第29話 スノーモービル

文字数 2,409文字

  S県立公立病院青年交流会スキーツアーの二日目、午前中はスキー教室に参加して、午後からはグループで行動していた。リフトを乗り継いで山頂付近まで登るとき、八方尾根と呼ばれる理由が分かるような、尾根が次々に姿を見せつけてくれた。山頂に上がるほど勾配は急になり、上級者コースになるのであるが、祥子は景色が見たいがために山頂まで乗り継いでいった。
 スキーになれている人は自分のレベルに合ったところを見極めて、リフトを降りるが、初心者ほど無謀であり、好奇心旺盛な祥子は山頂まで行ってしまったのだ。

 後悔先に立たずである。

 山頂からの雄大な雪景色に感動できたのも束の間、コースらしき山道は無く、人の後を付いてゆくと、絶壁であった。降りられるはずはなく、板を抱えて、お尻で滑り降りる羽目になった。  
 ワルシもまた祥子に習って同じようにしてお尻で滑り降りてきた。 
 祥子がスキーを始めたのは、同じ病棟の先輩看護師である、貴子さんと佳代子さんに県内のスキーに誘って貰ったことが始まる、そして、そのスキーを企画してくれたのはワルシであり、ワルシはスキー以外にもいろいろな交流会を計画し惜しみなく世話を焼いてくれる存在であったため、親切で頼りがいのある兄貴分として信頼を寄せていたのだ。
 そのワルシが祥子と同じように板を担いでお尻で滑り降りることに驚いていた。
「わしは難しいところは滑りたくないんや」と言う。
 この時、祥子は自分を放っておけないから付いてきてくれたのだと勘違いしていたのだ。
 そうして、グループからはぐれた二人は緩やかなコースを見つけて滑り、一軒の森のカフェにたどり着いた、

 たまたまそこにたどり着いたと思い込んでいたのだ。

 祥子は疲労と凍えた体を温めようと、ココアを注文した、一口飲んだところで、尿意を催してトイレへ行った。戻ってくると既にココアは引き上げられていた。
「まだココアが沢山残っていたのに、何故引き上げられたの」と不満を漏らした
「水があるから、それでええやんけ、美味しい水やぞ」
「私はココアが飲みたかったのに、何故、引き上げさせたの」
「水も美味しいぞ」と説得され、ココアに未練を残しながらも諦めざるを得なかった、
 水を一口飲んだところで、益々寒気が増してきて、コップを置いた。

 何故かしらワルシは何度も水を勧めてくるが、飲む気がせず、再度トイレへと言った。

 トイレの中では震えが止まらない、そのためにトイレを占領してしまっていた。

 誰かがトイレの戸を叩く、寒気は止まないが、とりあえずトイレを出る。
 出たところで、ワルシはモーグルに乗ってきた男と喋っている。
 やり取りの雰囲気からして顔見知りのようだ。
「知り合いがいたのですか」と問うと、ワルシは
「まぁ」と軽くうなずいて
「この兄さんな、スノーモービルで来てるんや、楽しいからバイクに乗せて貰えや」と促され、一旦カフェの裏口から外に出てみた。
 外では数台のスノーモービルがエンジン音を響かせ、発車してどこかを一周して戻って来るといった運転を繰り返していた。
 本来の好奇心旺盛な祥子なら、断ることはしなかっただろうが、外気に当たったことで再び悪寒に襲われたので、直ぐに店内に戻っている。そして再びトイレを占領した。

 そして不思議なことに、スノーモービルのエンジン音が消え去った後に、震えが治まりトイレから出られた。
 テーブルに座ると、相変わらずワルシは水を勧めてくる、しかし
「寒いから水は要らない」と、きっぱり断っている。

