第32話 置屋の女房
文字数 2,755文字
祥子が喋りかける
「大黒さんが調剤薬局を開業され成功されたから、お医者様のお義父様は喜んでいらっしゃるでしょう、最初は資金援助とかも、してくださったのでしょう」
「お義父さんは反対しているの、だから資金援助は一切してもらっていないの」
「そしたら夏美が援助したの」
「副業が儲かっているらしくて金銭面の心配はいらないらしいの」
「副業を? 何をしてらっしゃるの」
「健康体操ビデオというのを売ってるみたい」
「どんな体操なの」
「私には分からないの」
「見せて貰いたいわ」
「私も観たことがないの」
「何故」
「何度も頼んでみたけれど、『男の仕事に口出しをするな』と怒り出すから、見るのは諦めたわ」
トシちゃんはハッとした表情になって、とっさに小さな声で呟いた。
「祥子のことや!」
「何のこと」と聞き返す祥子の声と
「何か知っているの?」と聞き返す夏美の声とが重なった。
夏美は乗り出してトシちゃんに攻寄る
「ねぇ、トシちゃん、知っていることがあれば教えて欲しいの、主人も『祥子が良く動いてくれたからビデオが良く売れている、祥子のおかげで家一軒は建つ、いや小さな家やったら二軒は建つ、祥子には足を向けて寝られへんぞ、友達は大切にせーや』と言っているの、そう言いながら『あいつはボタンをかけ間違えたんや』とも言うの、理由は教えてくれないから気になっていたの、ねぇトシちゃん教えてよ」
夏美と祥子は運転しているトシちゃんの顔を覗き込むと、トシちゃんは慌てて、
「ちゃうちゃう、気のせい」と言って首を振って、口を堅く閉ざした。
夏美はワルシの意味不審な言動の多さに不安を漏らしている。
「大黒がね、『お前は置屋の女房や、俺と同じ釜の飯を食うてるから、ええ他人ぶるなよ』と言うの」
「置屋?‥‥‥調剤薬局でしょう」
「あの人は時々訳の分からないことを言うの‥‥‥、我が家はみんなおかしいの、お義父さんは私の作ったものは一切食べないのよ、頑丈に封のしてあるお土産なら、受け取ってくれるけれど、パックの和菓子とかは返されるの。一度入院したことがあったのだけど、『あいつ(ワルシ)には入院先の病院を絶対に教えるな!』と血相を変えて必死にいわれたの、娘たちも、お茶は各自でペットボトルを持ち歩いて、トイレの中にまで持ち込むし‥‥‥娘に言われるの『お母さんも被害者だよ、気づいて』って」
「夏美は何の被害者だと娘さんは言ってるの?」
蚊の鳴くような声で
「‥‥‥レイプ」
「そんなはずないよ、親子でしょう、次女さんはまだ中学生でしょう」
「‥‥‥そうよね、娘たちが変な事いっているのよね、きっとそうだわ、今の話は聞かなかったことにしてね」
「わかった、聞かなかったことにするね、ところで息子さんは薬局を継がれるの?」
「息子も薬剤師を目指してはいるけれど、夫は満足していないの、だから息子との関係も悪いの、悪いというより変なの、夫は息子の事を『あいつは腰抜けや』と罵倒するの、副業を継がせたかったみたいだけど素質がないというの」
「大黒さんはみんなの世話を快く焼いてくれていたから、子煩悩そうにみえるけれど、 家族旅行とかは良く行くの」
「旅行へは行かない、一緒に行きたいと思わないし、家では機嫌が悪くって、突然怒り出すし、外出してくれているほうが落ち着くの、一度だけ北海道へ行ったことはあるけれど、観光はせずに札幌の旧友が経営するホテルで一泊しただけなの」
「そうなんだ、きっと仕事上の付き合いで、ゴルフとか接待とかで忙しいのでしょうね」
「仕事の事は良く分からないけれど、お祭りによく出掛けるの」
「青年団とか地域の会合に参加しているのね、飲み会があるのかな」
「違うみたい、なんかね『おにぎりを作らなあかんから、薬局に寄ってから行く』と言って出かけるの、その時は機嫌が良いのよ」
「おにぎりを作りに薬局へ行くの?夏美が作ってあげないの」
「作った事はないし、頼まれたこともない、本当のお祭りではなさそうだけど、何を言っているのか分からないの、お握りの具は固まりを潰して粉にしてから別の具と混ぜ合わせるらしいの」
「ふーん、どんなお祭りなのでしょうね」
「全然分からないけれど、お祭りのある日は機嫌が良いから、出掛けてくれる方が良いの」
この時は意味がわからなかったが、お祭りとはドラッグレイプ撮影のことで、お握りとはレイプに使う睡眠薬と何かを混ぜた薬品のことに違いない、それらを健康体操ビデオという名目で販売していたのだ。そして犯罪を息子に継がせようと強要していたのだ。
また夏美の話を冗談半分で聞いていたが、夏美が真面目な顔つきで発していた言葉も蘇った。
「テレパシーでも妊娠するのよ、第2子は夫から『テレパシーを送るから目を見て』と言われて、見返したら妊娠したの、でも第3子はテレパシーも貰っていないのに妊娠したのよ」
〝夏美は完全にマインドコントロールを掛けられている〟
もう娘達への憎しみは消えた。逆に可哀そうで仕方がない、
同窓会の席で夏美が発した言葉を振り返ってみた。
誰かが、
「新聞に載っていたけれど、梨さん、何者かに襲われて怪我をしたみたいね、大事には至らなかったらしいけれど、それで欠席したのかしら」と言った、その時に夏美が、
「主人が言っていたけれど、梨さんは色々な人に借金しているみたいね、主人も何回も貸してあげたらしいけど、なかなか返してくれないと言っていたわ」
その会話の後に、波子から
「夏美には近づくな」と忠告され
一方で夏美からは
「梨さんに近づくと借金を強請られるから、近づかない方が良いよ」と忠告されていた。
〝もしかすると梨さんは、祥子の被害をワルシに攻めよってくれたのかも知れない、それにより報復されたのかもしれない、そして夏美はワルシに操られていることに気づいてはいないようだ″
祥子は友人たちが祥子を倦厭しはじめた理由が分かった。ワルシに狙われたら報復されるからだ、もしも祥子が友人たちの立場だったとしたら自分も同じようにしていただろうと思った。だから恨んではいない、しかし、もしもこの手記によって世間の目をワルシに向けることが出来たなら、皆には一斉にワルシの悪戯を供述して貰いたいと思っている。実は祥子だって手記を公表することが怖くて堪らない、しかし「護りたい」と言ってくれている輝君の声を信じたいのだ。
祥子は西国三十三所巡りとは別に、不動明王、毘沙門天、馬頭観音、閻魔大王、七福神巡りも始めた。手記を書くことで動悸も呼吸も治まっていたのに、今は書くことで手が震え、書いても書かなくても動揺が消えない、こんな時は力強い何かに頼りたくなるのである。ワルシの悪戯を告げ、護摩札にはワルシの悪戯を記載して逮捕されることを祈念している。