菩薩

文字数 1,894文字

 時間(とき)というものは、忙しいときほど速く過ぎてゆくものです。

 卯月(四月) の末には、異母妹(いもうと)於菊(おきく)厩橋(まやばし)へ向かってゆきました。
 厩橋の人質屋敷が完成したから……という滝川一益様直筆の「催促」の文を持った御使者が来たのでは、父も我が儘(ワガママ)を通すことはできません。
 於菊は侍女と共侍を一人ずつ、それから琴を一張携えて、上州へ向かいました。

 木曽へ赴いた源二郎と、矢沢三十郎叔父の文が、砥石を経由して私の所へ届いたのは、皐月(五月) の初め頃だったでしょうか。
 源二郎の文に書かれていたのは、次のようなことでした。


 無事に木曾殿の元へ到着いたしました。
 木曾殿が父上に、
「今までもこれからも『同じ主君に仕える者同士』であることは変わらぬから」
 と、(よろ)しく伝えて欲しいとの仰せです。
 織田の大殿様は、木曽にはお寄りになりませんでした。
 古府(こうふ)から駿河(するが)へ出て、東海道で早々に安土城へ戻られたそうです。
 武田討伐において多大な力を貸してくれた徳川蔵人佐(くらんどのすけ)家康殿をもてなす宴を開くためであるとのことです。
 云々(うんぬん)


「しかし、父上はどんな顔をしてこれを読まれたか」

 何分にも、父が嫌っているお二方のことばかり書かれている文でした。殊更(ことさら)、木曾殿からの言づてなどは心中苦々しげにお読みになったことでありましょう。
 それでも、顔色は平静と少しも変わらなかったに違いありません。あるいは薄すらに笑っていたかも知れません。

 矢沢三十郎からの文は、砥石(といし)から木曽への道すがらを短くまとめた旅日記のような体裁(ていさい)でした。
 もしこの後に私たちが木曽に向かうようなときが来たなら、見物して回るのにたいそう役に立つに違いない、と思える、見事な内容でありました。
 私は文を読み終えると、自分の文……いいえ、ほんとうに何ことはない、只の時節の挨拶です……を添えて沼田の矢沢頼綱大叔父へ送りました。

 皐月(五月)の間、私は毎日(ひま)を見付けては岩櫃(いわびつ)の切り立った崖の上に立って、厩橋の方角を眺めておりました。
 その方角から文をが来るのを待っていたのです。
 前田慶次郎殿からの文です。
 最初の突然に送られてきたものから先、皐月(五月)の間は一通の便りもありません。このことが寂しく思えてなりませんでした。

「私が送った返事が気にくわなかったかな」

 誰に言うでもなく、ぽつりと口にしたその後で、『しまった』と心中舌打ちをしました。
 間の悪いことに、部屋に垂氷(つらら)がいたのです。

「だからといって、失敗を取り繕うような文を送ってはなりませんよ。しつこい男は嫌われます。
 とは申しましても、少しも文を送らぬのでは、先方がこちらを忘れてしまいますが。
 げに()()は難しゅうございますれば」

 垂氷(つらら)ときたら、さても楽しげにニコニコと笑って申すのです。
 この娘は、どうあっても私と慶次郎殿の関わり合いを「念友(ねんゆう)」であることにしたいようでした。

 男同士の友情の最も強く固い繋がりが衆道(しゅうどう)の間柄だ、という方がおられますす。そういう方々から見たなら、私と慶次郎殿は真の友ではないと言うことになるのやも知れません。
 そう考える方々のお考えはごもっともでありましょうが、私の考えはは違うのです。
 友には、肌の触れ合いどころか、言葉の交わし合いすら無用である。
 ただ、何処かの空の下に、互いを友と思い合っている者がいる、そう思うことこそが必要であり、その事実が一番大切なことなのではないか。

 私がそういったことを言いますと、垂氷(つらら)は急に笑顔を引きました。

「そうお想いならば、返事が返ってこないからと言って、()れたりなさらなくてもお(よろ)しい。
 若様が彼の方を友とお思いならば、ただひたすらに厩橋の空の下におられるその方のことを思って差し上げなさいませ」

 真正面の正論が返ってきました。
 このような大上段の攻めを受けた時、小心者の私に、

「まあ、確かに、その通り、だ、な」

 と口ごもるより他に手立てがあるでしょうか。
 その様子を見た垂氷(つらら)は、どうやら私が、

『生まれ故郷から引き離され、このような山奥の断崖の上に押し込められたために、懐かしい空の下にいる人々のことを思い出しては、酷く落ち込んでいる』

 のだと思ったようです。本当のところは判りませんが、恐らくそうだったでしょう。

「若様、わたしはノノウでございますよ。
 他人様の悩み事を聞いて、それの助けになるようなことを言って差し上げるのが、わたしの仕事でございますから、何ぞ心に架かることがございましたなら、何なりとお申し付け下さいませ」

 この時、胸の前で手を合わせ瞑目(めいもく)して言う垂氷(つらら)が、白衣観音菩薩(びゃくえかんのんぼさつ)の化身のように見えたのは、今から考えますれば、実際私の心が重く(ふさい)いでいたからやもしれません。
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登場人物紹介

真田源三郎信幸

この物語の語り手。

信濃国衆真田家の嫡男。

氷垂(つらら)

自称「歩くのが得意な歩き巫女」


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