故宿人身《ゆえに じんしんに やどりて》

文字数 3,862文字

 沼田の方からの知らせが私の元へたどり着いたのは、子の三つ(※午前零時半頃)を過ぎた辺りだったでありましょうか。
 垂氷(つらら)はげっそりと疲れ果てた顔をしておりました。

「やっぱり()()()()()()()は、鬼でございますよ」

 半べそをかきながら申したのは大凡(おおよそ)次のようなことです。


 歩き巫女らしく白い脚胖(きゃはん)に白い短襦袢(みじかじゅばん)という出で立ちの垂氷(つらら)と、継ぎの当たった小袖に短袴姿(みじかばかま)()()()の五助が、沼田に矢沢頼綱を訪ねると、(おり)()しく滝川儀太夫(ぎだゆう)益重(ますしげ)殿がご同席でありました。
 儀太夫様は(はなは)だ顔色悪く、大きな体を縮こまらせておいでだったとのことです。その様は、垂氷(つらら)に言わせると、
(うなぎ)取りの仕掛(ワナ)に入り込んでしまった大(なまず)
 さながらであったそうです。
 ご様子はともかくとして、ここに儀太夫(ぎだゆう)殿が居られるのでは、頼綱大叔父にだけ()()()()()を語るということができようはずがないのです。垂氷(つらら)と五助は一芝居打つ必要に迫られました。当然そのための示し合わせなどをする(いとま)などありはしません。
 垂氷(つらら)はチラリと五助の顔を見やりました。五助も垂氷(つらら)の方へ視線を投げて寄こしました。目の合った二人は、まるで長い間一緒に仕事をして心通じ合った仲間同士であるかのように、小さくうなずき合ったそうです。
 そうして言葉を交わす事もなく、今自分達がノノウと山がつの身形(みなり)をしているという、その()()を生かして、それらしい即興(そっきょう)演技(しばい)を始めたというのです。

 五助が、一介の()()()であればご尊顔を拝する事など滅多にあり得ない殿様方を前にして恐縮しきった風に縮こまり、額を地面にすりつけて、

「矢沢の殿様に有難い御札(おふだ)を頂戴できると聞いて、()()()()()()()やって参りましやした。どうかオラを()()()やってくださいませ」

 と申し上げるのを聞いた滝川儀太夫殿が、

「御札、とな?」

 と、歩き巫女の垂氷(つらら)に向かってお訊ねになりました。
 垂氷(つらら)は五助同様ひれ伏して、

()()()()、この五助の()()()()()のとこの()()()(せがれ)が急におっ()んで()()()()()して、()()()()がそれはもう泣いて泣いて、とうとう寝付いて()()()()()()なっちまいまして。あんまり()()()()()んで、オラとが神様にお伺いたてましたら、
『ぞうさもねぇ()()()()()()、矢沢のお殿様には諏訪の御社宮司様(みしゃぐじさま)の神様が()()()()おられるから、お殿様から御札(おふだ)を頂ければ、たちまち治るで()()()()()
 と仰せになられました。()()()、矢沢のお殿様を()()()()ら、こちらにおいでるというので、()()()()()()()参りましたでございます。()()()の神様の言うことに間違いはごぜません。殿様、一枚()()()()くださいませ」

 そう申し上げて、(しわ)くちゃになった「神籤(みくじ)」を差し出しました。
 垂氷(つらら)が神籤と称して差し出したのは薄汚れた紙切れです。確かに()()が書かれているのですが、それは「ミミズをどっぷり(すみ)(ひた)して紙の上に放り、()い回らせた跡」にしか見えないものでした。

「また(ひど)神託(しんたく)よな」

 矢沢の大叔父は眉間に皺を寄せてミミズの足跡をにらみ付け、しかる後に、それを儀太夫殿にも示して見せました。
 恐らくわざわざそうして見せたのでしょう。つまり、矢沢頼綱は滝川様に対して何も隠しておらず、真田家は織田家に対して二心を抱いていないということを、ごく自然な行いでわかっていただくために、です。
 儀太夫殿は紙切れと大叔父の顔をチラチラと見比べると、

