第34話 伊藤爽平
文字数 2,976文字
決勝戦のルールは準決勝までとは異なっていた。四勝勝ち抜きであり、持ち時間は一戦一〇分もあった。選手はサイドデッキという予備のカード群を用意して、一戦を終えるごとにデッキ内のカードをそこから加えたり戻したりして変更できる。標準的なランク戦においてサイドデッキは二十枚なのだが、この決勝戦では三十枚まで用意しなくてはならない。
大正時代へ接続して、陽子は対戦会場に入った。対戦会場には背広姿の審判と、五人の監督官が座っていた。審査員は玉藻前、酒顚童子、ぬらりひょんと平安時代、室町時代、江戸時代を代表する管理者が担った。そして、七福神の弁財天も来ていた。彼女は琵琶を片手に上座に優雅に腰かけていた。
伊藤爽平は陽子よりも遅れて入場した。草色の着物を着て、手に黒い扇子を持っていた。審判に挨拶をするとデッキを渡した。審判は爽平のデッキをさっと確認して彼に返した。陽子は微笑んだが、爽平は氷のように冷たい顔のままだった。椅子に座り深く深呼吸をすると、陽子の目をまっすぐに見つめた。
爽平と対峙して陽子は意識を切りかえた。ルールの確認が行われた。確認が終わると、二人は宣誓をさせられた。不正を行わないこと、相手に敬意を払うこと、そして最後まで全力を尽くすことを誓った。
宣誓が終わると、審判は宣言した。
「私、コーラリア・カラスは宣誓を確認し、厳密な審査の結果、この試合を第二十二回ACG国際高校生春大会トーナメント決勝戦であることをここに認めます。それでは両選手はゲームをはじめてください」
コイントスが行われて、陽子が先攻になった。陽子は慎重にカードを回し、手札誘発ではじかれないように九尾の狐を召喚した。
いっぽう、加奈たちは江戸時代の観戦会場で二人の試合を見ていた。会場には陽子の仲間たちだけではなく勇也と彼の取り巻きも集まっていた。連絡が回り、高校から中学時代まで新しい友人も古い友人も全員を集めて応援しようということになったのだった。玲治やリーファまでアマテラスワールドに登録して観戦に来ていた。
爽平のユースランキングは三位であり、今はもう名前も実力も知られていた。二年前とは異なりクラスメイトたちから敬意を払われていた。そのため、観戦会場には爽平の友人も多く混じっており、学習院高等科の生徒たちだけで四十人はいた。加奈も女友だちを集めて、懐かしげに言葉を交わした。
大型画面の向こう側で陽子がターンを終了した。爽平のターンがはじまった。すぐに妲己が召喚された。陽子の妖怪がすべて墓地に送られる。
「ミラーマッチだよ」と勇也が玲治やリーファに解説した。
「ミラーマッチ?」とリーファが確認した。
「同じテーマのデッキ同士による対戦のこと」と勇也が丁寧に説明した。「爽平も陽子も玉藻前と九尾の狐の使い手だ。特に爽平はランク戦では必ず玉藻前を使う。徹底的に玉藻前を究めた専門家系の選手だね」
リーファは興味深そうに盤面を見ていた。「あら、また九尾の狐が来たわ。私も九尾の狐は知っているわよ」
「九尾の狐は中国の妖怪だからね」と玲治が笑った。
一戦目は爽平が制した。観戦会場が静まりかえった。一戦とはいえ、陽子がゲームを落とすのは最近では珍しいことだった。予想では陽子が勝つと思われていたが、結果は分からないという雰囲気になった。
二戦目がはじまった。陽子が勝った。しかし、ライフカードは四枚まで削られており楽勝とはいえなかった。三戦目も陽子が勝ったが、四戦目になると爽平の九尾の狐が再び陽子の布陣を突破して勝利した。
二勝二敗、そして五戦目は陽子が制した。次に一勝できれば陽子は対戦に勝利する。
「あの日本人、強いわね」とリーファが言った。
「危険な兆候だな」と勇也が言った。「爽平は後がない。そして、余裕がないと不用意な攻撃をしかけてしまう」
「ふむふむ、勇也君は男の子のほうを応援しているのね」とリーファがからかった。
「実は俺も伊藤爽平選手を応援していた」と玲治は笑った。「しかし、不思議と陽子が負ける気配がないのだが」
六戦目は爽平が手堅く勝利した。とうとう、次は七戦目だった。
この決勝戦で七戦目が来るとは誰も予想していなかった。試合は長引き、両者一歩も退かない激戦が続いていた。
陽子がサイドデッキからカードを補充した。先攻は陽子だった。殺生石を召喚して爽平の攻撃に備えた。爽平のターンが来て殺生石は突破したが、しかし陽子のたくみな防御で彼女のライフカードを二枚しか削れなかった。陽子のターン、爽平のライフカードを五枚も削った。しかし、止めは刺せなかった。
四ターン目、爽平のターンがはじまった。
しばらく爽平はカードを静かに回していたが、突然に革命の妲己を召喚して陽子のライフカードを強襲した。
「革命の妲己の効果を発動します」と爽平は宣言して手札からカードを五枚捨てた。「捨てたカードの枚数だけ相手のライフカードを破壊」
会場は騒然となった。
立ちあがる人たちもいて、大騒ぎになった。玉藻前デッキは効果ダメージにたいする対策カードが少ないことで有名だった。もし陽子が伏せていたカードが相手の効果ダメージを一枚減らす風持ちの狐火だったとしても、陽子のライフカードは四枚で効果ダメージは五枚なので彼女のライフカードは全損する。
かつて学習院の女王だった陽子に恨みでもあるのか、「やってしまえ爽平」と学習院の男たちが立ち上がり爽平を応援していた。もし、この効果が通ればWCGチャンピオンに海王星の選手が勝利することになる。
陽子を応援していたツララは心臓が止まったような顔をしており、加奈も胸の前で手を合わせてしまった。
「通りますか?」と爽平が確認した。
「通りませんね」
陽子が伏せていたカードを反転させた。天照大神だった。
「天照大神の効果を発動します」と陽子は宣言した。「相手妖怪による効果ダメージを無効にして破壊します。ありますか?」
「墓地の呪い封じの狐火を発動します」
「手札から蜜柑の雪娘を発動します」
「ありません」
会場に動揺が広がった。静まりかえった。
爽平は顔を白くしていた。革命の妲己を破壊して墓地に送ると、残り少ない手札で賢明に布陣を整えた。しかし、次の陽子のターンの攻撃に耐えられずにライフカードを全損させた。これで陽子の優勝が決まった。
「ねえ、どうして九尾の狐なのに天照大神がいるの?」とリーファが勇也に訊ねた。
「いちおう、デッキに入れるカードは自由に選択できるからね」と勇也は言った。「しかし、普通はあそこまでしない」
「狙っていたのだろう」と玲治が肩をすくめた。「残念だったな」
加奈たちは頭がまっしろになっていた。Y・Fもツララも彫刻のように、ぴくりとも動かずに正面の大型電子画面を見つめていた。しかし、しばらくすると加奈はとなりに座っている舞子を思いだして声をかけた。
「お兄さん、残念だったわね」
「いえ、最高の結果だったと思います」と舞子は笑った。「本当に怖いのは陽子さんが弱いことでしたから」
爽平は袖で涙を拭いたようだった。そして、そのまま会場を立ち去った。陽子は報道陣からインタビューを受けていた。爽平選手の健闘を称えて、負ける可能性が高かったと微笑みながら答えていた。