四、みきさんの事情・3
文字数 2,115文字
静かな夜の公園に、都築君の呆然とした呟きが響く。
「……うっそお」
その少し間抜けな声に、わたしの心は少しだけ和んだ。
でも少しだけだ。残りの大部分は、今目の前で起きていることが信じられない、信じたくないという気持ちに占められている。
どういうこと? いや、分かっているのだ。分かっているけれど、受け入れられない。直接、確かめないことには。
わたしは、自分の前に立つ綺麗な女性――そう、どう見たって薄い皮膚の下に血の通った、オバケなどには決して思えないその人に、意を決して尋ねる。
「あの、みきさんって、」
そんなわたしの勇気は、言い終える前にかき消されてしまった。
「とっくに死んでるの。もう七年くらい前になるのかな」
彼女の口ぶりはあまりにもあっさりとしていて、思わず、そうなんですか、と流してしまうところだった。
けれど少し遅れて、その音声を意味のある言葉として認識してしまったわたしの頭は、それを許してくれない。
とっくに死んでる。
そうか、そうなんだ。オバケになるって、そういうことなんだ。
当たり前のことながら、言葉にされるとその事実の重さに、声も出なくなる。
色々考えているうち、あるいは何も考えられずにいるうち、都築君が先に口を開いた。
「な、七年?」
「そう。正確ではないかもしれないけれど」
みきさんはまたもあっさりと答えて、都築君やわたしが話を聞きたがっていると判断したのか、淡々と語り始めた。
「家がね、燃えちゃったの。気がついたら、焼け跡のそばでひとり立ちすくんでいた。パジャマ姿で手元には携帯も財布もないし、訳も分からず通りがかった人に話しかけてみても、誰も反応してくれない。それで薄々状況を察して、玄関の扉の残骸に手を伸ばしてみたら、すり抜けてしまった。さっきみたいにね」
都築君は口をぽかんと開けている。きっとわたしも同じ顔をしているに違いない。
「それからはまず、家族を探したわ。何日かかったかは覚えていないけれど、ようやく一方的な再会を果たせたときには、私のお通夜やお葬式はもちろんのこと、その他の手続きもだいたい、終わっていたみたい」
「……えっと。ご家族は皆さん、無事だったんですか?」
都築君が口を挟むと、みきさんはこくりと頷いた。
「両親と妹が一緒に住んでいたんだけれど、三人とも無事。それも思ったより普段通り、元気そうに過ごせていて、ほっとしたわ」
「それは何よりで。でも、じゃあどうして」
都築君はおそらく、どうしてみきさんだけ、とでも尋ねようとしたのだろう。しかし踏みとどまったらしく、途中で口をつぐむ。
その意図を汲んでか汲まずか、みきさんは話を続けた。
「火事があったのは夜中でね。寝起きで状況を把握しきれないまま、私達の家は煙に包まれつつあった。だからその日のことは正直、よく覚えていないわ。ただ、寝室に妹がいなくて、両親がパニックになっていたのはよく覚えている。『私達はあの子を探すから、お姉ちゃんは先に逃げて。あなたはひとりで大丈夫でしょう?』と、そう言われたこともね」
みきさんの目が遠くを見る。遠い昔に想いを馳せるように。
「妹と私は歳が離れていてね。両親はもう、あの子が可愛くて仕方がないみたいだった。きっと、心配でたまらなかったんだと思うわ……私ははじめ、言われた通りにひとりで逃げようとしたの。でもそれじゃ私以外の三人が逃げ遅れてしまうんじゃないかと思って、自分も妹を探すことにした。運の悪いことに、結構広い家だったの。屋根裏部屋なんかもあったりして」
続きがなんとなく想像できてしまって、わたしはただぼんやりとみきさんを眺める。
当然、その向こうの風景が透けて見えることもなく、彼女は確かにそこにいた。
「そのとき、ふと思い出した。妹はその屋根裏部屋でひとりの時間を過ごすのが好きだったこと。だけど散らかっているし、床や柱にささくれが出ていて危ないから入らないようにと、両親からきつく言われていたこと。だからあの子は、両親にばれないようこっそり入るようにしていて、それを知っていたのは私だけだということ……もし妹が屋根裏部屋にいたとしたら、両親には見つけられないと思ったの。私は急いで見に行ったわ。結局、誰もいなかったけれど」
みきさんは自嘲するように、吐息だけでふふと笑う。
「妹はきっと、普通にお手洗いかどこかにいて、両親はすぐに見つけることができたんだわ。それで、三人揃って外に出た……先に逃げたはずの私を追ってね。馬鹿みたいな話でしょう? でも、寝起きでしかも非常事態だったんだから、仕方ないわよね」
追って、表情も照れたような笑顔へと変わる。それが妙に可愛らしくて、わたしは反応に困ってしまう。
すると隣から、都築君の咳払いが聞こえた。
「なるほど、みきさんがそうなった事情については分かりました。何というか、こんなことしか言えなくて申し訳ないんですが……災難でしたね。それで、えっと」
何を言い出すのかと思って、わたしは首を右に向けたままの体勢で彼をじっと見る。みきさんもそうしていた。
「……ジュンさんとの馴れ初めは?」
