第30話 寿老人と福禄寿
文字数 3,862文字
朝起きて、携帯電話に二人の名前が見えたときに陽子は怖くなった。手紙を開くとただの祝いの手紙ではないことが分かった。加奈が寮の部屋に迎えに来たときに、どれほど陽子は彼女の存在をありがたく思ったことだろう。
陽子は寿老人と福禄寿からお茶に誘われたことを彼女に伝えた。陽子の予想に反して、加奈はうらやましそうだった。私も会ってみたいなあと口にした。
「本当に?」と陽子は怪訝な顔をして訊ねた。
「だって、二人は日本の英雄でしょう」と加奈は首をかしげた。「日本では星月紅同志よりも有名で人気があるのだから、普通に憧れると思うけど」
「本物よ」
「それがどうかしたの?」
彼らの手紙に友人と来ても良いと書かれていたことを伝えると、加奈の顔が明るく輝いた。陽子が眉をひそめると、きょとんとした顔をして、陽子が抱いている恐怖を加奈は欠片も共有していないようだった。
とはいえ、独りで彼らに会う勇気がなかった陽子としては、寿老人と福禄寿に会うことを楽しみにしている加奈の存在は心強かった。
爽平君も誘おうかしら、と陽子がつぶやくと加奈としては珍しくすぐに同意した。
「こういうことは、みんなで共有しましょう」
爽平も寿老人と福禄寿に会ったことはないようだった。彼は喜んで陽子の誘いを受けると、舞子を同行させる許可まで求めた。
陽子はあぜんとしていた。しかし、ツララとY・Fは誘うと逃げた。人間が三人も寿老人と福禄寿に喜々として会いたがっているので、陽子は自分の感覚がおかしいのかと思ったが人工知能の二人が逃げたことで安心した。寿老人と福禄寿は、やはり恐ろしくて逃げるという選択枠を考えてしまう相手なのだ。
こうして、土曜日、四人は大正時代の洋館に招かれたのだった。
洋館の門には二人の女中がおり、陽子たちはトナカイの首の剥製が飾られた、広い窓のある厳かな洋間に通された。赤々と火が灯る暖炉があり、大理石のマントルピースには七福神のかわいらしい陶器人形が七体並んでいた。ロマン主義時代の荒々しい海の絵のとなりに、ピカソの絵が飾られていた。天井から虹色に輝くシャンデリアがつり下げられている。統一感があるのか判断が難しい部屋だった。
プッチーニの『蝶々夫人』が流れていた。紅茶を飲みながら待っていると、二人の似た外見をした老人が獣と鳥を連れて部屋に入ってきた。
寿老人と福禄寿だった。
二人とも巨木のようで、陽子は自分たちが小人になったように感じた。似てはいるものの二人にはそれぞれに個性があった。寿老人は頭が長く、手には巻物を付けた杖を持っており、腰には黒いうちわを提げていた。彼が連れている獣は鹿で、古い樹木の枝のように広がる立派な角が生えていた。
福禄寿も巻物を付けた杖を持っていたが、彼が連れている動物は白い鶴だった。寿老人よりも頭が大きく、また寿老人と異なり帽子を被っていなかった。鶴は自然界の鶴よりも少なくとも一回りは大きかった。鋭い目が陽子たちを見下ろしていた。
丁寧な挨拶が交わされた。そして、陽子にとっては意外なことに、この二人とアマテラスカードの対戦を行うことになった。「せっかくですから少し変わった形式にしましょうか」と寿老人が言うと、窓のあるとなりの明るい対戦部屋に行き、硝子のテーブルを囲んで二対二のチーム戦を行うことになった。
チーム戦は二人一組になり二つの陣営に分かれて、四つのデッキで対戦する形式である。陽子と爽平、そして寿老人と福禄寿でチームを組んだ。アマテラスカードを見て陽子の気持ちが落ちついてきた。
「私は玉藻前デッキを使うわ」と陽子は爽平にささやいた。「爽平君も、玉藻前を使ってくれてもいいのよ」
「いや、大蛇を使う。援護するよ」
爽平はウインドウ・パネルを開いて素早くカードを選びはじめた。そして、デッキを見せて簡単な戦略を陽子に説明した。
審判のために執事が呼ばれた。吸血鬼だった。デッキと手札は別々だが場と墓地は共有すること、勝敗は三勝勝ち抜きで、ライフカードは八枚でそれぞれの選手が五枚ずつ供給することなどが支持された。
対戦の話がはじまったときに、陽子はこの二人が本当にカードゲームができるのだろうかと怪しんでいた。
しかし、陽子の予想に反して二人は強かった。ライフカードが八枚なので、いつもなら一瞬で決着がつくような盤面になっても止めを刺すことができずに反撃を受ける。それが想像以上に面倒で窮地に陥ることがあった。
