第19話 現実世界

文字数 4,027文字

 この日、淑景館は朝から慌ただしかった。
 十日ほど前から近衛家の令嬢がUCPから戻ってきており、今日は彼らを招いて舞踏会を開く予定だったのだ。そればかりか、徳川家も来るということで召使いたちは緊張していた。厨房ではシェフが気合いを入れており、日頃は穏やかに安楽椅子で揺られている女中頭も、今日は笑顔ひとつ見せずに階段の手すりや彫刻の裏などを念入りに指で撫でて調べていた。
 そして、緊張しているのは陽子も同じだった。あの近衛家の高貴な令嬢、法子が来るということで、この日はさすがの陽子もアマテラスワールドに一度も接続することなく、自分は彼女の前で恥ずかしくない振る舞いができるだろうかと不安になっていた。最近は変わり者と多くつきあっているせいで何か変なくせでもついているかもしれない。そう思うと、とても気が休まるものではなかった。
 近衛法子は陽子の五つ年上の女性だった。近衛家は五摂家のまとめ役で、木星地方にいた頃は陽子も彼女たちの屋敷で暮らしていた。
 陽子には年の離れた兄が二人いたが、彼らは気楽な旅人で太陽系を飛び回り、しかも木星に来たことは一度もなかった。そのため、生まれたときから遊び相手になってくれた法子こそが陽子には実の姉のような存在であり、そして敬愛の相手だった。陽子にエンジェル&サイエンスを教えたのも彼女だった。
 十七時になり、淑景館に招待客が集まりはじめた。
 陽子は金の刺繍が施された白いサテンのドレスに着替えた。黒髪に銘のある輝くばかりの金細工の髪飾りを着けて会場に向かった。すでに料理が運びこまれており、給仕の人型ロボットたちが働きまわっていた。陽子は両親を見つけた。彼らも陽子に気がついたようで、笑顔を浮かべて手招きをした。
「今日は驚くべき人が来るかもしれない」
 大広間には大鳥勇也もいた。そして同じ高校生の二人、徳川家の御曹司玲治、そして赤いチャイナドレスを着た中国人の令嬢レイ・リーファ(雷麗華)も淑景館の主の招きに応じて、家族と共に参加してくれたのだった。三人は楽しそうに映画について話していた。陽子は彼らに混じり法子を待つことにした。
 そして、とうとう法子が召使いを引き連れて会場に入ってきた。
 法子は美しい女性に成長していた。淡いラベンダー色のドレスを着て、笑顔で会場の重要人物たちに挨拶をしていた。小柄だったが、堂々としていて華やかさがあった。胸には金に輝く槌と鎌の徽章があった。それは彼女が国際共産党の党員であることを示していた。「とうとう女王様の登場ね」とリーファが皮肉を言うと玲治と勇也が笑った。
 しかし、陽子は法子ではなく彼女の後に入場してきた二人の男性に目を奪われた。
 二人の男性は燕尾服を着て、乗馬にも使えそうな大きな馬型ロボットを伴っていた。一通り挨拶を終えると、法子は二人に軽蔑の眼差しを向けたが、二人は女王様のいらだたしげな視線をむしろ楽しんでいるようだった。男性の片方が陽子を発見して、もう一人を小突いた。小突かれた男性が笑みを浮かべた。
 二人は陽子たちのテーブルまで歩いて来た。遠くから見たときは確信がなかったが、近くで見ると彼らの正体がはっきりと分かった。
 二人に会うのははじめてだが写真では見たことがあった。
「こういうときは、はじめましてが適切な挨拶なのかな」と片方が言った。「手紙でのやりとりがあったから初対面とは思えないけどね」
「兄ですか?」と陽子はおずおずと訊ねた。
「その通りです」と一番目の兄、二条隆一がおどけて答えた。「そして、彼が翔次でもちろん彼も君のお兄さんだよ」
 法子がやってきた。二条家の兄弟が連れてきた、赤、青、紫の三つの目を持つ真鍮仕上げの馬型ロボットに敵意に満ちた視線を向けると、腰に手を当てて、上機嫌に笑っている男性二人に文句を言った。
「本当に信じられない。あなたたちはここに何をしに来たの?」
「今日の目玉にと思ってね」と翔次が両手を広げた。「いちおう、ぼくたちも二条家として招く立場だから楽しみを用意しておこうと」
「あなたたち二人をアメリカ合衆国に留学させたのは両親の完全な失敗ね」と法子が首をふりながら言った。「イギリスかドイツに送るべきだったわ。そうしたら、少なくとも紳士的な振る舞いくらいはできるようになったでしょうに。念のために確認するけど、あなたたち国籍は八惑星連邦よね」
「ぎりぎりね」
「信じられない」
 陽子たち高校生四人は、この大人たちのやりとりに飲まれてしまった。リーファが興味深そうに陽子の兄たちを見ていた。玲治と勇也は、お互いに目配せをして通りかかった給仕に飲み物の注文をした。二条隆一と翔次は法子をからかいながら、まだ若い三人の高校生たちにも声をかけ、ときどき陽子に笑顔を向けた。
「本当に憎らしい。鳥の餌にしてやりたいわ」
 とうとう我慢ができなくなった法子は怒って陽子の手を取ると、そのまま彼女をバルコニーまで連れていってしまった。陽子は久しぶりに法子に手を引かれながら、懐かしさを感じて緊張が解けていくのを感じた。
