縁談

文字数 3,044文字

 しかし、父がその阿呆面(あほうづら)を我々に(さら)していたのは、どれ程の間もありませんでした。

()()()めにも驚くことがあると見ゆるわ」

 大叔父に幼名で呼ばれた上、部屋どころか城中が揺れるのではないかと思えるほどの勢いで破笑(はしょう)されると、父は途端に、だらしなく落ちた下顎(したあご)上顎(うわあご)にぴたりと()め込みました。目は針のように細くなり、いつも通りの渋皮(しぶかわ)(づら)に戻っております。
 そして、私ならきっとするであろう、己の瞬時の痴態(ちたい)を取り繕ったりするようなこともせず、

「さて、考え物よな」

 何事も起きなかったかのように、腕を(こまね)いて我らの顔を見回しました。
 大叔父はいぶかしげに父をにらみ返し、一言、

「考えるまでもない」

 その後に何の言葉も継ぎませんでしたが、父にも私にも『喜んで(うけたまわ)れ』の意であることが判りました。

 この頃の矢沢頼綱はすっかりと滝川様贔屓(ひいき)でした。
 大叔父殿自身が武勇に優れた方であったというのが、一番の理由です。「先陣も殿軍(しんがり)も滝川」と称される戦上手の滝川一益様に、ある種の親近感を覚え、大層好ましく思ったのでありましょう。
 於菊(おきく)嫡孫(ちゃくそん)・三九郎殿と妻夫(めおと)となったなら、当家は滝川様の()嫡流(ちゃくりゅう)筋と血縁を結ぶことになります。織田の大殿様の覚えも目出度い、仮にも関東管領(かんとうかんりょう)の、滝川家と、です。
 私も大叔父同様に滝川様を好ましく思っておりました。滝川の一族の皆様は、どうにも不思議に人好きのする方々です。確証は持てませんが、恐らく父も同様だったのでしょう。

 ですが父は見るからにこの縁談に前向きではありません。
 それは、男親としての歪んだ情のために、可愛い於菊を嫁がせたくないだけ、が理由ではないようでした。
 父は低い声で、

「石田方に断りを入れおらぬ」

 於菊(おきく)は石田三成様の義弟である宇多(うだ )頼次(よりただ)様との婚約が整っているのです。
 両方に輿入れすることはできません。
 どちらを破談にするにしても、先方に連絡(つなぎ)を入れない訳には行きません。

 武田滅亡以降、石田様並びに宇多様とは直接連絡(つなぎ)を取っておりません。いえ、取れていない、と言い表した方がよいでしょう。
 そのころ、石田様御一党は主である羽柴(はしば)筑前(ちくぜん)様と共に、遠く備中国(びっちゅうのくに)におられました。
 滝川左近将監一益様に「武田征伐」を命じた織田の大殿様は、殆ど同時期に、羽柴筑前守秀吉(ひでよし)様に「毛利討伐」をお命じになっていました。石田様宇多様はこの遠征に付き従っておられるのです。

(ぬし)は滝川殿と、()()の尻の下の小童(こわっぱ)とを天秤にかけて、釣り合うと思うておるのかや?」

 大叔父の言葉には憤りと疑念が多分に含まれております。
 滝川様は織田家の直臣(じきしん)。羽柴様御配下である宇多様は陪臣(ばいしん)というお立場になります。家格が違います。当たり前に考えれば、天秤棒は滝川様の方に傾くこととなりましょう。

「まあ、釣り合うまいな」

「ならば答えは一つであろう」

 大叔父が膝を進めると、父は腕組みのまま、右の一の腕だけを持ち上げで、(あご)の辺りをぞろりと()でました。

「さて、釣り合いはせぬのは確かだが……」

 父が薄く笑いました。
 大叔父は……そして私も……怪訝(けげん)顔で真田昌幸を見ました。次の言葉を待つその(わず)かな時が、随分と長く思えたものです。
 やがて大叔父殿が()れて、

御殿(おんとの)は何をお考えであられるかっ?」

 妙に改まった口調で少々強めに問いました。途端、父の面から薄笑いが消えました。

「傾く側が決まり切っているとは、限らない様子でな」

「何のことだ?」

惟任(これとう)日向守(ひゅうがのかみ)のことよ」

「惟任?」

 眉間の(しわ)を深くしした大叔父は、疑問の色濃い視線を、私の側へ向けました。父に尋ねたところで、答えないであろうと踏んだのでしょう。
 私は記憶の糸をどうにかたぐり寄せて、

