第41話 歯がゆそうな人達

文字数 2,620文字

 1996年4月 祥子は、第一子を里帰り出産した。
産院はS県M町のM産婦人科であり、ハメル薬局本店の近医院であった。
その病院には元K病院で一緒に働いたこともある喜美子という看護師がいた。
喜美子によりM院内にも大黒の噂は流れていた模様である、そんなこととは知らずに、祥子はこんな会話を交わしている。
「結婚でき良かったですね」と喜美子は言う、祥子を不愉快にさせるような発言だとは思いつつも、31歳という年齢での結婚は、当時は遅いほうであったので素直に聞き入れて、
「そうね」と答える、そんな会話を2~3回もしていたように記憶している。
 そんな失言をされても、言い返さなかったのは、退院までの期間を世話になるからだ。
一方で喜美子は歯がゆそうな顔をしている。
そして突然、
「ハメル薬局にはいかない方が良いですよ」と忠告をくれる
「そうだね、特に出産後に投薬があるわけでもないから、行かないと思うけど」
そう言うだけで、疑問を投げかけることなく会話は途切れる。

 出産後退院してから一月後の検診の日に、突然、浅田産婦人科医が切り出した。
「あなたは過去にレイプされたことがあるでしょう」
「いいえ」
「されているんですよ」
「いいえ」
「自分が気づいていないだけで、されているのですよ」
 レイプなんて、全くのでまかせを誰から聞いたのか知らないが、今日はひと月後の検診であって、産後の体調のことや、子供の成育の話題に触れたいのだ、興味のない話で時間を使いたくない、だから祥子は
「じゃあ、そーゆーことで良いです」
「じゃあ、どうしますか、訴えますか」
「誰をですか、私には見覚えのないことですから」
「納得した訳じゃないのですか」
「先生が話題を戻してくれないから、話を切り上げただけです」
 医師は事実を伝えようとしたが、祥子の耳には届かなかった。

 ところで、産後一か月の褥婦に衝撃的な事実を伝えようとした医師の気が知れない、育児ノイローゼに陥る時期でもあると言うのに告げようとした医師は無神経すぎるではないか、しかしその意図するものは分かる。近くにレイプ魔の大黒が調剤薬局を営んでいる、M医院利用の患者も多く利用していることだろう、営業を止めさせたかったが、その手立てがなく日頃から不快に感じていたのだろう。そこに被害者の祥子が来たという訳だ、医院にとっては一人の患者の精神よりも、地域の安全を優先したかったという訳だろう。

 1996年6月、第一子を出産してマンションに戻り、それからひと月以後くらいに時期に、マンションエントランス付近でマンションのオーナー婦人に声を掛けられる。
「赤ちゃんの成長は早いわね、孫の為に買い置きしていたオムツで、孫が大きくなったから残っているのがあるのよ、良かったら貰ってくれないかしら、家にとりに来てくれる」

 祥子は斜向かいの大家の自宅へ行った。夫人は祥子にオムツを渡すまえに玄関の上がりのところに腰を掛けさせ、会話を始めた。
「趣味は何」
「独身の頃はスキーに行ってました」
「男女で行くこともあった」
「病院に勤めていたので、グループで出掛けていました」
「最後に男女で行ったのは何時?」
「五年くらい前になります」というと、奥から亭主が現れて
「時効か!」という、その言葉の後に夫人が
「どんな職種の人達だったの」
「男子は、医務課の人と、薬剤師と・・」と言った瞬間に亭主が
「そいつらや、そいつらにレイプされたんや!」
「されてませんよ」と言って祥子は夫人を見た。
 祥子は夫人が夫の失言を詫びてくれるのではと思ったのだったが、夫人の態度は驚きもせず、
「レイプされたら、自分で分からないってことはないわよね」という、祥子は過去に聞いたことのある話を思い出して、その話を聞かせた、

「本人が気が付かないこともあるみたいです。以前勤めていた病院の産婦人科で、夫婦は日本人なのに、黒人の赤ちゃんが生まれて、それで、妻は夫からも家族からも疑われて、うつ状態になって窓から飛び降り自殺をしてしまったんです。後になって夫は、新婚旅行の時にルームサービスで、コーヒーを注文したことを思い出したんです」

