文字数 1,066文字

どうやらここは何かのお店のようだが、買い物に来たわけでもない百合子は所在なさげにうろうろとするばかり。そんな様子を横目に、女性は青いワンピースの裾を揺らして歩いていき、梯子の前に立つと人差し指をたてて横にクイと動かした。するとゴリゴリと音をたてて蓋が勝手に閉まっていく。まるで命と意思を宿しているかのようなその現象に、百合子は頬を染めて女性が振り返るより早く、矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「ねぇ、あなたは魔法使いなの?今『いらっしゃいませ』って言ったけどここは何のお店なのかしら?それと私、あの穴の中を落ちてここに来たんだけど、元の場所には戻れるのよね?」殆ど息継ぎもせずに捲し立てたせいか、振り返った女性は少し怖じ気づいたように一歩後ずさる。そんな相手の様子などお構いなしに「どうなの?」と距離をつめようとして、百合子は頭を仰け反らせた。突然顔の前にグレーのもふもふとしたものが突き出されたからだ。いきなりなんだと目を凝らしてみれば、それは毛に覆われた動物の前肢で、明らかに近づこうとする百合子を牽制している。びっくりして言葉を失っていると、ぴしゃりと怒られた。
「いっぺんに訊くなよ。答える方の身にもなれ」少々生意気な声の主は、女性の肩にのっているグレーの毛色をした猫である。咄嗟に謝った百合子だが、次の瞬間には「え?」と戸惑いを隠せない様子で目をかっぴらき、「嘘!」と叫ぶや否や両手で口を覆った。動揺を抑えきれないらしく、指と指の隙間からくぐもった声がもれてくる。
「猫が……猫が……」続く言葉こそグッと堪えているようだが、つまりはこう叫びたいのだろう。
「猫が喋ったあああ!」と漫画の中でしか出くわさないであろう台詞をそのままに。そしてそんな百合子の反応がたまらなく可笑しかったのだろう、女性は必死で笑いを噛み殺しながら広げた両手を前に出すと
「まあまあ、落ち着いてください」と宥めて、誘導するように左手で長机の方を示した。
「立ち話もなんですから、どうぞ座ってください。あと、質問にはちゃんと答えますから、ちょっと待っててくださいね」そう言い残して女性は足取り軽く奥のカウンターの中に入っていってしまう。仕方なく背の高い丸椅子に腰かけると、冷たい冷気が百合子の頬を撫でた。外開きの窓が数センチ開いている。

ーーーこんなに寒いのに、なんで開けっ放しにしているのかしら?

首を傾げつつ、窓を閉めようと立ち上がった百合子は、ついでのように空を見上げて感嘆のため息をもらす。すっかり夜の色をした闇を、白銀に輝く丸い月の光が淡く照らし出していた。
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