「それでご老体、この娘は何と申した?」

 垂氷(つらら)めは、内心「しめた」と小躍(こおど)りしたと申します。わざわざ酷く(なま)ってみせ、ただの田舎娘と思われようと策を練ってやったことが、まんまと図に当たったというのです。
 大叔父殿はからからと笑って、

「過日このノノウが神降(かみお)ろしをしたところ、そこな五助(じい)の女房の病は、諏訪(すわ)大社の建御名方神(たけみなかたのかみ)に祈願して護符(ごふ)を頂けばたちまちに治るという神託が下ったとのことでござる」

「事情は解った。ではその先だ。それがしには、この娘めがご老体を建御名方神(たけみなかたのかみ)の化身のように申したと聞こえたぞ?」

「なに、当矢沢家は諏訪の(シン)氏の末裔(すえ)でござりますれば、東信濃や関東の歩き巫女の内には、当家を頼って来る者も居るのでござる。何分にも、ここから諏訪の大宮までは遠うございますれば、な」

「そうか、ご老体は諏訪神氏か……」

 滝川儀太夫様は細い息を(しぼ)るように吐き出されました。この時ちらりと顔を上げた垂氷(つらら)には、儀太夫様が、

「困り果て、精根(せいこん)()きて、祈祷(きとう)を頼みに来た()()()()()の顔をしていおいでなさる」

 ように見えたそうです。ですから儀太夫殿が大叔父に、

「では儂もご老体にご祈祷(きとう)を願おうか……」

 と力なく仰せになったのを見ても、何の不思議も感じなかったというのです。
 すると大叔父は喜色満面、

「ではそれがしが護符を書き付ける間、そこのノノウに神楽舞(かぐらまい)をさせましょう。それ娘、舞え! すぐに舞え、ここで舞え!」

 呵々(かか)として大いに笑ったのでした。


「怒る鬼より笑う鬼の方が恐ろしゅうございます」

 その時の様子を話す垂氷(つらら)は、精も根も尽き果てた口ぶりで、

「たっぷり二時辰(※四時間程度)、一回の息抜き休みも無しに、続けざまに神楽舞をさせられました。(うたい)もわたしがやるのですよ。舞いながら、でございますよ。その上……」

 矢沢頼綱は、垂氷(つらら)が舞い(うた)う間に数十枚の「護符」を書き上げました。内、一枚は五助に授け、一枚は滝川儀太夫殿に献じ、残りを束にして、

「これを、城下に住まう()()()()()()()に配って歩け」

 垂氷(つらら)に持たせたのでした。

「そう言われたならば、『これこそ(忍者)やノノウが待ち望むような密書の類に違いない』と思いますでしょう? ところが、でございますよ!」

 垂氷(つらら)は紙切れを一枚、乱暴な手つきで私に差し出しました。
 質のよい真っ白な紙を細長く切りそろえてありました。上半分に、四字絶句のような文字の列が書かれております。
 すなわち――。

 業盡有情(ごうじんの うじょう)

 雖放未生(はなつと いえども いきず)

 故宿人身(ゆえに じんしんに やどりて)

 同証佛果(おなじく ぶっかを しょうせよ)



 ()に落ちる、というのはこのことです。

「なるほど、鹿食之免(かしょくのめん)、か。確かに()()()()()()()だな」

 大叔父は時に狩猟もするであろう()()()に「諏訪明神(すわみょうじん)の御札」と()われて、それに相応しい御札をくれてやったのありました。
 これは諏訪の神氏につながる矢沢家の当主の行いとして、何の間違いもありません。
 しかし垂氷(つらら)は「この真っ当な御札」が気にくわなかった様子です。

