故宿人身《ゆえに じんしんに やどりて》
文字数 3,862文字
沼田の方からの知らせが私の元へたどり着いたのは、子の三つ を過ぎた辺りだったでありましょうか。
垂氷 はげっそりと疲れ果てた顔をしておりました。
「やっぱり沼 田 の お 爺 さ ん は、鬼でございますよ」
半べそをかきながら申したのは大凡 次のようなことです。
歩き巫女らしく白い脚胖 に白い短襦袢 という出で立ちの垂氷 と、継ぎの当たった小袖に短袴姿 の山 が つ の五助が、沼田に矢沢頼綱を訪ねると、折 悪 しく滝川儀太夫 益重 殿がご同席でありました。
儀太夫様は甚 だ顔色悪く、大きな体を縮こまらせておいでだったとのことです。その様は、垂氷 に言わせると、
「鰻 取りの仕掛 に入り込んでしまった大鯰 」
さながらであったそうです。
ご様子はともかくとして、ここに儀太夫 殿が居られるのでは、頼綱大叔父にだけ隠 密 の 用 件 を語るということができようはずがないのです。垂氷 と五助は一芝居打つ必要に迫られました。当然そのための示し合わせなどをする暇 などありはしません。
垂氷 はチラリと五助の顔を見やりました。五助も垂氷 の方へ視線を投げて寄こしました。目の合った二人は、まるで長い間一緒に仕事をして心通じ合った仲間同士であるかのように、小さくうなずき合ったそうです。
そうして言葉を交わす事もなく、今自分達がノノウと山がつの身形 をしているという、その役 柄 を生かして、それらしい即興 の演技 を始めたというのです。
五助が、一介の山 が つ であればご尊顔を拝する事など滅多にあり得ない殿様方を前にして恐縮しきった風に縮こまり、額を地面にすりつけて、
「矢沢の殿様に有難い御札 を頂戴できると聞いて、ま く ろ け ぇ し て やって参りましやした。どうかオラをす け て やってくださいませ」
と申し上げるのを聞いた滝川儀太夫殿が、
「御札、とな?」
と、歩き巫女の垂氷 に向かってお訊ねになりました。
垂氷 は五助同様ひれ伏して、
「せ ん ど な 、この五助のお っ し ゃ ん のとこの一 等 上 の倅 が急におっ死 んでま い ま し て して、か ぁ や ん がそれはもう泣いて泣いて、とうとう寝付いて起 き ら ん ね く なっちまいまして。あんまりお や げ ね ぇ んで、オラとが神様にお伺いたてましたら、
『ぞうさもねぇぞ う さ も ね ぇ 、矢沢のお殿様には諏訪の御社宮司様 の神様がへ ぇ っ て おられるから、お殿様から御札 を頂ければ、たちまち治るでご わ し ょ う 』
と仰せになられました。そ い で 、矢沢のお殿様をさ が ね た ら、こちらにおいでるというので、ま く ろ け ぇ し て 参りましたでございます。オ ラ と の神様の言うことに間違いはごぜません。殿様、一枚こ さ え て くださいませ」
そう申し上げて、皺 くちゃになった「神籤 」を差し出しました。
垂氷 が神籤と称して差し出したのは薄汚れた紙切れです。確かに何 か が書かれているのですが、それは「ミミズをどっぷり墨 に浸 して紙の上に放り、這 い回らせた跡」にしか見えないものでした。
「また酷 い神託 よな」
矢沢の大叔父は眉間に皺を寄せてミミズの足跡をにらみ付け、しかる後に、それを儀太夫殿にも示して見せました。
恐らくわざわざそうして見せたのでしょう。つまり、矢沢頼綱は滝川様に対して何も隠しておらず、真田家は織田家に対して二心を抱いていないということを、ごく自然な行いでわかっていただくために、です。
儀太夫殿は紙切れと大叔父の顔をチラチラと見比べると、
「それでご老体、この娘は何と申した?」
垂氷 めは、内心「しめた」と小躍 りしたと申します。わざわざ酷く訛 ってみせ、ただの田舎娘と思われようと策を練ってやったことが、まんまと図に当たったというのです。
大叔父殿はからからと笑って、
「過日このノノウが神降 ろしをしたところ、そこな五助爺 の女房の病は、諏訪 大社の建御名方神 に祈願して護符 を頂けばたちまちに治るという神託が下ったとのことでござる」
「事情は解った。ではその先だ。それがしには、この娘めがご老体を建御名方神 の化身のように申したと聞こえたぞ?」
「なに、当矢沢家は諏訪の神 氏の末裔 でござりますれば、東信濃や関東の歩き巫女の内には、当家を頼って来る者も居るのでござる。何分にも、ここから諏訪の大宮までは遠うございますれば、な」
「そうか、ご老体は諏訪神氏か……」