 祥子は眠気に襲われていた。リフトの鉄の棒をしっかりとつかみ、もたれるように座っているとき、ワルシはテンション高めに何かをしゃべっている、しかしその時は眠くて理解できなかった。
「もしもモーグルに乗ったら、山の中に連れ込まれて、裸にされて、雪を被せられて殺されるところやってんぞ、一寸のところで助かったな。モーグルの男は殺人をしたことがあるねんぞ」
 ボーっとした頭で聞こえて来る声は妄想にしか聞こえなかった。
「札幌の事覚えてるか?」
「何?」
「夜中のあれや」
「何‥‥‥?」
 祥子は眠気の中で札幌の夜中の記憶を呼び起こしていた
「あっ! お祭りのこと‥‥‥あれはどんなお祭りやったの?」
 ワルシの横顔が怪訝になった。

 ワルシと二人のリフトは尾根を越えた、離れたところに前の二人が見えるが、後方は尾根に挟まれて人の姿が見えない、リフトの眼下は高い樹々に覆われていて、落ちてしまっても誰にも気づかれないような上空に差し掛かっていた。


 突然ワルシが祥子を押しはじめ、それはまるで突き落とすかのような行動をしてきた、
 祥子は最初のうちは
「やめて、冗談きつい」と言い返す程度だったが真剣なまなざしで押してくるので、前後の人にも聞こえる様に大声で

「止めて!」と叫んだ。

「ごめんごめん、冗談きつかったな」と言って、ワルシの手は止まった。

 鋭かった目は元のワルシに戻り、冗談めいた顔色に変わっていた。それにより、数日は口を利かなかったが、いつの間にか許していたのだ。

 モーグルの男は、以前の涼さんのイメージ撮影をしていた時のカメラマンと同一人物だ。
 スナック・ウルトラのマスターであり、スキー場のコテージのオーナーでもある、黒い瞳をしている。

 祥子は看護学生の時に友人達と広島、岡山、山口へとドライブ旅行に行っているが、途中のどこかで、よく当たると言われている占い師に見て貰ったことがある。そのときに言われたことばは突拍子もない事だったので、聞き流していた。

「貴女は大きな渦に巻き込まれようとしています、すでに今も始まっているかもしれないです、特に気を付けなければいけないのは、スキー場で乗るバイクには誘われても乗ってはいけません、貴女を殺そうとしているからです、でも守護霊が護ってくれるのであなたは助かります、でも気を付けるように、でも守ってくれるから大丈夫」
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登場人物紹介

祥子・・55歳~57歳、温厚な性格の夫と、成人になった二人の子供と猫との4人と1匹の家族、独身の頃は看護師をしていたが結婚退職の後は専業主婦、その後起業した夫の会社で働く、手術を要する病気2回(一つは癌)を乗り越え、仕事と家事の合間に短歌、作文、絵、神社仏閣巡りなどの趣味を嗜む

敬寿・・祥子の夫(59歳~61歳)41歳で起業する、その頃は祥子の看護師復帰を反対するほどワンマンではあったが、祥子が病気になってからは祥子の身を案じ、家事も手伝い、ワンマンさは消える。寡黙でありながら家族から尊敬されている。趣味は釣り、祥子の付き合いで神社仏閣巡りにも行く。

二木輝幸さん・・青年のシルエットが祥子の瞼の裏に現れて訴えかけてくる。その後名前が分かる、祥子は「輝君」と呼んでいる。

大黒仁志(おおぐろひとし)/別名「オオ、ハラ黒ワルシ」・・薬剤師、祥子とはK病院時代からの知り合いであるが、祥子がK病院を退職した同時期に、独立して調剤薬局の経営者となる、今ではS県内に10店舗経営しているが、裏稼業にレイプドラッグ及び強姦映像の販売をしている。悪行を企てている時の目がランランと光りテンションが高い、一見して明るく社交的で饒舌、リーダーシップを発揮するために頼りがいのある人物に見間違えるが、女性を嵌める為の機を窺っていて、巧みに嘘を重ねる。

夏美・・大黒仁志の妻、祥子とは看護学生時代の同級生であり、K病院では同じ病棟で働いたいた同僚でもある。

六林婦人科医・・この物語では過去の人物としてしか登場しないが、六林医師の盗撮がなければ、祥子はワルシに狙われる事はなかった為に重要人物である。

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