第11話 第三章「お姫さまの告白」(3)

文字数 2,994文字

 とっさに元譲は拳を打ち込もうとしたが、それよりも早く、自分の口にソアラの唇が触れていた。
「ちゅっ」
「ん!?」
 世の中の中高生の恋愛模様と言うものがどれくらいかは、例え総理府とて統計を取っていない以上、正確な数字はわからない。
 しかし少なくとも、この夏河元譲という男は、キスはおろか女の子と付き合ったことすらない。と言うか「買取王」の二つ名が先行しすぎて、女子のほうが恐れていると言った方が近い。
 つまりは、初めてのキスであった。
「あ・・・な・・・ぐ・・・!?」
 おそらく、彼の唇が今までの人生で触れたものの中で、もっとも柔らかい感触だった。
 しかも適度に潤いと艶と張りのある、理想的なリップであった。
 頭がグルグルと回りだす。
 思考が働かない。呼吸が、吸うと吐くが同時に行われ、肺も横隔膜も大騒ぎ。
 心臓がわけもわからないビートを刻んで、体中の筋肉から力が抜ける。
 全ての骨と言う骨から骨髄が抜き出されたように、元譲はへにゃへにゃとその場に崩れた。
「お・・・おま・・・なに・・・・」
 おまえ一体なんのつもりだ、と言いたかったのだが、麻痺した言語中枢は無期限のストライキ決行中だった。
「な・・・まま・・・」
 視界がグルグルと回って定まらない、その中でかろうじて、迫り来る膝だけが見えた。
「え?」
「うりゃー!」
 体格差・体重差を考えれば、ソアラの腕力でダメージは与えづらい。
 だが、脚力ならば、しかも体重をかけ、かつ勢いをつけて、さらに相手が脱力状態でロクに構えも取れない状態ならば。
 めご。
「むごおぽっ!?」
 鼻の下、「人中」と呼ばれる位置、ここもまた人体急所の一つである。
 膝を折った状態のまま、後ろに倒れこむ元譲。
 近いポージングとしては、「ザ・ロック」のラスト間近の、発炎筒を持ったニコラス・ケイジを想像していただくとわかりやすいだろう。
 ぶっちゃけ、意識が飛んで、白目をむいている。
 その顔面を、さらに容赦なく踏みつけるソアラ。
「あーいむ・うぃん!」
 高らかに腕を上げ、勝利のポーズ。
 全盛期の格闘ゲームならば、空中に大きく「K・O」の文字が浮かんでいたことだろう。
「て・・・でめぇ・・・」
 ちなみに、足で両目を覆うようなカタチで踏みつけている。
 スカートの中は見せない、そこまでのサービスはしてやらない。
「にゃははは、ボクの勝ちだねぇ、げんじょ?」
 意地悪い含み笑い、しかし、首の力で無理やり脚をのけるや、噛み付かん勢いで怒鳴る。
「卑怯だぞ! あんな・・・手をつかうなんて」
「手じゃなくてクチビルだよ?」
「と、とにかく反則だ、あんなの!」
「キスしちゃダメなんて言ってないよ?」
「誰が言うかそんなこと!」
 怒り、恥ずかしさ、その他もろもろの、もうどう表現していいのかわからない感情の奔流で、少年の顔は真っ赤になっていた。
「もしかして、はじめてだったのかい?」
「う・・・・」
「そーなんだー、いやぁ、得したねぇ、げんじょの初めてもーらい!」
「お前、本当に・・・マジでいい加減に・・・」
 ふたたび怒鳴ろうとした寸前、ソアラの顔が迫った。
 うれしそうな笑顔だった。
「ボクもだよ、はじめて同士の交換だねぇ」
「う・・・」
 まぶしかった。おそろしいまでにまぶしい笑顔だった。
 わかっているのだ、知っているのだ。目の前にいるコイツは、確かに男だったはず。
 自分は真実を知っている。 
 だが、その記憶すら上回る圧倒的なかわいさが、元譲の心を、いかだを飲み込むビックウェンズディの如くせまった。
