五、早奈美ちゃんのお願い・5
文字数 2,668文字
「えっと、待って。それってどういうこと?」
わたし、今、どんな反応をすべきだったんだろう。話の流れがよく分からなくて、一旦落ち着いて情報を整理することにした。
みきさんが亡くなった火災について報じたものらしき記事を、都築君達が見つけた。
記事によれば火災が起きたのは兵庫県で、犠牲者の女性の名前は鬼塚実希。その鬼塚実希さんの妹は現在おそらく一七歳で、ちょうど現在一七歳の早奈美ちゃんのお友達には、よく似た名前をした兵庫県出身の女の子がいる……と。
情報と合わせてこの場の雰囲気も把握しようと、都築君の一重瞼の奥を見てみれば、心なしか瞳が輝いている。
「あの、カンヴァスに少なくとも二回来てくれたお友達が……みきさんの妹かもしれないってこと?」
「そうなんじゃないかな、と思ってます」
即座に答えてくれたのは早奈美ちゃんだ。続いて都築君も同意を示すが、あっさり信じる気にはなれない。
「まさか。そんな偶然ってある? もし本当にそうだったら、これ以上みきさんを探す必要もなくなるけどさ」
でも、そう都合のいい話があるはずない。そこまでは言えずにいると、
「俺も初めはそう思ったんですけどね」と、都築君が神妙な顔で話し始めた。
「考えてもみてくださいよ。さなみんと亜紀さんが、ジュンさんとみきさんのデート現場に遭遇したときのこと……俺の知る限りでは、みきさんがカンヴァスにやってきたのはあれが初めてで、亜紀さんだって二回目です。常連のジュンさんとさなみんにしたって、あの時間に来ることはほとんどなかった。なのに二組はぴったりのタイミングで来店して、さなみんはばっちり二人を目撃した」
彼の言い分に一瞬はっとして、すぐに思い直す。
……いや、あるでしょう、そのくらいの偶然。
特定の二組のお客様が同時に来店する可能性なんて、あり得ないほど小さいものでは決してないはずだ。いくら、お客様がカンヴァスで過ごす時間なんて一生のうちほんの少しでしかないといっても――
「……実はあの日私達がカンヴァスに入ったのって、亜紀ちゃんに提案されたからなんです。私は気恥ずかしくて他のお店にしようとしたのに、亜紀ちゃんが今すぐ休みたいからって」
早奈美ちゃんがおずおずと口を開いた。
控えめながらもはっきりとした声で語られた彼女の言葉は、わたしの否定的な考えを簡単に揺るがしてしまう。
かといって、すぐさま肯定に転じることもできずに押し黙っていると、都築君がさらに畳み掛けてきた。
「それにほら、覚えてませんか? さなみんがジュンさん達の姿を目撃することになった、きっかけ」
「きっかけ?」
そんなの、あったっけ。
思い出そうとしていると、待つ気など初めからなかったらしい都築君がすぐに答えを言ってしまった。
「あのお友達……亜紀さんが、お手洗いの場所をさなみんに聞いたんですよ。それで店の奥を見たさなみんは、ジュンさん達の存在に気づいたってわけです」
「あ」
思わず、間抜けな声が出てしまう。
確かにそうだ。まさかあれは、わざとだったの? 早奈美ちゃんに、みきさん達の方を見てもらうために。
……いや、そんなはずない。たとえあの子が本当にみきさんの妹だったとして、どうしてそんなことをする必要がある?
