茶会

文字数 3,795文字

 そのお茶席と申しますのは、それはそれは大層に華やかな物でありました。
 武田の家中でも茶をする者がなかったわけではありません。しかし茶道の中心においでの織田様の旗下の方々が催す茶会には比べようがありませんでした。
 茶器は唐渡りの物が多く、事に茶碗は天目(てんもく) の見事な逸品でした。その茶碗で見事な御作法でお茶をお点てになったのが、目の覚めるような紅の利いた辻が花染の小袖を、厭味なく大柄な体に纏った、前田宗兵衛殿です。
 さて、主賓たる一益様といえば、小心な私が恐々として参加したその茶席で、我が父の顔を見るなり、なんと、

「良く聞けよ、鉄兵衛(かねべえ)殿。我が上様は、大層に(ずる)い御方ぞ」

 と言い放たれたのです。満座の者達の……いえ、一益様ご本人と、宗兵衛殿と、それから我が父を除いた方々の顔が強張りました。
 一益様が仰ったのは、大体次のようなことでした。


 かつて織田信長公は一益様に、

「良き武功あれば、かねがねそなたが欲していた茶入の『珠光小茄子(じゅこうこなすび)』を遣ろう」

 と仰せになったそうです。この茶入は信長公の蒐集(しゅうしゅう) 品の中でも随一といわれる逸品であったので、一益様は大層お励みになりましたが、なかなかにこれを(たまわ)ることができませんでした。
 そしてこの度、信長公から、「武田家を滅ぼし、関東を平らげたその褒美を遣ろう」との仰せがああったのです。一益様は、

此度(こたび)こそは、(ようや)く『珠光小茄子』が頂戴できるに違いない」

 と、心浮かれ、踊るようにして御前に出れば、信長公は、

「上野一国と信濃二郡、関東管領(かんとうかんりょう)の役を与える」

 と仰せになりました。


「長の宿敵を破ったと言うのに、儂が本当に欲している物をくれぬのだぞ。儂はそのために、常に先陣を切り、また殿軍(しんがり)を守ってきたというのに……。
 のう鉄兵衛、その方も狡いと思うであろう?」

 一益様は大まじめな顔で仰せになりました。
 上野一国と信濃二郡はともかくとして、「関東管領」はおそらく名前だけで実を伴わないものでしょう。私の記憶に間違いがなければ、彼のお役を正当に拝領なさっていたのは、代々上杉家でありました。そして、先代謙信公が没されてからは、足利将軍家はその役務を誰にも下知してはいないのです。
 とはいえ、信長公が将軍家を「保護」なさっておられるからには、将軍家からのご命令を信長公が代理に下されることもあるいは考えられることやもしれませぬ。
 それでも、件の役職に関しては、上杉謙信公の頃にはもう有名無実な名誉職に過ぎなかったはずです。これは裏を返せば、これ以上ない名誉の称号であると言うことです。

 ですから、関東管領は()()()()としましょう。
 上野一国と信濃二郡は、武田が失ったものです。
 そして、大きな声では申せませんが、出来れば当家が手に入れたいと願ったものです。願ってもままならない大きな代物です。
 我らが羨望(せんぼう)垂涎(すいぜん)した「それ」が与えられたというのに、それを口惜(くちおしい)しいと言われては、私などは一体どのような顔をすればよいというのでしょう。

 一益様は、

「狡い、狡い」

 と、玩具をもらい(そこ)ねて()ねた子供のように、繰り返し繰り返し仰られました。(よわい)耳順(じじゅん) に近いいい大人の方が、です。
 このとき我が父は、両の手に抱いていた天目の黒い茶碗を一益様の前に戻しつつ、

「上様におかれましては、彦右衛門殿には一層励まれよ、という事でありましょう」

 にこりともせずに申しました。一益様が、

「この六十ジジイがまだ励まねばならぬと言うか? 鉄兵衛も冷たいな」

 唇を尖らせたその横で宗兵衛殿が至極(しごく) 真面目な顔をして、

「そりゃぁ、伯父御が『鉄兵衛殿』と御命名の御方に御座いますれば、ひやりと冷たいのも道理でありましょう」

 などと仰られたのです。
 口ぶりは何とも軽妙なものでしたが、顔つきは大変に忠実(まめ)やかでした。
 茶席にあった滝川家ご家中の皆様方は、これを軽口と取られたようです。
 下を向き、あるいは奥歯を()み、あるいは(おうぎ)を広げて面を隠すなど、それぞれのなしようで、笑いを(こら)えておられました。
 それでも宗兵衛殿は、律儀者そのもののような顔をしっかりと上げておいででした。
 御蔭で私には、あれが軽口であったのかそれとも本気であったのか、さっぱりわからなくなってしまったのです。