 バルコニーには大理石のライオンの彫刻があり、微かに風が吹いていた。
「あきれてしまったでしょう」と法子が眉をひそめながら言った。「あの二人、いつもああいう感じなのよ。UCPで確かな地位を築いたという話を聞いていたから、それなりの憧れがあったのだけど。でも、実際に会うとまるで子ども。二条家の長男と次男とはとても思えないわ。端的に表現すると日本の恥ね」
「でも、お父さまは兄を次期当主にするつもりのようですよ」と陽子は笑った。
「あなたのお父さんも破滅的だから」と法子はため息をついた。「でも、そういうのも大切なのかもしれないわね。時代は変わり真実は変化する。誰もが同じ生き方をするのが、もっとも危険な状況だもの」
 陽子は海王星での出来事を法子に話した。加奈という友だちができたこと、最近はマリア・カラスの歌劇を聴いていること、聖書は今でもときどき読んでいるが以前よりもずっと読む時間は少なくなり教会には行かなくなったこと。
 法子は微笑みながら陽子の話を聞いていた。そして、自然な感じで陽子に訊ねた。
「あなた、星月紅同志に課題を与えられたそうね」
 陽子は顔を赤くした。高校生なのに、まだカードゲームを続けていることを知られて恥ずかしいと思ったのだ。しかし、法子の声にはからかいはなく、もっと真剣な話をしようとしていることを陽子は感じとった。
 陽子は頷いた。法子は夜の東京の街を見ながらため息をついた。
「あなたには、こちら側に来てほしいものだわ」
「自由に生きていいのよ、とは仰ってはくださらないのですね」と陽子は夜景を見ながらすねたふりをした。「それはひどくありません」
「あなたたちは言葉を字面通りに解釈するでしょう。自由にしていいのよと言えば、本当に自由になって翼を広げて」と法子はあきれて首を振った。「そして、大空高く宇宙の果てまで舞いあがるのだわ。陽子、あなたは他の人たちよりは優等生だけれど、それでも信用できないと私は思うようになったわけ」
「私は立派な淑女になります」
「カードゲームをしながら?」
 陽子は慌てた。しかし、腹が立ってきたので法子に反撃した。
「でも、私をY・Fにしたのは法子お姉さまですよね」と陽子は言った。「それにアマテラスカードは中央委員会の星月紅同志の要望によるものです。私は哀れな被害者であり、そして彼女に嵌められたのです」
 陽子がほほを膨らませるのを見て、法子はおかしそうに笑った。そして、またすぐに真剣な顔に戻った。
「今だから告白するけど、私は陽子が怖かった時期があるのよ」
「何の話ですか?」と陽子は眉をひそめた。
「あなたが小学生で私が高校生だったときの話」と法子は言った。「だって、あなた滅茶苦茶に強いのだもの。大人が参加する大会で何回優勝したの? インターナショナルの人たちは愕然としていたわよ」
「天照大神が強かったのです」と陽子は澄まして言った。
「はじめはね。でも、最後はそうではなかったわ」と法子はあきれ顔だった。「私、いつも社交界で外国人からからかわれていたのよ。あれは日本の遺伝子工学が生みだした最先端の怪物か何かですかねえ、大日本帝国再建も夢ではありませんなあ、みたいな感じでね。私、いつも彼らに言ってさしあげたわ。とても残念なことですが、日本にそれほどの技術はありません。彼女は普通の人間なのです、とね」
「私は普通の人間です」
「私も、それを疑ったことがあるのよ。だって、あなたは集中すると超常的な何か別の生き物になるのだもの」
 陽子は戸惑ってしまった。
 法子という存在は、陽子にとって、ただ姉のような存在というだけではなくて神のような存在でもあった。木星の白鴎館で暮らしていたときは、ただ彼女の言葉を信じて彼女の後ろを歩けば間違いがないのだと陽子は信じていた。法子が教会に行けば教会へ行き。法子がカードで遊べば陽子もカードで遊んだ。
 有名な洋食器を集め、ダンスを学び、法子のすることを何でもまねしていた。それが正しいと信じて生きていた。
 しかし、久しぶりに出会うと法子は気さくな感じだった。神ではなく、陽子と同じように考え同じように感じる普通の若い女性に思われた。
「私も久しぶりにカードゲームをしてみようかしら」と法子は言った。
「いつ冥王星に戻る予定ですか?」と陽子は訊ねた。
「八月末には戻るわよ」と法子は答えた。「あなた、人工知能と戦うのでしょう。私も応援していいかしら」
「もう私は強くはありません」と陽子は言った。
「知っているわ。あなたがカードゲームから離れていたことは」と法子は笑った。「それでもあなたなら勝てると思うけど。Y・Fのことは私たちが一番よく知っているわ。どれほど弱くなっていたとしても、海王星の人工知能くらいには勝てるでしょう。むしろ、負けるところを見てみたいくらい」
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登場人物紹介

