走る少女

文字数 3,612文字

 岩櫃の城に残ることになったノノウは、年の頃十三、四ほどに……つまりその頃の私よりも二つ三つは若く()()()()()()娘でした。
 はい、見受けられただけです。あのころの私には、この娘の実際(ほんとう)年齢(とし)を推し量ることは出来ませんでしたから。
 ともかく、旅から旅の歩き巫女のである筈が、さほど日焼けしておらず、肌の色は生白く、目玉のくりくりとした、子供のような、妙に懐かしげな顔をした娘――ということだけを、そのときは私が見て取りました。

 千代女殿と他のノノウ達がそれぞれに出掛けた後、娘は、

「わたしは千代女様の()()()()にて、垂氷(つらら)、と申します。若様にはよろしくお見知りおき下さいませ」

 などと臆面無く申しました。

 氷垂はこのように少々勝ち気な所のある娘ではありましたが、千代女殿配下の巫女としての技量は大変に優れておりました。
 祈祷(きとう)であるとか医術薬草に関わる事柄についての知識や技量はノノウとして当たり前である以上に持ち合わせていました。それがなければ、人に「ただのノノウではない」と見透かされ、怪しまれてしまい、「(忍者)」としての働きは到底でないことでありますから、当然のことでした。
 もっとも、もっぱら男衆の相手をすることに専念するノノウもおり、そう言う「役目」の者であれば、本来の巫女としての技量を持たない事も有り得ましょう。ただ私が見る限り、垂氷(つらら)には其方の「役目」は与えられていない様子でした。
 これは、色町の女衆のような白粉(おしろい)臭さや酒臭さが感じられないといった程度の、私から見たらそうではなさそうだ、という感覚でしかありません。
 それに確かめようにも、年若い娘子(むすめご)に、

「お前は巫娼(ふしょう)か?」

 などと下卑(げび)た問いをするわけにはゆきますまい。
 よしんば、そう()いたとして、そして答えが返ってきたとして、気恥ずかしくなるのは多分私の方です。

 何れにせよ、巫女の仕事の為に必要な事柄のことで優れている事には、感心はしますが驚く必要はないでしょう。それは本当に()()()()()()()なのですから。
 ですから、私が驚いのは、別の()()()()です。
 その第一は、垂氷(つらら)が読み書きが達者なことでした。仮名文字は言うに及ばず、漢文が読み書き出来るのです。
 武家や公家の息女、あるいは豪農農相の娘などであれば、仮名文を読み書きすることは出来ましょう。かつては女性(にょしょう)は漢文を読み書きしないのが当然でありましたから、女衆が、それも歳若い娘が、乎己止点(おことてん)のない白文(はくぶん)を読み下せるということは、武家の中にもそうはないものでした。
 私がそのことに感心しますと、垂氷(つらら)はけろりとした顔で、

「漢字が読み書きできませんと、『御札』を『頂戴』したときに、その『有難味』が判りませんし、『祝詞(のりと)の中身』を(そら)んじることも、それから新しく『御札』作ることを出来ませんでしょう?」

 と申しました。
 つまり「他人の書簡や密書を覗き見て覚え、その内容を雇い主に伝えたり、時として(にせ)の手紙を作るような工作をする為に必要なことだ」と言っているのです。

光る源氏の物語(源氏物語)を書いたあの紫式部でさえ、漢文に達者であることを隠していたそうでございますよ。読めないフリ、書けないフリをするのが、また骨の折れることなのでございますよ」

 垂氷(つらら)は己の肩を叩く真似をして、戯けて見せました。小さき山城だとは言えど、一応は岩櫃(いわびつ)城代(じょうだい)である私の前で、実に()()()()()()とこういった振る舞いをしてみせる辺りは、剛胆(きもがふとい)と言うより他ありません。

「なるほど、利口者が莫迦(ばか)者のふりをするのは大変だろうな」

 私がからかい気味に、しかし本心感嘆しますと、垂氷(つらら)は、

「わたしより若様の方が余程お疲れで御座いましょう」

 などと言って、にこりと笑ったものです。
 しかし黒目がちな目の奥には探るような光がありました。
 いえ、あるような気がしたに過ぎないのかもしれませんが……。
 そのために、私には、
垂氷(つらら)は私が仕えるに値する男なのかを見極めようとしているのではないか』
 と思えたものです。
 品定めされるというのは、あまり気分の良いものではありません。かといって、そういった小心な不機嫌を察されるのもまた面白くありません。

「ああ、疲れる、疲れる。莫迦(ばか)が利口のふりをしようと努めると、頭が凝って仕方がない」

 私は阿呆のようにケラケラと笑いました。
 垂氷(つらら)は不可解そうな顔つきで、私を眺めていました。むしろ(わら)ってくれた方がこちらとしては幾分か気楽になるのですが、この娘は妙なところで真面目なところがあったのです。

 さても、こういった具合でありましたので、私は
『この娘はおそらく武家の出身であろう』
 と踏みました。
 よし農民であったとしても、戦になれば武士に変ずるような半農の豪族、あるいは武士が帰農したような家柄だったのではないかと思われました。さもなくば、そこそこの武家に生まれて後、事情があって農家へ預けられた、とも考えられます。
 それにしては、礼儀作法がなっていない気もしましたが、少なくとも、ノノウの修行を始める以前から、ある程度学問ができる環境にあったには違いないでしょう。