「織田様ご家中の明智(あけち)十兵衛(じゅうべえ)光秀(みつひで)様ことかと存じます。随分以前に惟任の姓と日向守の御官職と御官位を……たしか従五位の下だったかを、賜られたとか」

「そんな奴は知らん」

 大叔父は不機嫌そうに言い捨て、直ぐに視線を父に戻しました。

「それで、その()()()()()がどうしたと?」

 私は「惟任様の仇名まで知っているではないか」と言いたいのをどうにか堪えて、大叔父殿同様に父の顔を見つめました。

「中国討伐の後詰(ごづめ)を口実に、兵を集めている」

「口実? 中国討伐は織田の大殿のご命令であろうに」

()()()()殿()が三万の兵を率いて行ったそうだが、苦戦しているという話は聞こえてこぬ。幾ら相手が戦上手の毛利とは言え、()殿()が援軍を本心欲しがっているとは思えぬな。
 ――まあ、今からでも叔父御が槍をひっさげて毛利に荷担(かたん)なさると言うならば、倍の援軍を貰っても足らぬだろうが」

「面白くもない冗談だ」

 そう言いながらも、大叔父殿はニンマリと笑っておいででした。
 私は笑う気にはなりませんでした。何やらどす黒い(おり)のような物が、腹の奥に淀み溜まっている、そんな心持ちになってきたからです。

「父上、つまりはどういうことでありましょうか?」

 何も判らぬような口ぶりで、尋ねてみました。
 父は答えてくれませんでした。それが答えでした。
 父が無言でいるということは、私が「惟任日向様が何か『()()()()()』を起こそうとしており、そのことに羽柴筑前様がなにがしかの関わりをもっている」と考えたそのことと同じ、あるいはそれ以上に大きな何かがおきるだろうと、父も考えているに違いありません。

 しばしの沈黙の後、父は天井を見上げて、

「出来るだけ幸せになれる方に嫁がせたいからな」

 ぼそりと言ったものでした。
 私も大叔父も、暫くは口が利けませんでした。
 織田様ご家中で実力者である惟任様と羽柴様が何か事を起こせば、例えその事自体は小さいものであったとしても、ご家中に大波として波及するに違いありません。
 あるいはその事が大事であったなら、波の大きさがどれ程になるのか。
 我らはその波を如何に堪え、如何に乗り越えるべきか。
 考えるだけで恐ろしくなります。

 ええ、そうです。その時の我ら三名にとって、その波に押し流され、家名が潰えてしまう可能性などは慮外(りょがい)でした。
 この中の誰か、あるいは、この場にいない一族の誰かが死ぬことは有り得ても、真田の家が消えて無くなるとは考えなかったものです。
 もっとも、私は死ぬのが怖くてならない臆病者です。脳味噌の奥の奥では、自分はどうやって生き延びてくれようかと、少しばかりは考えておりました。

 ともかくも、男三人、(しば)し膝突き付けあって黙り込んおりました。ですがそれほど長い時間ではありません。
 何分にも、我が一族は性急な者ばかりです。
 暫くすると、三名の中で特に一番の()()()()が、とうとう堪えきれなくなって、

「それで、主は何故我らを呼びつけた?」

 と唸るように言いました。
 父が僅かに――父のことを良く知らぬ者ならそうと気付かぬほどの小さな――苦笑を口端に浮かべて、発言の主、すなわち矢沢頼綱を見やって、

「滝川方の様子を良く見聞していただきたい。どうやら叔父御も源三(げんざ)も、滝川様御一族、殊更(ことさら)、義太夫殿()()親子に気に入られているようであるから」

 大叔父が砥石まで出向くことを、沼田城代の滝川義太夫益氏(ますうじ)様がお許しになったということは、益氏様が大叔父を信頼していると言うことの(あかし)でありましょう。
 そして、私のことを「友」と呼んでくださった前田慶次郎殿の実の父親は、益氏殿であります。
 ――益氏殿のお歳を考えますと、慶次郎殿は益氏殿が随分とお若い時分に生まれたお子と見えますすが――。

「気に入られている点では、主が一番であろうがな」

 大叔父殿はそう言って笑いました。
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登場人物紹介

真田源三郎信幸

この物語の語り手。

信濃国衆真田家の嫡男。

氷垂(つらら)

自称「歩くのが得意な歩き巫女」


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