第42話 #時効撤廃 #刑法改正

文字数 5,703文字

 2019年8月、数か月ぶりにワルシが経営するハメル薬局ホームページを覗くと変化していた。
 ワルシは本店の店長を降りていて全ての店舗を従業員に任せていた。また経営者の自己紹介に記述されていたはずの卒業大学名が削除されていた。さらに以前は7割が女性支店長であったのに、今では男女比が同率になっている。最初にホームページを見た時に女性店長の多さを見て、祥子は女性客を油断させることが狙いだろうと勘ぐっていただけに、ハメル薬局の変革に確信を得た。

 そして11月、再度ホームページが変わっていた。
 以前はハメル薬局の店舗案内は建屋の写真と支店長の自己紹介が顔写真入りで載っていたのに、支店長の紹介が抹消され、建屋の写真のみに変わっている。

 ワルシは再度、本店店長に戻ったという訳だろうか。

 このような変革は祥子が夏美に電話を掛けた事が要因となっているとしか思えない、ワルシの狼狽えぶりが伺える。
 しかし、ほくそ笑んではいられない。「大黒仁志」の名で検索すれば、政治家の後援会や薬剤師会の重鎮に名を連ねれいるではないか、強姦映像で財や権力を得る構図は、ドラマの悪代官を生でみているようなものだ。
 そしてK市の中核病院であるK病院はワルシの悪行を周知しているというのにハメル薬局の営業を看過しているのだ。K病院の患者の中にはハメル薬局を利用している者もいるはずだ。K病院で働く職員や家族のみがハメル薬局に近づかなければいいというのだろうか、たとえ隣人が一人暮らしの若い独身女性であったとしても忠告してあげないのだろうか、上層部から口外無用とお達しが下っているのかもしれない、きっとそうに違いない。祥子が被害を自覚したことをK病院の友人に伝えた後から倦厭されるようになったのは、それが理由だろう、これが公務員のすることなのだ。祥子は市民の安全を蔑ろにしているK病院が腹立たしくて仕方がない、好きだった場所だから尚更なのだ。
 しかし、ワルシからの報復を恐れるあまりに、声を出す機会を失ってしまったことも理解できる。
 現在ハメル薬局はK市に7店舗、O市2店舗、G市1店舗、計10店舗を経営している。これほどまでに事業拡大しているのに、大黒の住むT町には一店舗も開業していない。
 その理由は、少年のころから素行が悪く、嫌われ者だったことを自覚しているから利用者が見込めないことを分かってのことだろう。
 祥子はK市民にハメル薬局に個人情報を握らせるのは危険だということを、どうにかして伝えられないかと思案しながらモヤモヤする日が続いた。
 ダメもとでも逮捕状を請求してみるか、それとも、この手記を公開するか。
 K病院の旧知達や同級生達には、この手記が公開された時にはワルシの悪事の数々を供述してくれるだろうか、全員が口を閉ざすとは思えない。
 しかし、手記が公開されてからでは、たとえ警察が捜査したとしても証拠を隠滅されてしまう。
 警察が捜査さえしてくれれば必ず証拠は上がるのだ、法律の網をかいくぐって犯罪を繰り返すワルシを逮捕するには、祥子の被害を受理されなくても良い、先ずは越権捜査で良いのだ。
 ハメル薬局やパソコンを検挙さえすれば数えきれないほどの被害者の写真や動画が出てくることは間違いない。
 祥子は今すぐにでも手記を公表したいという気持ちを抑え、蘇った記憶の一部始終を書きまとめて、弁護士に依頼をメールを送った。

 酒井弁護士様
 刑法では既に時効になっている案件だとは思います、しかし民法では間に合うかもしれないので、そこから大黒の犯罪が露呈すれば捜査してもらえるのではないかと期待しています。

 〇大黒仁志への逮捕請求と損害賠償請求。
家宅捜査し、ビデオや画像を全て消去して欲しい。
 大黒はレイプ映像と引き換えにS病院職員から婦人科の盗撮写真を入手し、レイプドラッグのAⅤ映像の中にその写真を貼りつけいます。さらに大黒は逮捕されないことをいいことにレイプのAⅤ販売を続けました。大黒は私の夫や新婚当初のマンション管理会社や現在のマンションに、婦人科の盗撮写真など、猥褻な写真付きチラシを送っています。現在の生活も侵害されているのです。

〇S病院に損害賠償請求
S病院は婦人科診察時に盗撮された写真を院外に流出させました。盗撮写真と共に個人情報を院外に流出させました。それによりレイプドラッグへと被害は連鎖しました。
 S病院はそれらの犯罪を把握していて、調査すれば犯人が大黒であることも分かるはずなのに警察に届け出ませんでした。大黒が逮捕されると、写真を流出させたことが公になるからだと思います。またS病院は被害者への補償はないがしろにしてカルテ管理棟(研究棟)を建設しました。ですので、建設費用と同等額を請求したいところではありますが、控えめに一億円請求します。
 