 もう一つ驚いたのは、垂氷(つらら)の脚の丈夫さ、速さでした。
 厩橋(まやばし)の城下で「巡礼(探索)」している仲間のノノウと連絡(つなぎ)を取らねばならなくなった時のことです。
 本来ならこういった仕事は連絡(つなぎ)専門の者がするのですが、その日は頃合い悪く連絡(つなぎ)役が皆出払っておりました。
 そこで垂氷(つらら)がその役を買って出たのです。
 垂氷(つらら)岩櫃(いわびつ)から厩橋(まやばし)までの、途中険しい山道もある十里(四十km)の、並の者が往復すれば最低二日はかかる道程(みちのり)を、まだそれほど日の長くない季節だったというのに、明るい内に苦もなく行き来してのけました。それは手練(てだれた)れた将兵の徒歩軍(かちいくさ)にも劣らない健脚ぶりでした。

「脚が頑丈なのは当たり前です。何分にもわたしはノノウでございますからね。歩くのが商売の()()()()の端くれでございますよ」

 垂氷(つらら)は鼻高々に申しました。漢字の読み書きの時もいくらかは自負が感じられましたが、脚自慢はそれ以上でした。余程に己の健脚が(ほこ)りなのでありしょう。

「歩く仕事が一番好きでございますよ」

 胸を張って言うと、垂氷(つらら)は厩橋のノノウからの連絡(つなぎ)の書状と、もう一つ別の書状を差し出しました。

 連絡(つなぎ)の書状は薄い紙を折り畳んで結封(むすびふう)にした、いかにも密書めいたものでした。もう一方は折紙を切封(きりふう)にした(れっき)とした書簡でした。
 細い筆による柔らかい筆致で書かれた宛先の文字は「真源三どの」となっておりました。私宛の物であることは間違いありません。
 差出人の名は「慶」一文字です。

「私が読んでも良いものかね?」

 私は結封の方を指して氷垂(つらら)に尋ねました。

「若様に読まれると困る物は別にして砥石行きの連絡(つなぎ)役にわたしてございますから」

「なるほど、それはそうだろう」

 腹の奥にチリチリとしたものを感じました。父に対するくだらない嫉妬心(しっとごころ)です。

「それよりも……」

 なにやら言いたげな垂氷(つらら)の目の奥に、幽かな(わら)いが見えた気がしましたので、私は、

「それよりも?」

 と重ねるように尋ねました。その声音には、いくらか(けん)があったかもしれません。

「そちらの立派な文の方です。それは厩橋(まやばし)反故紙(ほごし)漉返(すきかえ)しを商いにしている者から……」

「反故紙を商う……もしや、紙座(かみざ)萬屋(よろずや)のことか?」

 ご存じのように、反故紙というのは書き損じや使い古しの紙のことです。
 今でも紙は高価な物ですが、戦の多い頃にはさらに貴重な品でありました。
 数文字の書き損じをしたぐらいで捨ててしまえば、それは金を捨てるのと同じ事だったのです。ですから古い紙は捨てずに水に浸してほぐし、出来るだけ墨を抜き、もう一度紙に漉き直しました。そうすれば一から紙を()くよりもずっと無駄が省けるというものです。
 しかしながら一度使った紙というものは、どれ程丁寧にほぐし叩いたとしても元の書類の(すみ)が残ってしまい、どうしても薄い鼠色(ねずみいろ)になります。漉返紙(すきかえしがみ)薄墨紙(うすずみがみ)と呼ぶのはそのためにございます。

 氷垂がにこやかに、

「あい」

 と笑います所へ、私は、

「あそこは薄墨紙ばかり扱っている訳ではない。まっさらな麻紙(まし)三椏紙(みつまたがみ)楮紙(こうぞがみ)檀紙(だんし)も、苦参紙(くじんし)鳥乃子(とりのこがみ)だってちゃんと扱っている」

 少々呆れた顔をして申したものです。

 甲州、というよりは、武田信玄公の領していた土地全般では、信玄公の御意向により、製紙産業(かみづくり)に力を入れておりました。
 元より高価な紙を国外の産地より取り寄せていては、相応に手間賃(てまちん)がかさみ、益々値が上がります。それ故に信玄公は、領内で大麻(おおあさ)三椏(みつまた)(こうぞ)(まゆみ)苦参(くらら)雁皮(がんぴ)といった紙の元となる草木を植えさせ、それぞれに紙座を置き、紙の生産を奨励(しょうれい)なさいました。

 氷垂(つらら)は少々驚いたような顔をして見せて、

「さようですか。あたくしどもなどは、自分では安い紙しか使いませんので、てっきりそうなのだとばかり」

 確かに「草の者(にんじゃ)」が密書に厚手の奉書(ほうしょ)紙を使うことは――贋手紙を仕立てるのでなければ――そうはないでしょう。
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登場人物紹介

真田源三郎信幸

この物語の語り手。

信濃国衆真田家の嫡男。

氷垂(つらら)

自称「歩くのが得意な歩き巫女」


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