和解

文字数 1,572文字

背中を丸めて泣く百合子は、衣擦れの音をきいて頭を上げる。体を起こしたリズが立ち上がろうとしていた。
「来ないで」咄嗟に牽制したが、同時にそれは子どもじみた願いでもあった。本心は来てほしくてたまらない。言葉のままに受け取らず、隠している気持ちに気づいてほしいーーー。
「私にさわらないで!放っておいて!」怒るとコントロールが効かず、言葉や力でもって他人を傷つけてしまう自分を、百合子は歩く凶器のようだと思う。だからリズをこれ以上自分に近づけたくないのだ。でもそうやって遠ざけて、独りぼっちを貫けるほどの覚悟もない。だから、どうかお願いーーー。祈るような想いで、リズの目を見つめながら待った。まるで、母親の愛情を試している子どもみたいだと、そんなふうに思った時、不意にその瞬間は訪れた。リズの両腕が背中にまわり、強い力で抱きしめられる。包まれるような安堵感と温もり。求めていたものを得られた時の喜び。そういった全ての感情が百合子の魂を震わせた。それまで息をひそめるようにしていたそれが、刺激を受けて光輝き、弱った細胞に力を与えるようなそんな感覚が、体の中心から広がっていき、瞬く間に目の縁を熱くさせる。溢れ出た泪は罪悪感からの冷たく凍るようなものではなく、満たされた想いに温められた、優しい温度をしていた。だから
「百合子さんが悔やんでいることを、笑ったりしてごめんなさい」というリズの謝罪を、素直に受け入れることができた。
「引っ掻いて悪かったよ」しおらしく耳を伏せたラブも、百合子の傷ついていない方の手に頭を擦りつけてくる。滑らかな毛の感触と、じんわり伝わってくる体温に百合子の心も解れていく。
「いいよ。私も我を忘れていたし、気づかせてくれてありがとうラブ。それからリズ、いきなり突き飛ばして痛い思いをさせてごめんなさい」体を離した彼女と目を合わせるのが怖くて、百合子は俯いてしまうが、その顔を両手で挟まれて上向かせられた。
「怒ってないですよ」羽毛で撫でるような優しい口調と慈愛に満ちた瞳に、そっと胸を撫で下ろした百合子だったが、すぐに『でも』と思い直す。ちゃんと説明しなければ、なぜ笑ったことに対してこんなに怒ったのか納得できないだろう。百合子は気持ちを整理しようと一つ深呼吸をしてから、改めてリズの目をしっかりと見て言った。
「突き飛ばしてしまったのはね、悔しかったからなの。『出ていけ』って誠さんに言ったことを私はものすごく後悔してる。過去に戻れるなら、あの時の自分を殴って気絶させてでも言わせたくないくらいに。あの一言で誠さんを傷つけなければ、あんな事態を招くことにはならなかったし、彼は心から娘の誕生を喜べたはずよ。それなのに私は、言葉一つで誠さんが得られるはずだった幸せな未来を全て奪ってしまったの。なのにあの言葉の鋭利さが、誠さんが受けた傷の深さが、思ってるようにちゃんと、伝えられなかったことが情けなくて、悔しくなったの」
つまりはただの八つ当たりだったのだ。にも関わらず、リズは真摯にこちらの想いを受け取ってくれる。
「私ももっと深く考えるべきでした。状況の一部分だけを切り取って、まるでわかっていないのにわかったようなことを言って、百合子さんを傷つけてしまいました。ごめんなさい」
落ち着いてよく考えれば仕方のないことだったのだ。百合子は当事者だけれど、リズとラブはちがう。そこに温度差が生じることは当たり前のことで、加えて彼らは百合子が『出ていけ』と言った後に起こった出来事をまだ知らないのだから。いってみれば何も悪くない。でもわからないなりに笑ったことを、結果的に百合子を傷つけてしまった事実を重く受けとめて、できる限りこちらの気持ちに寄り添おうとしてくれている。その純粋で真剣な想いが百合子にとっては涙が出そうになるくらい嬉しかった。
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