文字数 1,279文字

しとしとと優しい雨音が、静かな教室を霧のように満たしていく。窓についた水滴をダイヤモンドみたいだと思いながら、蛍はコートを羽織って教室を出た。職員室に日誌を出してからスマホで時刻を確認すると、もうあと15分で4時になろうとしている。充電のマークが赤くなっていた。

ーーー令奈は図書室で勉強するって言ってたっけ。

そのまま帰ってしまってもよかったけれど、無性に友人の顔が見たくなり、蛍は図書室へ向かった。渡り廊下を抜け別館の廊下を進むと、突き当たりに『図書室』と書かれたプレートが見えてくる。引き戸をそっと開けて受付の前を過ぎると、その奥に大きな学習テーブルがあった。一番隅の席に座っている令奈を見つけて、蛍は口元に悪い笑みを浮かべる。背中を向けた無防備な後ろ姿を見て、ちょっとした悪戯心が芽吹いたのだ。首筋がすっきり見えるほど、短い髪を揺らして勉強している友人に忍び寄り、蛍は令奈のうなじを人差し指でなぞった。「ひっ」と変な声を出して振り返った彼女の、まん丸な目を見て蛍は笑う。「朝桐さん」と受付から咎めるような声が飛んできて、ペロッと舌を出した蛍に令奈は呆れ顔だ。だがそんな彼女も、あまり勉強に身が入っていなかったらしい。ノートの端っこに描きかけの絵を見つけ
「遊んでちゃダメじゃん」と指摘すると
「ちょっと息抜きしてたんですぅ」と開き直った。サンタのコスプレをしたうさぎの絵が可愛い。色をつけたのが見たいな、なんて思っていると、令奈に絵を隠された。ちくしょう。
「今から帰るの?」
「うん。日直の仕事も終わったし、ちょっと用事があるんだ」そう言って蛍はスマホを取り出し操作して、着信履歴を印籠のごとく令奈に見せた。『青葉中央図書館』とある。
「昼休みに予約本を取りに来てくださいって連絡があったんだ。だから先に帰るよ。令奈はどうする?」ダメ元で訊いてみたが、やはり彼女は首を横に振った。
「お母さんと喧嘩中だし、帰りづらいんだよね」朝のホームルーム前に散々愚痴を聞かされたから、気持ちは十分わかる。
「いいよ、訊いてみただけ。じゃね、お先に」
「また明日ね」という令奈の声に、手振りで応えながら蛍は図書室を後にした。
昇降口で靴を履き替え傘立ての前に行くと、蛍は迷いなく一本の傘を引き抜く。柄の部分に金色の、アルファベットのロゴが刻印されているため、すぐに自分のものだとわかるのだ。外に出た蛍は軒下で傘のバンドをはずし、瑠璃色の布地に触れる。雨だというのについつい笑顔になってしまうのは、傘の縁にぐるりと一周、金色の糸で宝石柄が刺繍されているからだ。天然石が好きな蛍の誕生日に、令奈がプレゼントしてくれたもので、以来憂鬱だった雨の日が楽しみになっている。一番ドキドキする瞬間は傘を開く時だ。ワンタッチのボタンを押す直前に、蛍はいつも目を閉じて想像する。バンと勢いよく傘が広がったと同時に、刺繍の宝石が雨を弾くように飛び散る様を。それはカラフルで、キラキラと歌うように美しいのだろう。傘から覗く天然の、ウェーブがかった柔らかな髪を揺らしながら、蛍は雨の中に飛び込んでいくーーー。
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