「どう思います? 俺よりも杜羽子さんの方が少しだけ、みきさんと深く付き合ってるでしょ。彼女、何かヒントになりそうなことを言ってませんでしたか?」
「待って。思い出してみる」
わたしは慌てて、鬼塚実希さんじゃなく小野塚みきさんにまつわる、ほんの少ししかない記憶を遡る。
まず浮かんだのはやっぱりあの日、凍り付いた早奈美ちゃんの様子を見たみきさんの顔だ。あの、何かを悟ったような表情。
……何を悟ったって? 早奈美ちゃんが凍り付くのは分かる。恐らくは気になる人が、綺麗な女性と仲睦まじく話す場面を見てしまったのだから。でもみきさんの方はただ、席から立ち上がった女子高生を見ただけなのだ。
次いで、みきさんとレストランで食事をしたときのことを思い出す。
鮮明に思い描ける浮かぶ彼女の笑顔や、他愛もない会話の数々に胸が締め付けられたけれど、気にしないよう努めながら。
――今日、お店で知らない女の子と目が合ったわ。高校生くらいの。こっちを見て、凍り付いていたような気がする。
確か、みきさんはそんなことを言っていた。
そのとき彼女は、その女の子こそ早奈美ちゃん……ジュン君の話に出てくる女子高生だということと、その女の子がジュン君に淡い恋心を抱いていて、なおかつジュン君とみきさんの関係を察してしまったことまでを悟ったのか。
「分かるわけないよ、そんなの」
思わず声に出してしまって、都築君と早奈美ちゃんがそれぞれアーモンド形とまん丸にまで目を見開くのが見えた。
わたしは取り繕いもせず、無意識のうちに両手で顔を覆う。
どうして今まで、不思議に思わなかったんだろう。みきさんはあの一瞬、知らない女の子と視線を交わしただけなのに。
女の勘ってやつ? それにしたって察しが良すぎる。
そうだ。みきさんはあのとき、早奈美ちゃんの様子から全てを察したわけじゃない。
きっと早奈美ちゃんを見て、その隣にいる自分の妹を見て、それでやっと察したのだ。あるいは逆か。
あの子、「亜紀ちゃん」こそがみきさんの同居の家族だというならば、時を経て歳の差が随分縮まった姉妹は、恋愛話くらいする仲になっていたかもしれない。
もしかしたら亜紀ちゃんは常々みきさんの彼氏の話を聞いていて、それが喫茶店でたまたま出会った青年のことだと気づいていて、さらには自分の友達が彼に惹かれつつあることを知っていて、みきさんにもその話をしていて……
そこまでは流石に考え過ぎかもしれないけれど、みきさんの元にはそのくらいの情報があったと考えた方が、しっくりくる。
みきさんは、少し鈍感な彼氏の話だけで見知らぬ女子高生の恋心を察し、一度視線を交わしただけでその子を特定した上、身を引く決意を固めた……なんて考えるよりも、ずっと。
「おーい杜羽子さん、どうしちゃったんですか。大丈夫ですか」
手で顔を覆って下を向いたままの姿勢で固まってしまったわたしを心配してか、都築君が半笑いで声を掛けてきた。いや、たぶん心配されてはいないな。
「大丈夫です。わたしも、あの子がみきさんの妹だと思います」
動揺のあまりですます調で返事をしたら、都築君は笑ったんだか同意したんだか、ついでに息だか声だかすらもよくわからない、へっという感じの音で返事をしてきた。
わたし、今、どんな反応をすべきだったんだろう。話の流れがよく分からなくて、一旦落ち着いて情報を整理することにした。
みきさんが亡くなった火災について報じたものらしき記事を、都築君達が見つけた。
記事によれば火災が起きたのは兵庫県で、犠牲者の女性の名前は鬼塚実希。その鬼塚実希さんの妹は現在おそらく一七歳で、ちょうど現在一七歳の早奈美ちゃんのお友達には、よく似た名前をした兵庫県出身の女の子がいる……と。
情報と合わせてこの場の雰囲気も把握しようと、都築君の一重瞼の奥を見てみれば、心なしか瞳が輝いている。
「あの、カンヴァスに少なくとも二回来てくれたお友達が……みきさんの妹かもしれないってこと?」
「そうなんじゃないかな、と思ってます」
即座に答えてくれたのは早奈美ちゃんだ。続いて都築君も同意を示すが、あっさり信じる気にはなれない。
「まさか。そんな偶然ってある? もし本当にそうだったら、これ以上みきさんを探す必要もなくなるけどさ」
でも、そう都合のいい話があるはずない。そこまでは言えずにいると、
「俺も初めはそう思ったんですけどね」と、都築君が神妙な顔で話し始めた。
「考えてもみてくださいよ。さなみんと亜紀さんが、ジュンさんとみきさんのデート現場に遭遇したときのこと……俺の知る限りでは、みきさんがカンヴァスにやってきたのはあれが初めてで、亜紀さんだって二回目です。常連のジュンさんとさなみんにしたって、あの時間に来ることはほとんどなかった。なのに二組はぴったりのタイミングで来店して、さなみんはばっちり二人を目撃した」
彼の言い分に一瞬はっとして、すぐに思い直す。
……いや、あるでしょう、そのくらいの偶然。
特定の二組のお客様が同時に来店する可能性なんて、あり得ないほど小さいものでは決してないはずだ。いくら、お客様がカンヴァスで過ごす時間なんて一生のうちほんの少しでしかないといっても――
「……実はあの日私達がカンヴァスに入ったのって、亜紀ちゃんに提案されたからなんです。私は気恥ずかしくて他のお店にしようとしたのに、亜紀ちゃんが今すぐ休みたいからって」
早奈美ちゃんがおずおずと口を開いた。
控えめながらもはっきりとした声で語られた彼女の言葉は、わたしの否定的な考えを簡単に揺るがしてしまう。
かといって、すぐさま肯定に転じることもできずに押し黙っていると、都築君がさらに畳み掛けてきた。
「それにほら、覚えてませんか? さなみんがジュンさん達の姿を目撃することになった、きっかけ」
「きっかけ?」
そんなの、あったっけ。
思い出そうとしていると、待つ気など初めからなかったらしい都築君がすぐに答えを言ってしまった。
「あのお友達……亜紀さんが、お手洗いの場所をさなみんに聞いたんですよ。それで店の奥を見たさなみんは、ジュンさん達の存在に気づいたってわけです」
「あ」
思わず、間抜けな声が出てしまう。
確かにそうだ。まさかあれは、わざとだったの? 早奈美ちゃんに、みきさん達の方を見てもらうために。
……いや、そんなはずない。たとえあの子が本当にみきさんの妹だったとして、どうしてそんなことをする必要がある?
