会心

文字数 3,440文字

 幾度(いくたび)も申しますが、何分(なにぶん)にもこの折の我が隊は「少数精鋭」でありました。
 万一戦闘となれば――私は最初からそのようなことはないと踏んでいたのですが、それでも万が一に――全員が兵卒として闘うことになります。例え大将格であっても、指揮を執りながら歩行兵と同じ闘い振りをせねばならぬのです。
 ここで一つでも駒が落ちたならどうなることか、想像に硬くないでしょう。

 禰津(ねづ)幸直(ゆきなお)は、私のような鈍遅(どぢ)とはちがって、すこぶる良くできた男です。自分の手で自分の部隊を弱らせる真似が出来ようはずがありません。
 これでも私は、一応は()()の役を負っている駒なのですから、なおさらです。
 いや、飛車角金銀、あるいは歩の一枚であっても、落とすことが出来ましょうか。

 幸直にはそれが判っています。そして幸直が判っているということが、私にも判っています。
 それ故、私は笑ったのです。
 申し訳なく、心苦しく、情けない、自嘲の笑みです。
 真の本心からのモノでありましたが、強張った笑顔であった感は否めません。
 己の頬骨の上に本心からの笑顔の皮が貼り付いた、そんな心持ちです。
 私の――作り物じみていながらも命のある、さながら名人の打った猿楽の面のような――奇妙な顔を見て、幸直めは今にも泣き出しそうな顔で、唇を噛みました。

 それきり、誰も動かず、誰も物を言いません。
 私の所為(せい)で一羽の鳥もいなくなった森の中は、木々のざわめきさえも消え去り、静まりかえりました。私に聞こえたのは、私自身の心の臓の音、幸直の抑え込んだ息づかいばかりでありました。

 長い時が流れました。
 いいえ、実際には、それほど時が過ぎたわけではなかったのですが、あの場では長い時のように感じられたのです。
 あるいは日も月も止まってしまったのではないかとさえ思われました。
 私の臆病な耳が、何かの音を……人の気配を思わせる音を聞き取ったとき、私はすっと体を起こしていました。

 その時の一同の顔を、私は忘れることが出来ません。
 敵やも知れぬ者達が近付いてくるのを伏せて待っているのだというのに、大声で訳のわからぬ事を叫んだ上に、いきなり立ち上がったのです。
 目を見開いて驚愕(きょうがく)する者がおりました。覚えず頭を抱えた者もおりました。皆一様に驚いていました。
 いよいよ狂うたか、と思った者も、あるいは居たかも知れません。
 数名の体のがびくりと動きました。しかし、私が目を配るとぴたりと止み、皆はまた背を低く伏せた形で岩のように固まりました。
 精鋭達は、私の目の色から、訳のわからぬ()殿()()の行動が、正気の上での行いである、と理解をしてくれたのです。

 ただ一つ、無駄に高い上背(うわぜい)の私の頭がのみが、灌木(かんぼく)の茂みから突き出た格好となりました。

 視線の先の、相変わらずの濃霧の中に、私の目にもその形が認められるほどに近付いてきている一つの騎馬の影があります。
 それが霧に映り込んで大きく膨れた幻影でないとするならば、その馬は大層な肥馬(ひば)であり、打ち(またが)る人もまた堂々たる恰幅(かっぷく)の武者でありました。
 一見すると甲冑(かっちゅう)(まと)っていない様子でしたが、先ほど「耳効(みみき)き」が、

「鎧武者三騎」

 と申しておったことを疑いなく信用した私には、着物の下に胴鎧(どうよろい)鎖帷子(くさりかたびら)を着込んでいるのだと思われました。
 時折チラチラと(はがね)が陽を弾く閃光(せんこう)が見えましたので、何か抜き身の武器を携えているに違いありません。
 その光は確かに鋭いものでしたが、さほどには大きなものとは見えませんでした。
 さすれば、それは太刀ではなく、槍の穂先であろう、と私は断じました。
 断じはしたのですが、実のところ、刃物の大小の区別などはこの状況では全く意味を成さぬものでした。
 そうでありませぬか。太刀であれ(やり)であれ、あるいは(なた)(かま)であったとしても、抜き身を持っているとあらば、あちらの方は当方と闘う意思をお持ちだということになるのです。いつでも戦えるように備えておるのです。……無論、あちら様がこちらを「敵」と判断なさったその時には、でありますが。

 こちらには目利(めき)耳効(みみき)きがいてくれたおかげで、あちらの人数がはっきりと知れましたが、あちらの方にこちらの伏勢(ふくぜい)の数がはっきりと判っているとは到底思えません。
 潜んでいるモノがナニであるのか――鼻の効く武将であれば、火縄の臭いをさせていない我々から銃撃される可能性が無いことは判っているでしょうが――正体が(ほとん)ど掴めていないものと思われました。
 正体不明のモノが、正体不明の大声を立てている。そこに乗り込んでこようという彼の騎馬武者の胸には、一騎当千の自信が満ちているに相違ありません。
 そんな方が、一戦交えてでも守ろうとしているからには、駕籠(かご)の中の者は、すこぶる大切な方であるのでしょう。

