他人事《ひとごと》
文字数 2,463文字
さても、当家にはおかしな……いや人並み外れて不思議な者達が集まってくるものです。我ながら感心します。
判っております。お手前は、己自身がおかしな者である故だ、と仰りたいのでありましょう? 類は友を呼ぶ、同気 相 求 む、と。
論駁 出来ぬのが、何とも口惜 しいことです。
しかしながら、人並み外れた所がどこかになければ、当世生きてゆくことは難しい……そうは思われませぬか?
森 武蔵守 殿にしてもそうです。人並み外れた非道の力があったからこそ、あの方はあの時生き残ることができたのです。
それが先の長湫 の戦でお命を落とされたというのは、あの方を上回る人並み外れた者に真正面からぶつかったがためです。
上回る「人並み外れた事柄」は何も武力とは限りません。
知恵、胆力、忍耐、あるいは時節、機運。
人知を越えたところにあるからこそ、「人並み外れた」力、なのではありますまいか。
さておき。
あの時私は、出浦盛清から木曽の方で起きた大変な騒ぎ――というか森武蔵という奇禍 ――の話を聞きつつ、別の人並み外れて不思議な御仁を思い起こしておりました。
前田慶次郎利卓という仁です。
件の厩の宴から日を数えますと半月ばかりの時が流れておりました。
たった半月です。
その半月の間に色々なことが起き過ぎました。
「慶次郎殿に詫び状の一つも書いておらなんだ」
何の接ぎ穂もなく突然に零 しましたが、盛清は平然として答えました。
「慶次郎様と申されるは、滝川様ご家中の前田宗兵衛様のことでありますな」
「ご存知置きか?」
「お噂はかねがね。武勇の点では、件の鬼 殿 に引けを取らないと」
「雷名 天下に轟 く、か。……さて今頃どうしておられるものか?」
私はあくまでも何気なく呟いたつもりでした。
盛清はにこやかに見える顔で、
「さて、早ければもう北条勢と対峙 しておられる頃合いやもしれませぬな。
何分あちら様も、京 の 変 事 を小耳に挟んで以来、五、六万ばかりのお 供 を引き連れて、上野国 へ遊 山 に行くご予定を立てておいでだということですから」
などと恐ろしげなことを申したのです。
むろん、盛清の言う遊山 という言葉が、そのままに「気晴らしの外出 」という意味であるはずがありません。
後北条家の兵六万前後が、ほとんど孤立無援といってよい滝川勢が留まる上野国、そして甲斐国 に向かって移動をしている――。
既に戦は始まっているのです。
「五、六万か」
圧倒的絶望的な兵数でありました。しかしそれを聞いた私の口からは、
「北条殿は大した地力のあることですなぁ」
などという、どこか他人事 であるかのような言葉が漏れたものでした。
他人事であったのは、間近に迫っているであろうその戦に、
「参じよ」
という命令が、誰からも下っていないためでありました。
この時なお、我ら信濃衆にはあくまでも「織田上総介様御生害」を秘匿 なさっている滝川様でなのです。味方である筈の北条方が攻め入ってくる理由を明かさないのであれば、我らの兵力を動員するのも憚れる、ということだったのでしょうか。
理由はどうであれ、滝川様の命令がなければ、信濃衆は動きません。信濃領内に居られる滝川勢も動く訳にもまいりません。
例えば、小諸に居られる道家 彦八郎 正栄 様――この方は滝川一益様が甥御様であられますが――この方に何かしら動きがあったという報告が、我らが配下の「草 」やノノウから上がってくることはありませんでした。
沼田にいる矢沢の大叔父からも正規非正規問わず連絡 がないところをからすると、信濃に近い場所にいる滝川勢も動かない様子です。
いえ、むしろ、動くに動けないとというのが正しいところやも知れません。
と、申しますのも、実のところ信濃側にはまだまだ織田勢に反発する者が、僅かながらではありますがい な い で も な か っ た のです。動き出しそうな者達を睨 み付けておく必要がありました。
あるいは動き出したところを背後を突かれるようなことがあるやもしれません。
沼田の滝川儀太夫 殿は軽々に動くことが出来ないのです。
ともかく、我らが出ぬのであれば、滝川一益様がすぐに動かせるのは近場に置いてあるお手勢と、実際に北条に攻め込まれたときに上野 にいる者、即ち、有無もなく直ぐさま戦わざるを得ない者達のみとなります。
私はその兵数を、酷く冷たく数えたものです。
「多く見積もって、上州甲州勢が間 違 い な く 従 っ た と し て 二万弱。少なければ、お手勢だけの五千余、といったところでしょうか」
やはり他人事 のような口ぶりになっておったことを覚えています。そしてそれに答える盛清の口ぶりもまた、他人事のようでありました。