【二条陽子】淑景館の令嬢。勉強も運動も完璧で、中学時代は学園の女王として恐れられていた。高校一年生の時に謎の人工知能に軟禁されて、それが理由でアマテラスカードをはじめる。七福神の全員と出会うように星月紅から言われているが、彼女には何か秘密があるようだ。切り札は玉藻前。

【北原加奈】陽子の親友。幼い頃に淑景館に出入りしていたことで陽子と運命の出会いを果たす。陽子と同じ高校に進学してからも友情は続き、彼女から絶大な信頼を得ている。切り札はぬらりひょん。

【伊藤爽平】仮想世界アマテラスワールドで陽子が出会った少年。アマテラスカードに詳しくない陽子にいろいろなことを教えてくれる。天狗や火車、さまざまな妖怪を使いこなすが真の切り札は別にあるらしい。陽子のことが好き。

【大鳥勇也】財閥の御曹司で、陽子の幼馴染み。ユースランキング一位の実力者で、彼を慕う多くの取り巻きと行動している。伊藤爽平の好敵手だが、今のところ常に勇也が勝っているようだ。切り札は酒顚童子。

【ツララ】陽子の案内役の雪女。アマテラスワールドで生まれた原住民と呼ばれる人工知能で、陽子がアマテラスワールドで迷わないように助けてくれる。最高管理者である七福神に良い印象を持っていないようだが。

【Y・F】内裏にいる狐の面を着けた少女の人工知能。伊藤爽平と仲良しで、よく彼から遊んでもらっている。切り札は天照大神。

【伊藤舞子】爽平の妹。陽子に憧れてアマテラスカードをはじめたが、向いていないようだ。

【星月紅】八惑星連邦の指導者の一人で、太陽系の支配者。

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