五、早奈美ちゃんのお願い・7

文字数 2,837文字

「狭くてごめんね。荷物はその辺に置いてくれていいから、楽にしてて」

 部屋に入ってしばらくの間所在なさげに立ち尽くしていた二人は、そう持ち掛けてもなかなかカーペットに腰を下ろしてくれなかった。

 ソファでもあれば良かったのだけれど、わたしが暮らす七畳弱のワンルームには、そんな気の利いたものを置くスペースなんてない。
 ベッドと言い張るのも憚られる足付きマットレス、テレビに炬燵に小さなタンスと本棚。それだけで部屋はいっぱいになってしまっていて、三人で過ごすにも少し狭いくらいだ。

「どうも、失礼します」
 都築君がそう言いながらやっとボディバッグを下ろして、部屋を見回すように瞳を動かす。

「確かに広くはないかもしれませんけど、しっかり片付いてますねえ。よく人が来るんですか?」
「ううん、もうずっと来てないよ」
「ふうん」

 聞くだけ聞いておいて随分簡素な反応をした都築君は、巡らせていた視線を早奈美ちゃんに向ける。

「……亜紀さんに電話するとして、どう話を切り出します? いきなり『ねえ、オバケのお姉さんと一緒に住んでたりする?』なんて聞くわけにもいかないでしょうし。そもそも彼女とはどの程度の仲良しなんですか? 家族構成とか、把握してます?」
 と、不意に畳みかけてきた都築君に、早奈美ちゃんは一瞬たじろぐ様子を見せてから、控えめに口を開いた。

「結構、仲良しだと思うよ。でも家族の話はあんまりしたがらない子だから、そこはよく知らないの。スポーツ推薦とはいえ高校生でひとり暮らしなんて珍しいから、何か複雑な事情があるのかもって思ってたし……」
「なるほど。そういやみきさんが『引っ越すことになった家族が心配で、ついてきた』なんてことを言っていましたね。あれは家族揃っての話じゃなくて、妹ひとりのことを指していたのかも」

 都築君がこちらを一瞥して、小さく頭を下げてからようやく腰を落ち着ける。
「まあ、推測したって仕方ないですよね。早いとこ本人に聞いちゃいますか」

「うん。実は、切り出し方ならもう考えてあるんだ」

 そう言いながら早奈美ちゃんも同じようにして、赤いエナメルのショルダーバッグからスマートフォンを取り出す。それからわたしと都築君の顔を順に見て、画面に目を落とした。
 彼女がスピーカーの設定にやや手間取っている間、わたしは自分の鼓動が少しずつ大きくなっていくのを感じていた。部外者の癖に、と苦笑しながら。

 しばらくののち、部屋に初期設定のコール音が響き出す。

「もしもし、早奈美? 急にどうしたのさ」
 四度目のコール音も終わりがけの頃だった。
 決して良いとはいえない音質だったけれど、それでもあの子の声だと認識できた。何せ彼女と早奈美ちゃんの会話を、わたし達は二度聞いているのだ。

 あの子――鬼塚亜紀ちゃんは、続けて尋ねる。

「電話なんて珍しいね……あ、分かった。恋バナでしょ? もしかして、あのお兄さんと何かあったの?」
「突然電話なんか掛けてごめんね。そうだよ。あのお兄さん……ジュン君のことで、ちょっと」
「うそ、当たっちゃった。なになに? あたしでいいなら何でも聞くよ!」

 亜紀ちゃんの声色は、拍子抜けするほどに明るく朗らかだった。聞くうちに作りもののように思えてきて、かえって恐ろしくなるほどに。

 早奈美ちゃんは一瞬黙り込んで、小さく息を吐いた。
「……私が亜紀ちゃんと初めて話したのは、一年生の夏だったよね」

「えっ?」
 驚きの声を上げたのは亜紀ちゃんだったけれど、彼女に気取られないよう息を殺していなければ、わたしもそうしていたと思う。
 意外なつかみですね、などと耳打ちしてきた都築君も、同じ気持ちだったのだろう。

「私達、あの年は違うクラスだったけど、亜紀ちゃんが教室まで来て話し掛けてくれたんだよね。私の噂……オバケが見えるらしい、なんて話を聞いて」
「そうだったね。でも、どうして今そんな話を?」

 早奈美ちゃんは、亜紀ちゃんの当然の疑問に答えることもせず話を続ける。
「あのとき私、実はちょっと怖かったんだよ。亜紀ちゃんのこと、隣のクラスのリーダー的な子だと思ってたし、からかわれるかいじめられるかするのかなって。だけど」
「ねえ。何の話なの?」

「だけど、そうじゃなかった。亜紀ちゃんはさ、真面目な調子で私に聞いてきたよね。『本当にオバケが見えるっていうなら教えてよ。あたしの後ろに誰かいたり、しない?』って」
「そんなの、覚えてないよ」
「私は『いないよ』って答えて……その後どんな話をしたかは私もよく覚えてないけど、最後に連絡先を交換して、それから仲良くなったんだっけ」
「だから、何の話? 無視しないでよ」
 亜紀ちゃんの声に、苛立ちが混じり始める。

「あのとき亜紀ちゃんは、誰が後ろにいると思っていたの? ……誰に、いてほしかったの?」

 早奈美ちゃんが踏み込んで、わたしは一度息を呑んでから亜紀ちゃんの返事を待つ。
 答えはすぐには得られなかった。昨年雑貨店で買ったチープな壁掛け時計の秒針が、時折遅くなったり早くなったりしながら一周する。

「……なに、それ。嫌な言い方するね」
 そのうち亜紀ちゃんは、大袈裟なため息をついた。電話越しの早奈美ちゃんに聞かせるように。

「気付いたんだよね? あたしが淳さん……あんたの好きな人の、彼女の身内だってことに。もっとはっきり言ってよ。それを黙ってた上にわざわざ二人のデートを見せつけるような真似して、酷いじゃんってさあ」

「そんなつもりじゃ」
「でもよく気付いたよね。一体何があったの?」
「それは……みきさんと別れて落ち込んでるジュン君のことが、どうしても気になったから」
 一度言葉を切った早奈美ちゃんの目線が、こちらに向けられる。そしてわたしが頷くのを見てから再び口を開いた。

「『喫茶カンヴァス』の店員さんにお願いして、一緒に探してもらったの。そのときみきさんがオバケだってことを聞いて、火災の新聞記事から鬼塚実希さんに辿り着いて……」
「新聞記事? あんた、わざわざそんなもの調べたの」

 亜紀ちゃんの大きな声に反応して、都築君がばつの悪そうな顔をする。
 わたし達のしたことで彼女が気を悪くしてしまったか、とはらはらしていると、亜紀ちゃんは思いの外穏やかに「まあ、店員さんのアイデアなのかな。そっか……手伝ってもらったんだ」とひとり納得した風に呟いた。

「あんたってさ、控えめで大人しくて可愛い、困っていたら助けてあげたくなる感じの子だもんね。守りたくなるっていうのかな。そういうのって得だよね。学校でも密かにもててるしね」
 かと思えば、彼女の続く言葉は少し早口で、どこか刺々しくて、聞かされた早奈美ちゃんが頬を引きつらせるのが見て取れた。

「でもさあ、早奈美」
 淡々とした口ぶりではあったのだ。それに、決して大きな声でもなかった。

「お姉ちゃんの彼氏は、取らないでよね」

 けれどその言葉の冷たさは、横で話を聞いているだけのわたしの頬からも、さっと熱を引かせた。
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