「どう思います? 俺よりも杜羽子さんの方が少しだけ、みきさんと深く付き合ってるでしょ。彼女、何かヒントになりそうなことを言ってませんでしたか?」
「待って。思い出してみる」
わたしは慌てて、鬼塚実希さんじゃなく小野塚みきさんにまつわる、ほんの少ししかない記憶を遡る。
まず浮かんだのはやっぱりあの日、凍り付いた早奈美ちゃんの様子を見たみきさんの顔だ。あの、何かを悟ったような表情。
……何を悟ったって? 早奈美ちゃんが凍り付くのは分かる。恐らくは気になる人が、綺麗な女性と仲睦まじく話す場面を見てしまったのだから。でもみきさんの方はただ、席から立ち上がった女子高生を見ただけなのだ。
次いで、みきさんとレストランで食事をしたときのことを思い出す。
鮮明に思い描ける浮かぶ彼女の笑顔や、他愛もない会話の数々に胸が締め付けられたけれど、気にしないよう努めながら。
――今日、お店で知らない女の子と目が合ったわ。高校生くらいの。こっちを見て、凍り付いていたような気がする。
確か、みきさんはそんなことを言っていた。
そのとき彼女は、その女の子こそ早奈美ちゃん……ジュン君の話に出てくる女子高生だということと、その女の子がジュン君に淡い恋心を抱いていて、なおかつジュン君とみきさんの関係を察してしまったことまでを悟ったのか。
「分かるわけないよ、そんなの」
思わず声に出してしまって、都築君と早奈美ちゃんがそれぞれアーモンド形とまん丸にまで目を見開くのが見えた。
わたしは取り繕いもせず、無意識のうちに両手で顔を覆う。
どうして今まで、不思議に思わなかったんだろう。みきさんはあの一瞬、知らない女の子と視線を交わしただけなのに。
女の勘ってやつ? それにしたって察しが良すぎる。
そうだ。みきさんはあのとき、早奈美ちゃんの様子から全てを察したわけじゃない。
きっと早奈美ちゃんを見て、その隣にいる自分の妹を見て、それでやっと察したのだ。あるいは逆か。
あの子、「亜紀ちゃん」こそがみきさんの同居の家族だというならば、時を経て歳の差が随分縮まった姉妹は、恋愛話くらいする仲になっていたかもしれない。
もしかしたら亜紀ちゃんは常々みきさんの彼氏の話を聞いていて、それが喫茶店でたまたま出会った青年のことだと気づいていて、さらには自分の友達が彼に惹かれつつあることを知っていて、みきさんにもその話をしていて……
そこまでは流石に考え過ぎかもしれないけれど、みきさんの元にはそのくらいの情報があったと考えた方が、しっくりくる。
みきさんは、少し鈍感な彼氏の話だけで見知らぬ女子高生の恋心を察し、一度視線を交わしただけでその子を特定した上、身を引く決意を固めた……なんて考えるよりも、ずっと。
「おーい杜羽子さん、どうしちゃったんですか。大丈夫ですか」
手で顔を覆って下を向いたままの姿勢で固まってしまったわたしを心配してか、都築君が半笑いで声を掛けてきた。いや、たぶん心配されてはいないな。
「大丈夫です。わたしも、あの子がみきさんの妹だと思います」
動揺のあまりですます調で返事をしたら、都築君は笑ったんだか同意したんだか、ついでに息だか声だかすらもよくわからない、へっという感じの音で返事をしてきた。