癒し

文字数 1,551文字

「では改めまして、妖精界で雑貨屋をやってます。店主のリズです」
「看板猫のラブだ」とてもそうとは思えない無愛想な口調をリズが叱責する。
「こらラブ、もっと愛想よく!」ぴしゃりと言うリズに対して、ラブはこれ見よがしなため息をついてみせた。1人と1匹の関係性が窺えて、くすくす笑いながら自身も「笹岡百合子です」と名のる。
妖精が人界では光の玉に姿を変えるということや、羽も自由自在に出したりしまったりできるものだと知った今、百合子が確かめたいことは一つ。これが一番重要だ。
「それじゃあリズ、最後にもう一つだけ。私はここから人界へ戻れるの?」
「えぇ、それはもちろん。あの梯子を上って穴の外に出てもらえれば、私が蓋を閉めますから。後は百合子さんが蓋の上に乗るだけで、元の世界へ帰れます」望み通りの答えがきけてほっとしたのも束の間、意味深なラブの発言に、百合子は再び表情を引き締める。
「帰ったまま、戻ってこなきゃいいがな」

戻るというのはここにーーー?それは……

「どういうこと?」きいているのにラブはそれ以上何も喋ろうとしない。人の心の水面に石を投じておきながら、後は知らんぷりとは無責任な。ざわつく胸に不安を覚え、救いを求めるようにリズの目を見ると、彼女は「言いにくいことなんですけど」と前置きし、紅茶で口を湿らせてから、過去にこのお店でおきた出来事を語り始めた。
いわく、かつて百合子と同じようにここへやってきた男が、一度は人界へ帰ったものの、数日後にまた戻ってきたことを。そして人間が妖精界と人界を行き来できるのは一回だけであり、よって彼が再び人界へ帰ることは叶わず、魔力の満ちた妖精界に存在し続けることもできずに死んでいったという内容だった。
「どうしてその人は戻ってきたの?」『死』という言葉がもつ禍々しいイメージが、百合子の表情を険しくさせる。
「それは……彼が抱える深い悲しみを、私達が癒してあげられなかったから」悲しみを癒す?胡散臭い宗教団体が、勧誘のために使いそうなフレーズだ。冷めた気持ちでそんなことを思っていると、それまでリズの膝の上でだんまりを決め込んでいたラブが口を開いた。
「妖精は基本、人間の前に姿を現さないものなんだ」今の話の流れからズレてはいるが、百合子に気づかせるには十分だった。人界で光の玉を見た時は正体がわからなかったから、ただ不思議なものとして受け入れてしまったけれど、それが妖精だと知った今、『見えた』という事実がありえない現象だったのだと気づく。人界で妖精といえば、架空のイメージを絵にしたものだけで、その存在は神様と同様、目には見えないものという認識だからだ。
「なら、どうして私には姿を見せたのかしら」
「それは、お前が深い悲しみを抱えているからだろうな」脳裏に菊の花の残像が散らつく。なぜそういう人間の前に、妖精が現れるのかについてはリズが教えてくれた。
「妖精は、姿を見せずに人に悪戯をするんですよ。ただ例外があって、その人が悲しんでいると、大丈夫独りじゃないよ。私がそばにいるよって、慰めようとして姿を現すんです」
「じゃあ、あの光の玉は私を心配して?」
「まあ、そんなところだろ」相変わらず無愛想だけれど、ラブは真摯な眼差しを百合子に向ける。その瞳は純粋だった。百合子の悲しみを詮索するような色はなく、死んだ男と同じようにここへ来たことを憐れんでいる感じもない。リズにしてもそうだ。
「私達の役目は、ここにいらっしゃった人の抱えるものを共有して、重たくなった心をほんの少しだけ軽くする、そのお手伝いをすることなんですよ」それだけ言って優しく微笑むだけだ。急かすような気配など微塵もない。この、ただ見守る感じの程よい距離感と『共有』という言葉が、傷ついた百合子の心にそっと寄り添った。
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