碁盤

文字数 2,897文字

 私の失態はさておいて。

 茶会が(とどこお)りなく無事に終わり、特段お叱りもなかったものですから、我が一族は今度こそ砥石(といし)の山城へ向かおうと、支度を整えておりました。
 ところが、なかなか滝川様から出立のお許しが出ません。
 私どもは数日厩橋(まやばし)城下の仮住まいに留め置かれました。
 何日過ぎたことでありましょうか。滝川様からの……いえ、厳密(げんみつ)に申しますと、前田宗兵衛殿からの……ご使者が見えたのです。
 宗兵衛殿屋敷への呼び出しでありました。
 呼び出されたのは家長たる父ではなく私、それもただ一人でした。

「一勝負、お付き合いいただきたい」

 と言われて、恐々として宗兵衛殿の御屋敷に参ったところ、挨拶もそこそこに碁盤が運ばれてきた、という次第です。



 一度盤上を埋めた……絶対に私の四目勝ちの筈の……黒白の石が取り払われ、更地になった「戦場」を前に、宗兵衛殿は、

「滝川一益はああ見えて好き嫌いの激しい男でね。趣味の合わぬ者、気の合わぬ者とは口も聞かぬ程の困ったオヤジなんだがね」

 ご自分の血の繋がった伯父であり、主君でもある方のことを、同年配か年下の仲のよい友のように仰いました。
 それが厭味にも増長にも聞こえないから、本当に不思議な方です。

「その伯父御が、お主の父御をたいそう気に入ったんだそうな。なんでも……」

 宗兵衛殿は私の顔をじっと見て、

「特に()()()()なのがよいそうな」

 と仰り、ニンマリと笑われました。

「はあ、お恥ずかしいことで」

 私は顔から火が出る思いでした。紅潮した顔を伏せようとしますと、ひらひらと手を振って、

()れ言、戯れ言。気にするな」

 ひとしきり笑われると、

「喜兵衛殿を出来るだけ自分の近くに置きたいと駄々(ダダ)をこねておるよ。信濃の国衆(国衆)の取り(まと)めのためには、喜兵衛殿は信濃に戻った方が得策なのだがな。全く困った年寄りだ」

 と、何やら楽しげですらある口ぶりで仰せになりました。

 私はどうお答えすべきか酷く悩んだものです。頭の中で愚図愚図(ぐずぐず)と言葉を選んでおりますと、碁盤の中央の天元(てんげん)の星の辺りに、黒い石が一つ落ちました。
 今度は私が白を持って、後手となり、もう一局と云うことか、と、私は慌てて顔を上げると、碁盤の向こうに宗兵衛殿の顔があったのです。片目を(つむ)り、碁盤の一点を(にら)んでおられます。
 その険しい顔で、宗兵衛殿は黒い碁石を摘み、それを碁盤の端に置き、右の中指と親指とで輪を作られました。直後、中指が勢いよく起き上がり、碁石がぴしりと音を立てます。
 宗兵衛殿は幼い()()()手慰(てなぐさ)みに遊ぶように、碁石を指で弾き飛ばしておいでたのです。
 天元(てんげん)の碁石めがけ、二つ三つと石を弾きながら、宗兵衛殿は私の顔などまるで見ずに、言葉をお続けになりました。

「何分、信濃者は頑固者(がんこもの)揃いだ。余所者(よそもの)の言うことなど、さっぱり聞き入れぬから、これも全く困ったものだ」

 まるで思案投首であるかのような言葉ですが、その時の宗兵衛殿はこれっぽっちも困っていないような口ぶりでした。
 むしろ何やら楽しんでおられる風でありました。
 何を楽しんでおいでなのかと言えば、「扱いづらい信濃の武士達を切り崩し籠絡する術を思案すること」か、あるいは「碁石のおはじき」か……。

『やはり、両方、かな』

 碁盤の上を滑る石を眺めながら、私は私自身も何やら笑っているようだと気付きました。

 私は白の碁石を一つ、碁盤の端に置きますと、指でぴしりと弾きました。
 石は余りよく飛びませんでした。碁盤の半分の、そのまた半分のあたりで滑るのを止めたにも関わらず、何時までもゆらゆらと揺れ続けます。

