第22話 第五章「白いワンピースなお姫さま」(5)

文字数 2,750文字

 公園の端にあるトイレ、その隣にある洗面所。
 バシャバシャバシャ
 手洗い場、バルブをいっぱいにまわし、流れる水を両手ですくい、叩きつけるように顔を洗う。
「はぁ・・・はぁ・・・」
 自分は、なにを考えた!?
 鏡に映る己の顔を見ながら、少女は自問した。
 なんてことを言ったんだ、もしあそこで、元譲が「ソアラ」を暴いたら?
 全てが台無しになる。
 なのに、なんであんなことを言ったんだ?
 もう一度、水をすくって顔に擦り付ける。
 鏡に映った自分の顔が、馬鹿みたいに赤くなっていた。それを少しでも冷やすために、少しでもいつもの自分に戻すために。
 望んでしまったというのだろうか、全てを、終わりにすることを。
 違う、終わらせて欲しかったのだ、あの男に。
 美しい金髪にまで水をしたたらせ、笑顔はなく、怯えるような、なにかに戸惑うような顔になっていた。
「・・・・・・戻らなきゃ」
 あまり長く離れていては怪しまれるし、こんな自分の顔を見られるわけにはいかない。
 いつもの「仮面」を被らなければ、慣れた作業だ、ずっと、こうしてきた。
 目をつぶる、息を大きく吸う、大きく吐く、もう一度大きく吸って、一旦呼吸を止める。
 渦巻いていた雑多な思考を止めて、頭の中をカラッポにする。
「・・・ちっ!」
 できなかった。
 心臓が不規則な鼓動を刻んでいる。
 イラ立った。激しく頭の中がザワついていた。
「あれぇ〜、なにやってんのぉ〜?」
 後ろから声をかけられる。
 間延びしただらしない声だった。
「うわ、なに? 外人? うわっ、コレカワイすぎ!」
 ワイルドと汚らしさ、ラフとだらしなさを間違えた、誤変換のようなファッションの男だった。
「なぁにィ? 暗いカオしてサ? なんかあったの?」
 うるさい、黙れ、関係ないだろどっか行け!
「おっしゅー、カズぅ、どしたの・・・って、なにそのコ!?」
 増えた、一人ではない、さらに三人ほど。
 どいつもこいつもだらしないふやけた顔をしている。
「なんかさ、見つけたぁ? ねぇ、俺らこの先でBBQやってんだけどぉ、いっしょ来ね?」
 この公園は火気禁止のはずだ。
 園内を二つに分けるのもうなずける。言われなければなにをしてもいいと思っている連中がこうも多くては、せめて半分にわけなければ被害が多すぎるのだろう。
「あ、それよくね? 国際交流?」
「なんかさ、俺らってぇ、一本スジ通ってっからぁ、一人ぼっちの女の子ほっとけね? ってヤツなのよ」
 放っておけ、気持ち悪い。
 人間の声と言うよりもブサイクな獣の鼻息にしか聞こえない。
 いつもならば「ゴメンねぇ、ボク連れがいるんだ、じゃ〜ね〜」と言ってあしらってやることもできたのだが、いまはそんなことができる精神状態ではなかった。
 それどころか、なんでこんな連中に自分が口を聞いてやらなければいけないのか、とさえ思った。
 言葉とは、人間と話すためのものだ。
 無言で男たちの間を抜けようとする。
「ちょっ! シカトねんじゃね? 善意で声かけてやってんだぜ?」
 男の一人が、肩を掴んだ。
「―――――!」
 指に、泥か何かがついていた。
「・・・なにをする」
 ベキ 
 生乾きの枝を折ったような地味な音が響いた。
「ひ、ぎゃ、ひぎゃあああっ!?」
 男が自分の手を押さえてうずくまる。人差し指がヘシ折られていた。
 人間の指を折るなど簡単だ。曲がらない方向に曲げればいい。
「て、てめぇ、なにすんだ・・・」
 言って別の男が掴みかかろうとした。
 指二本を鉤爪のように曲げ、裏拳の要領で、鼻のすぐ横に打ち込む。
「ぶっ、ぶひひいひっ!」
 人間の鼻は骨ではなく軟骨で支えられている。
 それは特定の方向からの衝撃にあっさりはがれ、かつ大きな動脈を傷つけ、蛇口が叩き壊されたように鼻孔から血をあふれさせる。
 よほどケンカ慣れしている者でなければ、流血しただけで命にかかわらずともそちらに注意を向けてしまう。
「血、血がぁっ・・・」
 顔を抑えうずくまる男、笑えるまでに無防備だ。
 その喉元に、蹴るというよりも突き刺すようにつま先を打ち込む。
「・・・ぶびぃっ!」
 不細工な音を立てて失神する。
「・・・ひぃっ!」
 あと二人。
 腰の引けた男の、不安定な足元を、すばやく体をかがめ足払いをかける。
 まるで駒回しのように九十度卒倒する。
 受身も取れず、横っ腹をしたたか打ち付ける。
 そのままサッカーのシュートを放つように蹴りを入れる。
 側頭部、この位置に強い衝撃を受けると、脳震盪を起こし、しばらく意識を失う。
 最後の一人に向き直る。
 ほかの連中もそうだが、こいつらはサイズの合っていないズボンを、腰に合わせて履いている。
 バカじゃなかろうか、これでは脚や腰が取られ、まともな体捌きなどできるはずがない。
 金的を狙い、同時にたるんだ布地を踏み込む。
 痛みと衝撃でバランスを崩したところで、内側に入り込み肘を、アゴにすくい上げるように打ち込む。
 脳にまで一直線に衝撃を受け、最後の一人が倒れる。
 ここまで、一分もかかっていなかった。
「な、なんだよ・・・これ」
 最初に指を折られた男が、目の前で起きた事態にただ戸惑うばかりだった。
 指の痛みも忘れ、ただ呆然と見ている。
「格好だけか・・・カスが」
 冷たい、おそろしいまでに無情な顔。
「な、なにすんだよぉ・・・俺らがなにしたって―――」
 答えずに、無言で膝を顔面に打つ。
「べ・・・」
 そのまま何も言わなくなった。
「服が汚れたじゃないか・・・」
 白いワンピース、肩の部分に男がつけた泥が、わずかについていた。
 ハンカチで穢れをはらうようにふき取り、その場でほうり捨てる。
 男に触られて虫唾が走った。
 せっかく用意したワンピースを汚された。
「・・・違うな、ただの八つ当たりだ」
 だが、悪いと思ってやる気はない。
 イラついている自分にちょっかいを出す方が悪い。
 後ろを振り返ることなく、少女はその場を後にした。
 少し時間をかけて、元のベンチまで戻る。
 木立の間を抜ける風が、ほどよく気持ちいい。
「やは、げんじょ、お待たせだよ」
「遅かったな?」
 少年は、少女に何が起きたのか気づくこともなく、普通に返した。
「やだなぁ、そゆことゆーかい? ・・・おっきいほう」
 バカどもで憂さ晴らしができたせいか、ちゃんと道化の「仮面」を被ることができたようだ。
「聞かれたくないんなら言うな!」
「あはははははは」
 少女は笑った。
 何も気づかない、ただマヌケ面をさらしている少年の顔を見ながら。

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