付け文《ラブレター》

文字数 3,265文字

「ともかく、その(ふみ)はそのの紙屋さんからあずかってきたのですが……」

 垂氷(つらら)はニコリというか、ニタリというか、ニヤリというか、何とも言い様のない笑みを満面に浮かべ、

「若様、何処(どこ)娘子(むすめご)からの付文(つけぶみ)ですか?」

 私の顔をじっと見たものです。

 甲州の紙座の筆頭である萬屋(よろずや)は、元を辿(たど)れば信濃者だと称しておりました。私たちが上州にいた頃から懇意にしておったのは、そのためです。
 何分、我が父は表に裏に、諸方へ様々な文を発するのがたいそう好き(・・)なものですから、紙屋と仲が良くなるのは必然でありました。
 武田が滅び、甲斐に織田様がお入りになって以降も、萬屋は商いを続けることができました。滝川様の御屋敷への出入りも許されていたようです。
 ですから、萬屋が厩橋(まやばし)にいる真田に縁のある者達からの様々な『文』や『届け物』を――表向きにして良い物もそうでない物も含めて――預かり、使いを立てて届けて寄越すことは、有り得ることです。
 もし万一、本当に私宛に付文を寄越そうという女性(にょしょう)がいたとしたなら、萬屋に頼むのが一番確実なのは確かです。
 しかし残念なことに、そう言った女性に心当たりはありません。
 差出人の名義で思い当たる人物はただ一人です。

「男だよ。この手紙の主は男だ」

 私が苦笑いして言いますと、垂氷(つらら)の目の奥の(わら)いが、艶笑(えんしょう)じみたものに……あくまでも私が見たところなのですが……変わりました。

「まあ、()()()()()で」

 垂氷(つらら)はその笑いを隠しもせずに、顔の上に広げました。

「お前は何を考えている」

 と、口に出して問いましたが、実際の所おおよそのところは判っておりました。
 垂氷(つらら)はあの文を付文と信じて疑っていないのです。例え、差出人が男であっても。

「若様は、()()()がお嫌いなのかしら、と」

 にこりと、実に面白げに、垂氷(つらら)が笑って見せました。
 私はすこしばかり中っ腹になりましたので、狭量(きょうりょう)にも何も答えずにおりましたところ、

「若様は、ご自身がどうこう言うのは別として、殿方から好かれる方なのですよ。つまり男好きのする良い男」

 氷垂(つらら)とすれば恐らく褒めるつもりの言葉であったでしょう。
 後から考えれば、私にもそう思えます。しかし、その時にはそうは思われませんでした。

「あまりうれしくないな。殊更お前に言われると、何故か面白くない」

 わたしは件の文を、我ながら(わざ)とらしく横に避け、結封の方を開きました。

 厩橋の曲輪(くるわ)の内に大層立派な「人質屋敷」が建てられたこと、わけても立派な一棟は、どうやら我が妹於菊(おきく)の住まいに当てられるらしいということ。
 滝川様が軍馬の補給に苦労しておられること。
 駿河(するが)を知行することとなった徳川殿が盛んに街道筋の整備をしていること。
 そして、小田原の北条殿の動きがなにやら活発であること……。

 大体そのようなことが細かい鏡文字で書き連ねられておりました。
 大方は予想通りの事でした。私は外に出ては困るこの文を、手焙(てあぶ)りの熾火(おきび)の上に置きました。
 立ち上がった小さな炎が、北条勢の動きに見えました。

 北条殿はこの度の「武田討伐」では一時的に徳川様の旗下に入り――武田方であった我らから見れば口惜しい事この上ない――存分の働きを成されたのですが、織田様からの恩賞は殆ど無かったと言います。
 織田様はあるいは北条殿との「同盟関係の維持」こそが、恩賞であるとお考えなのでかもしれません。
 ですが北条殿にしてみれば、それは目に見える結果ではありません。このために、ご家中には織田様に恨みを抱いている者が多くいる様子でした。
 今北条殿が半ば公然と軍備を整えているのは、あるいは織田様の本隊が離れた甲州・上州を狙ってのことかもしれません。
 炎は、あっと言う間に小さな紙を蹂躙(じゅうりん)し尽くしました。しかしやがて自らも衰え、一条の煙を以外には何の痕跡も残さず、掻き消えました。

「寒いな」

 私は独り呟きました。誰かに対して呼びかけたわけではありません。それが判っているのか、いないのか、垂氷(つらら)は何も答えません。
 私は火鉢の中の小さな(ほむら)が静かに揺らめくのを、しばらく眺めておりました。
 私がそのようにじっとしておられましたのは、僅かな時であったと思います。なにやら腹の奥の方で何者かが(うごめ)いている気がして、長くおとなしくしていることが出来なかったのです。

