大宴会

文字数 3,042文字

 この岩松丸殿のご立派な振る舞いに、さしもの鬼武蔵も瞠目(どうもく)したと見えます。

(おん)名乗(なの)り、確かに(うけたまわ)った。それがしは(もり)武蔵守(むさしのかみ)長可(ながよし)にござる」

 一人前の大人の武将に相対するのと同じように居住まいを正して、慇懃(いんぎん)に名乗りを返されたのです。
 その名を聞いて、流石(さすが)に岩松丸殿も驚いたことでありましょうが、森殿が続けて、

「この騒がしき中、なんと堂々たるお振る舞い。この武蔵、感服仕った。
 先ほど木曽に人無しなど申したが、なんと我が目の暗いことよ! ここにこうして岩松丸殿が居られるではないか。
 岩松丸殿こそ木曾家随一(ずいいち)無二(むに)の武者であられる。見事なり、天晴(あっぱ)れなり」

 などと持ち上げたものですから、悪い気はしなかったのでありましょう。

「ごこうめいな()()()()()どのにおほめいただき、いわまつまるはかほうものにございまする」

 などと回らぬ舌で……少々正直すぎるきらいはありましたが……返答なさいました。
 さすれば森殿はますます感心して、

「おお、なんと賢い子であろう」

 楽しげに笑い、(うなづ)き、手を打って岩松丸殿を()めちぎるのです。

 子を褒められて嬉しくない親がおりましょうか。
 義昌殿の青白い頬に赤みが差しました。ただし、ほんの一瞬のことです。
 義昌殿が何か言おうと口を開き掛けたとき、森武蔵殿はすっくと立ち上がり、

「気に入った! 岩松丸殿を我が猶子(ゆうし)としよう!」

 言うが早いか、小さな岩松丸殿の体を抱きかかえたのです。
 そして、森長可殿は童子を抱いたまま木曾義昌殿の傍らに進み、その真横にドカリと腰を下ろされました。
 よく、「あっと言う間」などと申しますが、この時の義昌殿には「あ」の声を上げる暇すらありませんでした。
 幼い嫡男が、退治するつもりの「鬼」の膝に抱きかかえられています。
 そして可愛い我が子を「鬼」が『自分の子供にする』と宣言し、実際にそのように扱っているのです。

 森の鬼武蔵はニコニコと、まことにうれしげに笑っておりました。そればかりか、岩松丸殿もうれしげに笑っておいでたのです。

 先にも申しましたが、森武蔵守長可という御仁は、その外見だけを見ますれば、それこそ十六の面そのものの美しいお顔立ちで、じつに優しげな方であったそうです。
 それ故、小さな子供には「鬼」には見えなかったのでありましょう。むしろ自分を褒めてくれた、頼もしい大人に思えたのやもも知れません。
 森長可殿が本心岩松丸殿を買っておられたのか、あるいは、童子の器量など最初から眼中になかったのかは、私には計りかねます。されどこの時の森殿は、膝に抱いた岩松丸殿の屈託(くったく)のない笑顔を見るとさも嬉しげに、

「岩松丸は(えら)い子だ。我はよい子を得たものである。イヤ目出度(めでた)い、目出度い。誰ぞ酒を持て! (さかな)を持て!」

 まるで自分の屋敷に居られるかのような口ぶりで、他人の家人に物を言い付けられたそうです。
 この振る舞いに、流石に木曾義昌殿も腹を立てたものでありましょう。

「武蔵殿っ……」

 何か言いかけたのですが、次の言葉が出せません。
 森長可殿の膝の上で笑う愛児の首もとで、何かが……鋭い鉄色の()()が、灯明(とうみょう)の光を(はじ)いたのを見た為でありました。
 義昌殿は眼を森武蔵殿の顔へと移しました。

 鬼は静かに笑っておりました。

「さて伊予殿は先般、証人として預けたお身内を武田四郎めに()()()()とお聞きするが……?」 

 この言葉に木曾昌義殿の心胆(しんたん)は凍り付いたことでしょう。

『岩松丸が「証人」にされてしまった。差し出すつもりも、無論差し出したつもりもないのに、すでに「証人」として扱われている。岩松丸の生殺与奪(せいさつよだつ)の権を()()()が握ってしまった――』

 そのことに気が付かぬほど木曾伊予守義昌が……己が一族を守るために妻の実家を「裏切る」ことの出来たほどの男が……鈍物(どんぶつ)であろう筈がありません。
 義昌殿は震えました。薄闇の中だというのに、(はた)から見た者がはっきりと気付くほどであったそうです。