「ええ、本当に()()()()()でございますよ。明かりに透かしても、水に(ひた)しても、火であぶっても、裏も表も細かい端々まで目を皿にして眺め回しても、なんのお指図も書かれていない!」

 今にも泣きそうな声音で申しました。

 そもそも「鹿食之免」とは、諏訪大社が氏子(うじこ)達に出す形式的な「狩猟許可書」です。
 仏教は殺生を禁じています。神仏混淆(しんぶつこんこう)の考えによって、日の本の神々も仏の権現(ごんげん)として数えられておりますから、その教えに従えば、獣を狩ってそれを食することは大罪にほかならなりません。
 しかし、米も麦も蕎麦も尽き果てた飢餓(きが)の冬などには、獣を喰わねば人が死んでしまうでしょう。そこで、獣を捕らえ喰うことに、

「前世の因縁で宿業(しゅくごう)の尽きた獣たちは、現世で野に放してやっても生きながらえない。それ故、人間の身に宿す、つまり食べてやることによって、人と同化させ、人として成仏させてやるのだ」

 と理由を付けて、神仏の名において「狩猟することは正しい」と許しをあたえる――。
 それが「鹿食之免」です。
 神罰仏罰を恐れ、来世の幸福を願いながら、現世で生きることもまた願う、そんな人々の心に、僅かな安堵を与えるための方便(ほうべん)が、この文言なのです。

 私は大叔父が(ニセ)とはいえ護符を書くに当たってこの文言を選んだことに、妙に納得したものです。
 私たち武家の者は、多くの敵兵を殺し、あるいは兵ではない人々からも血を流させ、それを「国家安寧(こっかあんねい)のためやむなし」などと称して生きているのです。
 私は泣きそうになりました。
 件の文言の下に、墨跡(ぼっせき)黒々とした力強い筆捌(ふでさば)きで、

――

 祈願 家内安全

――

 などと書き加えられていたものですから、なおさらです。
 私は(はな)をすすり、目頭に水気を溜め、それが(こぼ)れぬように天井を仰ぎました。
 これを見て垂氷(つらら)は、

「ああ、若様がわたしの為に泣いてくださった」

 などと申したものでした。
 私は否定する気持ちが起きませんでした。涙を(こらえ)えながら、別のことを考えていたからです。

「それで、残りの『護符』は、大叔父殿にいわれたとおり、他のノノウや『草の者』達に配って歩いたのだな?」

「はい、やれと言われれば、やらねばなりませんから」

 垂氷(つらら)もグズグズと(はなみず)をすすりつつ、

「居場所が分かっていて、近場に居る者に直接渡して、少々遠い者にも回してくれるように頼みました。あ、紙屋の萬屋さんにも届けるように手配しましたよ」

 少々自慢げに申しました。

「ああ、萬屋に連絡(つなぎ)を付ければ、関東にいる信濃者の殆どに連絡(つなぎ)が付くのと同じ事だな」

「気が利きますでしょう?」

「ああ、礼を言う」

 私は瞼を閉じました。水溜まりが堪えきれずあふれ、ひとしずくが耳朶(みみたぶ)の方へ流れ落ちました。

「若様?」

 垂氷(つらら)は少々驚いたような声を上げました。

「大叔父殿は、()()()()()()()()()と書いた。願うというは、()()()()()()()()という意味だ。そうであろう?」

「え……? あっ、はい」

 垂氷(つらら)の声には濃い不安の色がありました。

「事は、逼迫(ひっぱく)しておる」

 私は持ち上げていた顔を元の正面向きへ戻しました。目は明けていたのですが、垂氷(つらら)の顔も、部屋の壁も、見えた覚えがありません。
 別の、遠い、幻か現か判らぬ、深い闇のようなモノ、あるいは赤い炎の様なモノが見えていた気がします。
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登場人物紹介

真田源三郎信幸

この物語の語り手。

信濃国衆真田家の嫡男。

氷垂(つらら)

自称「歩くのが得意な歩き巫女」


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