 私は(おもむ)ろに、あの切封の文に手を伸ばしました。
 文を開きながら、そっと、何気なく、垂氷(つらら)の顔を覗き見ますと、何を期待しているのやら知れませんが、黒目がちな瞳に好奇の輝きがありました。
 私は開いた文に目を落としました。
 筆跡は見ようによっては女手にも思えるほど細いものでした。垂氷(つらら)が女性からの文と思いこんだのも仕方のないことです。
 これを、前田利卓(としたか)という身の丈六尺豊かな偉丈夫が書いたとは、あの方をまるで知らない者や、知っていても語り合った事のない者であれば、到底信じられないでしょう。それほどに柔らかで繊細な筆運びでした。
 私がもし、宋兵衛……いえ、慶次郎殿に一面識も無ければ、遭ったこともない女性からの文かと思って浮かれ舞っていたかも知れません。
 遭って、語って、()()()したからこそ、私にはあの方の繊細さが知れたのです。

 細いながらも骨太な筆運びの墨跡(ぼくせき)からは、腐れ止めに使われている龍脳(りゅうのう)の香りがしました。
 本当に質の良い骨董品の墨は(にかわ)がこなれており、文字が(にじむ)むと筆を運んだ軌跡(きせき)の芯が美しく強く浮かび上がってきます。
 無論、美しい文字を書くためには、書き手にもそれだけの素養が必要ではあります。

「よい古墨(こぼく)を使っておられる」

 これも誰かに聞いて欲しくて言った言葉ではありません。感心が胸の内から口へとあふれて出たのです。

 さて、肝心の文面ではありますが、表向きは他愛のないものでした。


 厩橋の紙座で、置く品はすこぶる良いが、店主が頑固に過ぎる萬屋というのを見付けた。
 萬屋の面構えを見ていたら、まるで似ていないのに貴公を思い出した。
 (たわむ)れに「お主は信濃者だろう?」と尋ねてみたなら、果たしてその通りであった。
 聞けば、貴公と萬屋は古馴染みであると言うではないか。これを奇遇と言わずして何と言うのだ。
 今、萬屋の座敷を借りて、この手紙をしたためている。
 特に何か知らせてやろうとか、何か聞きだそうとか言うのではない。大体友へ文を出すのに用事がいる必要はないだろう。

 時に、滝川左近将監(さこんのしょうかん)はこのところ(ようや)珠光小茄子(しゅこうこなすび)の事を口にしなくなったが、今度は儂の顔を見る度に、

「なぜあの時に()()()にここへ残るようにと口添えしてくれなかったのか」

 と嫌みたらしく言ってくるようになった。
 しぶとい年寄りの面倒を見るのは大層疲れる。さても貴公の父親も大変な男に見込まれたものだ。可哀相でならない。

 そんなわけで、伯父貴があまりに五月蠅(うるさ)いので、儂は顔を合わせまいと思うて、この頃は出来るだけ外出をすることにしている。

 先の戦で馬を乗り潰したので、その代わりを得るために馬狩りをする、というのを口実に出歩いている。
 馬狩りは外出の口実であるが、本心でもある。
 この辺りの山野では良い野生馬が群れなしているのを見受ける。さすがに武田騎馬軍を育んだ土地柄である。
 (くら)馬銜(はみ)の痕が見えるものもいるが、飼われていたものが逃げ出したものであろうか。
 儂の胸には、悪賢い馬丁がこの土地から去る時に、この名馬を攻め手に奪われぬようにと自ら馬囲いを壊し、(わざ)と逃がした、という景色が思い浮かんでくる。
 その、我が夢想の中の馬丁の顔立ちが、貴公や貴公の父親の面構えに似て見えるのが可笑(おか)しくてならない。

 先日、ある野生馬の群れに、それは見事な青毛(あお)を見た。
 気性が激しく、中々捕まえることが出来ないが、手に入れるための苦労も、手に入れられるものが良ければ良い程、また楽しいものだ。
 あの馬ならば、岩櫃の崖でも苦もなく登るだろう。
 奴を手に入れたなら、遠駆けついでにそちらへ行く事に決めた。
 それまでに貴公には、良い酒とうまい茶の飲める(わん)、それから良い飼葉をたんと用意しておいて頂きたい。

 云々(うんぬん) ――。
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登場人物紹介

真田源三郎信幸

この物語の語り手。

信濃国衆真田家の嫡男。

氷垂(つらら)

自称「歩くのが得意な歩き巫女」


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