〇上井戸への逮捕請求、
 職務の得意性を悪用して室内を盗撮しAⅤビデオ制作に関与しました、そして同級生たちにビデオを勧め猥褻な噂を吹聴しました。
〇同級生の中には強姦ビデオだと知りながらも犯罪者の大黒からビデオを購入し、
 他の同級生達にビデオ鑑賞会の勧誘を呼びかけた者がいます。その同級生への逮捕請求
〇吹井典子への逮捕請求
 吹井典子は、夫の会社のパート社員だった頃に、AⅤ映像の静止画面を携帯に撮り社員にメールで送りました。吹井典子の自宅を家宅捜査し画像を全て消去し欲しい
〇強姦当事者の中島と共犯者の西澤への逮捕状請求

 以上です。

 祥子は同級生の羽田の供述に一縷の望みを掛けている。

 2002年の同窓会の後に、羽田のところに大黒からの手紙が届き、その内容は祥子が自ら出演しているといった猥褻画像付きのチラシであるはずだ。
「羽田はまだチラシを持っている可能性があります。羽田はハメル薬局本店で大黒からビデオを購入しています。ビデオ映像には、婦人科の写真が貼りつけてあるはずです。」

 祥子は羽田の供述や物的証拠により、大黒の犯行とS病院の過失が証明されれば民法で勝訴出来るかもしれないと期待した。もしも羽田の手元にチラシが残っていなくても、マンションに送られたものが、当時の自治会長である花田により管轄の派出所に提出されたに違いなく、派出所に保管されているはずだと推測している。
 祥子は逮捕状請求や民事訴訟に踏み出す決心をしたこと、一億円と言う莫大な額を請求したことで、鬱積していた憂さを僅かながらも発散させることが出来た。
 そして、もしも請求額が支払われたなら、性被害者の裁判費用支援に運用するのだと画策し、加害者を窮地に追いこめる立場になっていることを空想して快楽に浸った。

 しかし快楽に浸れるのは数日でしかなかった。

 面談の日に、依頼内容はいともたやすく、全文棄却されたのだ。

 理由はこれだと、幾つかの刑法条文が読み上げられ、思惑は砕かれた。

  (わいせつ物頒布等)
 〇第175条
 1.わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は2年以下の懲役若しくは250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
 2.有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。
 平成23年に改正されている。改正前の条文は下記の通りである。
 わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。

酒井弁護士はこう説明した。
「分布した量が数えられないほどなら、これにあたりますが、そうではないので、罪に問うことは出来ません、また警察内での証拠物の保管期間は10年になっているので、既に存在しないはずです。さらに提出された証拠品は提出者の要請がないと閲覧出来ません」

 (強制わいせつ)
 第176条
 13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の者に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
 平成29年改正
 改正前
 13歳以上の男女に対し
 改正後
 13歳以上の者に対し
 平成29年改正前において、強制わいせつ罪の特別法の位置づけになる強姦罪等については、犯罪の主体は男性のみであった。一般法である強制わいせつ罪は犯罪の主体は男女を問わなかったため、それを明示する意図も含め「男女」と記したものであるが、平成29年改正により、強姦罪等の後継である強制性交等の一連の罪の主体は性別を問うことが無くなったので、「男女」の明記を一般的な表記にしたもの。

 (準強制わいせつ及び準強姦)
 第178条
 1. 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をした者は、第176条の例による。
 2. 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、性交等をした者は、前条の例による。

 (公訴時効の期間)
 第250条
 1. 時効は、人を死亡させた罪であって禁錮以上の刑に当たるもの(死刑に当たるものを除く。)については、次に掲げる期間を経過することによって完成する。
 1. 無期の懲役又は禁錮に当たる罪については30年
 2. 長期20年の懲役又は禁錮に当たる罪については20年
 3. 前二号に掲げる罪以外の罪については10年
 2. 時効は、人を死亡させた罪であって禁錮以上の刑に当たるもの以外の罪については、次に掲げる期間を経過することによって完成する。
 1. 死刑に当たる罪については25年
 2. 無期の懲役又は禁錮に当たる罪については15年
 3. 長期15年以上の懲役又は禁錮に当たる罪については10年
 4. 長期15年未満の懲役又は禁錮に当たる罪については7年
 5. 長期10年未満の懲役又は禁錮に当たる罪については5年
 6. 長期5年未満の懲役若しくは禁錮又は罰金に当たる罪については3年
 7. 拘留又は科料に当たる罪については1年

 公訴時効の期間について規定する。殺人罪のように、「人を死亡させた罪」であって、法定刑の上限が死刑である犯罪については公訴時効はなくなった。

酒井弁護士はこう説明した。
「既に時効になったものに、逮捕状は請求出来ません」

「やっぱり」

 既に時効だと言うことは重々承知していた、しかし、もしも弁護士が動いてくれたなら証人が得られ、民法で勝訴し、ワルシにも捜査の目が及んだかもしれないと期待していたのだが、弁護士という職業は、やはり加害者側の人なのだ、しかも県という組織を敵にしたい弁護士などいるはずはない。
そんなこと、祥子は最初から分かっていた。しかし、望みをもたなければ窒息してしまいそうなくらい苦しかったのだ。祥子が弁護士へ逮捕状請求の依頼をすると決め、資料をまとめている時は動悸も鎮まり、息がしやすかった、まるでゴールの見えない遠泳の途中で、浮き輪に縋りついているような感覚だったのだ。
 相談費用は無料だった、以前に盗撮被害の通知書を送っているが、一通送っただけで進展していないからだという。 帰り際に尋ねてみた。
「性被害者の会のようなものがあれば加入したいのですが、そういった団体はご存知ありませんか」 
酒井弁護士は調べることなく
「知りませんね」と言ったが、冷静を欠いているようにも見て取れた。
 