「こ、今回はオレの負けってことにしといてやる!」
 とにかく話をそらそうと思った。
 このままでは自分は、巨大な底なし沼に、いや、アリ地獄に飲み込まれる。最後の本能レベルの危険察知警報が脳内に鳴り響いた。
「うふふふ、かわいいねぇげんじょって、まいいや、んじゃ、約束守ってもらうね?」
「やくそ・・・はっ!?」
 そうだった。負ければソアラの言うことをきかねばならない。
 自分で言ったのだ「好きにしろ」と。
「・・・・・・好きに・・・しろ・・・」
 血を吐くように言葉を絞り出す。
「ふふふ、そーゆーとこのいさぎよさも変わんないね? さ〜てと、そんじゃね・・・」
 六年前を思い出す。
 コイツは人当たりがよく、八方美人と言うか八面玲瓏というか、とにかく愛されるキャラクターだった。ただし、自分にはとにかく容赦がなかった。
 まぁ、しょっちゅうケンカをふっかけてくる相手に、いつまでも優しくすることなどできないのは当然だが、だからこそ知っていた。
 コイツの根性は恐ろしいまでにゆがんでいることを。
「待て、まさか・・・オレにまで女装させようってんじゃねぇだろうな!?」
 だとすればエライことだ、今度はどんな二つ名をつけられることやら。
「あ、それおもしろいねぇ」
 やぶ蛇だった。
「でも、もう決めてあるんだ。げんじょへのお願いは一つだけだよ」
 女装よりもタチの悪いこと、想像がつかない。
 元譲は知っている、コイツはランプの魔人に、「願い事百億個にして、いやマジで」と言えるヤツだということを。
『アレか、一生ドレイとか、そーゆー系か?』
 迫り来る恐怖に、心の中で覚悟を決める。
 それは肉体にもあらわれて、強く息を吸い込む。
 が、ソアラもまた、同じように呼吸を整えていた。
「ボクと付き合って」
 その言葉を理解できなかった。
 付き合って? ドツき合って? それならさっきやっただろ? 第二ラウンド?
 いやいやいや、もしかしてこいつの母国の言葉で「死んで」とかそんなカンジの意味に違いない。
「・・・・・・は?」
 理解できなかった。だから、おそろしくマヌケな声で聞き返した。
「だーかーらー、ボクの恋人になって、て言ったのさ」
 ソアラの顔が照れているのか、恥ずかしそうに赤くなっている。
 元譲の顔は、言葉の意味が脳の中に染み渡ると同時に、青くなっている。
「ずっと好きだったんだ。この学校に来たのも、ううん、日本にもっかい来たのもげんじょに会いたくってさ」
 元譲の顔が蒼くなっていく。
「でもさ、ホラ、ボク男だったじゃない? だから、げんじょのためにお姫さまになったんだよ?」
 元譲の顔は真っ白になっている。気のせいか髪の毛まで白く見える。
「い・・・」
「い?」
「い・・・い・・・いやだぁああああああっ!!」
 夏河元譲は「逃げない男」である。
 小学校の時、隣のクラスの連中との三対一でのケンカも逃げなかった。
 そいつらのアニキが現れたときも逃げなかった。
 野良犬に噛み付かれたときも逆に噛み返してやった。
 とにかく「逃げる」と言う行為が大嫌いだった。
 ゲームで、ヒットポイントが1の状態で敵に遭遇しても受けてたつ。
 それが夏河元譲と言う男だった。
 だから、多分これは、彼の人生でも片手で数えきれるほどのことだろう。
「ありゃりゃ、げんじょったら恥ずかしいからって逃げなくてもいいのに」
 奇声をあげて走り去る元譲の後姿を眺めながら、ソアラはニコニコと笑っていた。
 「いや、せやのうて」と、ギャラリーたちは心に思ったが、言い出せる者はいなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み