 私は一震えすると、(ふところ)に手を差し入れました。

 途端(とたん)、私の回りの気配が、再び張り詰めたものとなりました。
 禰津幸直が、太刀の柄に手を添えて身を低く屈めたまま、私の顔を見上げました。唇を噛んでいます。
 私の眼の端の方に、不安とも不審とも呆然とも驚嘆とも安堵とも、何様とも取れ、何様とも取れぬ、一寸言葉に表せぬ、幸直の顔がありました。引き絞った弓弦(ゆんづる)を思わせる顔です。

 恐らく私が、

「行け」

 と言えば、躊躇(ちゅうちょ)無くその太刀をすっぱ抜き、土手を駆け下り、霧の向こうの馬上の人物に斬り掛かることでしょう。
 それが私には真実を見るように想像できます。
 その人の槍の穂先が、幸直の背中から突き出て、ぎらりと赤みを帯びて輝いている、その様子も、です。

 私は何も言いませんでした。息を吐くことさえ忘れていたような気もいたします。

 私は懐に忍ばせていた物を掴み、近付く影を見つめておりました。
 馬上の影の、それが馬に乗っているとは思えぬほど揺れることもなくすぅっと進み来るさまと申せば、さながら仏師が精魂込めた騎象(きぞう)帝釈天(たいしゃくてん)の像を、道に丸木を敷き並べた上に滑らせて運んでいるかのようでした。

 私は懐の中の細い()()()を素早く引き出しました。
 伏せていた幾人かの腰が浮きました。声を上げる者はおりませんでしたが、皆眼差しを私の手元に突きたてました。
 皆の眼には、一尺(いっしゃく)強の竹の黒い棒切れが写ったことでしょう。

 一同、ぽかりと口を開けました。
 それが何であるか見極められなかった者は、私が何をしようとしているのかも思い当たらず、ただ唖然(あぜん)としておりました。
 武器ではないらしい、程度のことに気付いた者は、武器も持たずに敵やも知れぬ者の前に出る気ではないかと思ったものでありましょう。そして「青二才めがとうとうおかしくなったか」と、大いに動揺したのです。
 そしてその「棒切れ」が何であるか気付いた者は、私が「そんな物」を戦場に持って来ており、それも、敵らしき輩が迫っているこの時に持ち出すという非常識をやらかすのを見て、不安にかられたのです。
 故に一同は、目玉が(こぼ)れそうなほどに目を()いて、(あご)が外れ落ちそうなほどに口を開いて、私を(にら)んだのです。

 ただ一人、幸直を除いては。

 そうです。禰津(ねづ)幸直(ゆきなお)だけは、上顎と下顎とをきっちりととじ合わせておりました。
 私は、幸直以外の者達が、私に飛びかかり、押し倒し、地面に押さえつけるより前に、素早くその棒きれを、口元に宛がいました。

 裏返された女竹の横笛が、甲高い叫び声を上げました。

 耳効きの者が、覚えず頭を地面のその下まで潜り込ませようかという勢いで伏せ、両の耳を手で覆い塞ぎました。
 他の者……幸直を除いた殆どの者達も、耳効きほどの(あわ)てようではないにしても、あるいは頬肉(ほほにく)をヒクつかせ、あるいは鼻の頭に(しわ)を寄せ、あるいは(まぶた)をぐっととじ合わせて、耳の穴に指を突っ込み、頭を抱え込みました。

 私は満足していました。

 会心の「()()()」だったからです。

 ヒヤウともヒヨウともキイともヒイとも言い表せぬ、己の体から何かが飛びだして行くような音が、朝靄(あさもや)()れた森の中を抜けて行きました。

 ええ、左様(さよう)です。
 私が懐から出して吹き鳴らしたのは、京に住まう母方の祖父から戴いた、由緒あるあの能管(のうかん)であります。

 彼方から山鳥の()く声が、かすかに聞こえます。
 その向こうへ、あの音が遠く霞んで消えて行くと、それに連れるようにして、霧もまた薄れて()れてゆきました。
 木々の枝の隙から、黄色みを帯びた日の光が幾本もの帯のように差し込み、薄暗かった森と道筋とを明るく照らしました。
 霧の中の大きな人馬の影も、次第にその真実の姿へと変じてゆきました。
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登場人物紹介

真田源三郎信幸

この物語の語り手。

信濃国衆真田家の嫡男。

氷垂(つらら)

自称「歩くのが得意な歩き巫女」


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