 夫人はうつむき会話は途切れ、その場はシーンとなる。
 気を取り直した夫人は、奥の部屋から封の開けていないオムツを持って来て祥子に差し出した。使いさしの封の開いたオムツを貰うのだと思っていた祥子は、恐縮しながら新品のオムツを受け取り玄関を出た。小さくなったオムツというのは、祥子を家に呼ぶための口実だったようだ。
 門のところに立っている亭主の横を通り過ぎるとき亭主は背中越しにこう言った。
「男って、損な生きものや、働きバチみたいに働かされて、スカくじを引かされるんや」

 当時、意味が分からなかった祥子は、おむつを貰ったお礼を伝えて通り過ぎたが、祥子はスカくじ呼ばわりされていたのだ! 犯人は男だというのに、被害者である女を悪者にする、それが男なのだ。そして
 祥子への強姦映像の静止画面の写真を送られてきたオーナー夫妻は、犯人逮捕可能な時効を気にしながら、祥子の出産を終えるまで祥子に告げるのを待っていたのだろう。ところが祥子の口から被害者の自殺の話を聞いて、祥子自身が被害者なのだと告げることを止めたのだろう。

 同じような会話を山岸夫妻とも交わしたことがある。
 祥子達に話しがあると言って呼び出した山岸夫妻は大型スーパーで待ち合わせし、ひとけの少ないフードコーナーの一角を選んで座り、記理子は祥子にこう切り出した
「祥子さんは元看護師さんやったから、参考に聞かせて貰いたいことがある、友達の話なんやけどな、友達がレイプされたみたいなんやけど、これって本人は知らないことってあると思う?」
 祥子はマンションオーナーに語った話を聞かせた。
 
 記理子は、友達の話だと言いながら、祥子にスキー旅行の話などを聞いて来る、
いつ頃か?どんなメンバーで行ったか? など、マンションのオーナー婦人が聞いてきた内容と類似している。

 祥子は疑問に思いながらも答えているが、机がガタガタと揺れたり、記理子の「痛い、蹴らんといて」という声が会話を途切れさせていた。机の下を覗くと、記理子以外の足は敬寿しか見当たらない、敬寿は知らん顔をしている。
 結局、記理子はレイプの被害者は祥子自身の事だとは告げなかった。

 敬寿は多分、記理子に祥子への質問を止めさせたかったのだろう、敬寿は一体、いつから知っていたのだろう、
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登場人物紹介

祥子・・55歳~57歳、温厚な性格の夫と、成人になった二人の子供と猫との4人と1匹の家族、独身の頃は看護師をしていたが結婚退職の後は専業主婦、その後起業した夫の会社で働く、手術を要する病気2回(一つは癌)を乗り越え、仕事と家事の合間に短歌、作文、絵、神社仏閣巡りなどの趣味を嗜む

敬寿・・祥子の夫(59歳~61歳)41歳で起業する、その頃は祥子の看護師復帰を反対するほどワンマンではあったが、祥子が病気になってからは祥子の身を案じ、家事も手伝い、ワンマンさは消える。寡黙でありながら家族から尊敬されている。趣味は釣り、祥子の付き合いで神社仏閣巡りにも行く。

二木輝幸さん・・青年のシルエットが祥子の瞼の裏に現れて訴えかけてくる。その後名前が分かる、祥子は「輝君」と呼んでいる。

大黒仁志(おおぐろひとし)/別名「オオ、ハラ黒ワルシ」・・薬剤師、祥子とはK病院時代からの知り合いであるが、祥子がK病院を退職した同時期に、独立して調剤薬局の経営者となる、今ではS県内に10店舗経営しているが、裏稼業にレイプドラッグ及び強姦映像の販売をしている。悪行を企てている時の目がランランと光りテンションが高い、一見して明るく社交的で饒舌、リーダーシップを発揮するために頼りがいのある人物に見間違えるが、女性を嵌める為の機を窺っていて、巧みに嘘を重ねる。

夏美・・大黒仁志の妻、祥子とは看護学生時代の同級生であり、K病院では同じ病棟で働いたいた同僚でもある。

六林婦人科医・・この物語では過去の人物としてしか登場しないが、六林医師の盗撮がなければ、祥子はワルシに狙われる事はなかった為に重要人物である。

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