都築君は、至って真面目な顔をしてそう尋ねたのだった。
「……うっそお」
その少し間抜けな声に、わたしの心は少しだけ和んだ。
でも少しだけだ。残りの大部分は、今目の前で起きていることが信じられない、信じたくないという気持ちに占められている。
どういうこと? いや、分かっているのだ。分かっているけれど、受け入れられない。直接、確かめないことには。
わたしは、自分の前に立つ綺麗な女性――そう、どう見たって薄い皮膚の下に血の通った、オバケなどには決して思えないその人に、意を決して尋ねる。
「あの、みきさんって、」
そんなわたしの勇気は、言い終える前にかき消されてしまった。
「とっくに死んでるの。もう七年くらい前になるのかな」
彼女の口ぶりはあまりにもあっさりとしていて、思わず、そうなんですか、と流してしまうところだった。
けれど少し遅れて、その音声を意味のある言葉として認識してしまったわたしの頭は、それを許してくれない。
とっくに死んでる。
そうか、そうなんだ。オバケになるって、そういうことなんだ。
当たり前のことながら、言葉にされるとその事実の重さに、声も出なくなる。
色々考えているうち、あるいは何も考えられずにいるうち、都築君が先に口を開いた。
「な、七年?」
「そう。正確ではないかもしれないけれど」
みきさんはまたもあっさりと答えて、都築君やわたしが話を聞きたがっていると判断したのか、淡々と語り始めた。
「家がね、燃えちゃったの。気がついたら、焼け跡のそばでひとり立ちすくんでいた。パジャマ姿で手元には携帯も財布もないし、訳も分からず通りがかった人に話しかけてみても、誰も反応してくれない。それで薄々状況を察して、玄関の扉の残骸に手を伸ばしてみたら、すり抜けてしまった。さっきみたいにね」
都築君は口をぽかんと開けている。きっとわたしも同じ顔をしているに違いない。
「それからはまず、家族を探したわ。何日かかったかは覚えていないけれど、ようやく一方的な再会を果たせたときには、私のお通夜やお葬式はもちろんのこと、その他の手続きもだいたい、終わっていたみたい」
「……えっと。ご家族は皆さん、無事だったんですか?」
都築君が口を挟むと、みきさんはこくりと頷いた。
「両親と妹が一緒に住んでいたんだけれど、三人とも無事。それも思ったより普段通り、元気そうに過ごせていて、ほっとしたわ」
「それは何よりで。でも、じゃあどうして」
都築君はおそらく、どうしてみきさんだけ、とでも尋ねようとしたのだろう。しかし踏みとどまったらしく、途中で口をつぐむ。
その意図を汲んでか汲まずか、みきさんは話を続けた。
「火事があったのは夜中でね。寝起きで状況を把握しきれないまま、私達の家は煙に包まれつつあった。だからその日のことは正直、よく覚えていないわ。ただ、寝室に妹がいなくて、両親がパニックになっていたのはよく覚えている。『私達はあの子を探すから、お姉ちゃんは先に逃げて。あなたはひとりで大丈夫でしょう?』と、そう言われたこともね」
みきさんの目が遠くを見る。遠い昔に想いを馳せるように。
「妹と私は歳が離れていてね。両親はもう、あの子が可愛くて仕方がないみたいだった。きっと、心配でたまらなかったんだと思うわ……私ははじめ、言われた通りにひとりで逃げようとしたの。でもそれじゃ私以外の三人が逃げ遅れてしまうんじゃないかと思って、自分も妹を探すことにした。運の悪いことに、結構広い家だったの。屋根裏部屋なんかもあったりして」
続きがなんとなく想像できてしまって、わたしはただぼんやりとみきさんを眺める。
当然、その向こうの風景が透けて見えることもなく、彼女は確かにそこにいた。
「そのとき、ふと思い出した。妹はその屋根裏部屋でひとりの時間を過ごすのが好きだったこと。だけど散らかっているし、床や柱にささくれが出ていて危ないから入らないようにと、両親からきつく言われていたこと。だからあの子は、両親にばれないようこっそり入るようにしていて、それを知っていたのは私だけだということ……もし妹が屋根裏部屋にいたとしたら、両親には見つけられないと思ったの。私は急いで見に行ったわ。結局、誰もいなかったけれど」
みきさんは自嘲するように、吐息だけでふふと笑う。
「妹はきっと、普通にお手洗いかどこかにいて、両親はすぐに見つけることができたんだわ。それで、三人揃って外に出た……先に逃げたはずの私を追ってね。馬鹿みたいな話でしょう? でも、寝起きでしかも非常事態だったんだから、仕方ないわよね」
追って、表情も照れたような笑顔へと変わる。それが妙に可愛らしくて、わたしは反応に困ってしまう。
すると隣から、都築君の咳払いが聞こえた。
「なるほど、みきさんがそうなった事情については分かりました。何というか、こんなことしか言えなくて申し訳ないんですが……災難でしたね。それで、えっと」
何を言い出すのかと思って、わたしは首を右に向けたままの体勢で彼をじっと見る。みきさんもそうしていた。
「……ジュンさんとの馴れ初めは?」
都築君は、至って真面目な顔をしてそう尋ねたのだった。