第4話 「眼力社」を掛ける

文字数 1,697文字

 2018年11月4日 祥子は釣りをしている夫を待ちながら琵琶湖を眺めていた。琵琶湖の湖面は穏やかに、なだらかな比叡の山脈を映していて、ボートが(よぎ)ろうともビクともせずに凪の湖面を保っている。それを見て祥子は動じない心を持ちたいと思った。
 釣りの後に、祥子は敬寿と一緒に観音正寺を参拝した。一願一言地蔵様には、「心が強くなれますように」と祈念した。そしてご本尊の白檀の千手千眼観世音菩薩坐像に参拝し、散華で御身拭いをさせて貰ったとき「何を聞いても、へこたれない心を授けて下さい」と祈念した。御本堂は平成5年に全焼しており、再建させるために並々ならぬ困難を乗り越えたのだと知り、その力をあやかりたいと思ったのだ。そして敬寿は御身拭いの散華を自分の身ではなく祥子の頭を撫で「祥子が余計な事を考えませんように」祈念してくれていた。大きな白檀の観世音像からは温もりが感じられ、ご祈念の声を聞き入れて下さったのかどうかは分からないが、活力を授かれた。
 
 11月10日、祥子は無性に眼力社へお参りしたくなり、独りで2時間半かけ伏見稲荷大社を巡った。千本鳥居をくぐり抜け、そこからは胸の鼓動を確かめながら稲荷山を登ったが、日頃の心臓リハビリテーションが効いていたようで動悸は気にならなかった。そして目的の「眼力社」へお参りをすませてから「眼力」と書かれた色紙を購入し、自宅の玄関の南側の壁に掛けた。

 11月23日には目の観音様と呼ばれている、柳谷観音楊谷寺(やなぎたにかんのんようこくじ)にもお参りに行っている。そこには独鈷水(おこうずい)が湧いていて、その水で瞼をすすいだ。
寺伝によれば、811年弘法大使「空海」が眼病で悩む人々のために霊水にされたという霊験新たな湧き水で、今も眼病平癒の霊水として信仰を集めていると記されている。

 祥子はどれほどの衝撃を受けようとも真実が知りたかった。そのためにも強い心と真実を見通せる眼が欲しかったのだ。

 またひとつ記憶が蘇った
「顔が性器にしか見えない」と言ったのは、スキーバスで祥子の隣に座っていたプロパーだ(※当時は製薬会社の営業マンの事をプロパーと呼んでいた)
 祥子は30年前のニセコスキー場の近くの、スキー旅行の記憶を掘り起こすことにした。
「なんて失礼な事を言うんや、可愛い子やんけ、大黒さんのお気に入りやぞ」と薬剤師の中島さんがフォローしてくれたが、それに対してプロパーは小さな声で
「だって、S病院で見たし、○○さんも言ってるし」と呟いた。「○○さん」の声が小さ過ぎて聞き取れない。しかし、プロパーがサイコバス・サイキと関わっていると確信した。プロパーの名前は、苗字に「西」の文字がついていたと思うが、西野、西田、西出、西沢、はっきり思い出せないのがもどかしい。
 〝サイコバス・サイキ″とは、祥子に標本について説明した、男のことであるが、祥子がS病院の食堂上の廊下を歩いていた時に、
「なんやて! サイキがK病院と取引したのか、アイツはサイコパス・サイキや!」と、話している会話に聞き耳を立てながら歩いていて、その直後に、天然パーマの茶髪男が、正面から白衣をなびかせながら駆け寄ってきたのだ。
「皮膚の一部を横に引っ張れば人間の顔みたいに見える標本があって、それをこれから観に行くんや」と愉快そうに話しかけられた時、祥子の背後から、
「サイキには気を付けろ」という注意喚起の声が聴こえたので、男の名札を視て名前を確認したのだ。その名は「斉木」、サイコバスサイキは、
「標本は毛みたいなピンで留められていて、僕の毛は天然パーマやけど、ちょっと違う縮れ方をしているピンで留まってるんや、その毛は学生の髪より先生の髪に似てるんや」と喋りまくってから地下へと降りて行った。
「顔が性器にしか見えない」と言った西○の言動と類似していることから、サイコバス・サイキとプロパー西○とが、取引したのだと推測できる。西〇の正確な名前と製薬会社を知りたいが、中島さんや三橋さんとの繋がりも途絶えているので調べようがない、そうだ夏美に聞いてみよう。それにしても食道粘膜にタールがへばり付いているかのように胸が重苦しくて、えずいて仕方がない。
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登場人物紹介

祥子・・55歳~57歳、温厚な性格の夫と、成人になった二人の子供と猫との4人と1匹の家族、独身の頃は看護師をしていたが結婚退職の後は専業主婦、その後起業した夫の会社で働く、手術を要する病気2回(一つは癌)を乗り越え、仕事と家事の合間に短歌、作文、絵、神社仏閣巡りなどの趣味を嗜む

敬寿・・祥子の夫(59歳~61歳)41歳で起業する、その頃は祥子の看護師復帰を反対するほどワンマンではあったが、祥子が病気になってからは祥子の身を案じ、家事も手伝い、ワンマンさは消える。寡黙でありながら家族から尊敬されている。趣味は釣り、祥子の付き合いで神社仏閣巡りにも行く。

二木輝幸さん・・青年のシルエットが祥子の瞼の裏に現れて訴えかけてくる。その後名前が分かる、祥子は「輝君」と呼んでいる。

大黒仁志(おおぐろひとし)/別名「オオ、ハラ黒ワルシ」・・薬剤師、祥子とはK病院時代からの知り合いであるが、祥子がK病院を退職した同時期に、独立して調剤薬局の経営者となる、今ではS県内に10店舗経営しているが、裏稼業にレイプドラッグ及び強姦映像の販売をしている。悪行を企てている時の目がランランと光りテンションが高い、一見して明るく社交的で饒舌、リーダーシップを発揮するために頼りがいのある人物に見間違えるが、女性を嵌める為の機を窺っていて、巧みに嘘を重ねる。

夏美・・大黒仁志の妻、祥子とは看護学生時代の同級生であり、K病院では同じ病棟で働いたいた同僚でもある。

六林婦人科医・・この物語では過去の人物としてしか登場しないが、六林医師の盗撮がなければ、祥子はワルシに狙われる事はなかった為に重要人物である。

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