第14話 第三章「お姫さまの告白」(6)

文字数 2,715文字

 市内にある高層マンションの最上階、それが少女のこの国での住まいだった。
 間取りも広く、新築ではあり、この街の住居としては高級の部類に入るのだが、「一国の来賓」の触れ込みできたにしては質素といえる住まいだった。
 都心にはちゃんと洋館造りの、豪華な「大使館」があるのだが、そこを使うわけにはいかなかった。
 学校に通うにしては遠すぎるし、そもそもそこでは、誰が敵で、誰がそうでないのか判別が難しすぎた。
 このマンションのセキュリティなど紙のようなものだが、もともとがエサなのだ、これぐらいでちょうどいい。
 少女は登下校も徒歩だった。
 最初学校に来る際は、Sに車で送らせたが、帰りは歩きだった。
 「より日本の学生らしく過ごすため」、いい方便だ。
 目に付くようにしなければいけなかった。多くの者たちに「気にさせる必要」があった。
 自分は道化なのだから。
「おかえりなさいませ、殿下」
 エレベーターの扉が開く、すでにSが迎えに立っていた。
 二十代半ばくらいの、長身の青年。
 少女の「従者」、正しくは「従者」役の存在。
「・・・・・・・・」
 無言でカバンを渡す。
「どう、でしたか学校は? 六年ぶりですか」
「・・・・・・・・」
 無視、なにも答えない。
 ただ無言で後ろを指差す。
「なにもなかった。いまのところは、な」
 まるで壁から染み出すように、Eが現れる。
 マントのようにも見える長いコートを纏い、口元まで包んだ、まだわずかに少年のような雰囲気の残る小柄な男だった。
「そうではなくて、その・・・『楽しかった』ですか?」
 無感情に、ただ計器の表示のようなEの一言に返さず、改めて問い直した。
 しばし、少女の歩みが止まる。
「『楽しく』なかったら、なにか問題でもある?」
 冷淡な声で返した。
 少女の顔は、昼間とは別人のようだった。
「・・・失礼、いたしました」
 余計な口をきくな、と暗に示されたことに気づき、Sはあわてて頭を下げる。
「フフ・・・」
「なにがおかしい」
 それまで無表情を保っていたEが、その様を見てあざ笑う。
「・・・説明、してほしいか?」
「貴様・・・」
 二人がにらみ合う。
 Sが右手で剣印を作り、Eもまた無言で応えるように構える。
「あのさぁ、そういうのは他でやってくれる? メーワクだから」
 純粋に、ただ言葉どおりの意味で少女は言った。
 殺しあうなら好きにしろ、ただし、自分の関係ないところでやれ、と。
「・・・・・・・・」
 Eが無言で構えを解く。
「・・・失礼しました」
 少女に二度目の謝罪をするS。
 最上階は、ワンフロア全てが少女の住居になっていた。
 エレベーターも、カードキーをかざさなければ止まらないようになっている。
 玄関を通り、二つ目の扉の先に、ホールのようなリビングがあったが、少女はそこで足を止めず、さらにその先にある寝室に向かった。
「殿下、お食事は・・・?」
「いらない」
 ただそれだけ、簡潔に、振り向きもせずに言う。
「・・・しかし、お召し上がりにならなければ、お体に触りますよ」
「いらない」
 まったく同じような口調で、機械のように返す。
「かしこまりました・・・」
 とりつくしまもなし、Sは一礼して下がろうとした。
「・・・S、適当な食材と、調理器具を用意しておけ、あと器も」
 思い出したように少女が言った。
「・・・は? かしこまりました、あの・・・なぜ?」
 普段汚い野良犬を見るような目で見られ、ロクに声もかけられないS。少女が自分に声をかけてくれて笑顔になった。しかし、命令内容の意味不明さに、思わず質問してしまった。
 この少女が、自分のやることに意義をはさまれること、とくにSがそれをすることを極端に嫌悪することを知っているのに。
「・・・弁当を作るんだよ」
 わずかにイラだちを含んだ声で返す。
「昼食、ですか・・・それならば私がご用意いたしますが・・・」
 少女が無知な者を心から見下げる表情で、わざとらしいまでに大きなため息をついた。
「・・・手作りじゃないと意味がないだろうが、このバカが・・・!」
 唾棄すべき、という表現がもっとも適当な、侮蔑を込めた視線を送る。
「あと・・・明日五時起きだが、見送りも朝食もいらない。わたしが部屋を出るまで、その顔を見せるな。いいな」
「あの・・・殿下?」
 それ以上、Sの質問を許さなかった。
 背中をむけ、足早に寝室に入る。
 十代の少女が寝起きするにしては、彼女の部屋は飾りッ気がなかった。
 白い壁紙にベッドと机、机にはノートパソコンが置かれているくらいで、無味乾燥と言ってよかった。
 枕元には、流行の少女マンガと、最近アニメ化されたライトノベルが何冊かぞんざいに置かれていた。色気のない部屋の中で、原色に彩られた、アニメチックなキャラクターの表紙が、激しく違和感を覚える。
 別にこれは彼女の趣味ではない。
ウソっぽく感じるまでの「かわいい女の子」を演じるには、ちょうどいい情報源だった。
 ほんの六年間この国を離れただけで、えらく様々な嗜好が生まれた。
 春秋戦国のころでもここまで乱立はしなかっただろう。
「ふう・・・」
 ベッドに疲れた体を投げ出す。
 低反発素材のマットが、体の形に添って少女の体を受け止めた。
 六年ぶりの日本、あいかわらずノンキな国だ。
 海の向こうでは自分たちの価値観など通じないことがあるということも知らず、小さな窓から流れ込む情報だけで知ったつもりになっている。
 そして、その虚像が裏切られることなく老いて死ねる。
 その国で育った、六年ぶりにあった少年のことを思い出す。
 自分の唇を初めてくれてやった男の顔を思い出す。
「ぜんぜん変わってないな・・・げんじょ」
 思わず、感想を口に出していた。
 年頃である以上、周りに異性の一つも配しておいたほうが「らしく」見える。
 最初は国内にいる適当な貴族の子弟でも置いておこうと言われた。だがそれではダメだった。
 なにせ、彼らは少女のことを「女」としか見ることができない。
 少年のときの自分を知っていて、かつ、自分に敵意を持っているくらいのヤツのほうが「らしく」見える。
 唇を、服の袖で乱暴に拭いた。別に何かついているわけでもないし、すでにあれから何時間もたったのだ、ただなんとなくだった。
「あいもかわらない、マヌケな・・・むかつくツラだ・・・」
 少女は顔を腕で覆った。
 だから、たとえ鏡に映っても、自分がどんな顔をしているのか彼女にはわからなかった。
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