第26話 試飲の感想

文字数 2,063文字

 1985年、祥子22歳、札幌旅行がさらに蘇る
 お風呂から上がって部屋のもどるとテーブルの上に「ピラクン」(100㏄の乳製品の商品名)が一本あった、封は開いている、
「さっき大黒さんからピラクンの差し入れを貰ったから、飲んでね、このホテルではピラクルの製造元から試食の協力依頼をされていて感想を集めているらしいの」
「佳奈子さんも貰ったのですか」
「私はその場で飲んで空を渡したの、だからそこにあるのは祥子さんのよ、ちゃんと飲ませといてと念を押されたから、残さずに飲んでね、私は眠いから先に寝させてもらうけど、飲んどいてよ」そう言って佳奈子さんはベッドに潜った、ちょうどその時、大先輩の澄子さんが訪ねてきた。この旅行に澄子さんも来てくれたことで、若いナースたちは喜んでいた。澄子さんの性格が優しく穏やかな人柄であるため憧れを抱いていたからだ。また当時は同じ病棟から一度に7名もの看護師を旅行にいかせてくれるという、病棟看護師長の太っ腹さに看護師たちは浮かれていた。しかし看護師長の意図は違っていたようだ。
「澄子さんがいれば安心、ワルがいるから、大勢で行かせた方が良い」
「ワルって?」と質問すると、澄子さんが看護師長を諫めるように首を横に振った。澄子さんは涼さんと親しかったことから、何かを聞かされていたのかもしれない、そしてその事は看護師長も周知していたようで、澄子さんが同行してくれたのはワルシを監視することが目的だったと考えられる。
「澄子さんたちもピラクンの差し入れを貰いましたか」と祥子が尋ねると
「貰っていないけど、あなたたちは貰ったの」と澄子さんが問いかけた
「はい」
「これがそうなの」と言って、開封されたピラクンを見ている
「はい、私はもう飲みました、それは祥子さんの分です」と佳奈子さんがベッドに潜りながら言う。
「えっ、佳奈子さんは、もう飲んでしまったの」
「はいその場で飲みました」と佳奈子さん
「これは飲んではダメよ、捨てましょう」と澄子さん
「ダメです、大黒さんに『祥子さんが飲みきるのを見届けて』と念を押されたんです、だからそれくらい、いっきに飲んでしまってよ」と佳奈子さんが眠りにながら言う
「これはダメ、捨てましょう」と澄子さん
「飲んでくれないと私が怒られますから、飲んでちょうだい」
 澄子さんと佳奈子さんはどちらも引かない、祥子にはなぜ100㏄程度で揉めるのかが不思議だった。
「じゃあ半分飲んで、半分捨てます」と祥子は言った。
「じゃあ・・・空っぽにしといてね、大黒さんには飲んだと言っておいてね・・・私はもう寝る・・・スースースー」佳奈子さんは眠った。
「じゃあ私が半分捨ててあげるわ」といって澄子さんが洗面所に捨てに行った。そして残っていたのは底に少しの量であった、祥子はそれを飲み干した。

 〝澄子さんは全部捨てれば良かったと後悔しただろう〟

 前夜の不審な動きが鮮明に再現される。
「二人に手伝って欲しいことがあるねん、ちょっと俺に付いてきて、この任務は二人にしかでけんことやぞ、名誉やぞ」ワルシはこの旅行を企画してくれた人であり、言動には一目置いていた、手伝ってと言われれば断る理由はない、祥子と佳奈子さんはワルシの後をついて行った、その途中に客室サービスカウンターに立ち寄った、カウンター内にはアルバイトらしき若者がいる、その人に向かって、ワルシは
「主任いてるか」と言う、
「今は手が離せないです」
「そうか、それやったら兄ちゃんでええわ、その壁に掛かってる鍵を貸してくれ、上の方に掛かってるやつや、オレンジ色のタグが付いてるやろ、それや、かまへん、勝手知ったるなんとかや、主任と俺とはダチやから詳しいんや、主任には話を付けてあるから貸してくれたらええんや」と言う、若者は困った様子で奥に向かって伝えている、すると忙しそうにしながら主任らしき人が現れ、ササッと鍵をワルシに渡すが、愛想は悪く、そのまま奥にもどろうとする、その後姿に向かってワルシが
「ショショショショショー、ちょっとこいや、この子ら紹介しとくわ、K病院の看護師らや、ほらお前らも挨拶せえや」と祥子たちに促す、祥子も佳奈子さんも会釈をする、するとワルシがショーと呼んだ主任に近づき、小さな声で
「どっちが好みや」と言った。主任は無反応なまま奥へ消えて行った。もしかするとワルシにだけ見えるように指で合図をしていたのかもしれない。ワルシは主任の背中に
「後で酒飲もう、部屋へ行くわ」と言う、主任は振り向かなかった
「友達なんですか、笑ってもくれなかったですよ」
「ええんや、忙しいねんやろ、そしたらもう解散や」
「何を手伝うんでしたか」
「もう手伝わんでもええわ、用がなくなったわ」
 今思うと、明らかに怪しい、強姦する相手を品定めされていたと勘ぐれる。
 部屋の扉のチェーンについて言われていたことも蘇った。
「このチェーン、一見問題なさそうに見えるけど調子悪いらしいねん、修理で夜中に主任を呼び出したら可愛そうやから、チェーンは掛けんといたって欲しいんや、触るのもあかんで」

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登場人物紹介

祥子・・55歳~57歳、温厚な性格の夫と、成人になった二人の子供と猫との4人と1匹の家族、独身の頃は看護師をしていたが結婚退職の後は専業主婦、その後起業した夫の会社で働く、手術を要する病気2回(一つは癌)を乗り越え、仕事と家事の合間に短歌、作文、絵、神社仏閣巡りなどの趣味を嗜む

敬寿・・祥子の夫(59歳~61歳)41歳で起業する、その頃は祥子の看護師復帰を反対するほどワンマンではあったが、祥子が病気になってからは祥子の身を案じ、家事も手伝い、ワンマンさは消える。寡黙でありながら家族から尊敬されている。趣味は釣り、祥子の付き合いで神社仏閣巡りにも行く。

二木輝幸さん・・青年のシルエットが祥子の瞼の裏に現れて訴えかけてくる。その後名前が分かる、祥子は「輝君」と呼んでいる。

大黒仁志(おおぐろひとし)/別名「オオ、ハラ黒ワルシ」・・薬剤師、祥子とはK病院時代からの知り合いであるが、祥子がK病院を退職した同時期に、独立して調剤薬局の経営者となる、今ではS県内に10店舗経営しているが、裏稼業にレイプドラッグ及び強姦映像の販売をしている。悪行を企てている時の目がランランと光りテンションが高い、一見して明るく社交的で饒舌、リーダーシップを発揮するために頼りがいのある人物に見間違えるが、女性を嵌める為の機を窺っていて、巧みに嘘を重ねる。

夏美・・大黒仁志の妻、祥子とは看護学生時代の同級生であり、K病院では同じ病棟で働いたいた同僚でもある。

六林婦人科医・・この物語では過去の人物としてしか登場しないが、六林医師の盗撮がなければ、祥子はワルシに狙われる事はなかった為に重要人物である。

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