滝川儀太夫様は細い息を絞 るように吐き出されました。この時ちらりと顔を上げた垂氷 には、儀太夫様が、
「困り果て、精根 尽 きて、祈祷 を頼みに来た水 飲 み 百 姓 の顔をしていおいでなさる」
ように見えたそうです。ですから儀太夫殿が大叔父に、
「では儂もご老体にご祈祷 を願おうか……」
と力なく仰せになったのを見ても、何の不思議も感じなかったというのです。
すると大叔父は喜色満面、
「ではそれがしが護符を書き付ける間、そこのノノウに神楽舞 をさせましょう。それ娘、舞え! すぐに舞え、ここで舞え!」
呵々 として大いに笑ったのでした。
「怒る鬼より笑う鬼の方が恐ろしゅうございます」
その時の様子を話す垂氷 は、精も根も尽き果てた口ぶりで、
「たっぷり二時辰 、一回の息抜き休みも無しに、続けざまに神楽舞をさせられました。謡 もわたしがやるのですよ。舞いながら、でございますよ。その上……」
矢沢頼綱は、垂氷 が舞い謡 う間に数十枚の「護符」を書き上げました。内、一枚は五助に授け、一枚は滝川儀太夫殿に献じ、残りを束にして、
「これを、城下に住まう諏 訪 大 社 の 氏 子 に配って歩け」
垂氷 に持たせたのでした。
「そう言われたならば、『これこそ草 やノノウが待ち望むような密書の類に違いない』と思いますでしょう? ところが、でございますよ!」
垂氷 は紙切れを一枚、乱暴な手つきで私に差し出しました。
質のよい真っ白な紙を細長く切りそろえてありました。上半分に、四字絶句のような文字の列が書かれております。
すなわち――。
業盡有情
雖放未生
故宿人身
同証佛果
腑 に落ちる、というのはこのことです。
「なるほど、鹿食之免 、か。確かにお 諏 訪 様 の 御 札 だな」
大叔父は時に狩猟もするであろう山 が つ に「諏訪明神 の御札」と乞 われて、それに相応しい御札をくれてやったのありました。
これは諏訪の神氏につながる矢沢家の当主の行いとして、何の間違いもありません。
しかし垂氷 は「この真っ当な御札」が気にくわなかった様子です。
「ええ、本当に本 当 の 御 札 でございますよ。明かりに透かしても、水に浸 しても、火であぶっても、裏も表も細かい端々まで目を皿にして眺め回しても、なんのお指図も書かれていない!」
今にも泣きそうな声音で申しました。
そもそも「鹿食之免」とは、諏訪大社が氏子 達に出す形式的な「狩猟許可書」です。
仏教は殺生を禁じています。神仏混淆 の考えによって、日の本の神々も仏の権現 として数えられておりますから、その教えに従えば、獣を狩ってそれを食することは大罪にほかならなりません。
しかし、米も麦も蕎麦も尽き果てた飢餓 の冬などには、獣を喰わねば人が死んでしまうでしょう。そこで、獣を捕らえ喰うことに、
「前世の因縁で宿業 の尽きた獣たちは、現世で野に放してやっても生きながらえない。それ故、人間の身に宿す、つまり食べてやることによって、人と同化させ、人として成仏させてやるのだ」
と理由を付けて、神仏の名において「狩猟することは正しい」と許しをあたえる――。
それが「鹿食之免」です。
神罰仏罰を恐れ、来世の幸福を願いながら、現世で生きることもまた願う、そんな人々の心に、僅かな安堵を与えるための方便 が、この文言なのです。
私は大叔父が贋 とはいえ護符を書くに当たってこの文言を選んだことに、妙に納得したものです。
私たち武家の者は、多くの敵兵を殺し、あるいは兵ではない人々からも血を流させ、それを「国家安寧 のためやむなし」などと称して生きているのです。
私は泣きそうになりました。
件の文言の下に、墨跡 黒々とした力強い筆捌 きで、
――
祈願 家内安全
――
などと書き加えられていたものですから、なおさらです。
私は洟 をすすり、目頭に水気を溜め、それが溢 れぬように天井を仰ぎました。
これを見て垂氷 は、
「ああ、若様がわたしの為に泣いてくださった」
などと申したものでした。
私は否定する気持ちが起きませんでした。涙を堪 えながら、別のことを考えていたからです。
「それで、残りの『護符』は、大叔父殿にいわれたとおり、他のノノウや『草の者』達に配って歩いたのだな?」
「はい、やれと言われれば、やらねばなりませんから」
垂氷 もグズグズと洟 をすすりつつ、
「居場所が分かっていて、近場に居る者に直接渡して、少々遠い者にも回してくれるように頼みました。あ、紙屋の萬屋さんにも届けるように手配しましたよ」