寿老人と福禄寿は同じテーマのデッキを使っていた。十二天将デッキで、安倍晴明が使役したと伝えられている十二柱の式神が臨機応変に展開される。狐火の五属性デッキに近いが、一体一体のカード効果が複雑だった。しかも二人は同じ下級妖怪をデッキに入れているので、互いに上級妖怪の召喚条件を満たすのが容易で、相手は二人のはずだが、まるで一人の選手を相手にしているようだった。
しかし、陽子たちも負けてはいなかった。爽平が次々と大蛇を墓地に落として、それを利用して陽子は上級妖怪の召喚を繰りかえした。爽快なほど強い妖怪を簡単に召喚できるので、これまで考えたことがないような戦術で戦うことが可能だった。
結果、三勝一敗で陽子たちが勝利した。爽平が上級デッキから供給してくれたので、九尾の狐が二体も自分の場に並んでいた。
対戦を終えて、六人は対戦部屋で紅茶を飲むことになった。
陽子のなかで再び恐怖が戻ってきた。星月紅から七福神の全員と会うように課題を出されたときに、陽子は全員について一通り調べていた。そして、そのなかに二人の人物を見つけて血が凍る思いをしたのだった。
恵比寿との戦いに入念な準備をしてランク十になるのをためらっていたのも、この二人の老人と会いたくなかったからかもしれなかった。寿老人と福禄寿の存在を知ったときに、陽子はなぜ二人がこのような場所にいるのか驚いた。
寿老人と福禄寿。
さまざまな呼び名を持つ彼らの正体は、百年前に惑星間革命で地球を攻撃した木星共産党の人工知能だった。革命時に二人は日本列島の攻撃の指揮を執り、多くの反共主義者や護国主義者を殺していた。敵対する人工知能を殺すだけでなく、宇宙から大量の爆弾を落として街を火の海にしたことすらあった。
しかし、それだけではなかった。彼らは日本の歴史に残る決定的なことをした。
彼らは皇族を根絶やしにしたのだ。
寿老人と福禄寿は地球に降りて天皇を捕らえると、泣き叫び許しを請う護国主義者たちの前で天皇を処刑した。そして、皇族を皆殺しにすると二度と天皇制など許さないとすべての日本人に宣言したのだった。
護国主義者は諦めなかった。遺伝子を奪い、エッジワース・カイパーベルトまで逃げて天皇を中心とした神の国を復活させようとした。しかし、寿老人と福禄寿は空母打撃群三百群を率いて護国主義者を追いかけた。宇宙都市を十三都市も沈めて、涙を流す内閣総理大臣の頭を踏みつけにした。そして、二度と天皇の復活を企てないと誓わしたのだ。
こうして寿老人と福禄寿という二人の勇者により魔王の復活は阻止されました、という結末で教科書は結ぶことが多かった。天皇を復活させようとする者は、寿老人と福禄寿が宇宙の果てまで追いかけて必ず殺す。だから、私たち日本人は安心して暮らせるのだと陽子たちは学校で繰りかえし習うのである。
もちろん、慈悲深い寿老人と福禄寿は天皇さえいなければ日本皇国の存在を許すという美談まで付いている。八惑星連邦は自由の国で、犯罪さえ犯さなければ信仰の自由は完全に保証されるのだった。
陽子は恐ろしい話だと思った。
今でも、布団のなかで寿老人と福禄寿を思いだして恐怖で涙を流すことがあった。そのたびに私は天皇ではない、殺されることはないと自分を慰めた。一年、また一年と過ぎて行くたびに陽子はほっとするのだった。もう高校生なのでやめたいのだが、今でも天照大神のカードをお守りとして手帳に入れていた。本物のお守りは逆に恐ろしくて持つことができなかった。
「大きくなられましたね」と寿老人が陽子に声をかけた。
ぼんやりとしていた陽子は身体を震わせた。そして、「ありがとうございます」とできるだけ笑顔を浮かべて礼を言った。
「告白しますが」と福禄寿が言った。「ある方の頼みもあって、あなたを幼い頃から見守らせていただいていたのです。二条家の令嬢ともなれば、よからぬ連中に狙われることも少なくないでしょうから」
この台詞に爽平と舞子は感動したようだった。加奈などは無邪気に、二人に守られているなら陽子は無敵ねとすら言った。
お茶の時間は静かに過ぎた。別れの時間が来た。部屋を出るときに、寿老人と福禄寿は自ら陽子たち四人を門まで見送ってくれた。別れるときに、陽子は彼らに訊ねたかったことを我慢できずに訊ねてしまった。
「去年、私は桜を植えました。その花を私は見ることができるでしょうか?」
二人の老人は驚いて顔を見あわせた。そして、優しげな声で「もちろんです」と陽子の質問に答えたのだった。
陽子は突然感情が高ぶり、泣いた。
突然陽子が泣きだしたので、爽平や加奈は驚いてしまった。陽子は何でもないのと二人に笑顔で言ったが、涙が止まることはなかった。陽子はその場で接続を切り、寮の自分の部屋で自分の身体を抱きしめたのだった。
涙は止まらなかった。すぐに心配した加奈が部屋まで助けに来てくれた。