切願

文字数 1,183文字

そして令奈の家でのあの騒動から、一週間経ったとある日の昼下がりのこと。蛍は童話の中に出てきそうなファンシーな空間の中にいた。アーチ型の木製扉と半円形の窓が可愛らしい。蛍は天井を見やって、窓に沿った長机の前に座る女性の側に行った。ぬばたまの艶やかな髪を半分結い上げた彼女は、庭を彩る花を眺めながら琥珀色の紅茶を飲んでいる。庭に面した土がむき出しの小路を、馬車が通りすぎてゆくのを見て、やはりここは異世界なのだと蛍はしみじみと思った。しかしそれにしてもと、ふよふよと漂いながらもう一度天井を見やる。蛍を招き入れた丸穴に蓋がされる時、ゴリゴリという大きな音をきいて、女性は振り返ったもののあとは知らん顔だ。

ーーー魂だし、見えないし、空耳だと思ったのかもしれない。

そんなふうに考えながら、蛍はここに来る前のことを思い出す。大学の入学式に向けて髪を切りに行く令奈の後を追いかけていた。行き先は卒業した高校の近くの美容院で、例の民家に挟まれた道の途中、青白い炎に囲まれたマンホールの中に吸い込まれたのだ。自転車に乗っていた令奈は気づかずにそのまま行ってしまったけれど。
回想を終えた蛍は大きな棚に近づいた。扉と窓と空間を挟んで反対側の壁には、正方形の箱をいくつも重ねたような棚があり、その一つ一つに様々なものが飾られている。薄い色から濃い色まで、種類も素材も豊富な青いリボンがあったり、綺麗な貝殻を集めた標本箱も置いてあった。中でも一番蛍の興味を惹いたのは、天然石が飾られている棚である。仕切りで2段になっており、上段には個性溢れる形の石が鎮座し、下段にはその石を削ったと思われる粉が瓶詰めされていた。蓋のコルクの部分には白いタグが引っかけてあり、粉の色と同じ筆で撫でたような色がついている。一目見た瞬間令奈の顔が浮かんだ。絵具を筆でリズミカルに混ぜている時の、にっこりと微笑んだ口元や、紙に最初の一筆を滑らせた時の、ワクワクと輝く瞳。夢中で見ていると目の前に一枚の絵が差し出される。
「あら、驚くと魂の光が強くなるのね」絵を持っている手を辿っていくと、青いワンピース姿の女性がすぐ後ろに立っていた。
「びっくりさせてごめんなさいね。紅茶を飲み終えるまで静かに見守ろうと思っていたんだけど、熱心に見てるからつい声かけちゃった」柔らかな笑みを浮かべるその女性には視えているらしい。光が強くなるということはつまり、魂である自分は発光しているということなのだろうか。光る丸い玉のようなものを蛍がイメージしていると
「絵を描くのが好きだったの?」と訊かれた。
『違うよ。描くのが好きなのは私じゃなくて、私の友達』そう伝えたいのに術がない。それが悲しくて酷く苛立った。けれど苛立ちを表現することすらも叶わない。

ーーーせめて、ほんの一時でいいから肉体が欲しい……!

そう願わずにはいられなかったーーー。
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