「難しいものですね」

 何が難しいのか、私は申しませんでした。宗兵衛殿も訊ね還すようなことはなさらず、

「ああ、意外に、な」

 鉄砲の撃ち手のように片目を瞑って狙いを定め、黒石をはじき飛ばされました。
 パチリと音がして、揺らいでいた白い石は碁盤の右手の外へ弾き飛ばされました。黒い石は白い石に突き飛ばされ、碁盤の左の隅へ飛んで行きました。

「父も私も、信濃者でございますれば」

 白い石が先ほどの石よりは少しばかり威勢よく碁盤を滑りました。石は天元よりも二目ばかり手前で止まりましたが、やはりゆらゆらと暫く揺れ続けました。

「うむ、頑固だな」

 黒い石がまた揺れる白い石めがけて滑り、白い石を弾き出し、それ自身もまた奇妙な方向へ吹き飛ばされて行きました。

「お恥ずかしいことで」

 それこそ、全くお恥ずかしいことに、私は何度も同じことを言っておりました。己らの田舎者振りが本当に気恥ずかしくてならなかったのですから、仕方がありません。
 私が別の白い石を取ろうとすると、宗兵衛殿が、

「お主、何処で生まれた?」

 唐突な問いに思われました。顔を上げると、宗兵衛殿は碁盤でも碁石でもなく、私の顔をしげしげと眺めておいでです。

「甲府……ですが?」

「それでは甲州の生まれということになるな。……甲斐の生まれで信濃者を名乗る、か?」

 宗兵衛殿の顔の上には、まるで子供が同輩の()げ足を取るような、少々意地悪な笑顔が浮かんでいました。
 私は中っ腹になって、

「己が何者であるのかは、生まれ在所によってではなく、周りの者達からの影響で決まるのではありませんか?
 私は甲府で生まれましたし、今まで甲州から出たことはほとんどないようなものですが、父祖が故郷と呼んで懐かしんでいる所こそが我が故郷と思うております」

 口を尖らせて申しましたが、すぐにその言い振りが、あまりに生意気に過ぎたと感じ、座ったまま後ずさって、

「出過ぎたことを申しました」

 床に額をすりつけました。
 頭の上から、爆ぜるような笑い声が致しました。
 私は頭を伏せたままでおりました。顔を上げずとも、宗兵衛殿が立ち上がり、碁盤をぐるりと避けて私の背中側に回り込む気配は、ひしひしと感じられます。

「全く信濃者は、頑固よな」

 声と一緒に、どすんと重みが両の肩に落ちて参りました。

「その上、お主は()()()と来ている」

 私の体は、両肩を掴む宗兵衛殿の両の腕によって前後に大きく揺すられました。私は声も上げられず、ただ宗兵衛殿のなすがままに揺すぶられておりました。

「伯父貴は()を欲しがっているが、儂はやはり(せがれ)を連れて行った方が良いと思うと、進言することにする」

「宗兵衛殿?」

 私は漸くそれだけの声を出しますと、殆ど必死の思いで首をねじり、どうやら宗兵衛殿のお顔を拝見いたしました。
 宗兵衛殿はニタリと笑い、

「それからだ、源三郎。以後、儂のことを呼ぶときは『慶次郎(けいじろう) 』でよい。これはな、儂が()()殿()が儂にくれた()()()()だ」

 それ以降、宗兵衛殿は私がその名でお呼びすると、酷くお怒りになるようになりました。
 それも口先でお叱りになるだけではなく、時と場合によっては本気で殴りかかってきたものです。
 拳が風を切って飛んでくる度に寿命が縮む気がいたしますので、私はこの後は慶次郎殿()と呼ぶように努めることにしました。
 それでもまだ宗兵衛殿……いえ、慶次郎殿は

「お前は親しい友に対して他人行儀に『殿』付けをするのか」

 などと文句を仰りましたが、どうやら殴られずに済むようにはなりました。
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登場人物紹介

真田源三郎信幸

この物語の語り手。

信濃国衆真田家の嫡男。

氷垂(つらら)

自称「歩くのが得意な歩き巫女」


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