第34話 反日感情を利用して

文字数 3,138文字

 1991年 冬、祥子はトシちゃんとみどりの三人で台湾旅行へ行った。
 祥子は旅の記憶を呼び起こそうとアルバムを捲ったが写真は無かった、その理由は写真を撮ってくれていたトシちゃんが写真の現像をしてくれなかったからだ。

 トシちゃんのテンションが突然下がったのは、旅行の最終日の前夜からだった、当時は何が理由なのかは分からないまま、帰国後も普通の会話は出来ていたが、台湾旅行の話題になると会話が途絶えた。そんなふうで写真の現像もしてもらえないまま日が過ぎ、いつの間にか祥子も諦めていたのだ。

 現地でのツアーガイドをしてくれたのは、日本への留学で言葉を学んだという台湾人のシンさん。彼は頻繁に日本を旅しているらしく、初日から大阪弁交じりの流暢な日本語で親日家をアピールしてくれる人だったが、会話をしていない時の彼は近寄りがたい雰囲気が垣間見られた。それもそのはず、戦争により侵略された国と侵略してきた国、統治下におかれていた国の歴史も国民の屈辱も学ぶことなく、その地に降り立ち、無邪気にはしゃぐ日本人の若い女性客を彼らは苦々しく見ていたに違いない、しかもその当時の日本はバブルが崩壊したとはいえ、若い女性客の浪費の様は不愉快極まりなかったであろう、しかしツアーガイドを生業にしてしまった以上、その感情を抑えて客を喜ばせなければならない、彼らは葛藤を抱えていたのだ、その葛藤を払拭する手段が日本人女性のレイプ映像だったのかもしれない。

 トシちゃんは聞き洩らさなかったのだ。

 台南、高尾、桃源郷、台北を観光したのは覚えている。新幹線とバスで移動しながらの三泊四日の旅であった。
 三日目のこと、新幹線に長時間乗って到着したのは台北、シンさんは三日ぶりに自分の街に帰ってきたのだ。街ですれ違うツアーガイドさんも顔見知りの人が多いようで、陽気に挨拶を交わしている。その中の一人がシンさんとすれ違い様に現地語で
「この人か?」と言っているかのように祥子を指さした、それは一瞬だったが、祥子は気になって
「何か?」とシンさんに質問した、シンさんには
「仕事の話しです」と交わされてる。
 しかしそのジェスチャーはトシちゃんの額の上で交わされたのだ。
 驚きを隠しきれなっかったトシちゃんは、祥子に
「あんた、ここでも!」と呟く、
「何が」と反応する祥子
 うううんと首を横に振ったトシちゃんは、意味することを説明しなかった、この時からトシちゃんのテンションは下がったのだ。

 夕食後、ホテルまで送って貰って、その日の行程は終わる。しかし、シンさんはプライベートでカラオケに誘ってくれた、奥さんと、同僚のツアーガイドと私たちとで行くのだと聞き、奥さん見たさもあって、祥子とみどりは喜んで合意した。しかしトシちゃんは行きたくないと言い、一人でホテルへ戻った。

 奥さんの仕事が終わるのを待つ間、シンさんは自宅に立ち寄り、自宅も拝見させてもらった、その後に奥さんのお母さんが経営している宝石店へ案内された、何か買わされるのかも!と神妙な面持ちで立ち寄ってみたが、押し売りのような雰囲気ではなく、お母さんとの会話だけであった。しかし、この時のお母さんの印象と会話は心に強く残ることとなった。

 控えめでありながらも清楚で上品な口元から流れ出る、小川のせせらぎのような流暢な日本語に感嘆し
「日本語の、標準語がこんなにも綺麗な言葉だったなんて、初めて気づきました」と褒め讃えた、すると照れくさそうに、日本でのある出来事を話してくださった。
「東京へ旅行に行った時に、言葉に訛りのある方に道を尋ねられましてね、そのときに『私は外国人ですから、分かりません』と答えましたら、『がいこく?がいこくという地名があるところから来たんですね』と仰られましてね、日本人だと思い込まれていました」
「日本語をどこで学ばれたのですか」
「日本の統治下だった子供の頃にね、日本語を習ったのですよ、だから標準語しか知らないのですよ」
「統治下だった時に日本語が覚えられて良かったですね」と、失言してしまった、その瞬間、穏やかだった夫人の表情は固まり、怒りの口調になった
「とんでもないです、どれだけ悔しい思いをしたことか、日本語しか話してはいけないと言われたのですよ、私たちの言語は禁止されてしまったのですから」と、唇を震わせ、呻くような声でそう言った。
 祥子もみどりも夫人の怒りに共鳴し、祥子はこう言った。
「そんな酷い目に遭っていたのですか、自分の国の言葉を禁じるなんて、酷すぎる、自分の国の言葉は誇りですよね、日本がそんなに酷いことをして来たなんて、授業で習わなかったわ、何も知らなかったわ」