 祥子は再び、鬱々とする日々を過ごすこととなった。
 胸の内にはタールのようなものが張り付いたままで、頭の中では屈辱的な場面が繰り返される、思考を前に進めなければ溺れそうだ。
 祥子は何かに縋りたい一心で思考を巡らせた。

医者や薬剤師は適性検査を受けない、試験にさえ合格すれば人格異常者でもなれる、
おかしい
薬剤師は記憶を欠如させるような薬を調合し、それによって時効をくぐり抜けている、おかしい、
盗撮やレイプドラッグの犯罪は被害者の記憶が欠如している為、被害を自覚していない。

被害者の周囲に、被害者の猥褻な画像をばら撒いても、被害者の代りに被害届を出す者はいないし受理はされない。
周囲の者は被害者の自殺をおそれて、被害の実態を伝えられないまま時効が過ぎる。
医者や薬剤師が適性検査を受けないのなら刑罰は重くあるべきだ、時効は延長されるべきだ、刑法がおかしい!

 そうだ、法務大臣に刑法改正の上申書を提出しよう!

 祥子はネットで上申書の書き方を調べた。すると、法務省に性犯罪の刑法改正を働きかけている団体があることを知った。

 一般社団法人Spring

 一般社団法人Spring ホームページを一部引用
 公訴時効 (強制性交等罪=10年、 強制わいせつ罪=7年)を過ぎたら、 加害者を罪に問えない。

*レイプ被害経験者のPTSDの発症率(Kessler et al., 1995) 男性 65%
 *レイプ被害者のうつ病発症率 30%(犯罪被害者でない場合の発症率は10%)(全米女性調査,1992)
 *アルコール関連問題を抱える  非被害者の13.4倍
 *薬物関連の問題を抱える 非被害者の26.0倍(全米女性調査, 1992)
 性暴力からの回復には長い時間がかかるため 公訴時効は実態に即していないのです。

 【Springの提案】
 私たち性被害当事者は、刑法性犯罪における公訴時効の撤廃を求めます。

 これだ!
 あるじゃないか被害者の会が、酒井弁護士はなぜ教えてくれなかったのか?
 弁護士には利益を揺るがす団体だということなのか!
 祥子は2018年に被害を自覚してからというもの、ずっと過去を見続けていた、目はテレビ画面を向いていても、頭の中は過去しか見ていなかった。だから気づかなかった。
「性暴力からの回復には時間がかかる」という理由が理解できる、共鳴できる。
 祥子は直ぐに入会を決めた。
 やっと孤独から解放されたのだ!
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登場人物紹介

祥子・・55歳~57歳、温厚な性格の夫と、成人になった二人の子供と猫との4人と1匹の家族、独身の頃は看護師をしていたが結婚退職の後は専業主婦、その後起業した夫の会社で働く、手術を要する病気2回(一つは癌)を乗り越え、仕事と家事の合間に短歌、作文、絵、神社仏閣巡りなどの趣味を嗜む

敬寿・・祥子の夫(59歳~61歳)41歳で起業する、その頃は祥子の看護師復帰を反対するほどワンマンではあったが、祥子が病気になってからは祥子の身を案じ、家事も手伝い、ワンマンさは消える。寡黙でありながら家族から尊敬されている。趣味は釣り、祥子の付き合いで神社仏閣巡りにも行く。

二木輝幸さん・・青年のシルエットが祥子の瞼の裏に現れて訴えかけてくる。その後名前が分かる、祥子は「輝君」と呼んでいる。

大黒仁志(おおぐろひとし)/別名「オオ、ハラ黒ワルシ」・・薬剤師、祥子とはK病院時代からの知り合いであるが、祥子がK病院を退職した同時期に、独立して調剤薬局の経営者となる、今ではS県内に10店舗経営しているが、裏稼業にレイプドラッグ及び強姦映像の販売をしている。悪行を企てている時の目がランランと光りテンションが高い、一見して明るく社交的で饒舌、リーダーシップを発揮するために頼りがいのある人物に見間違えるが、女性を嵌める為の機を窺っていて、巧みに嘘を重ねる。

夏美・・大黒仁志の妻、祥子とは看護学生時代の同級生であり、K病院では同じ病棟で働いたいた同僚でもある。

六林婦人科医・・この物語では過去の人物としてしか登場しないが、六林医師の盗撮がなければ、祥子はワルシに狙われる事はなかった為に重要人物である。

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