 その時、宗兵衛殿が涼しげな眼をだけをそっと動かして、なんとそれを私の方にお向けになりました。
 私は始め、宗兵衛殿は、私が茶席に、そして滝川様の「家臣」として相応しくない不謹慎な態度を取っていないかを確かめておられるのかと考えました。あるいは、そのような態度を取るなと諌めてくださっているのだとも思いました。
 私は身構えて、何事も起きていない普通の茶席に(かしこ) まって座っている若造がするような、生真面目な顔をして、宗兵衛殿の眼を見つめ返しました。この場で笑って良いのか悪いのか判断しかねているという不安を、この方に悟られてはならないような気がしたからです。
 すると宗兵衛殿は、口角の片側だけをほんの僅かに持ち上げられたかと思うと、片眼をパチリと瞑られたのです。
 まるで私に「笑っても良い、むしろ笑え」と言っておられるようでした。少なくとも私にはそう思われました。
 しかし笑えと言われたからとて、すぐに笑顔を作れるものではありません。作れないとなれば焦りが生じます。私は内心の焦りを人々に、特に宗兵衛殿に知られないようにと考え、視線を反らすために父の方へ顔を向けました。
 父は笑っていませんでした。真面目くさった顔を一益様に向けて、

「そのために、我らが与力として付けられたので御座いましょう」

 などと申し上げているのです。一益様は尖らせた口で、

「それはつまり、御主も上様の家臣として今までよりも一層に励むという意味だな?」

 と仰せになりました。
 このお言葉は、先の宗兵衛殿の軽口とはまるで逆の様相でありました。
 お顔や仕草は子供じみたものでしたのに、声は鋭く重いものだったのです。
 ご一同の肩の揺れがぴたりと止まりました。
 下を向き、あるいは奥歯を咬み、あるいは扇を広げて面を隠すなど、それぞれのなしようのままで、一斉に父の顔に鋭い眼差しを突き立てました。
 私は息を呑みました。父の返答次第で、当家がこの世から消え失せかねないのだということを察したからです。
 源二郎も同じことに気付いた様子でした。その顔を見ずとも、私にはそれと判りました。膝の上に置いていた汗ばんだ拳から、きつく握りしめた「音」が、はっきりと聞こえましたから。

 誰も動かず、誰も物を言いません。

 茶室は静まりかえりました。私に聞こえたのは、シュンシュンと湯の沸く音、私自身の心の臓の音、弟の抑え込んだ息づかいばかりでした。
 実際には、それほど時が過ぎたわけではありませんでしたが、あの場では長い時のように感じられたのです。
 あるいは日も月も止まってしまったのではないかとさえ思われました。
 この静寂を良い意味で破るには、父が何か言う必要がありました。
 一益様への返答です。

 一番簡単なのは、一言「はい」ということでしょう。織田家のため、信長公のために働くという決意を、ご家中に示すことです。皆がそれを待っていました。
 ところが、父は能面のような顔を一益様に向けたまま、何も言いません。
 答えることを拒んでいるかのようでした。拒むことで、信長公を、ご家中の人々を、その力量を試そうとしている……私にはそう思えました。
 田舎者の小豪族が仕掛けるには過ぎた「試験(もののためし)」です。そんなことをして相手の不興を買えば、命も家名も幾つあっても足りません。このような真似はとても私には出来ないことです。真似しようとも思いません。

 私は小心者です。こんな四面楚歌(しめんそか)の屋内などで死にたくはありません。
 いえ、例えその場が戦場であって、目の前にいた方々が槍を構えた敵であったとしても、死にたくありません。
 侍の子らしくないと思われるでしょう。それは仕方のないことです。しかし、私はいついかなる時でも、何とでもして生き延びたいと願っていますし、生き延びようと努めています。
 ですから、この時も、生きて帰るためにはどうしたらよいのか、無い知恵を絞って考えました。

 このとき父は、あえて何もしないことを選んだのだ、と私は思い至りました。
 そのような方策は、私などには考えの及ばないところです。しかし、父はこれが一番の妙案と考えて……いいえ、この場合は()()と言い表した方が良いかも知れませんし、悪巧みと言っても良いかも知れません……なににせよ、故あって無言を通しているのでしょう。
 思い付いた当人は妙案と信じているから良いのでありましょうが、私は父ほど剛胆ではありませんから、無言のまま針のむしろの上に座り続けることなど、とても出来ませんでした。

 私が生き延びるためには、私自身が何かしら行動する必要がある――。

 私が生き延びられれば、ここにいる父も源二郎も、それから仮住まいの姉妹や幼い弟達、一門、一族、郎党を生き延びさせることもできるはずです。私はそう信じました。
 ですからこの場に充ち満ちている張り詰めた、刺々しい、苦しい気を取り除く方法を、それこそ必死で考えました。
 沸騰する脳漿(のうしょう) の中で巻く考えの渦の中に、私自身が呑み込まれ、おぼれかけていたその時でありました。

 湯気の音の中から、キチリという音がしました。
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登場人物紹介

真田源三郎信幸

この物語の語り手。

信濃国衆真田家の嫡男。

氷垂(つらら)

自称「歩くのが得意な歩き巫女」


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