「やはり分が悪うございますな。数も数ですが、それよりも、勢いのこともありますから」
絶対的な君主であった織田信長が、忠実な家臣と思われていた明智光秀に弑 られたなどという大変事が起きたのです。
他の忠臣達の動揺はいかほどでありましょう。そして敵対する者共はどれだけ士気を高めている事でしょう。
「お手勢のほとんどを別の所に動かしておられるならば、今頃はご支配の及ぶ城々、ことさら上州の城々などはさぞ手薄になっておりましょう」
先の二つは無意識に他人事のように申したのですが、この度の言葉は意識して他人事のように言いました。
「厩橋 には確か左近将監 様がご猶子 の彦次郎 忠征 様とやらがおいでるはずですが、証人を逃がさぬようにするのが手一杯といった所ではありますまいか。
万一夜陰 に乗じて討ち掛けられたならば、あるいは相手が無勢であっても一溜 まりもなく……などということもないとは云えぬかと存じますよ。やれ、くわばらくわばら」
盛清も相変わらず他人事 のように重要な機密に当たるであろう事を答えてみせました。
いや、他人事どころか、まるで人をけしかけるかのような口ぶりであるようにさえ聞こえたものです。
「厩橋、ですか……」
「はい、厩橋にございます」
出浦盛清との話は、そこで終いになりました。
私がその場から……つまり、岩櫃 城から離れなければならなかった為です。
判っております。お手前は、己自身がおかしな者である故だ、と仰りたいのでありましょう? 類は友を呼ぶ、
しかしながら、人並み外れた所がどこかになければ、当世生きてゆくことは難しい……そうは思われませぬか?
それが先の
上回る「人並み外れた事柄」は何も武力とは限りません。
知恵、胆力、忍耐、あるいは時節、機運。
人知を越えたところにあるからこそ、「人並み外れた」力、なのではありますまいか。
さておき。
あの時私は、出浦盛清から木曽の方で起きた大変な騒ぎ――というか森武蔵という
前田慶次郎利卓という仁です。
件の厩の宴から日を数えますと半月ばかりの時が流れておりました。
たった半月です。
その半月の間に色々なことが起き過ぎました。
「慶次郎殿に詫び状の一つも書いておらなんだ」
何の接ぎ穂もなく突然に
「慶次郎様と申されるは、滝川様ご家中の前田宗兵衛様のことでありますな」
「ご存知置きか?」
「お噂はかねがね。武勇の点では、件の
「
私はあくまでも何気なく呟いたつもりでした。
盛清はにこやかに見える顔で、
「さて、早ければもう北条勢と
何分あちら様も、
などと恐ろしげなことを申したのです。
むろん、盛清の言う
後北条家の兵六万前後が、ほとんど孤立無援といってよい滝川勢が留まる上野国、そして
既に戦は始まっているのです。
「五、六万か」
圧倒的絶望的な兵数でありました。しかしそれを聞いた私の口からは、
「北条殿は大した地力のあることですなぁ」
などという、どこか
他人事であったのは、間近に迫っているであろうその戦に、
「参じよ」
という命令が、誰からも下っていないためでありました。
この時なお、我ら信濃衆にはあくまでも「織田上総介様御生害」を
理由はどうであれ、滝川様の命令がなければ、信濃衆は動きません。信濃領内に居られる滝川勢も動く訳にもまいりません。
例えば、小諸に居られる
沼田にいる矢沢の大叔父からも正規非正規問わず
いえ、むしろ、動くに動けないとというのが正しいところやも知れません。
と、申しますのも、実のところ信濃側にはまだまだ織田勢に反発する者が、僅かながらではありますが
あるいは動き出したところを背後を突かれるようなことがあるやもしれません。
沼田の滝川
ともかく、我らが出ぬのであれば、滝川一益様がすぐに動かせるのは近場に置いてあるお手勢と、実際に北条に攻め込まれたときに
私はその兵数を、酷く冷たく数えたものです。
「多く見積もって、上州甲州勢が
やはり
「やはり分が悪うございますな。数も数ですが、それよりも、勢いのこともありますから」
絶対的な君主であった織田信長が、忠実な家臣と思われていた明智光秀に
他の忠臣達の動揺はいかほどでありましょう。そして敵対する者共はどれだけ士気を高めている事でしょう。
「お手勢のほとんどを別の所に動かしておられるならば、今頃はご支配の及ぶ城々、ことさら上州の城々などはさぞ手薄になっておりましょう」
先の二つは無意識に他人事のように申したのですが、この度の言葉は意識して他人事のように言いました。
「
万一
盛清も相変わらず
いや、他人事どころか、まるで人をけしかけるかのような口ぶりであるようにさえ聞こえたものです。
「厩橋、ですか……」
「はい、厩橋にございます」
出浦盛清との話は、そこで終いになりました。
私がその場から……つまり、