫌がっているのか陽子は理解していた。ツララは自分の都会的なところだけを見せたがるところがあるので、陽子に田舎にある自分の家族を見られるのが嫌なだけなのだと彼女は残念なことに見抜いていたのである。
そして、陽子はぜひツララの家族に会いたいのである。この好奇心旺盛な娘は他人の家庭を見るのが好きという困った趣味があるのだ。
「ツララさん」とY・Fがツララに声をかけた。ツララが、どうせこの女はカードゲーム以外のことは興味もないし何も分からないだろうという軽蔑の視線をY・Fに向けた。「陽子さんはツララさんに意地悪をしたいわけではなくて、ただ本当に雪女の村に用事があるのです。陽子さんの目的はこれですよね」
Y・Fは一枚のカードを取りだした。取りだしたのは無花果(いちじく)の雪娘、攻撃力はゼロで効果は攻撃力四〇以下の相手カードの効果が発動したときに、手札から捨ててその発動を無効にするというものだった。
「その通りよ」と陽子は笑顔で嘘をついた。
「ツララさんのほうが詳しいと思いますが」とY・Fは言った。「手札誘発はこれから陽子さんが戦い続けるためには不可欠のカードです。そして、雪女には他のテーマでも使える優秀な手札誘発が数多くあります」
「分かりました」とツララは諦めてため息をついた。
「それでは、もう一つ」と陽子は言った。
「次は何ですか」とツララは恨めしげに言った。
「久しぶりに、爽平君を呼ぼうと思うの」と陽子は言った。「彼、最近は顔を見ていなかったから会いたいわ」