文字数 720文字

梯子のステップから床に降り立つと、甘い香りがふわりと鼻先をかすめた。慣れない明るさに瞬きを繰り返しながら、百合子は首をめぐらせるようにして室内を観察する。まず目についたのは木製の扉だ。アーチ型の童話の中に出てきそうなそれと壁を同じくして並ぶ半円形の窓が2つに、窓と向き合うようにセッティングされた焦げ茶色の長机と2脚の丸椅子が、天井から吊るされたビーズランプによって年季の入った光沢を放っている。空間を挟んだ反対側の壁には大きな棚が据え置かれ、部屋の奥にはカウンターがあった。中はキッチンにでもなっているのだろう。甘い香りは家主が淹れた紅茶かなにかだろうか。それにしても、誰かいる気配はするのに姿が見えないのはどうしてだろう。外に出ているのかもしれない。そう思って百合子が再び扉の方を見た時、トントンと音がした。足音のようなそれは、棚のある壁の方からきこえてくる。壁の裏側が階段にでもなっていて、家主が下りてきたのかもしれない。
そう思うとにわかに緊張してきて、口の渇きを覚えた百合子は生唾をのみこんだ。呼吸も忘れたかのように息を詰めて壁を見つめていると、棚の奥にある扉が開いて若い女性が現れた。立ち尽くす百合子を見て、驚きに目を丸くするその表情にはまだ僅かにあどけなさが残っており、それが百合子の緊張を少しだけ解いた。とはいえ、勝手に入った理由をどう説明したらいいものか。悩んだ末、誘導するように顔を上げて視線を天井の穴に向けると、女性はそれだけで何かを察したらしく、驚きの表情をひっこめると、口元に優しげな笑みを浮かべて言った。
「いらっしゃいませ。ラピスバードへようこそ」ハキハキとした張りのある声が、楽しげに室内の空気を揺らしたーーー。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み