 夫人の表情は少しだけ解れた。 
 私たちが学生の頃の教科書には、侵略したという記載は無かったと思う

 夫人は日本語が話せるという理由で日本人専用の宝石店を営んでいるが、同じ理由で親日を謳い、日本人相手に仕事をしている人は大勢いるはずで、その人達から育った世代も真の親日家であるとは思えない。

 シンさんの奥さんのキャッシーと同僚のジョイと合流してカラオケ店へ行った、ジョイはすれ違い様に指をさした人だった。

 キャッシーはスラリと細長い美脚を自慢するかのようなショートパンツ姿であった、この当時、日本では街中でこんなショートパンツを穿く人はあまり見かけなかったので、大胆さと美脚が印象に残っている、またジョイはやたらとキャッシーの美脚を褒め、比較するかのように私たちの足を貶してくれた、それに対し大阪弁で
「ほっといて!」というやり取りを何度もしている、プライベートの時間となるとモラハラに容赦がないと言うことは、日頃からあまり紳士的な国民ではないのかもしれない。

 祥子以外の人が何曲か歌い終わって、とうとう祥子にも選曲の時が来た、ジョイに
「十八番を歌って」とリクエストされた、祥子は
「十八番ね、はい、では‥‥‥」
 十八番のメロディーが流れて、祥子は歌った、拍手をして盛り上げて売れるのはみどりだけだ、歌い終わった時も静まり返っている。

 〝赤いスイートピー“

 シンもキャッシーもジョイも祥子がビデオの当人だと確信したのだ。

 この曲はレイプ・ドラッグに遭った時の前日にコテージでカラオケをした時に歌った曲だ。そしてあの時も〝十八番″と言っていた。これを歌う前に中島からテロップで
 〝頑張ります″の文字を見せられ、読み上げるように言われている、祥子はふざけて
「頑張りませーん」と最初は答えたが、中島が不機嫌そうに見せるので
「分かった、分かった、頑張るね」と言い直している、その時の中島のしたり顔が浮かぶ、おそらくビデオの中でその部分が使われ、祥子が自主的にビデオに出演しているかのように編集されていたのだろうと推測できる。

 台湾旅行の最終日は空港へ行くだけだ、みどりも祥子も眠る時間はあったので、スッキリしていたが、シンは気怠そうな表情で見送りに来ていた。
「あのあと、帰ってねたんやろ」とみどりは大阪弁で話す。
 シンは首を横に振る
「何してたん?別のところにはしごしてたんか?」
「三人でビデオ観てた」
「ビデオを?三人で? 真夜中に見る事ないやん、さっさと寝えな」
 みどりは昨晩の様に大阪弁で遠慮なく言葉を飛ばすが、シンは項垂れているだけだ、そして祥子に目を合わせない
 。
 トシちゃんも無表情で座っている。

 祥子がビデオの当人だと確信した三人は、そのままシンの家に行き、ビデオ鑑賞したようだ。
 腹では日本人をコケにしながら、表面上は親日家を装って、日本人相手に仕事をしている、それが台湾、いや台湾だけではないだろう、大黒は反日感情を利用して、日本人女性のレイプ映像を販売しているのだ。
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登場人物紹介

祥子・・55歳~57歳、温厚な性格の夫と、成人になった二人の子供と猫との4人と1匹の家族、独身の頃は看護師をしていたが結婚退職の後は専業主婦、その後起業した夫の会社で働く、手術を要する病気2回(一つは癌)を乗り越え、仕事と家事の合間に短歌、作文、絵、神社仏閣巡りなどの趣味を嗜む

敬寿・・祥子の夫(59歳~61歳)41歳で起業する、その頃は祥子の看護師復帰を反対するほどワンマンではあったが、祥子が病気になってからは祥子の身を案じ、家事も手伝い、ワンマンさは消える。寡黙でありながら家族から尊敬されている。趣味は釣り、祥子の付き合いで神社仏閣巡りにも行く。

二木輝幸さん・・青年のシルエットが祥子の瞼の裏に現れて訴えかけてくる。その後名前が分かる、祥子は「輝君」と呼んでいる。

大黒仁志(おおぐろひとし)/別名「オオ、ハラ黒ワルシ」・・薬剤師、祥子とはK病院時代からの知り合いであるが、祥子がK病院を退職した同時期に、独立して調剤薬局の経営者となる、今ではS県内に10店舗経営しているが、裏稼業にレイプドラッグ及び強姦映像の販売をしている。悪行を企てている時の目がランランと光りテンションが高い、一見して明るく社交的で饒舌、リーダーシップを発揮するために頼りがいのある人物に見間違えるが、女性を嵌める為の機を窺っていて、巧みに嘘を重ねる。

夏美・・大黒仁志の妻、祥子とは看護学生時代の同級生であり、K病院では同じ病棟で働いたいた同僚でもある。

六林婦人科医・・この物語では過去の人物としてしか登場しないが、六林医師の盗撮がなければ、祥子はワルシに狙われる事はなかった為に重要人物である。

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