「母上……於岩(おいわ)……千太郎(せんたろう)……ッ!」

 義昌殿は歯の根の合わぬ口から、(ようや)くその名を絞り出されました。お屋形様……武田勝頼公が処刑を命じた、木曾殿のお身内の名前です。
 小さな呟き声の直後、義昌殿は裏返った声で、叫ばれました。

「岩松丸が森殿の子となった目出度(めでた)い門出だ。酒を持て、肴を持て。さあ、誰ぞ(おど)れ、(うた)え!」

 こうして、夜を徹しての宴会が始まったのです。
 命をかけた死に物狂いの酒宴です。
 木曾勢にとっては、まさしく(うたげ)という名の戦でありました。それも、勝ちのないことが決まっている戦です。
 平時の食料庫だけではなく、兵糧蔵までもが開けられて、大量の食料と酒とが運び出されました。森殿配下の方々はまさしく牛飲馬食(ぎゅういんばしょく)の勢いで、城内の蓄えを総て腹の中に流し込み、落とし込みました。
 それでいて、その方々が心底楽しんでいるようには見えなかったのです。
 森長可殿は終始にこやかに笑っておられたのですが、配下の方々、ことに兵卒足軽の者共は、ただ飯を喰い、ただ酒を呑むばかりです。その様は、さながら餓鬼(がき)のごとくでありました。
 その、眼前の食物を(にら)み付け、(むさぼ)っている者達の前に立ち、木曾殿配下の方々は、震えながら唄い、泣きながら舞いました。
 演し物を観ていたのは、森殿と、そのご近習(きんじゅう)が数名ばかりです。そのほかの人々は、ただもう飲み食いする事ばかりに集中しておりました。
 そんな中でも殊更に森武蔵殿は楽しんで居られるように見受けられました。手を打って、

「流石に旭将軍(あさひしょうぐん)義仲(よしなか)公が嫡流と称されるお家柄だけのことぞある。ご家中皆々芸達者であられることよ」

 褒められれば、返礼しないわけには参りません。義昌殿が奥歯を噛みつつ、

「お褒めに与り……」

 形ばかりの返礼をしました。しかしその言葉尻も消えぬ間に、森武蔵殿は、

「しかし折角の舞い踊りも、こう暗くてはよう見えぬな」

『何が「暗い」だ。今は真夜中だ。明るいはずが無いではないか!』

 義昌殿は胸の奥底ではそのように思われたことでしょう。あるいはそれを思うほどの余裕は無かったかも知れませんが、ゆとりがあったとしても、それを口にするわけにはゆきません。

「……では明かりを増やしましょう」

 暗いのならば、灯明(とうみょう)燭台(しょくだい)の類の数を増せば良い、というのが常人の考えです。義昌殿は家人(けにん)を呼び、城内の別の部屋にある灯明をこの場に集めさせようと考えられました。
 ところが、森長可という(じん)はさすがに「鬼武蔵」であります。そのお考えは常ならぬものでありました。

「床に()を開けて焚火(たきび)をしましょう。さすれば部屋は明るくなり、また酒を温め、米を炊き、魚も肉も焼くことが出来る」

 木曾のご家中の方が呼ばれるよりも早く、森の近従の方々が立ち上がりました。木曾方が何かを言うよりも早く、森方は動きました。
 床板を割り、()ぎ取り――無論、床に張られた木材が、簡単に割れるものであったり、剥がれるものであったりするはずが有り得ませんから、造作(ぞうさ)もなくそれを行ったと云うことが、如何に「恐ろしい」ことであるのか知れるでしょう――見る間に囲炉裏(いろり)のような大穴が開いたかと思えば、剥ぎ取られ割られた床板がその炉に放り込まれ、その殆ど直後には炎は天井近くにまで立ち上っておりました。

 この期に及びますれば、木曾義昌殿には悲鳴を上げる力も残っておられなかったようです。
 森家のご家中の方々が件の囲炉裏の回りに集まって、酒を温め肴を(あぶ)って、酔いしれ腹を満たし、この宴会を「楽しんでいる」その様を、うつろな眼で眺めるばかりであったそうです。
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登場人物紹介

真田源三郎信幸

この物語の語り手。

信濃国衆真田家の嫡男。

氷垂(つらら)

自称「歩くのが得意な歩き巫女」


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