第26話 第六章「逃げるお姫さま」(3)

文字数 2,265文字

 近所に、二年ほど前にコンビニができた。
 一軒家ばかりが立ち並ぶ中、エアポケットのような場所にある。交通量の多い通りも近くにあるのだが、背を向けるような立地のためわかりにくい。
 無意味に広い駐車場は、今日も店員の車があるだけ。
 なぜ店員のものかと言うと、店内に元譲しかいない以上、ほかに可能性はない。
『大丈夫なのかな、この店』
 客が心配するようなことでもないか、と思い直し、パン粉を探す。

「あれ、ニイチャマ帰るの早かったね?」
 帰宅して早々、しつこく続く妙の一言。
「お前まだやってんのかよ?」
 あと六パターンあったはずだ。
「てっきり今日は朝帰りと思ったのに」
「お前・・・ヤなこと言うなよ」
 想像しかけて吐き気ではなく、なぜか顔が熱くなってしまう。
「晩御飯、食べる?」
 妙は夕飯を作っている真っ最中だった。
 元譲が妙に逆らえない理由、その最大が、夏河家の「食」を彼女が握っているというところにある。
 なにせ親から預かった生活費の管理も任されているのだ。恥ずかしい話、毎月のこづかいも一旦妹の手を経由して支給されている。
 無言で首を縦に振りながら、テレビのスイッチを押す。
「・・・若者四人の死体が発見され、全員がコンクリート詰めになっていたことから、大掛かりな組織的犯行ではないかと思われます。また、白昼の犯行でありながら、目撃者がいない点など、不審な―――」
 ニュース番組、今日も今日とて犯罪都市東京は元気いっぱいらしい。
「あれ、これ近所じゃん、怖いね〜」
 まな板の上でエビの背ワタを抜きながら、肩越しに目を向けた。
「そういや、パトカーのサイレンが鳴ってたな」
 テレビに、見覚えのある町並みが映った。
「あー!」
 棚を空けて、なにかに気づいたのか大声を上げている。
「どした?」
「パン粉がない」
 どうやら近場で起きた凶悪事件よりも、この妹にはパン粉のほうが重要らしい。
「まいったなぁ、これじゃあたしとサイの分しかないわ」
「オレは犬の次か・・・いいよ、素揚げでも、焼くだけでも」
 衣がないのは残念だが、そこまでサクサクした歯ざわりに執着はない。
「いや、今日えびクリームコロッケなのよ」
「・・・また、手間かかるものこさえやがって」
 さすがにそのままでは食べ難い、と言うよりどんなものができあがるのかも想像がつかない。
「買ってきてよ、近所のコンビニまで」
「自分で行けよ」
「あ、なにそれ! こんなカワイイ女の子が夜道一人で歩いたら危ないじゃない!」
「ああ、そうだな」
「ちょっ・・・」
 言った本人がコケそうになっている。
「なんだよ?」
「ツッこんでよ」
「あ・・・」
 そこで「自分で言うなー」とか、「誰がカワイイんだよ」とか言って欲しかったのだろう。
「スマン、最近ツッコみ疲れがな・・・」
「にぃにぃ、学校でなんかあったの? 相談乗るよ」
 言うわけにはいかない。とゆーか、それは多分一番最悪な未来だ。
「まいいや、とにかくお願いね? 間に合わせでいいから小さいヤツでいいよ? あとお釣りでお菓子くらいなら買っていいから」
 今どき珍しい、マンガみたいなガマ口から五百円玉を寄越す。

 と、そういうわけでコンビニに来ていた。
「すいません、パン粉ってありますか?」
 パン粉など普段買いなれていない。どこにあるかわからないので、店員さんに聞く。
「へ、パン粉っすか? あれぇ〜あったかなぁ〜」
 年上なのだろうが、どこかたよりない店員だった。
 カウンターにいる先輩アルバイトに聞きに行った。
「谷野さん、パン粉ってありましたっけ?」
「あ? あるよ、ホラあの棚の三段目」
「どこっスか?」
「だからぁ」
 別にそんなに急いでいるわけではないが、先輩が場所を教えてくれたほうが早いんじゃないだろうか。
「ん?」
 ポケットに入れていた携帯が震える。
 てっきり妙が催促の電話でもかけてきたと思ったが、画面には未登録の番号が表示されている。
「はい、もしもし?」
 とりあえず出てみることにした。
「・・・・・・・・・」
 声は聞こえない。
「もしもし?」
「・・・・・・・」
 無言、電波が悪いとかそういう理由ではなさそうだった。
 受話器の向こう側から、呼吸のような、息遣いを感じた。
 イタズラかと思い、切ろうとした寸前、相手が声を出した。
「ナツカワ・ゲンジョウ」
 耳を離しかけていたが、確かに男の声が聞こえた。
「誰だ、お前?」
「・・・・・・・・・」
 しばらく沈黙し、ふたたび相手は口を開いた。
「ソアラ、学校、急げ」
「は? おい、なんだ、誰だ?」
 それっきり、スピーカーは切れたことを示す長音を流すだけだった。
「・・・一体」
「お客さん、パン粉ここっスよ」
 さっきの店員が棚を指で示す。
「・・・・・・・・」
 しかし、元譲にはその声が耳に入っていなかった。
 イタズラ電話、ではない。相手は自分の名前を知っていた。
 店の外を見る、ここから学校までは歩きで三十分はかかる、走っても十五分。
 ちょっと気になったからと言って足を伸ばす距離ではない。
 無意識のうちに左拳をなでていた。
 考え事をするときのクセだった。
「近道すれば・・・十分で着くか」
 なにか、いやな予感がした。
 と言うより、行かなければいけないと思った。
「あのー・・・お客さん?」
「すいません、やっぱいいです」
 店員に言うと、店を出て、走り出した。

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