加害者

文字数 2,125文字

「ということはつまり……」長く横たわる沈黙を破ったのはリズだった。
「事故の原因は、女の子の急な飛び出し、ですか?」その声は弱々しく、布の綻びに指を入れて引き裂く時のような苦しみを伴っていたが、百合子は構うことなく続ける。
「そうね、事故現場の坂道に面した、大きな家の住人が証言してくれたわ。『女の子の方がものすごいスピードで飛び出してきた』って」加えて罪を裁く場で、誠さんの運転に何の非もないことが認められたことを伝えると、リズは顔面蒼白になり、何か言いたそうに口を開く。だが言葉が形作られることはなく、微かに喘ぐような息がもれてくるだけだ。けれど言葉にできない分の感情が、その瞳に表れている。明かりを反射して光る濡れた瞳が、百合子の神経を逆撫でた。
「それでも、亡くなった女の子が可哀想だって言いたいんでしょ」割れたガラスの欠片で柔い肌を引っ掻くみたいに先回りした百合子に、リズは激しく首を左右に振ってみせた。
「違います!可哀想じゃなくて酷いって思ったんです!」
「私達のことを、でしょ」リズが誰のことを言っているかわかっていて、素直になれずにいる百合子を叱ったのはラブだった。
「なんでそうなるんだよ!誰もお前達のことなんか言ってないだろ!」
「でも!悪いのは私達なんだよ。だって、その子を死なせてしまったんだから」
「でもそれは、結果的にそうなってしまっただけで」擁護するように言うリズの頬を泪が伝う。きっと本心からなのだ。わかるからこそ胸が痛むが、どんなに悪くないと言われたところで、事実は変えようもない。
「結果的にか、そうね。でも、そのつもりがなかったとしても、死なせてしまったという現実を消せない以上、私達は加害者なのよ。死ぬまでずっと」喉に石でも詰められたかのように、何も返せないでいるリズを横目に、百合子は手を伸ばして机の上の天秤棒とガラスの器を引き寄せた。
「真実なんか関係ない。あの子のご両親や友人知人に言わせれば、私達は犯罪者よ」

ーーーもっと言えば世間だって。あの事故がニュースで報道されたわけじゃないけれど。仮にそんなことにでもなっていたら、事故の詳細など見てみぬフリで、世間の大半の人達が誠さんを非難したにちがいない。

実際におきたわけではないが、『もしも』の未来を百合子は容易に思い描くことができた。アパートのドアに貼られる、数々の悪意あるレッテル。ネット上で洪水のように溢れる心ない誹謗中傷や、被害者家族からくる無言電話の嫌がらせ。そして、それらが最終的に招くものは、追い詰められた誠さんのーーー。
想像すればするほど惨めで、百合子の目からも泪が零れる。器の中の青白い石をつまみ上げ
「人殺し、犯罪者……疫病神」と呟きながら、片方の天秤皿に積んでいく彼女の声は、立ち上る湯気のように揺れていた。
「漬物みたいなものよ。『人殺し』っていう黒くて重い石に潰されて、否応なしに身体中に悪意が染み込んでくる。そのうち本当に全て自分が悪かったようにさえ思えてきて、石をどかす方法すら考えなくなる。そうやってこれから先もずっと……」言いながら尚も石を積もうとする百合子の手を、ラブが前肢で払う。それが窓からの月光を受けて青く拍動するのと、リズが言葉を発するのは同時だった。
「ダメです!そんな生きかた!どかせられないならそのままでいい。私がなんとかします!」殆ど叫ぶように言って、リズは百合子の手を両手で握りしめた。体温が優しさを運んでくる。眉間に深い皺が刻まれるほど、強く閉じた目元を見れば、どうすればいいか真剣に考えてくれていることが痛いくらいにわかった。だからこそ甘えてしまう。無茶なことを言って困らせて、それでも2人が離れていかないか、試してみたくなったのだ。
「だったら時間を戻してよ。私が誠さんに『出ていけ』って言う、少し手前まででいいから戻してよ」子どもじみた願いは室内の空気を重くする。叶わないとわかっていて口にしてしまうのは、救われたいからだ。泥沼にはまって、身動きのとれないしんどい日々から引き上げてくれる何かを、言葉を、百合子は藁にもすがる想いで待った。それなのに2人とも何も言ってくれない。水底に溜まる澱のような沈黙に耐えかねて、ついに百合子は思いの丈をぶちまける。
「もういい!わかってるわよ、できっこないことぐらい!死ぬまで加害者のレッテルがとれないことも!でも私達だって、一言くらい謝って欲しかった。死んだら何もかも許されるの!?改めてその子の家に謝罪に行った時言われたのよ。『娘を返せ人殺し』ってね。大量の塩かけられて。一掴み分くらい投げ返してやりたかった!あんたらの娘が飛び出してきたことには、どう言い訳すんだよって!卑怯じゃない。私達だって同じくらい未来をぶち壊されたのに、一方的に謝ってばかりで。なのに娘に代わっての謝罪一つもなしかよ!?被害者家族なんだから当然みたいな面しやがって!こっちに言わせりゃ、あんたらの娘の方が!立派な加害者だっつうのよ!!」百合子はあいている方の手で机を殴りつけると、激しく泣き叫ぶ。まるで決壊したダムのような凄まじい勢いで、溜め込んだ感情が迸り、あらゆるものを破壊しながらのみ込んでいった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み