少々自慢げに申しました。
「ああ、萬屋に連絡 を付ければ、関東にいる信濃者の殆どに連絡 が付くのと同じ事だな」
「気が利きますでしょう?」
「ああ、礼を言う」
私は瞼を閉じました。水溜まりが堪えきれずあふれ、ひとしずくが耳朶 の方へ流れ落ちました。
「若様?」
垂氷 は少々驚いたような声を上げました。
「大叔父殿は、家 内 安 全 を 祈 願 す る と書いた。願うというは、今 は 安 全 で は な い という意味だ。そうであろう?」
「え……? あっ、はい」
垂氷 の声には濃い不安の色がありました。
「事は、逼迫 しておる」
私は持ち上げていた顔を元の正面向きへ戻しました。目は明けていたのですが、垂氷 の顔も、部屋の壁も、見えた覚えがありません。
別の、遠い、幻か現か判らぬ、深い闇のようなモノ、あるいは赤い炎の様なモノが見えていた気がします。
「やっぱり
半べそをかきながら申したのは
歩き巫女らしく白い
儀太夫様は
「
さながらであったそうです。
ご様子はともかくとして、ここに
そうして言葉を交わす事もなく、今自分達がノノウと山がつの
五助が、一介の
「矢沢の殿様に有難い
と申し上げるのを聞いた滝川儀太夫殿が、
「御札、とな?」
と、歩き巫女の
「
『ぞうさもねぇ
と仰せになられました。
そう申し上げて、
「また
矢沢の大叔父は眉間に皺を寄せてミミズの足跡をにらみ付け、しかる後に、それを儀太夫殿にも示して見せました。
恐らくわざわざそうして見せたのでしょう。つまり、矢沢頼綱は滝川様に対して何も隠しておらず、真田家は織田家に対して二心を抱いていないということを、ごく自然な行いでわかっていただくために、です。
儀太夫殿は紙切れと大叔父の顔をチラチラと見比べると、
「それでご老体、この娘は何と申した?」
大叔父殿はからからと笑って、
「過日このノノウが
「事情は解った。ではその先だ。それがしには、この娘めがご老体を
「なに、当矢沢家は諏訪の
「そうか、ご老体は諏訪神氏か……」
滝川儀太夫様は細い息を
「困り果て、
ように見えたそうです。ですから儀太夫殿が大叔父に、
「では儂もご老体にご
と力なく仰せになったのを見ても、何の不思議も感じなかったというのです。
すると大叔父は喜色満面、
「ではそれがしが護符を書き付ける間、そこのノノウに
「怒る鬼より笑う鬼の方が恐ろしゅうございます」
その時の様子を話す
「たっぷり
矢沢頼綱は、
「これを、城下に住まう
「そう言われたならば、『これこそ
質のよい真っ白な紙を細長く切りそろえてありました。上半分に、四字絶句のような文字の列が書かれております。
すなわち――。
「なるほど、
大叔父は時に狩猟もするであろう
これは諏訪の神氏につながる矢沢家の当主の行いとして、何の間違いもありません。
しかし
「ええ、本当に
今にも泣きそうな声音で申しました。
そもそも「鹿食之免」とは、諏訪大社が
仏教は殺生を禁じています。
しかし、米も麦も蕎麦も尽き果てた
「前世の因縁で
と理由を付けて、神仏の名において「狩猟することは正しい」と許しをあたえる――。
それが「鹿食之免」です。
神罰仏罰を恐れ、来世の幸福を願いながら、現世で生きることもまた願う、そんな人々の心に、僅かな安堵を与えるための
私は大叔父が
私たち武家の者は、多くの敵兵を殺し、あるいは兵ではない人々からも血を流させ、それを「
私は泣きそうになりました。
件の文言の下に、
――
祈願 家内安全
――
などと書き加えられていたものですから、なおさらです。
私は
これを見て
「ああ、若様がわたしの為に泣いてくださった」
などと申したものでした。
私は否定する気持ちが起きませんでした。涙を
「それで、残りの『護符』は、大叔父殿にいわれたとおり、他のノノウや『草の者』達に配って歩いたのだな?」
「はい、やれと言われれば、やらねばなりませんから」
「居場所が分かっていて、近場に居る者に直接渡して、少々遠い者にも回してくれるように頼みました。あ、紙屋の萬屋さんにも届けるように手配しましたよ」
少々自慢げに申しました。
「ああ、萬屋に
「気が利きますでしょう?」
「ああ、礼を言う」
私は瞼を閉じました。水溜まりが堪えきれずあふれ、ひとしずくが
「若様?」
「大叔父殿は、
「え……? あっ、はい」
「事は、
私は持ち上げていた顔を元の正面向きへ戻しました。目は明けていたのですが、
別の、遠い、幻か現か判らぬ、深い闇のようなモノ、あるいは赤い炎の様なモノが見えていた気がします。