違和感

文字数 1,630文字

「あれからもう1年以上経つのに、未だに答えが見つからないの。あの時誠さんにどんな言葉をかけたらよかったのか、わからないままなのよ」話し終えた百合子がそっとリズの顔を伺い見ると、彼女は真剣な瞳をして、口を開けたり閉めたりしている。なんと言っていいのかわからないのだろう。

ーーー私だって逆の立場だったら、考え込んでしまう。

けれど、このまま沈黙が流れるのは避けたかった。ここまで話したのだから、リズがどう思ったのか、その胸の内を知りたい。知ることができないまま時間だけが過ぎていくのが怖かった。話した内容が内容なだけに。
さて、どうしたものかと百合子が内心焦っているところへ
「ちょっといいか?」重たい沈黙を破るように、ラブがおずおずと口を開いた。雰囲気をぶち壊すようで悪いんだがと彼は前置きして、言いにくそうに尋ねてくる。
「話の中でよくわからない言葉があったんだが、スマホというのはなんだ?」その質問に、百合子はしまった!というように手で額を押さえた。2人が黙って話を聞いてくれていたから、根本的なことを失念していたのだ。ここが妖精の世界だということを。

ーーー世界が違うんだから、人間社会で当たり前にあるものがない可能性だってあったのに。

百合子が自分の愚かさを内心で嘆いていると、リズが滑らかな口調で言い変えた。
「スマホというのは電話のことよ」カウンターの隅に鎮座する、たぶんダイヤル式の黒光りする物体を指差し、彼女は続けて説明する。ラブが何か言いたそうにしているのにもお構いなしだ。
「電話と言っても持ち歩けるものだから、もっと小さくて長方形の薄い、つるつるした板みたいなものなんだけどね」その淀みなく、まるで使ったことがあるかのような物言いに、思わず百合子は訊いてしまう。
「なんで知っているの?」と。妖精の世界に、そんなハイテクな物があるイメージなどなかったからだ。するとリズははっきりと動揺を見せた。こちらがわかるほどに目が泳いでいるし、先程の滑らかさとはうって変わって「あの、それはそのー、えっと」と言い淀んでいる。
「どうせ過去に、ここに来た人間の客から見せてもらったとかで知ったんだろ。ま、俺がいない時の話だろうが」そう口を挟んだラブに大きく頷いてみせると、リズは付け足すように言う。
「初めて見るものだったから、珍しくて触らせてもらったんです」不自然で大袈裟なその様子に、ひっかかるところはあったものの、百合子はとりあえず納得した。
「そういうことだったのね。じゃあ『車』とか『事故』という言葉はどう?」
「車は俺も見たことがあるぞ。道をものすごいスピードで走る、車輪みたいなものが4つついている乗り物のことだろう」乗り物だとわかるということは、この世界にも似たものがあるのだろう。百合子がそう考えていると、リズがあっさりと答えた。
「こちらの世界でいう、馬車のようなものでしょう」と。それだ。かつては人間も馬車で長距離を移動していたではないか。

ーーーということは……

百合子が促すようにリズの目を見ると、彼女はわかっているというように頷く。
「ええ、事故という言葉もわかります。同じ意味で使われているはずです」

ーーーよかった。大事なところはちゃんと伝わっていたんだ。

表情を弛めた百合子とは対称的に、リズは悲しそうに目を伏せた。
「どうしたの?」その微妙な変化を、そこに隠された心情を探ろうとする百合子に、リズは取り繕ったような笑みを貼りつけて
「いえ、なんでもないですよ」と早口で言う。まるでそこには触れてくれるなとでも言いたげに。気になって百合子はリズの顔をまじまじと観察した。深い藍色の大人っぽいワンピースを着てはいるが、彼女の顔にはまだ大人になりきれない、子どもっぽさが僅かに残っている。

ーーー歳の頃は、そうね、事故で亡くなった高校生と同じくらいかしら。

そう思うと、リズの顔を見ていられなくなった。ずっと見ていたら、あの子の顔を思い出してしまいそうで怖くなったのだ。
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